友だちが注目している朝日新聞の政治担当編集委員の高橋純子さんが、今朝の朝日新聞の社説「余滴」に、「すがすがしくおめでたい」と題した文を書いていた。次期、総裁の本命といわれている菅官房長官への当てつけである。高橋さんは今朝の『サンデーモーニング』にも出ていて、こちらも当然だが、自民党総裁選挙が話題になっていた。
書き出しは、「主張せよ議論せよ説得せよ、政治という営みは言葉を手段として行われる。どのような場面で、どのように用いるか。そこにはおのずと、政治家のひととなりがあらわれる」とあった。安倍首相は、敵と味方を分ける政治姿勢と分析し、後継者である菅官房長官はとことん叩き潰すタイプと見ている。
そのため、8年近い安倍政権下で日本の社会は「無力化」に傾いたという。いろいろ分析するはいいし問題点をあげるのもいいが、言葉を貼り付けてもそれで批判できた訳ではない。朝日新聞がどんなに安倍政権の問題点を取り上げも、安倍首相が引退を表明した後の世論調査では70%の人が支持している。高橋さんが書いているように、政治家も新聞も「言葉こそ命」である。
高橋さんがサンデーモーニングで発言していたことだが、「だらしのない野党」を作ってきたのは、マスコミであり国民である訳だから、批判のラベル貼って終わりにせずに、問題を掘り下げ、どうすべきかを提案することだと思う。マスコミが意見を表明するのは、「偏る行為」とマスコミ自身がとらわれているのではないのか。もっと、「わが社はこう考える」―そう言い切れる時代にしないと、何も変わっていかない気がする。