友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『出番を待ちながら』

2011年01月20日 19時22分40秒 | Weblog
 人は誰もが華やかな過去を背負って生きている。いや、自分の過去ほど惨めなものはないと言う人もいるが、その人にも光が当たっていた時があった。本当に絶望していたなら、命を断っていたことだろう。日本では毎年3万人以上の人が自殺している。その多くは貧困からだと言うし、子どもの自殺の原因はいじめだそうだ。いじめている側は意識していなくても、いじめられている側は絶望してしまうところに辛さがある。子どもの自殺を阻止するには、周りの大人のちょっとした気遣いだと思う。一番子どもと接している教師が、そして何よりも父母が、子どもをよく見ていれば異変に気付くはずだ。

 人間はたくましいから、何度も絶望してもまた元気を取り戻す。誰だって自分から死にたいとは思わない。しかし、明日に希望がなければ命を断って楽になりたいと考えるだろう。年寄りの自殺も多いけれど、年を重ねるとこんな程度ならいつものことだと思うようになる。今死んでも、明日死んでも同じなら、今は止めておこう。ひょっとすると明日はよいことが起きるかも知れない。だから明日のことは分からないから生きていけるとも言える。そこが子どもと年寄りとの差なのかも知れない。明日は明日の風に任せられる。それが年寄りのよいところでもあるのだ。

 イギリスの片田舎にある老人ホーム。ここにはかつて華やかな脚光を浴びた女優たちが暮らしている。ミュージカル女優やソプラノ歌手やシェイクスピア女優や映画女優など、現役時代の地位や名声にこだわりながら生きている。新しくホームにやって来たロッタと前からいるメイはもう30年も口を利かない不仲であるが、その原因が次第に分かってくる。ロッタはメイの夫だった男と結婚したので、プライドの高いメイには絶対に許せない相手なのだ。ところが、メイの夫はロッタと結婚する前に若い女性と恋をしていた。そのことからふたりは心を許す友だちへと変わっていく。

 そんなロッタのところに、彼女が最初に結婚して分かれた男との間に生まれた息子がやって来て、「妻もとても心配している。一緒に住もう」と迎えに来る。しかし、彼女はその申し出を断ってしまう。年老いた者がどのような気持ちで生きていったらよいのか、どのような老いを受け入れていったらよいのか、今日の名演『出番を待ちながら』はそんなことをテーマにしていた。いくら華やかな女優であっても、もう出番はない。あるのは神様からのお招きだけだ。女優でなくても、人は誰でも精一杯に生きてきて今日に至っている。

 舞台で歌われたように、「可愛いお嬢さん、結婚しましょう」と大はしゃぎしたり、今は寝たきりの大女優のもとにいつもスミレの花束を持って見舞いに来る老人の一途さを、「ああいう人と結婚したかった」と言って笑い合うが、きっと本音だろう。明るく素直で気品に満ち、女優たちは最後の出番に備えているようだ。「隠居は早すぎますよ」と叱られたけれど、ああ、私も最後まで自分をぶつけて生きていくつもりだ。若い世代に道を譲るが、自分を押し殺すつもりは全くない。
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自由に生きては愛せないのか

2011年01月19日 19時09分16秒 | Weblog
 夕方、5時過ぎに印刷屋さんへ出かける途中、東の空に大きな月を見た。満月だった。夏に見れば涼しく感じるのに、冬の月は冷たく見える。月曜日の雪がまだあちこちに残っている。子どもたちが大ハシャギして作っていた雪だるまはもう溶けてしまっただろうか。昨日までは泥にまみれ、形も歪になりながらも、まだ踏ん張っていた。今日は吹く風は冷たくて、大地は凍っているかと思うほどだ。

 中学からの友だちが、15年間も友だち以上恋人未満の彼女との思い出を、小説風にブログで書き出した。長い黒髪が艶やかな彼女は、冬には冷たい手をしていたのではないかと思う。色白の女性は体温も低いから、手先が冷たくて、彼は彼女の手を温める悦びを感じていたことだろう。彼女から「ブログに私のことは書かないで」と釘を刺されたと言っていたのに再開したのは、過去のことになったということなのだろう。

 姉の友だちに、60年も付き合いが続いている女性がいる。その人の半生を聞いてみたいと思っているのだが、姉から「あんたは変な人だね」と言われて、間を取り持って欲しいと言えずにいる。相手の男性は認知症が進んで、歩くことも容易ではないようだ。彼女は時々、彼の家へ食事の世話に出かけている。男性の息子もその嫁も彼女の出入りを認めていて、むしろ男性の世話してくれるので歓迎してようだと姉から聞いた。

 20代で上司だった彼との不倫が始まり、老いて衰えて、歩くことも出来なくなった男性に、どうしてそこまで尽くすことが出来るのだろう。私の中学からの友だちとは違って、もちろん肉体関係もあったであろうけれど、だからと言って今では何の価値もないはずだ。特別にお金をもらっているわけでも、息子さんたちから頼まれているわけでもない。身寄りのない彼女の唯一のつながりのある人というが、それだけで世話をするのだろうか。

 世の中には損得では物事を考えられない人がいる。あらゆる人に全て同じように優しいのかと言えばそうではないが、その人のことになると全く計算が働かない。恋人同士でも駆け引きはあり、それがまた愛する気持ちを高めたりする。恋人にプレゼントを贈るのは、純粋に喜んで欲しいからだけれど、それだけではなく、贈り物をすることで相手を所有したいのだろう。自分が選んだものを相手が身に着けてくれれば、相手が自分のものになったような気がしてしまうのだ。

 デートの時にプレゼントしたものを身に着けてきたかをチェックするようなみっともないことを平気でする人もいる。独占欲が強く嫉妬深い人にその傾向があるように思う。私はそれを心が狭いと思っていたが、逆に彼の愛情なのかも知れない。自由に生きれば、愛することは出来なくなるだろう。最近の若者たちは恋をするのを面倒くさいと言う。枯れてもいいはずの年寄りが、恋する人のために誕生日を祝おうとする。不思議な気がするけれど、その方がいいと思う。
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阪神淡路大震災と名古屋市の住民投票と

2011年01月18日 22時42分07秒 | Weblog
 17日は「阪神・淡路大震災」が起きた。もう17年目になる。あの時、この街の若いお母さんたちが役所へ「私たちも何かしたい。出来ることは?」と聞きに行った。役所の担当者は「あなたたちはボランティアをやったことがあるのか?」と聞いた。ただの主婦だと答えると、「経験のない者には無理だ」と呆気なく断られた。せっかくの善意をどうして潰してしまったのか。出来ることはいくらでもあったはずだから、一緒になって考えてくれたなら、このお母さんたちは行政を頼りに思いそして誇りに思ったであろう。

 役所の対応はおおむねこの類である。住民と一緒に汗を流すような職員は滅多にいない。何事もなく業務が終了することが大事と考えている。全員がそうだとは思わない。職員の中には気骨のある人もいる。住民のためになると思えば、上司に提案することもある。すると上司は「うまくいけばいいが、いかなかったときは誰が責任を取るのだ。お前に責任が取れるのか?」と言う。当然、許可した上司が責任者であろう。「よし、オレが全面的にバックアップするからやってみろ」と一緒に考えてくれたなら、若い職員はもっとやる気になったであろう。

 いったい行政とは何なのか、誰のために業務を行っているのか、そもそも行政の業務とはいったい何なのか。そんな疑問が爆発力になって、首長選挙に立候補した。「議員もやっていない者に首長が出来るか!」とヤジられた。やはり、面々と続いてきた地元の力は強かった。敗れたことがきっかけとなり、議員に立候補し、次の機会を待ったが、再び敗北した。首長選挙は議員の選挙とは大きく違う。そのための準備ができていなかった。議員になって、行政の仕組みが分かるようになると、直接指揮を執る首長を目指す人と、議員として首長に物申す人と、議員の座の心地よさに甘んじる人とに分かれる。

 昨日は、名古屋市議会の解散に賛成か反対かの住民投票が告示された。住民投票で賛成票が過半数となれば、次に市議会議員の選挙が行なわれることになる。確かに何度も選挙が行われることで、面倒くさいという気持ちにはなるだろう。選挙にかかる費用がもったいないと言う人までもいる。面倒くさいとか金がかかるということで、権利を放棄するようなことはあってはならない。民主主義は面倒くさいものであり、そのためには多少は金がかかることもある。

 私の友人、それも名古屋市外に住む友人までも「河村さんはいいねえ。応援しています」と年賀状に書いていた。おそらく私が河村さんを応援していると思ってのことだ。名古屋市議会を評価できないが、だからと言って河村さんのやり方も賛成できない。残念ながら私が応援したくなる候補者はいない。河村さんは選挙で選ばれた首長だけれど、やり方としては専制君主的だ。河村さんが言うように10%減税を行なわなければ、行政改革は進まないだろう。地域委員会制度も進めるべきだと思う。これまでの行政のあり方を変えていくことは絶対条件だとは思うけれど、その方法はもっと検討されなければならないだろう。けれど、その推進役に河村さんがふさわしいとはどうしても思えない。
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子どもは雪が大好きだ

2011年01月17日 18時53分10秒 | Weblog
 2日間も雪が降り続くとは思わなかった。写真は今朝7時過ぎに写したものだが、それからも止むこともなく降り続いた。今日は大和塾の例会、家から出られないという連絡もあったから、果たして何人の人が集まってくれるのかと心配した。結局、6人しか来られなかった。中には「家から歩いてきた」と言う人もいた。確かにこの雪では慣れない人は大変だろう。デイサービスの送迎している人たちを見たが、利用者を雪から守るために必死の様子だった。

 それに比べ、子どもたちは大はしゃぎだ。寒さなんかものともせずに雪合戦で遊んでいる。雪だるま作りに夢中になっている。子どもはみんな元気だ。その方がいいけれど、近頃は「汚すな」「風邪を引く」と叱る親がいるそうだ。子どもの中には、親の言いつけを守っているのか、教室から出ることもなく、雪合戦を他人事のように眺めている子もいるという。服が汚れたら洗ってやればいいし、風邪を引かせないようにするなら、タオルで雪や汗をふき取るように教えてやればいい。自分の手間が増えることばかり気にするのは親のエゴだ。

 今日の大和塾の例会で、大和塾としてこれからどんなことを取り組んでいったらよいかと話し合った。子どもたちに夢を与えるような企画もいいのではと言う。競書展や作文コンクールあるいは合唱コンクールなんかはどうだろう。優秀な子どもをみんなの前で表彰し、その作品を朗読してもらうとか歌ってもらう。文化活動のレベルを上がることになるというものだ。そこで元校長が「おそらくそれは難しいでしょうね」と言う。全体の教育レベルを押し上げることに熱心に取り組んで来たけれど、個人の突出した能力を引き出すことはむしろ抑えてきたからだ。

 学習をすれば理解度を測るためにテストを行なう。テストなどしなくても先生がそれぞれの子どもを評価することはできるけれど、客観性があれば評価に対する説明もしやすいので、先生はテストに頼る。テストは数値ではっきり表れるから順位までもつくことになる。すると、子どもたちはもちろん中には親までも、この評価が絶対的なもののように思ってしまう。テストの結果などは長い人生のほんの仮の評価に過ぎない。よい高校へ行かなければよい大学へ行けない。それは現実ではあるが、だからなんなのさと思った方が真実には近づく。

 どういう人生を歩くことになるのか、それは自分が決めればいいことだ。イヤならいつでも変わればいい。「必要があれば、人は変わる」と鎌田實さんは言っていたがそのとおりだろう。いろんな人生があっていい。学校の成績は学校の時のもの、社会に出ればそれはまた変わる。誰に出会うか、何をつかむか、何に関心があるか、愛する人はいるのか、いろんなものが重なったり、つながったりして人は生きていくのだ。人生の評価は自分がすることで、他人が出来ることではない。

 午後になって、雪はすっかり溶け出した。明日はNPOおたすけで井戸掘りの試験作業が出来るのだろうか。今日よりも寒さは厳しいのだろうか。夜には新年会を予定している。
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鎌田實さんの講演会に行ってきた

2011年01月16日 21時45分59秒 | Weblog
 朝から雪が断続的ではあるが降っている。もう随分積もった。写真を撮っておきたかったのに、残念ながらケイタイは昨夜から電池切れだ。それにしてもこんなに積もるとは思わなかったし、天気予報で「平野部でも雪になることがある」とはあったが、マークは晴であったので、大丈夫だろうと朝日新聞社へ出かけていった。伏見は雪景色で、都会の雪模様をカメラに収めようとする何人かに出会った。

 『人は一瞬で変われる』のタイトルで講演したのは、諏訪中央病院の鎌田實さんである。私が聞いてみたいと思ったのはタイトルからではなかった。鎌田さんは1948年生まれ、私よりも4つ年下の全共闘世代である。個人参加の全共闘は全国の大学に広がった。これは後になってのことだけれど、今井澄さんと鎌田實さんの名前を私が知ったのは、全共闘の闘士が地方の赤字病院を立て直したという何かの記事だったように思う。

 全共闘の闘士であった人がどんな話をするのか、興味を抱いた。履歴を見ると1974年に諏訪中央病院に勤めているから、今井さんと一緒に行くことにしたのだろうか。ここでふたりは「住民とともにつくる地域医療」運動に取り組む。年上の今井さんが40歳で病院長になり、その後を鎌田さんが引き継いでいる。鎌田さんはチェルノブイリ救援活動やイラクへの医療支援などを続けている。「困っている人がいるのだから、助けよう」。これが蒲田さんが医者を目指した原点であり、諸々の活動の原点でもあるようだ。

 講演の始まりも、そこからだった。医学生の最終目標は医大の教授になることにあるようで、田舎へ行ったのでは出世から取り残されると友人から忠告されたのに、諏訪へ来てしまったのも、困っているのだからという点にあった。信州は脳卒中で亡くなる人が多い。それは食生活に原因がある。だから食生活を変えることだと切々と説く。人々は「わかった」と言うが、なかなか変わらない。分かるだけでは変わらないのだ。ところがある時、検査の数値がよくなった人がいた。そこで思わず「よかったね」と自分も嬉しくなって叫んだところ、その患者はさらによくしようと努めるようになった。自分が変わらなければ、相手も変わらないのだと分かったと言うのである。

 男はダメだけれど、女はしがらみや歴史を横における。だから平和を実現できるのは女の人がキーポイントだと言う。今、日本をダメにしているのは、空気を読むことに熱中しているからだ。日本が戦争に突入していったのも、空気を読むことを大切にして、自分で考え自分で判断することを怠ったからだ。人がどうかではなく、自分がどうかと考える、そして自分で決めることが「強くて、暖かくて、優しい」人や国になる道だと説く。

 これまで合理的あるいは合理性ばかりを求めてきた。それが今日の社会問題の根源にある。包丁のない家がある。つまり料理をしない家だ。包丁を使わせない、ナイフを持たせない、だから鉛筆も削れない。自分のことしか考えない。人の死を見たこともない。確かに人間は歪だ。優しそうな顔をしていても冷たいところがある。そういうまだらなものがあることが人間なのだ。そう思ったら、楽に生きられる。人は人とつながっている。99%は自分のため、でも残りの1%は誰かのために使ってみよう。それが結びだった。

 なかなか味のある話であった。そして全共闘世代が到着した地点はここだなと合点した。
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宇宙は膨張しているって?

2011年01月15日 17時34分07秒 | Weblog
 「宇宙は膨張しているって?」と聞かれても、「ああ、そうみたい」としか答えられない。宇宙って何だろう、どうやって出来たのだろうと子どもの頃は思ったものだ。丁度、ロケットが開発され、宇宙工学などという言葉も耳にするようになった。始めて宇宙から地球を見たのは、「地球は青くきれい」と言ったソ連のガガーリン少佐(?)だった。その後、アメリカの宇宙船が月に着陸し、宇宙時代が本格化したように思ったものだ。米ソによる宇宙開発競争は結局、軍事的な優位をどちらが握るかであったから、ソ連が崩壊した今日では宇宙観光に変わろうとしている。

 宇宙船基地の建設も続けられているけれど、何のためなのだろう。そのための予算は減っているそうだからメリットは大きくないということだ。ノアの箱舟のように、この地球に住めなくなった人類は宇宙へと旅立つのだろうか。科学者によれば、地球の位置する銀河系が宇宙では一番安定しているらしい。それでもこの宇宙のどこかに、地球と同じような星が存在しないとは言い切れないそうだ。それはまた逆に、第2の地球などありはしないということでもある。人類が誕生してわずかの間に、見上げていた宇宙へ住処を移そうと考えるのだから、人間は本当にたいしたものだ。

 宇宙が膨張しているというのはどういうことなのだろう。計算してみたらもっともっと広いということなのだろうか。そんな広い大きな宇宙から地球の人々を眺めたなら、まるでアリが縄張り争いや食糧の分捕り合戦をしているように見えるのだろうか。ましてや個人の、今日は疲れたとか、あいつのせいでえらい目に遭ったとか、愛してくれないとか、憎いとか、そんな感情にまつわる行為などはどんな風に見えるのだろう。今の人間の力では、生まれてきた者は必ず死んでいく。立派なことを行なった人もそうでない人も等しく死を迎える。これほどハッキリとした平等はないけれど、でも、医学の進歩は不死を可能にしそうだ。しかしそうなると、果たして平等に不死を実現できるのだろうか。

 もし、この世界を創った方がいるのだとしたら、その行き着く先はどう考えられているのだろう。科学者はいつかブラックホールに飲み込まれるとか、ビッグバンがやってくるとか、計算しているようだけれど、実際のところどうなるなんて誰も分からないのではないだろうか。いや、分からないことを分かろうとしてきたのが人間の歴史であるから、いつか人間は何かを見出すかも知れない。きっとそうなるだろう。

 スーパーに買い物に行ったら選挙でお世話になった人に出会った。「引退なんて早すぎますよ。もう一度何かやってください」と言う。ありがたい言葉だけれど、私は今年の誕生日で67歳になる。若い人たちに任せて、邪魔をしないように生きていくべきと思う。年寄りは年寄り同士、気心の分かった友だちと馬鹿話をしながら、美味しいものを食べ、美味しいお酒を飲み、少しでも早めにこの世にバイバイしなくてはと思ってはいるけれど、どうなるのだろう。
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不可解な行動はなぜか気になる

2011年01月14日 19時42分18秒 | Weblog
 菅内閣の改造人事が発表された。何の期待もなかったから、誰と誰が替わったのか気にもしなかった。友人らのブログを見ても誰も改造内閣に触れていない。菅直人首相としては思い切ったことをしたつもりなのだろうけれど、世間の受け止め方はそんなものだろう。参議院で問責決議を受けた馬渕澄夫国交相と岡崎トミ子国家公安委員長が退任となった。同じく問責決議を受けている仙谷由人官房長官を解任し、枝野幸男幹事長代理を起用した。問責閣僚を辞めさせない限り審議に応じないと言う野党の要求を呑み、予算案などを成立させるためだ。

 今日乗った電車の吊り広告には「小沢と菅『共倒れ』民主滅亡」の見出しが大きく書かれていた。菅さんは内閣改造で乗り切れると思っているから断行したのだろうけれど、まだまだ混迷は続くだろう。とりあえずは小手先だろうと、予算案を通してからだと民主党執行部は考えているのだろうが、民主党が生き残るためには原理原則に徹した方がいいと私は勝手に思っている。小沢さんのような自民党体質と決別しないことには、本当に国民が期待するような政党になってはいけないと思う。

 その電車に、2つの荷物を抱えた女性が、ドアの閉まる直前に滑り込んできた。そして、そのままヨロヨロと進んで、ペタリと座り込んでしまった。40代くらいの、実際はもっと若かったかも知れないが、ピンクのダウンを着ていた。座り込むなり、2つの荷物の整理を初めた。しかしそれが終わってチャックを閉めたのに起き上がる気配がない。40代かと思ったけれど、この仕草を見ると60代いやひょっとするともっと上かなと思いながら眺めていた。気持ちが悪くなって立ち上がることが出来ないのかもしれない。

 丁度その女性が座り込んだ左側は50代の紳士であったし、右側は大学生の男女がいた。大学生たちはこの女性を見ながら笑って話していたが、席を立つ様子はない。紳士の方は目をとじたまま動くことはなかった。女性が座り込んだのはこのどちらかに席を譲ってもらおうと考えていたのだろうか、そんな風に見ているとやがて次の駅に到着した。紳士は立ち上がり、黙って降りていった。だから当然、女性はそこに座るのだろうと思っていたが、そこからかなり離れた席へ駆け込むようにして座り込んだ。

 それからは車内が混み合ってきてその女性の様子を見ることは出来なかったけれど、いったいなぜ座り込み、どうして遠い席の方を選んだのだろうと疑問に思った。世の中にはいろんな人がいることは事実だけれど、不可解な行動をする人は何故か気になる。お酒を飲んで、ある時間帯が全く覚えていないと言う人がいる。私も大学生の時に3度もそんな経験をしたことがある。どうやって帰ってきたのか思い出せないのだ。「飲むと何も覚えていないんだよね」と言う人がいたけれど、それは女性にいたずらした時の言い訳だと思っていた。自分がそうなってみて始めて本当にそういうことがあると知った。

 不可解なだけならまだ許せるが、時には不愉快なことを、酔った席だからと、言ったりやったりする人もいる。こういう人とはお酒は飲みたくない。明日は誕生会で、いつも本当に楽しいお酒になる。人柄なのだろうなと思う。
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タイガーマスクあるいは伊達直人ブーム

2011年01月13日 21時20分56秒 | Weblog
 タイガーマスクあるいは伊達直人ブームだという。各地の児童福祉施設に、ランドセルや文房具、中には野菜や米などが、タイガーマスクとか伊達直人の名前で届けられている。全国の都道府県全てに行き渡ったというから、確かにブームなのであろう。伊達直人ひとりではとても全国を回り切ることは出来ない。「中学生の伊達直人」とか「女性のタイガーマスク」とか名乗っている人もいるようだから、かなり多くの人が共鳴してあるいはブームに乗ろうとして行なっているのだろう。

 全国の都道府県で行なわれたとしても、全ての児童福祉施設にもれなく届けられているのだろうか。児童福祉施設は公立のものなのだろうけれど、私立はないのだろうか。一時的なブームだと評論する人もいたけれど、それでも「人のために役立てて欲しい」という気持ちは立派だと思うし、尊重していいのではないかと思う。なかなか他人のために身銭を切る人はいない。うるさいことを言うのであれば、そういう人こそ金を出してから物申すべきだろう。

 でも私は昔、たとえば全国的に行なわれている「赤い羽根」運動に積極的になれなかった。「赤い羽根」は町内で集めに来るので、皆さんと同額のお金は支払っている。街頭で呼びかけられた時は、呼びかけているのが子どもであったり高校生であったりするので、仕方なく募金するけれど、NHKの「歳末助け合い」運動に寄付することはなかった。本来は政府がやらなければならないことを、善意の人々に頼るとはケシカランと思っていたのだ。

 国の福祉政策がきちんと行なわれていれば、わざわざ「赤い羽根」運動など必要ないはずだと考えていた。どうも欺瞞にしか思えない。人々に善意を押し付けるペテンではないかと思った。しかし、大人になってみると、政府の福祉政策が行き届かないことは事実であっても、そして寄付を集めることがそうした不完全さを助長することになったとしても、困っている人々がいることも事実で、しかも悠長な理想論など言っているような余裕はない。

 こんなことで自分をごまかしていいのかという気持ちはあるけれど、でもまた、少しのお金でも役に立つならばと思って、「国境なき医師団」には寄付している。よく考えれば、国や地方自治体から補助金を受け取ることができるような組織は限られている。人々の支えがなければ成り立たない活動は想像を絶する数だろう。日本はそういう活動を支える基盤ができていないし、なんとなく怪しげな団体も多いから、寄付行為そのものが育っていない。

 政治活動にはお金が要るが、寄付してこれを支えようと考えてくれる人は少ない。むしろ、政治家からお金をせびる人たちがいる。「この人は立派なことをしているから、少しでも役立てて」とお金を寄付してくれるようになったなら、政治の世界はもっとクリーンになるだろう。市民運動についても、「大事なこと、いいことをやっている」と言うのであれば、一緒になって支えていく、そういう土壌ができていって欲しいと思う。
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元気が何より

2011年01月12日 21時45分23秒 | Weblog
 今年は年賀状が来ないなと思っていたら、ガンの手術を受けたというハガキが届いた。「肺ガンと甲状腺ガンが見つかり、いづれも手術をしました。今は変わらぬ日常生活をしておりますが、病院とは長い付き合いになります。元気が何より、体調に気を付けながら前向きにと思っております」とあった。大和塾の塾生の仲間にも前立腺ガンで入院中の先輩がいるけれど、同じ歳のしかもあの女の子がガンかと思うと気が重くなる。

 男たちなら、それまでいろいろ無理なことや勝手なことをやってきたのだから、ガンになっても仕方ない。でもなあー、あんなきれいな人もガンになるのか、と理屈に合わない思いがこみ上げてくる。私がもらっている年賀状の中でも一番字がうまい。始めてハガキをもらった時はこんなに字がうまい子だったのかと驚いた。彼女は中学校の同級生で、中学時代は全く目立たなかった。色が白くて細く、男の子たちの話題にはなっていたのだろうけれど、おとなしすぎてどこにいるのか分からないような女の子だった。

 担任からの言いつけで一度だけ彼女の家に行ったことがある。おじいさんだったかおばあさんだったかと暮らしているような様子だった。家は普通の借家風で、暗く湿気の臭いがしていた。あの頃はどんな家もみんなそうだったかも知れない。彼女は痩せ細っていて、なんとなく病弱な感じだった。勉強ができるとか運動に優れているとか、そんなことは聞かなかった。目が黒く印象的な輝きを放つ時があった。彼女のことはすっかり忘れていたけれど、30代か40代の頃、クラス会で会ってその美しさに驚かされた。私は知らなかったが高校生の頃から美しさでは有名だったようで、私の高校の先輩になる人が彼女を射止めたと聞いた。

 その先輩は大きな料亭の跡取りで、手広く不動産業を営み、テレビでもコマーシャルを流すほどの盛況ぶりだった。私が一番ビックリしたのは、確か彼女の経営する料亭でクラス会を開いた時の女将である彼女の挨拶だった。全く堂々としているばかりか、話の運びがうまかった。人はこんなにも変わるものなのかと思った。彼女はきっと水を得た魚、あるいは器が人を造るというが、本当に生まれながらの女将かと思うほどピッタリだった。

 あんなにおとなしく、教室では声を聞いたことがないと思っていたけれど、こんなに素晴らしい才能があったのか、彼女をこんな風に育て上げたダンナはどんな人物なのだろう。そのダンナに一度だけ、お店で会ったことがあるけれど、今その印象は思い出せない。彼女は子どもたちがそれぞれに後を継いでくれたので、今は好きな山歩きをしていると言っていた。何か映画の話かドラマの話の延長で、「そりゃー、女にだって性欲はあるわよ」と彼女が言ったことを覚えている。40代か50代の女ざかり、色っぽさがプンプン漂っていた。細いうなじがきれいだった。

 わがクラスで一番幸せをつかんだ女性ではないかと思っていたが、幸せや不幸は他人が判断することではないし、「前向きにと思っております」と言い切るところに彼女の強さを見た気がした。同級生が「あの子とやりたい」と言っていたことを思い出す。正直にそう言えば、「お馬鹿さんね。顔洗ってきたほうがいいわよ」と中学の担任の口癖を真似て軽くあしらわれていたことだろう。
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試し掘りは不完全燃焼だった

2011年01月11日 21時16分05秒 | Weblog
 年末年始にかけて、咳が出て、鼻が詰まる状態が続いた。急に冷え込んだので風邪を引いたのかなと思った。それで毛布を出してきたところ、やはり暖かくゆっくりと寝られるようになった。ところが今度は、眠っているのに目が痒くてたまらない。おかしい。まだ花粉は飛んでいないのに花粉症なのかと疑ってみたが、この目の痒みは間違いなく花粉症である。以前、眼科でいただいた目薬を差してみると痒みが押さえられるから、花粉症であることは間違いないようだ。すると、このアレルギー反応は毛布の中のホコリにあるのかも知れない。だったら花粉症などと言わずにアレルギー性眼炎と呼ぶべきではないだろうか。

 こんなどうでもいいような屁理屈を寒さの中で考えていた。今日はとても冷えた。マイナス2.7度だったという。友だちが「寒さが厳しいようだけれど、井戸掘りの試し掘りはやるのか」とメールしてくるほど寒い日だった。けれども実際は風がなかったので、作業する上ではそれほどの問題はなかった。長靴のつま先から痛くなるような冷たさが伝わってくるが、身体の方は動かせばすぐに暖かくなる。鉄管を握った時は凍りつきそうだったけれど、作業が始まればそんなことも忘れて動き回る。しかし、今回も15キロ近い鋼管を使っても以前と同じように掘り進む感触はなかった。

 それではと鏃のような鋼管を突き刺し、これを繋いでいき、上から錘をつけて叩き込む。何度もこれを繰り返すと幾らかずつでも鋼管は下へと入っていく。この土地ではこの工法しかないのだろうか、そんな議論をしながらも何度もやってみる。上総掘りまがいでやってみたけれど、どうしてうまくいかなくて、鉄管の打ち込みならば入っていく。みんなが不思議に思い、いろいろと話し合ってみるけれども結論には至らない。「あのなあー、女も一緒だ。見た目だけでは分からん。こうなったら徹底的にやってみるしかない」と言うけれど、何が女と一緒で、何を徹底的にやるのか、さっぱりわからないが、どういうわけか、みんなが納得する。その挙句に、「ここでひとつ気合を入れる必要があると思うがどうだ」という提案があった。

 そんなこんなで結局は、次回の作業の後で新年会を行い、悲願成就を願おうということになった。何のことはない、一杯飲んで、心を新たにして出直そうと言うのである。こういう提案にうるさい議論好きの面々も直ちに賛成に回る。ここが名古屋市議会とは異なる私たちの理性である。確かにいろいろと意見は異なるけれど、原点に戻って考えてみようということでは私たちの方が名古屋市議会よりも優れているのかもしれない。飛躍するけれど、先日、我が家に遊びに来てくれた卒業生のひとりも河村市長に当選してもらいたいと言っていたが、たとえ当選しても僅差だろうと私は思っている。

 むしろ河村市長が立ち上げた減税日本党(?)からどれだけの人が当選できるだろうと冷ややかに見ている。市議選となればやはりまだまだ地域意識が強く働くのではないだろうか。あの人にはお世話になっているなどということで、地域エゴが優先される。首長では「変革」を求めた市民も地域では、理想よりも現実を優先させてしまうのがこれまでの傾向だった。果たして名古屋だけが違う選択ができるのだろうか。そんなこんなで今日の試し掘りは不完全燃焼に終わった。
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