どうしてそんなに落ち込むのかと思う。「1晩、眠られなかった」とカミさんは言う。「ジャパンライフ」に1千万円投資した訳ではない。自分が善意で、人のためになると思ってやったことなのに、メチャクチャ考え込んでしまっている。
カミさんのお母さんもそうだったけど、余りにも悪い方へと考えすぎだ。人を傷つけた訳でもないし、何かを失った訳でもない。ちょっとした気持ちのズレというか、行き違いのようだが、それもまだはっきりと分かってもいないのに、深いため息ばかりついている。
次女と電話で話して、幾分持ち直したようだ。私に話しても、「放っておいたら」としか言わないから、次女のアドバイスが欲しかったのだろう。落ち込んだ時は、親身になって聞いてくれる人が欲しいのだ。次女は遠慮が無いからズバズバ言う方だが、それがかえって良かったみたいだ。
「エホバの証人」の女性から電話があった。「コロナ禍で訪問は出来ないが、電話で少し話してもいいか」と言う。「あなたは今の世界をどう思うか」と聞いてくる。「審判の時が来ている」と言いたいのだろう。私は、「全てが神のご意思であると思っている」と答える。
人は受け入れる以外に術はない。救われるか否かは神のご意思であり、人は従うしかない。私は永遠の命など要らない。永遠に生きることほど辛いことは無いだろう。いろいろ言った後、彼女は「神のことをもっと勉強しましょう」と言う。
人は幸せを求めて生きているが、幸せは必ずしも同じではない。人にはそれぞれ求めているものがある。良かれと思ってやったことで、ああでもない、こうでもないと、考え込む人もいる。終わったことは変えられないし、先のことは分からない。クヨクヨしても仕方ない。笑って、笑って。