友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

八重は何をあきらめなかったのか?

2013年12月16日 18時12分20秒 | Weblog

 NHK大河ドラマ『八重の桜』が昨日は最終回というので、最後くらいは観ておこうと思った。この前の『平清盛』は色彩が粗くて暗いというので視聴率が低かったが、私には『八重の桜』は退屈で面白くなかった。主人公の八重役に魅力を感じなかったことが原因の1つだろうけれど、何が伝えたいのかもよく分からなかった。朝廷に歯向かう気持ちなど微塵もなかった会津藩は逆賊の汚名を着せられ、幕府側にあって唯一藩を上げて薩長軍と対決した。

 八重ら生き残った会津藩の人々が、どのように生きたのかがドラマの中心だったけれど、随分と立派な人々を輩出している。明治維新はそれまでの幕府の制度を、おそらく当事者たちが意図しないのに壊してしまった。だから、新しく活躍する人々があちこちで生まれたのだろう。ドラマは会津が中心だけれど、おそらく全国どこにでも、いわば身分は低いけれど優秀な人材が現れ活躍した。

 頭脳だけなら、上流部の幕臣の中にも優秀な人材はいただろうけれど、彼らには時代が見えなかったのか、精神的な縛りがあったのか、いずれにしても明治維新後に活躍した人々を見ると、それまではじっとしている階級の人々である。八重の兄にしても、徳川時代が続いていれば、会津藩の鉄砲指南でしかない。兄は決して筆頭家老にはなれない身分だ。ドラマでは京都知事の顧問的な存在で、京都の新しいまちづくりに携わっている。

 『八重の桜』という題名がなぜつけられたのか、昨日のセリフで分かった。桜のように必ず春になれば花を咲かせ、人々を楽しませる、八重はそういう人だったという。八重は皇室以外の女性で始めて勲章を授与された人という。日清戦争での赤十字活動が評価されたというが、どうして受け取ったのかと私は思った。明治政府は会津の敵で、ずーと憎んでいたのだから勲章を受け取るべきではなかっただろう。

 八重は言う。「ここに最後の銃弾があったら」と。でもどうしたという場面はなかった。ただ、「あきらめない」という言葉が流された。いったい彼女は何をあきらめなかったのだろう。人々の平和なのか、女性が活躍する社会なのか、キリストの愛の実現なのか。私には八重が理解できなかった。

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入院した姉を見舞う

2013年12月15日 18時53分38秒 | Weblog

 入院した姉を見舞いに行って来た。色も白くなり、顔付きも穏やかになっていた。「どう?」と声をかけると、「なんにもやることがないから退屈」と言う。「腰の痛みはなくなったの?」と聞けば、「鈍痛があるが、先生は一度も診に来ない」と答える。「2階の病室には来なくても、1階で診察してもらうのでしょう」と言えば、「そうかねえー、先生は見たことがないねえ」と不満そうだ。

 昼食前の体操の時間になって、病室の皆さんは看護士さんに付き添われてあるいは自力で車椅子に乗って、中央の広間に集まる。姉もカミさんに支えられて車椅子に乗り、広間へと向かう。看護士さんが「自分で車椅子を動かせるのを見せてあげたら」と声をかけると、姉は輪を回して見せた。結構何でも出来るようだ。だからかも知れないが、「家に帰ってもいいじゃーない」と駄々をこねる。

 姪っ子が「帰ってどうするの。車椅子で動けても、料理も掃除も洗濯も出来ないわよ。ウチにもおばあさんとおじいさんがいるから、私は毎日行くわけにいかないの。ここに居てくれれば、こうして少しでも顔を出せるからね」と言うけれど、姉は不審そうな目で姪っ子を見ている。老人のひとり暮らしは、私の住むマンションでも増えてきた。ひとりで何でも出来る間はよいけれど、姉のように動けなくなると、そういう老人を受け入れてくれる施設は少ない。

 姉の食事を確認して、私たちも病院を後にした。道路沿いに外食産業の店はいくつかあるけれど、最近の私は食が細い。食べたいものがない。どこへ入ろうかと探していると、モスバーガーがあった。大学生になった孫娘とは、モスに行って書店に寄るのがデートコースだった。私はモスのハンバーガーが好きだけれど、ひとりでは行けないし注文も出来ない。カミさんとふたりで行って注文できるのか不安だったけれど、この店は全員が高校生らしい女性たちで、何も知らないジジババにも慌てず対応してくれた。

 店内は親子連れが多かった。高校生らしい子どもと一緒のお母さんが3人いたけれど、3人とも高校生と変わらないフアッションで、短パンとミニスカート姿だった。男の子3人のお母さんは雑誌を読んでいて会話はなかった。女の子とふたりのお母さんはまるで友だち同士のようだった。もう一組の親子はみんなケイタイに夢中だった。そうこうしていると一組の老夫婦が入ってきた。私たちと同じパン世代のようだった。

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討ち入りは重大な犯罪だったのに

2013年12月14日 18時15分40秒 | Weblog

 赤穂浪士が吉良上野介邸への討ち入りを決行した12月14日の翌日に、江戸に滞在していた近江商人が、市中で聞いたことを書いて国元の家族に送っている。その手紙が今朝の中日新聞に掲載されていた。手紙によれば、浪士の中に吉良の奉公人になりすました者が4人いて、太鼓を合図に門を開けたとある。「あちこちの屋敷から討ち入りを聞きつけた人々が見物に出て来ている」ことも記している。それらの人々の間では、「潔いとの評判であるが、私には善悪の判断がつかない」と結んでいる。これは面白いと思う。

 江戸時代は島原の乱以降、大きな戦いは起きていない。安定した生活が続いていたわけであるが、人々に全く不満が無いわけではない。そんな時に、主君の仇を討つ事件が起きた。主君に忠実な部下であるかも知れないが、大量虐殺を行なった重大な犯罪行為である。それを潔いと持ち上げるのは、武士社会に対する痛烈な皮肉だろう。浪士の討ち入りは、武士社会の権威とか制度とかをひっくり返す行為だから、庶民は手をたたいたのだと思う。政府からすれば、とんでもないことをした犯罪集団なはずだ。それを称えるのは、安定した社会に対する庶民の不満の現れだろう。

 北朝鮮でナンバー2の張氏が処刑された。張氏は金正恩第1書記の叔父であり後見人とみなされていた。その張氏が国家に対する反逆の罪で裁かれ、弁明の機会もなく直ちに処刑された。北朝鮮は独裁国家であることを自ら世界に示した。独裁国家はしばしばこうした大粛清を行なう。そうすることで、他国との緊張を作り出し国内の結束を固めたいのだろう。

 フランス革命の時の党派対立、ロシア革命でのスターリンの大粛清、中国の文化大革命、日本の赤軍派学生による総括、常に権力の座にある者が対立してくる者を処刑してきた。人間は愚かだ。だから恐ろしい。自分が正しいとすれば、批判する者を絶対に受け入れない。「あなたの言うことにも一理ある」などと言えば、「根性のない弱い人間」と断罪されてしまう。強い口調でどこまでも主張を通そうとする人間が強いリーダーと崇められる。いつまでもそんな価値観でよいとは思えない。日本政府も少し北朝鮮に似てきたように思ってしまう昨今である。

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相手の意図が見えてしまう

2013年12月13日 19時02分37秒 | Weblog

 言葉で思いを伝えることは難しい。何でもない日常会話の中でも、発する側と受ける側の意識のズレがあればかみ合わない。恋愛ドラマで、「愛している」というセリフがよく出てくるが、相手の女性は言葉だけでは満足できないのか、言葉に空しさを敏感に感じ取っているのか、受け入れがたい仕草をする時がある。男性の誠実さをどこかで計っているのか、動物的なカンが働くのか、何がそうさせるのか分からないが相手の意図を見抜く。これは女性と男性が入れ替わっても同じことがいえる。

 政府は今日、機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法を公布した。国会が閉会した後の記者会見で安倍首相は、「国民の皆さんの疑念や不安に丁寧に説明していく」と話していた。国会答弁でも常に、「丁寧に説明していく」と述べていたが、その中身は結局よく分からないままだ。「国には重大な秘密があり、これは絶対に守らなくてはならない」と何度も言うけれど、秘密とは何か、漏えいとは何を意味するのか、具体的には「秘密」のままだった。具体的なものは、外務・防衛両省を中心メンバーとする『保全監視委員会』を設置して秘密の指定や解除を監視するとか、秘密を扱える人物かどうかを調査する『情報保全諮問会議』を設けるとか、いくつかの組織を政府の中に作るということだ。

 同じ仲間の者同士で、監視・監督しても、事が起きれば互いを庇い合うか、責任を押し付けあうか、いずれにしても国民は蚊帳の外だろう。いや、軍事オタクの自民党の石破幹事長が「情報を漏らした報道は厳罰される」趣旨の発言をしていたから、いつどこで厳罰を受ける側に回されるか分からない。赤信号は渡ってはいけないということが分かる。けれど、秘密が何か分からなければ、法を作った側の解釈でどんなにでもなる。石破さんはよく「国益を損なう」と口にするが、国益こそ考え方で違う。

 戦争に反対することは国民の利益になると考える人もいる。けれど、政府が戦争をするこことは国益だと主張すれば、反対する人は「国益に反する」と弾劾されるだろう。結局、特定秘密保護法は政府のための法であり、法の名のもとにどんな風にでも解釈できる法といえる。何度も「原発は安全」と説明されても、「特定秘密保護法は国民に不安を与えない」と言われても、相手の狙いが見えてしまう。要は言葉ではない誠意なのだろう。

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2つの三無主義

2013年12月12日 19時57分12秒 | Weblog

 今日も井戸掘りに行って来た。土曜日からほとんど進まない。限界ではないのかと思うけれど、「何でもすぐに諦めてしまうと、それがクセになってしまう。努力が足りない」と叱咤されてしまった。ただ、先の見通しがあれば一生懸命で努力もするけれど、闇雲に力を振り絞っても仕方ないのではないだろうか。こんな日はとっても気が重い。何をやってもダメな、そんな気分に陥ってしまう。愛する人に捨てられた気分だ。

 1970年代の後半、70年安保を初めとする学生運動が各地の大学で過激化した後、まるで潮が引くように消えていった。学生運動がゲバ棒を持った時から、一般の学生からも市民からも離れたものになった。学園は平穏になり、学生たちは「無気力、無関心、無責任」の体質へと変わっていった。それは世間一般にも広がり、テレビでは「しらけ鳥」の歌が流行ったりした。その頃、高校生だった彼らも定年を迎えた者、これから向かえようとする者たちになった。

 私が高校1年の時に、60年安保闘争が全国的に展開された。国会議事堂前には動員された労働組合員や学生たちで埋め尽くされた。組合員でもない一般市民もデモに参加したし、東京などでは高校生も隊列を組んでいた。芸能人や学者や僧侶なども参加していた。特定秘密保護法案の時とは比べ物にならないくらい大規模だった。それでも、日米安保条約は成立した。余り覚えていなかったけれど、資料を見ると、翌年の12月12日、破防法違反で検挙される事件が起きている。

 保守政党と結託した黒幕右翼、反共を声高に叫ぶ街頭右翼、その狭間で唐突に『三無主義』クーデター計画が発覚したのだ。「戦争を無くし、税金を無くし、失業を無くす」を旗印としていた。主な人たちは旧陸軍士官学校の卒業生だったようだ。世間が60年安保闘争の挫折感に満ちていた時に、こういうことを考えた「時代錯誤」の人々もいた。「しらけ世代」の三無主義と違って、主張そのものはいいけれど、クーデターは漫画の読み過ぎだ。自民党副総理の麻生さん、また漫画の世界を実現しようと思っていないだろうか。

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節約は大事だが‥

2013年12月11日 18時23分14秒 | Weblog

 中日、朝日、読売新聞それに加えて政党の新聞と4紙も購読していた。実際、各紙とも隅から隅まで丹念に読むというわけではなく、行きがかりで購読していた。今の高校生がどのくらい新聞を読むのか知らないが、私が高校生の頃の我が家では、中日、朝日、毎日新聞の3紙を取っていた。中日は祖父が、朝日は父が、すると毎日は誰のリクエストだったのだろう。私は毎日が好きで、中でも特集『教育の森』を読み、その取材力に感銘を受けて、新聞記者になりたいと思った。

 4紙も購読していると結局は溜まるばかりで、カミさんから「そんな余裕はありませんから、1紙に絞ってください」と宣告された。そうなれば仕方ない。中日新聞を残して全て解約した。朝日新聞のことを未だに「アカ新聞」と決め付ける人がいるけれど、そういう人は最近の朝日新聞を読んでいない。残念ながら朝日新聞には興味深い記事が無くなった。「天声人語」と「中日春秋」と読み比べてみれば、どちらが格調高いか分かると思う。朝日新聞で私が読んでいたのは、連載の特集記事と書籍の紹介記事である。これが読めないのはちょっと残念だ。

 カミさんは来年の消費税3%値上げを見越して、節約できるものから整理している。明るい部屋、暖かい部屋が好きな私はスイッチを入れておくのだが、その後から切られてしまう。食事は別に食べられればいいし、着る物は昔のものがたくさんある。何か新製品で買いたいという物はない。こうしてパソコンが出来て、暑さ寒さが防げるなら、特に求めるものはない。おそらく年寄りの多くが私と同じではないだろうか。NHKテレビで、「団塊世代を使って地域のまち起こしを」と報じていたけれど、女性たちと違って男性はなかなか地域に溶け込めないようだ。

 そんな男性でも、頼られれば動く。頼りにされるというのは気持ちよいからだ。ある程度の年金が入る人なら、無償でも地域のために働いてくれる。そうした場をどうやって作っていくかが課題である。人は幾つになっても人の輪の中にいたいものだ。輪があまり大きくなりすぎると負担感も生まれてしまう。適当な場所と適当な仲間が揃えば、老人パワーも発揮されるだろう。節約も大切だが、輝いていることの方を選びたいと思う。

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韓国ドラマ『馬医』と『トンイ』

2013年12月10日 19時20分05秒 | Weblog

 冷たい風がピュ―ピューと音をたてていく。本格的な冬の到来である。寒い。カミさんが韓国ドラマに嵌まっているので、私も一緒に見る機会があるが、韓国は日本よりもっと寒いのか、ドラマの中でいつも息が白く見える。先日は雪が降った後の場面で、一面の雪景色がきれいだった。見ているドラマは、『馬医』と『トンイ』の2本で、いずれも17世紀後半、徳川時代のようだ。服装も制度もほとんど変わらないように思う。

 韓国時代劇がどうして人気なのだろう。私の妹は「韓国ドラマは、善人と悪人がハッキリしていて、分かりやすい」と言うが、この時代劇はちょっと違うように思う。『馬医』は、題が示すように馬の医者だった若者が王様を担当する医者に出世していく物語だ。しかし単純な出世話ではなく、当時の韓国の身分差別を背景に、若者はこれでもかと何度も危機に落とし込められる。それを善意の人々の支えで乗り越えていくのだ。

 李王朝を支える貴族と一般の平民とは生まれながらにして違う。決して平民は貴族には成れないし、恋することもご法度である。馬医の青年は、本当は貴族の生まれであるようだ。ところが卑しい身分を隠して医者となり、今では医者の世界のトップの地位にある男が何かと悪い企てをして落とし込めようとする。ドラマの中でも「お前が平民に戻らない限り、お前への嫌がらせは続くだろう」というセリフがある。身分社会の不合理を考えさせるドラマだ。

 『トンイ』の方も同じで、平民の中の武装組織の頭を父に持つ女の子が、父の死と武装集団の壊滅後、出生を隠して宮廷の女官として務める。頭の良さでどんどん出世し、またその美しさと明るさから王様の寵愛を受けるようになり、王様の子どもまで産む。『馬医』が政治の旧勢力と新勢力との争いなら、『トンイ』の方は南人と西人と権力闘争である。不思議なのはどちらも王は革新的であることだ。韓国の人々にとって李王朝は故郷のようなものなのかもしれない。

 ドラマは既に終っているのか知れないが、我が家ではまだ延々と続いており、見ている限りではどちらが善でどちらが悪とは言い切れない。運命、あるいは愛、そして権力といったものがテーマなのだろう。早く結論が見たいと思うのは、まだ私がドラマの本当の面白さが分かっていないからだろう。

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思いを伝えることは難しい

2013年12月09日 18時22分13秒 | Weblog

 思いを伝えることは難しい。9月の大雨の日、我が家のルーフバルコニーはプールのようだった。しかし幸いなことに、雨が止むと水は一気に引いていった。翌日、友だちから「ルーフバルコニーの階下の家で水漏れがあったので、バルコニーを調べてさせてもらう」と電話が入った。もちろん承諾した。その後の修繕委員会で、「原因はわからなかった」と報告があり、階下の修復についてはマンション保険で行なうと確認された。

 既に、3ヶ月を経ているから修復工事は終ったものと思っていた。ところが先日、エレベーターの前で、階下の住まいの方に会ったので、「部屋はきれいになりましたか?」と尋ねたところ、ムッとした表情で、「何もやってくれないのはどういうわけ」と言われる。そこで管理事務所長に聞くと、「忘れとった。あれは原因がわからないので、マンション保険では出来ない。お宅の個人賠償保険でやって欲しい」と言う。

 ルーフバルコニーは共有財産の部分だから、個人保険が適応されるのは疑問だったけれど、正月までには水漏れの染みで汚れた箇所はきれいにしておきたい。どの保険で行なうかよりもまず住民の苦情を早く処理してあげなくてはならない。そこで、保険会社に電話して、管理事務所長と連絡をとってもらうことにした。保険会社としては事情を把握できなくては対処できないので、詳しい話を聞こうとするが、我がマンションの管理事務所長は説明が出来なかったようだ。

 保険会社の人から、「まるでケンカ腰で話が出来ない」と言ってきた。するとすぐに管理事務所長から「お宅の保険屋は話しにならん。もういいです。マンション保険でやりますから」と電話が入った。冗談じゃーない。マンション保険では適応しないから個人賠償保険でやって欲しいと言っておきながら、「もういいです」は無いだろう。「ご迷惑をおかけしましたが、マンション保険で処理するようにします」とくらい言ってもいいではないか。

 そもそも管理事務所長が、水漏れの後すぐに対処していればもう済んでいたはず。もっと言えば、「保険で対処します」と言ったのに、「忘れた」ことに責任がある。誰でも過ちはある。素直に認めて謝ればお互いに不愉快な思いも小さくてすむ。男は皆、謝ることを嫌う、その気持ちは分かるけれど、自分の落ち度を隠そうとするからますます険悪になってしまう。思いを伝えることは難しい。

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99回失敗しても

2013年12月08日 18時48分16秒 | Weblog

 テレビは歌番組が多くなり、スパーマーケットでクリスマスソングが流れている。もう年末なのだ。年末年始は何となく心浮き浮きするものなのに、私は気が重い。井戸掘りはうまくいかないし、姉は入院するし、連絡すると言っていた卒業生からまだ何もない。先回の井戸掘りに続いて、今度も四苦八苦している。ギブアップの状態だと思うけれど、「いや、まだ早い」とやる気の仲間がいるのに、見捨てることは出来ない。

 「99回失敗しても1回成功すればいい」と太っ腹なことを先輩は言う。「井戸掘りも人生と同じで、うまくいかないから工夫もすれば、努力もする。簡単に出来てしまっては人間がダメになる」。そんな悟りを開いた人のようなことを言われても、修行が足りず煩悩から脱却できない私は「うまくいかないことばかり続くと、意欲そのものがへこんでいってしまう」と、口に出して言うことも出来ない。

 生活保護を受けているホームレスの就職相談を担当している友人が、「彼らは現状に満足してしまっているから、どうしようもない。現状を変えようという人は相談にのることができるけれど、働く意欲がないのは相手のしようもない」と嘆いていた。「誰でも出来そうな清掃作業は働き手がいなくて困っているが、そういうところへ紹介しても3日もすれば辞めてしまう。20代ならもっと先のことを考えているかと思うけれど、20代も高齢者も変わらないねぇ」。

 「コツコツ働いて、嫁さんもらって、家庭をつくりたい、そういう気持ちが若い人から消えてしまったねぇ。こんなにどうして先に希望がない時代になってしまったのか、分からん」。私たちの子どもの頃はまだ道路は砂利道だった。畑のあちらこちらには人糞を貯めておく穴があった。水道はなくて、井戸から水を汲み上げていた。あらゆるものが一気に変わり始めたのは昭和30年代になってからではないだろうか。

 子どもの頃見たアメリカ映画には、プールのある家があった。1リットルもありそうな牛乳をゴクゴクと飲んでいた。そんな豊かな生活を見て、いつか自分たちもとの思いが私たちにはあったと思う。いつの間にか、小さな家ではあってもいろんな物を揃えた生活を手にしていた。私たちは働けばいい生活が出来ると思っていた。こんなに先に希望のない時代を作ることになるとは夢にも思わなかった。99回失敗して、1回は成功するのだろうか。

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姉の入院

2013年12月07日 18時31分02秒 | Weblog

 「母が動けなくなったの。私ひとりではどうすることも出来ないので、すぐに来て!」と昨日の朝、姪っ子から電話が入った。83歳の姉はひとりで暮らしているので、ひとり娘の姪が様子を見るために出かけている。昨日も朝早く家に行くと、いつもならベッドで寝る姉が畳の上で横になっていた。「腰が痛くて動けない」と姉。「手を貸そうとしたけれど、痛がって動かないので来て欲しい」と言う。いよいよそういう時が来たかと、急いで身支度をして出かけた。

 「救急車で病院には行きたくない」と言うので、私の車に何とか乗せて出かけた。話によると、つい先日も腰が痛くなり動けなくて、病院へ運ばれていたらしい。姪っ子が勤めていたことがある総合病院で、転んで手を骨折した時も手術を受けたという。病院の整形外科で診察を受ける。先日撮影したというレントゲンを見ながら医師は、「脊椎管狭窄症ですね。この辺りの骨がかなり変形しています。痛み止めの薬を出していますが、飲んでいますか?」と聞く。姉は「飲んでいる」と答えるが、姪っ子は「飲まないので困っています」と現状を訴える。

 「病院としては症状に合わせた最高の薬を出しています。動けないとか、飲まないとかで、入院できる病院ではないので、相談室に行って受け入れてくれる病院を探してもらってください」と医師は言う。なるほど、一刻を争うような病気ならば緊急入院ということはあっても、ひとり暮らしで動けない、薬も飲めない、用足しも自分で出来ない、そういう患者は入院できないのだ。私も姪っ子も、「あとは家で看病するように」と言われても、姉に付きっ切りになっているわけにはいかない。

 相談室で、ひとり暮らしの83歳で脊椎管狭窄症の女性を受け入れてくれる病院を探してもらうが、やはりすぐには見つからない。私は姪っ子に、「病院は通いやすいところの方がいいのではないか」と話す。姪っ子は思い当たるところがあるようで、自分の町に近い整形外科病院の名前を相談員に伝えた。幸いなことに大部屋ベッドに空きがあり、院長も受け入れを許可してくれた。姉は「どうして入院しなければならないの。痛み止めの注射さえ打ってくれればいい」と言うが、これ以上ひとり暮らしは無理だろう。

 年金生活なのに、電話勧誘を受けて高いサプリメントを購入したり、通帳の存在も食事をしたかも分からなくなったり、痴呆が進んできている。しかし、プライドだけは高い。病室を出る時、若く明るく元気のいい看護婦さんに、「わがままを言うと思いますけど、よろしくお願いします」と挨拶すると、「大丈夫ですよ。そういう人ばっかりですから」と答えるので、思わず肩をポンと叩いて笑ってしまった。

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