友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

単純作業は妄想の世界へといざなう

2020年05月23日 18時02分01秒 | Weblog

 3日間もかがみこんで作業をしているとさすがに疲れる。しかしまだ、明日の午前中までかかりそうだ。昨日も愚痴ちゃったけど、こんなに丁寧に土をより分けて本当に意味があるのだろうか、そんな気が時々頭を過る。それを、せっかく始めたのに途中で放棄したら、今までやって来たことが無になってしまうぞと叱る気持ちが働く。

 毎年、毎回、そんな葛藤を味合うのにまた同じことをしている。作業が嫌いな訳ではない。ひとりで黙々と続けていても苦ではない。頭の中は何も考えていない。古い根を見つけてつまみ出す。使える赤玉土を選び出す。ミミズがいればまた土に返し、何かの幼虫がいれば始末する。ひたすら同じことの繰り返しなのに、合理的にやる方法を考えようともしない。

 単純作業は妄想の世界へ入り込むにはピッタリだ。どの小説だったか忘れたが、男が裸の女を眺めて、「キレイだね」と言った。すると女は「誰でも、目は2つ、鼻と口は1つ、おっぱいは2つでおへそは1つ。そうでしょう。そうでない女の人がいたの?」と笑って言う。なるほどうまいことを言うなと思った。

 それでも、心惹かれる女性とそうでもない女性がいるのはどうしてなのだろう。あばたもえくぼという言葉がある。好きになるということはそういう錯覚の世界に入り込むことなのだろう。好きになれば何もかもキレイに見えるのだ。それなのに、「誰でも一緒よ」と言われてしまうと味気ない気がするが、それがその後の展開の布石だったのか。

 女が「おっぱいが小さくてごめんなさい」と謝る場面もあった。大きいから好きになった訳では無いのだろうに、女の方が見栄えに拘っている。男と女の感じ方というか、愛し方の違いなのだろうか。あの物語の結末は思い出せないのに、ヘンなところを覚えているのは男だからか。

コメント
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