友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生100年時代を考える

2019年11月07日 17時27分12秒 | Weblog

 市民講座『大人の国語・算数・理科・社会』の第2日目、算数を受講した。演題は「人生100年時代の家計簿」とあり、老後にどういう問題があるかを問うものだった。岐阜大学の大藪千穂先生は少し早口だがテンポがよく、グイグイと引き込む授業で面白かった。

 日本人の平均寿命は大正期は男女とも61歳だったが、昨年は男性が81歳、女性が87歳まで伸びている。ひとり暮らしの高齢者は男性では8人に1人、女性では5人に1人。老後の生活について、多くの人が心配している。具体的に単身無職の高齢者が年間にどのくらい支出があるかと数字を上げる。高齢夫婦の場合でも年間収支は約50万円の赤字で、単身者と大差ない。

 寿命が長くなっているから、老後の生活に多額のお金が必要になる。ほとんどの人が貯蓄をしているが、31%の世帯が貯蓄ゼロだという。収入の高い世帯ほど貯蓄金額も高いのは当然だが、収入を増やそうと投資などの利回りの高いものに飛びつくのは危険と指摘する。負債の大半は住宅ローンだから、定年後まで持ち越さないことだと話す。

 老後は大変だなあーと思っていると、「じゃーここでゲームをしましょう」と言う。「エンディング・プランニング・ゲーム」というもので、100歳まで生きるとしたら、60歳までにいくら貯蓄しておく必要があるかを知るためのゲームだ。私もカミさんも詐欺にあったり交通事故にあったりで、支出が多かったが、高収入の友だちは宝くじが当たったり、子どもからお金をもらったりで、ますます裕福な老後になっている。

 ゲームと実際は違うけれど、どんなに節約に努めても、老後は収入が限られているから生活は苦しい。まあ、なるようになるさ、そう思わなくてはやっていけない。遺産と相続の話は、先生自身の話だったから余計身に染みた。「財産は残さない」と先生は言う。明日の市民講座「理科」は、友だちが講師を務める。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビビリでいいのでは

2019年11月06日 18時10分45秒 | Weblog

 朝夕めっきり冷えてきた。ルーフバルコニーの植木鉢に、水を遣っていても震えてくる。3日ほど前から、朝起きると鼻水がポトポト落ちて止まらない。4日は風が強く、木枯らし1号かと思う程だった。5日からは、鼻水ばかりかクシャミが出て、最悪の事態になってきた。

 温度変化が大きいと、体調を維持するためなのかよく分からないが、鼻水が流れ落ちてくる。身体の中からの合図のような気がするので、いつものことだからと気にしなかった。しかし、クシャミまで伴うようになって、ひょっとすると風邪?と思うようになった。

 ところが昨夜は、悲惨な状態に加えて、目がメチャクチャ痒い。こうなると、風邪というよりも花粉症によるアレルギー反応のような気がして来た。アレルギーは若い人には起きるけれど、歳を取るとならなくなると聞かされていたから、やっぱり風邪なのかと思い直してみる。

 先日、毎日私のブログをチェックしてくれている友だちが、「お腹が痛いのは、白内障手術が迫って来たことのストレスね」と断言する。さらに彼女は手術がどのように行われるのかを事細かく語ってくれた。果たして私は、彼女のように堂々と手術が受けられるだろうかと心細くなってきた。

 血を見ると、足の血管が縮むような感じがして、これでは医者にはなれないと思った。高いところも苦手で、やっぱり足から血が引いていく気がする。小さい時からビビリだった。小学校の4年生まで、通知表には「積極性が欲しい」と書かれていた。教室で一度も手を挙げたことがなかった。

 5年生になって、ストライキ騒ぎがあり、それまでは何もしない学級委員だったのが、自分を変えなくてはと、手を挙げるようになった。6年の時には、児童会会長に立候補するまでになった。おとなしくて優しい勉強のできる子から一歩前に進んだ。だからビビリからも脱却したと思ったが、まだまだビビリだったようだ。

 性格は変えられると自信を持ったのに、怖がりは克服できないようだ。怖がりを克服して、人を平気で殺すような人間にはなりたくないから、ビビリでいいのではと納得している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

施設に戻った姉を見舞う

2019年11月05日 17時46分52秒 | Weblog

 肺炎で入院していた姉が施設に戻って来て5日目になる。もうそろそろ落ち着いただろうからと、妹夫婦と一緒に見舞いに行って来た。顔色は良かったけど、いっそう小さくなった気がした。部屋に入るとビックリした顔をして、睨みつけるような目で見る。「あんた、誰?」。姪っ子が言ったとおりだ。誰も覚えていない。

 カミさんが私を指さして、「弟」と言ってもキョトンとしている。会話は全く成立しない。姪っ子が一生懸命で思い出させようとするが、むしろ嫌がるそぶりをするし、「お父さんはどこ?」と繰り返すばかりで、姪っ子の名前が出てこない。これには姪っ子の方が落ち込んでしまい、元気を無くした様子だった。

 施設に入居出来て5年、姪っ子のつてがなければここに入ることも出来なかった。嫁入り先の義母も81歳と高齢で、家事も稼業の金魚の世話も、みんな姪っ子にかかっている。そんな忙しい中、時間を割いて母親を見舞っているのに、「あんた、誰?」はさすがに辛いだろう。昨年末から、姪っ子の表情は暗いし、目が空ろだ。元気が取り柄だったのに覇気がない。

 見るからに体重が激減している。ふくよかだった体つきだったのに、お尻も胸も小さくなり頬もこけてきた。カミさんも妹も姪っ子を心配している。妹は姪っ子の方が「先に逝く」とまで言う。義弟は「実家の鹿児島なら、80歳まで生きれば長寿の方。90歳まで生きた人なら、みんなで酒飲んでお祝いして送るよ」と言う。

 姉がどうして死にきれないのか、私には神様の思いが分からないが、「姉さん、もう充分生きたよ。お父さん、お母さん、そして姉さんの弟がいるところに旅立ってもいいよ」と呟く。「姉さんを見送った後でないと、私が逝きにくいから」と呟くところで、そんな自分勝手なことをと思い、呑み込んだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽芸術協会の第3回定期演奏会

2019年11月04日 18時35分40秒 | Weblog

 私の住む市は、市民の音楽活動が活発である。名古屋に住む友だちが、「カミさんが合唱をやりたいと言うけど、近くになくて」とボヤいていたが、わが市にはいくつもの合唱団が存在する。子どもたちの合唱団もあれば吹奏楽団は4団体もあるし、市民交響楽団だってある。12月8日には「市民音楽祭」が行われる。

 市には音楽学部のある芸術大学があり、近年、大学との連携が密になった気がする。「音楽の溢れる街」にしようと提唱してきた私としては、願いが叶った気がする。まだ、合併前だったが、文化会館が出来た時、市民が活用しなければただの建物でしかないと、交響楽団の設立に奔走した。

 それ以前にも、大学が学生だけのものであるより、一般市民に開放されることで大学の価値が生きると、学長に掛け合って大学公開講座を開設してもらった。私たちの年代では、大学に行けなかった人が大勢いた。大学生と同じ机に座り、大学の先生の話を聞くことは大きな喜びである。キャンパスを歩き、図書館を覗いたり、学生になった気分を味合える。今ではどこの大学も行っている社会人学級の先駆であった。

 今日はそんな活動が進化して、市音楽芸術協会による第3回定期演奏会が行われた。市民交響楽団の定期演奏会の時は、私はもう忘れられた存在なので招待状が来ないが、芸術協会はまだ発足して3年ということもあり、招待状をいただいたので喜んで出かけた。「重なり合う響の環」をテーマに、いろいろ工夫に富んだとても楽しい演奏会だった。芸術協会には楽器の演奏者や歌手が集まっているので、それぞれの特技や個性を生かしたプログラムになっていた。

 音楽は言葉と違って国境がない。音楽は人の心を豊かにする。歌が歌える、楽器を奏でられる、それは特技であるけれど、大勢の人が共感すればさらに大きな安らぎになる。「音楽の溢れる街」にはいじめやケンカは存在しない、いや、いじめやケンカがアホらしくなると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何が起きるか分からない

2019年11月03日 17時52分07秒 | Weblog

 相変わらずお腹がシクシクと痛む。12日の白内障の手術に備えて、9日から毎日薬を飲まなくてはいけない。内科医院の胃カメラ検査は土曜日に行われるから、そうなると薬が飲めなくなる。白内障の手術に対するビビリからくるストレスなのだろうか。情けない。

 早くこの世を去りたいと願っていながら、身体の変調に右往左往するのも情けないが、痛みを耐えるのは本当に苦しい。胃潰瘍や十二指腸潰瘍は若い時からの持病のようなものだった。首長選挙に敗れた後、どういう訳か全くなくなってしまい安心していた。

 精神的なもので無いとすれば、考えられるのは1つしかない。9月の末に歯科医院で、歯のぐらつきを止める治療を受けた。3日後だったか、食事をしているとガリッと硬いものに当たった。取り出してみると透明のプラスチックで、ギザギザと尖っていた。そんな破片が胃の中でかき回されて傷をつけ、腸へ落ちていったのだろうか。

 これを取り出すことは出来ないから、大便に混じって出てくれることを願うしかない。昨日、姜尚中さんが「何が起きるか分からない」と言ったけど、まさか私の身体の中で、こんな悲劇が起きているのだろうか。それにしても、早くこの世から旅立ちたいと願いながら、この痛さから解放されたいと願うのは矛盾している。

 何があっても、いつでも、召されたなら従うべきなのに覚悟が足りない。白内障の手術も先送りにしておくつもりだったのに、急速に目が見えなくなってきて、車の運転が怖くなって決めた。仙人のように達観するのは困難なようだ。いや、仙人でも女性の脚を見て、雲から落ちたのだから、俗人の私では仕方がない。なるようになる、そう思う方がいいだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姜尚中さんの講演会に行って来た

2019年11月02日 18時14分57秒 | Weblog

 胃の中央とその右の脇腹が痛い。10月の初めから時々そんな現象が起きる。先週、かかりつけの内科医に「時々、胃が痛むんです」と言うと、「痛みが止まらないようならすぐ検査しましょう。胃や腸はカメラで見ないと分からないですから」と答えられた。痛くなったら「百草丸」を飲めば、何とか痛みは和らいだので、まだいいか、そう思っていた。

 今日は中日新聞社の、姜尚中さんによる『特別講演会』に出席した。私たちが市民講座を開催していた時、10年目の50回記念というより、最後の講座の講師を姜尚中さんに務めていただいた。演題は『10年後の悩む力』とあり、彼が学者としてどんな風に「社会の分析」を深めているのか、興味があった。

 会場はほとんど高齢者ばかりだから、「今、老いの力をテーマに本を書いています」とみんなを笑わせた。低い抑揚のない声で眠くなりそうなのに、さすがに講演慣れしていてうまい。1時半から3時まで、よどみなく話が続いた。「日本はリハーサル社会である」と言う。学校は典型的で、運動会や卒業式など何度も何度も練習をする。会社も役所も変わらない。

 リハーサルすることで失敗を無くすのだが、こうなると「本番力」が欠けてしまう。アメリカの経済は次々に新たな起業家が生まれて引っ張るが、日本はそういう起業家が生まれない。そういえば、ホリエモンらが出てきた時、財閥企業の経済界は「成り上がり」を許さなかった。序列集団の護送船団方式がズーと日本の経済を支えてきたからだ。

 「これからは何が起きるか分からない社会だ」と姜尚中さんは言う。「大切なことは、人間関係が資産になること。まだまだ皆さんも恋ができます」と笑わせる。「野菜は自分で作りなさい」と家庭菜園を勧める。そして、「今、ここ」しかないと結ぶ。過去のことに拘っても仕方ないし、先のことを恐れても始まらない。「今、ここ」で「本番力」を発揮するしかないのだ。

 姜尚中さんの講演が終わる頃、胃がキリキリと痛みだした。今、ここで倒れる訳にはいかない。そのまま、電車に乗って帰って来て「百草丸」を飲んで、横になった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日はハロウィーンだった

2019年11月01日 17時55分01秒 | Weblog

 ハロウィーンは仮装してドンチャン騒ぎをする祭りのイメージしかない。酒の販売や飲酒が禁じられた渋谷なのに、相変わらず大勢の人が集まったようだ。51歳の男性が若い女の子のお尻を触ったとかで逮捕されている。「触って」と言わんばかりのファッションなのに、ダメなの?って思えてしまう。

 日本人は不思議な民族だ。ハロウィーンの祭りを、こんなに大々的に行っている国は、珍しいのではないだろうか。ハロウィーンはヨーロッパでの古くからの祭りだが、厳格なキリスト教徒は異教徒の祭りなので受け入れていない。アメリカでもハロウィーンの祭りはプロテスタントは行わないと聞いた。もともと秋の収穫を祝う祭りなので、子どもたちのお遊びで広がったようだ。

 日本人はクリスマスと同様に、ハロウィーンを受け入れ、アレンジしてしまった。仮装してバカ騒ぎをするのは、それだけ日頃の生活が詰まらないからだろう。仮装すれば別の人間になれる。日本の祭りは昔から無礼講だ。男女の仲も、この日は無規律だった。真面目で働き者だからこそ、羽目を外す一時が必要だったのかも知れない。

 こうしたバカ騒ぎの時を庶民に与えることで、権力者は日頃の不満を抑えてきたのだろう。このまま踊らされるままでよいのだろうかと思うのは老婆心なのかも知れない。いや、若者たちのようにバカ騒ぎが出来ない妬ましさなのかも知れない。とうとう11月になってしまった。朝夕は随分空気が冷たい。

 ふと口ずさんでいた。「冬が来る前に もう一度あの人に めぐり逢いたい」。冬は寂しすぎる。せめて秋のうちに、会いたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする