友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

彼女との付き合いは40年以上になる

2019年11月19日 17時45分52秒 | Weblog

 「よいしょ、よいしょ」と階段を降りてくる声がする。友だちが、「松山から美味しいミカンを送って来たので、持って行くわね」と電話してきたから、これは彼女の声だと思い、急いでドアを開けた。「少しお裾分け」と思っていたら、1箱3キロもあるから重いはずだ。彼女との付き合いは40年以上になる。

 私が地域新聞を発行しようと考えた時、真っ先に彼女に寄稿してもらいたかったので、出産したばかりの産院に押し掛けて行って頼んだ。私の考えた新聞は、大手の新聞を小さくしたもので、「中日春秋」や「天声人語」に相当するコラム欄を担当してもらった。毎号、同じところに載る記事はファンをつくる。だから、私が作ってきた10年間は、紙面のレイアウトを変えなかった。

 地域新聞は月2回の発行だから、ニュース性では劣る。その代わり、書き手が毎回変わるカコミ記事は、今回は誰が書いているのかと興味を持って読んでもらえる。まして、その人が知り合いだったり近所の人であればなおさら話題になる。私の視点は「普通の人」への関心だった。誰もが平坦な道を歩いている訳ではないし、苦労の連続という訳でもない。そんな日常の1コマを取り上げてきた。

 10年続けてきて、私が辞める時、彼女にコラムを1冊の本にするように勧めた。今から思えば、勧めたからには私も資金提供すべきだったと恥ずかしく思う。彼女の本『肯定主義』は、銅版画家の山本容子さんの装画で(株)メタローグから出版されたので、今でもアマゾンで取り寄せることが出来る。

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小4の男の子の夢

2019年11月18日 18時50分26秒 | Weblog

 放課後子ども教室で、4年生の男の子から声をかけられた。「ねえ、おじさんはどこのチームのファン?」。昨夜の野球の国際大会で、日本チームが韓国チームに勝った話の延長で、贔屓のプロ野球はどこかというのだ。「君は?」と聞き返すと、「阪神。滋賀県の出身だから」と答える。

 「阪神か、阪神からはひとりも日本チームに選ばれていなかったよね」と言うと、「そう、中日よりもいい選手はいっぱいいるのにね」と不満そうだった。「じゃー、将来は阪神の選手になるんだ」と言うと、「その前に、甲子園へ行きたい。高校野球はメチャ楽しい」と答える。

 小学校4年で、もうそんなことを考えているんだ。私は自分が4年生の時、そんな風に将来のことなど考えたことがなかった。まだ、名古屋へ行くと、乞食や傷痍軍人がいた。どうして貧しい人がいるのだろう、みんなが幸せに暮らせる社会になるといいのにと漠然と思っていた。

 NHKテレビの朝ドラはそんな戦後の生活を描いているが、ドラマに出てくるようなきれいな服装の子は滅多にいなかった。主人公の妹が私と同年くらいではないかと思う。それでも私は、6年生になる頃には野球のグローブとバットを買ってもらった。ハーモニカも買ってもらった。

 小学校の卒業アルバムを見ると、ひとりだけ下駄ばきの子がいる。体育の時間は全員が裸足で、服装もまちまちだ。確かに日本人はよく働き、経済立国と言われるまでになった。「パパが子どもの頃は、病気にならないとバナナが食べられなかった」と子どもたちに話しても、「ウソー」と信じてもらえなかった。

 生産が進めば、みんなが豊かになれる。そう言われてきたのに、どうやら幻だった。孫たちの時代はどんな社会になっているのだろう。

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八千草薫さんの『まあまあふうふう』

2019年11月17日 17時50分12秒 | Weblog

 新聞広告を見て、女優の八千草薫さんが本を出していることを知った。書名は『まあまあふうふう』。どういう意味なのだろう。キャッチコピーは「一生懸命、いい加減に」とある。聞いたことのない言葉なので気になった。

 「まあまあふうふう」は中国語で、適当の意味があるようだ。漢字では「馬馬虎虎」と書く。昔、宋の時代にひとりの画家がいた。画家が一匹の虎の絵を描いていた。そこに「馬の絵を描いて欲しい」と言う人がやって来た。画家は虎の後ろに馬を描いた。それを見た人が「これは馬なのか、虎なのか」と訊ねた。画家は「馬馬虎虎」と答えた。

 画家の長男が絵を見て、「これは何か」と聞くと、画家は「虎」と答えた。次に次男が来て同じ質問をした。画家は「馬」と答えた。長男は狩りで馬を虎だと思い殺した。馬の主人は怒って代金を求めた。次男は虎と出会ったのに馬だと思い、虎に殺された。画家は傷心して、馬虎図を焼き捨てた。この話の結論は「画家のようになるな」ということらしい。八千草薫さんはダンナの口癖からこれを表題にしたようだ。

 八千草さんのダンナは映画監督で、彼女が悩んだり迷ったりしていると、「馬馬虎虎」と言ったという。「まあまあでいいよ」と助けたのだろう。学識のある人のようで、周りの人からも尊敬されていた人からそんな風に言われれ、スッーと肩の力が抜けて自然の演技ができる、そんな気がする。

 八千草さんは可愛い人だったから、88歳とは思えなかった。どんな風に亡くなったのかは知らないが、「ポックリ逝けるといいね」と友だちに言うと、「なかなかそう思うようにはいかないみたい」と言われてしまった。 

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朗読クラブの発表会

2019年11月16日 17時46分59秒 | Weblog

 朗読クラブの発表会はとてもよくまとまっていた。マンションの集会所の改修した時、子どもたちのために置かれていたマンガなどの本を撤去してしまった。それでは子どもたちが本に親しむ機会を奪うことになるので、親しい友人に読み聞かせをやって欲しいと頼んだ。

 「それなら、あなたが朗読クラブに入って学習すべきよ」と言われ、それもそうだと思って入部した。クラブの活動日は週1日だが、先生は厳しかった。指摘される意味が分からないまま、何年か在籍したので、発表会にも参加したが、こんなに聞かせる朗読が出来ていたのだろうかと思った。

 心を込めた朗読の仕方とはどういうものなのだろう。私は「楽しければいい」と思っていたが、先生は「私が指導しているのに、その程度ではダメだ」と言われる。言葉のひとつ1つをキチンと発音する、そして著者が何を伝えたいかを意識して読む、そんな指導だった気がする。

 昨日、発表会を聞いていて、先生の言われたことを思い出した。クラブのメンバーは私がいた時とはかなり変わったが、高齢者であることには変わりない。取り上げられた作品の中で、向田邦子さんの「かわうそ」が興味深かった。いつか読んでみたい。

 普通の生活に戻るために、今朝はルーフバルコニーで作業をしてみた。手術前よりは物の区別ができる。洗剤の飛沫が目に入らないように注意しながら食器も洗った。カミさんが干していった毛布とフトンを取り込む時、いつものようにはたいてしまい、マズイと思った。ホコリが宙を舞っている。目にも入ったかも知れない。目だけでなく、身体の悪い人は大変な思いで生活している。

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国際交流と多文化共生の違い

2019年11月15日 18時00分58秒 | Weblog

 市の講座『大人の国語・算数・理科・社会』の社会の授業が昨日行われた。メガネなしで果たしてオーバーヘッドの文字が見えるのか不安だった。演題は「多文化共生社会の実現へ」とあり、外国人支援を行って来た佐藤久美先生の実践に基づく話だった。

 日本は外国人の労働力に頼らなくてはならないのに、実際は共生社会になっていない。私も昔、頼まれて外国人に日本語を教えていた。先輩格のおばさんは「カラオケなども行く」と言っていたが、私はそんな遊び半分ではダメだと参加しなかった。

 けれど、何年かするうちに、「教える」というより「付き合う」ことが大事と分かって来た。それで、ベトナムの青年たちとは居酒屋へも行くようになった。佐藤先生は言う、「国際交流はゲストとしてもてなす」が、「多文化共生は住民として受け入れる」ことだと。私は日本語を教え、日本の風習を教えれば、彼らも生きていけると思い込んでいた。

 それよりも以前、ブラジル人の一家が借家に住んでいた。両親は働きに出て行くので、子どもたちは近所でブラブラしていた。これでは可哀そうだと思い、学校に行くように勧めたが、当時はまだ学校の受け入れ態勢が出来ていなかった。いきなり同じ歳の日本人のクラスに配属され、日本語が分からないのに授業を受けることになった。

 そんな苦痛の学校生活だったのに、学校には通っていた。私が「学校では何が楽しい?」と聞くと、「給食」と言う。家に居たら食事もできない。給食が食べられてよかったが、給食費は親の負担なので払えなくなり、子どもたちは学校へ行かなくなった。あの子たちの両親と、たとえ言葉が通じなくても、近所付き合いをしていればよかったのにと思う。

 今日は朗読クラブの発表会だったが、その話はまた明日。

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白内障の手術から2日経った

2019年11月14日 17時33分11秒 | Weblog

 白内障の手術から2日経った。手術を受けた右目の方が左目よりもよく見えるようになったので、メガネをかけると逆に見にくい。家の中で生活するにはメガネがなくても構わないので、楽になったようだが、中学2年の時からの長いメガネ生活のせいで、メガネがないと落ち着かないことも事実だ。

 白内障の手術をした友だちが、その様子を事細かく説明してくれていたので、手術台に上がり、「両手でしっかりとこの支えを握ってください」と言われた時は、いよいよかと観念した。けれども、目の前に強い光があるだけで、何をされているのかは分からない。時々、何かを押し付けられたり、引っ張られたりして、「痛い」と思うが一瞬でしかない。

 昨日、眼帯が外され、日常生活に戻った。先輩は「キレイな声の人だったから美人だと思っていた看護婦さんがおばさんだってビックリした」とその瞬間を語ったが、私は片目しか手術していないし、そんなに驚くことはなかった。ただ、家に帰って鏡を見て、「こんなに年取った顔だったのか」と情けなくなった。自分では若いつもりでいたが、75歳はやはり75歳、シワだらけの醜い顔だった。

 右目で見ると本の紙が白いのに、左目で見ると黄色く見える。パソコンの画面も同じで、右目で見ると文字はキレイになのに、左目で見るとボヤケてみえる。すっかり、これまでと反対になってしまった。けれどもメガネなしで遠くがしっかり見えるかというとそうでもない。

 私がメガネをかけていないので、行き交う知人も知らずに通り過ぎる。見慣れた姿が記憶されているから修正が難しいのだろう。目は見えるようになったが、やっぱり何故か悲しい。

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4日目の放課後子ども教室

2019年11月11日 18時30分25秒 | Weblog

 4日目の放課後子ども教室。また、新しい2人の女性スタッフが来ていた。このふたりはいくつかの教室を回っているようだ。若い方の女性はベテランなのか、ホウキを持って掃除をし始めたが、もうひとりの方は私と同様に見守るばかりだ。実際、どう動いていいのか、よく分からない。

 しばらくして子どもたちが教室に入って来た。1日目に私に手紙をくれた男の子が、懐かしそうに私にハグしてきた。ありがとうと私も彼を抱いた。口の悪い女の子は相変わらずで、私が勉強をみようとすると、「キモイ、あっちに行って」と言う。とても横暴な女の子で、リーダーの先生の言うことも聞かない。この子には何かがあるなと思うけれど、私にはどうすることもできない。

 リクレーションの時間になった時、私に抱きついてきた男の子が、「ドラゴンボールを描いて」と言う。聞いたことはあってもどんな人物なのか、全く分からない。私が困っているとランドセルからナフキンを取り出して見せてくれる。「分かった。これ借りていい?」と言い、見本にして描くが、やはりメガネをかけていては見えないので、メガネを外し、教室の隅で絵を描く。

 途中だったが時間が来たので、「これでいい?」と彼に聞くと、「うまいじゃん」と褒めてくれた。やれやれ、まだ子どもとなら互角に競えそうだ。すると別の女の子が、「絵描き競争しよう」と言ってくる。

 「どうするの?」と聞くと、「題を出すから、それを紙に描くの」と言う。「分かった。何を描くのかな?」と質問すると、「遊園地にあるもの」と言う。その時、その子のお母さんが迎えに来たので、「じゃー続きはまたね」となった。

 明日は白内障の手術の日。果たして来週の放課後子ども教室に来られるのだろうか。そんな訳で、何日からブログが出来るようになるのか分からないが、それまでお休みさせていただきます。

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「祝賀御列の儀」と水木しげるのマンガ『猫楠』

2019年11月10日 17時28分12秒 | Weblog

 東京にいたら、祝賀パレードを見に行っていただろうか。私が最も記憶に残るパレードは、美智子上皇后が結婚した時のものだ。まだ、白黒のテレビだった。民間から始めて皇室に入られるということで話題になっていた。お二人の出会いがテニスだったから、テニスをする人が急に増えた。中学校のテニス部も人気があったが、教える先生はいたのだろうか。

 昨夜は経団連などが中心となって、天皇の即位を祝う祝賀式典が行わた。有名な女性の指揮者によるオーケストラ、盲目のピアニスト辻井伸行さんの演奏、そして人気アイドルグループの『嵐』が歌い、雅子皇后が頬をぬぐう場面もあった。ちょっとアレッと思ったのは、天皇・皇后が退席される時から姿が見えなくなるまで、「バンザイ」を叫ぶ大きな声が続いたことだ。

 今日の「祝賀御列の儀」にも大勢の人が詰めかけ、日の丸の旗を振った。所々に自衛隊や消防庁や警察庁などの音楽隊が配置され、演奏をされる中を車列がゆっくりと通過して行く。国民がこれほど熱狂してパレードを見守ったのだから、演出は大成功だっただろう。カミさんはどこのテレビ局が「一番丁寧か」とチャンネルを回して見ている。

 私は相変わらず体調不良なのか、鼻水が流れ落ちるので、フトンに潜り込んで、上を向いて本を読んでいる。借りてきた水木しげるによる南方熊楠の伝記は読み終えた。想像以上に奇人変人に描かれていたが、「さもありなん」と思った。功績が凄いというより、生き方が普通ではないというか、とても平凡な幸せを求めている凡人には理解できない。

 子ども向けのマンガというより、マンガによる伝記なのだと思えば、男ってものはこんな生き方に憧れるものかも知れない。チンポコの大きさに執着したり、女を喜ばすチンポコの使い方を一喜一憂して聞き入ったり、誠に偏った生き物が人間の男のようだ。こんな話を小学生の女の子には出来ないから、やっぱり明日はゲームかな。

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奇人の博物学者、南方熊楠が話題になる

2019年11月09日 18時30分37秒 | Weblog

 久しぶりだった。子どもたちがまだ保育園か小学生の頃、よく友だちの家に集まって会食した。私は出来ないが麻雀をしたり、トランプに興じたり、5・7・5文字を書いてバラバラにして混ぜ合わせ、どの川柳がよいかを選んで遊んだりもした。

 昨夜は先生の「お疲れさん会」で、久しぶりに食べ物を持って集まった。夫妻が旅行したフランスのワイナリーで仕入れてきたワインをいただいた。この日の先生の講演の話から、カミさんを亡くした友だちに話題が移った。彼は今、ひとりで暮らしている。「食事はどうしているの?」と聞くと、「外食が多い」と言う。

 「やっぱり、みんなで食べるのはいいね」と、日頃は口にしないと言うワインを美味しそうに飲んだ。「カミさんを亡くして思った。時間をくれたんだと」。専業主婦だったので、食卓に着けば食事が出来、仕事以外の面倒なことに何も煩わされることがなかったと振り返る。豪快なカミさんのイメージだったが、よく気の付く女性だった。

 6時から始まり、いつしか8時を過ぎ、9時を回ったのに、話が尽きなかった。両親が教員という環境も、彼が次男という点も私と似ていた。どこでどのようにして、人は人と出会い、ドラマを作り上げていくのだろう。

 どうしてなのか覚えていないが、博物学の南方熊楠の話になった。すると、先生夫妻が部屋を飛び出して行き本を持って来た。先生は学生の時に古本屋で買ったという南方熊楠の著書で、1500円の値段の紙があった。印刷は大正15年とあるから、今なら相当いい値になるだろう。それにしても当時の学生にとって1500円はかなり支出だ。工学部の彼がどうして南方に関心があったのだろう。

 私が南方のことを知ったのは大学1年で、図書館にあった新聞で読んだ。反権力の独学の人の印象が強い。彼女が持って来たのは、南方熊楠の生涯を描いた水木しげるのマンガ本だった。ふたりが共に南方熊楠に関心があったのも不思議だ。放課後子ども教室に水木しげるが大好きな女の子がいる。早速、借りて読んだ。

 

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「力学」を勉強する

2019年11月08日 17時45分13秒 | Weblog

 めっきり寒くなった。ルーフバルコニーに出て、作業する気にもなれず、フトンに潜り込んで本を読んでいたら、いつの間にか眠り込んでいた。鉢の土を入れ替え、チューリップの球根を植える準備をしなくてはいけないのに、なかなかその気になれない。

 昨日、ルーフバルコニーで春に植えた草花を取り除く作業をしていて、目がよく見えていないことに気が付いた。わずか50から60センチ下の土が分別できないのだ。そればかりか、長く作業をしていると目がチカチカして痛い。それも作業に気合が入らない要因のようだ。

 今日は立冬、これからますます寒くなっていくだろう。寒さもまた、萎えた気持ちに拍車をかける。午後からは友だちが講師を務める市民講座『大人の国語・算数・理科・社会』の第3科目、理科の授業を受けに行く。

 演題は「生活を豊かにする力学」だった。力学と聞いただけで、「もう分からん」と言う人が多いのに、その力学を解説しようというのだから並大抵ではない。私の勝手な感想から言えば、真面目に解説し過ぎた気がする。

 もう少し、生活に根差した具体例で迫ったなら、「生活を豊かにする」ことに結び付いたのではと思った。それでも年寄りの男性が多い受講生の中で、若い女性が何人かいたが、真面目にメモしていたのには驚かされた。

 最後に質問を求めたところ、友だちのカミさんが立って、ピラミッドの石を運ぶことについて質問した。正に内助の功と感心した。「難しい」と言わずに、具体例に引き寄せて話を終わらせたのだ。その彼女から「今晩はウチで食事会にしましょう」と誘われた。行ってきます。

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