『同級生新聞』を発行する聞いた時、1年に春夏秋冬の4回くらいかと思っていた。ところが5月に第1号が発行され、9月で5号となり、7号の企画原稿の募集まで行っている。発行者の並々ならぬ努力に頭が下がる。遠い人や私のように紙で欲しい人には郵送しているようなので、お金のことも心配だ。
5号の特別紙面に、思い出の多い男が原稿を寄せていた。彼は1年生をダブっている。2年目の1年の時、私がクラス担任となった。彼がどうして留年したのか、私は知らなかったし気にも留めなかった。学校と彼の家の中間辺りに私の下宿があったので、自転車通学の彼は帰りに寄って行った。
時には、私よりも先に下宿に来ていた。「腹が減った」と言うので、キャベツの千切りにソースをかけて出すとビックリして、「こんなの食えるの?」と言う。「うまいよ。食べてみて」と勧めた。以来、キャベツの千切りが食べられるようになったと言っていた。
私の部屋にある本は「何でも読んでいいし、持って行ってもいい」と言ってあったので、何冊か持って行った。マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』が彼のところから戻ってきた時は、そんなに気にならなかったが、5号の特別紙面を読んで、彼の思想や思考に負の遺産を残してしまったかも知れないと思った。
50年前に書いた彼の文章は衝撃的だった。「何一つ真実の無いこの虚空の世界で、嘘を嘘だと知って生きていくか、嘘に気付かずに生きていくかだけの違いでしかない」。私はシュールリアリズムに囚われていたから、「現実は虚構で、虚構が現実なのだ」と言うようなことを口にしていた。
それでも私も彼も結婚し、子どもが生まれ、家族ぐるみの付き合いが続いた。日常の中にどっぷりと浸かり、追われるような毎日を受け入れてきた。彼は仕事で、その業界では名の知れた人となった。「68歳の老人は、目指した荒野に無事到着致しました。そして、生きるということは、ずっと荒野の中を歩き続けるということがわかりました」と、結ばれていた。