穏やかな秋晴れ、朝からルーフバルコニーに出て作業に励む。西陽から部屋を守るために、遮光の布を取り付けていた木材の装置を取り外し、鋸で寸断しゴミ袋に入れた。私は大工の孫だから慣れたものだったのに、息が切れて大変だった。
午後1時50分頃、パソコンに向かっていると、ドンと大きな音がして上下に揺れた。全く一瞬だったので、何が起きたのか分からなかった。太鼓を1つ、打ったような感じだった。地震と思ったのに、その一瞬だけでグラグラ揺れることは無かった。
急いでテレビを点けると、この地域は震度1と出ていた。東北や九州で地震が続いたので、いつかこの地域も地震が起きるだろうと思ってはいたが、余りに呆気なかったので、これはきっと前触れに違いないと思うことにした。
パソコンのFacebookを見ていたら、卒業生の記事が出てきた。「ヒオウギの実が爆ぜて、『ぬばたま』がたくさんできている。以前調べたら『ぬばたま』は和歌の枕詞で、『夜』『黒髪』にかかる装飾的な言葉で、ある種の情緒を添える言葉とか」と説明し、写真もあった。
卒業生と言っても、70歳になるオッサンである。高校の時は教師と生徒だったが、今では同じジジイである。高校生の彼は、デザイン科生にしては珍しく自己主張のない、おとなしくて目立たない生徒だった。今は一刀彫で円空仏を作ったり、盆栽に精を出す、不思議な暮らし方をしている。
いろいろと博学で、私は彼に教えてもらうことが多い。彼は庭の草花の『ぬばたま』から、次の和歌を書き添えていた。「ぬばたまの黒髪変わり白けても 痛き恋には逢う時ありけり」(万葉集より)。そして、「黒髪が白くなっても、歳をとっても、切ない恋に出逢うこともある」と歌を解説し、「解るな~この気持ち‥」と結んでいた。
オイオイ、誰か好きな人でもいるのか?私は不倫を否定する気持ちは無いので、好きな人がいても構わないと思うが、決してカミさんに分からないように秘めておきなさい。恋は秘密の方がいい。密かに想い続けていることが、大人の恋だと思うから。
「まそ鏡 見飽かぬ君に 後れてや 朝夕に さびつつ居らむ」(巻4-572)
意味
見飽きることのなかった貴方に置いてきぼりをされてしまって、一日中、寂しく暮らしております。
「ぬばたまの 黒髪変わり 白けても 痛き恋には 会ふ時ありけり」(巻4-578)
意味
黒髪が白髪になっても、こんな辛い恋心に出あう時が、あるのでした。
沙弥満誓は、笠朝臣麻呂と同一人物。
養老3年(719)7月、尾張・参河・信濃の三国を管する按察使を兼ねる。
同4年10月、右大弁として中央に復帰したけれど、翌年5月、元明太上天皇の病を理由に出家を請い、勅許され、以後、満誓と号した。
養老7年(723)二月、造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向。
翌年大伴旅人が大宰帥として府に赴任すると、いわゆる筑紫歌壇の一員となった。万葉集には、7首の短歌を残している。
尚、この歌を詠んだ時点で、満誓は観世音寺別当として筑紫に残っていた。
歌心がある者同士、心も通じていたのだろう。その相手が都に帰ってしまえば、当然、寂しくて仕方が無い。
恋心とは、必ずしも男女関係などの恋愛だけではない。心を通じた友に対する恋心も確かにある。
穿った見方
この2首は満誓(男)から旅人(男)への相聞歌。その背景は男色?
そう考えると合点がいく。
老いらくの恋は男女にあらずか。
単に興味を持ったことは「やってみる」「調べてみる」だけ、恋愛、女性関係は除くでね。
人生一度だけ、やりたい時にやりたい事をやれる範囲でやれば(楽しめ)それで良い。
何もスペシャリスト(それはそれで素晴らしい)になる必要はなく、広く浅くで構わないと思ってます。
私のように楽しんでることを大っぴらにする必要はないですが
「人生一度だけ、楽しみましょう」と言う人は
何を楽しんでるんだろう?これって個人情報か?と思ってしまいます。
決して不倫なんてするつもりないですよww
それに間違っても女房には言いませんww