鉢植えのバラが1本、枯れてしまった。まだ、芽が出てくるかも知れないと、水やりだけは続けているが、水の引きがとても悪い。夏に入る前、根もとに瘤が出来ていた。バラの病気である。取り除いたから元気になるかと思ったが、枝の色が少しずつ茶色くなってきた。暑い日や風の強い日などが続いたから、掘り出して手当てする機会を作れなかった。
もう、これ以上は無理だなと思うし、蘇ることは無いだろう。何にでも寿命はある。樹木だって生き続けようとする。古い葉を落とし、新しい葉に光を当てて、エネルギーを蓄えている。草木に意思がある訳ではないけれど、意思に似たものはある気がする。家庭で育てられる草木や野菜などは、家の人が気にかけてくれなければ生きていけない。
仙台の5歳の孫娘の幼稚園から、今年も孫娘が描いたジジババの絵が届いた。敬老の日のプレゼントである。なかなか粋なことをする幼稚園だ。絵と添えられている孫娘のメッセージは、成長の証でもある。長女のところの小5の孫娘は急に大きくなってきた。母親の背よりも高くなったのではないだろうか。女っぽくなってきたが、難しい年頃なのか口数は少ない。
「パパに新しいスマホをもらった」と、カミさんに連絡してきた。スマホのない生活は考えられないくらいに定着してきている。実際に見たり触れたりして得る感覚よりも、スマホの世界の経験が重宝になると、いったいどういう生活になっていくのだろう。好きとか嫌いとか、いい感じとか、人の五感は衰えてしまうのだろうか。小5の孫娘はデザイナーを夢見ている。五感を研ぎ澄まして欲しいが、スマホではみんな同じものになってしまわないだろうか。