NHK大河ドラマ『八重の桜』が昨日は最終回というので、最後くらいは観ておこうと思った。この前の『平清盛』は色彩が粗くて暗いというので視聴率が低かったが、私には『八重の桜』は退屈で面白くなかった。主人公の八重役に魅力を感じなかったことが原因の1つだろうけれど、何が伝えたいのかもよく分からなかった。朝廷に歯向かう気持ちなど微塵もなかった会津藩は逆賊の汚名を着せられ、幕府側にあって唯一藩を上げて薩長軍と対決した。
八重ら生き残った会津藩の人々が、どのように生きたのかがドラマの中心だったけれど、随分と立派な人々を輩出している。明治維新はそれまでの幕府の制度を、おそらく当事者たちが意図しないのに壊してしまった。だから、新しく活躍する人々があちこちで生まれたのだろう。ドラマは会津が中心だけれど、おそらく全国どこにでも、いわば身分は低いけれど優秀な人材が現れ活躍した。
頭脳だけなら、上流部の幕臣の中にも優秀な人材はいただろうけれど、彼らには時代が見えなかったのか、精神的な縛りがあったのか、いずれにしても明治維新後に活躍した人々を見ると、それまではじっとしている階級の人々である。八重の兄にしても、徳川時代が続いていれば、会津藩の鉄砲指南でしかない。兄は決して筆頭家老にはなれない身分だ。ドラマでは京都知事の顧問的な存在で、京都の新しいまちづくりに携わっている。
『八重の桜』という題名がなぜつけられたのか、昨日のセリフで分かった。桜のように必ず春になれば花を咲かせ、人々を楽しませる、八重はそういう人だったという。八重は皇室以外の女性で始めて勲章を授与された人という。日清戦争での赤十字活動が評価されたというが、どうして受け取ったのかと私は思った。明治政府は会津の敵で、ずーと憎んでいたのだから勲章を受け取るべきではなかっただろう。
八重は言う。「ここに最後の銃弾があったら」と。でもどうしたという場面はなかった。ただ、「あきらめない」という言葉が流された。いったい彼女は何をあきらめなかったのだろう。人々の平和なのか、女性が活躍する社会なのか、キリストの愛の実現なのか。私には八重が理解できなかった。