友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いつも夢を追っていた

2020年03月21日 17時14分04秒 | Weblog

 朝から暖かかった。ルーフバルコニーに出て、草木の手入れをする。子どもの頃、家の設計士か造園家になりたかった。倉庫を改造した住まいが嫌だった。自分たちの家が持ちたいと思っていた。父親も退職したら、家を建てるつもりだったから、購買予定の土地を一緒に見に行ったこともある。

 けれど、兄貴がやっていた材木屋のために退職金は消えてしまった。私たちが住んでいた所の裏に、放置されていた土地があり、父親がその土地を借りてくれた。柿木や茶の木が植わっていた。あとは畑だったがどういう訳か、耕作されていなかった。私はここを西洋式のバラ園にするつもりだった。

 5月の祭りの時、露天でバラを2本買って、バラ園づくりが始まった。けれど、1年に1本か2本買うのがやっとだった。庭園が出来る前に挫折した。高校1年の時、母親が亡くなり、バラ園を楽しみにしてくれる人がいなくなった。父親は兄貴のために時間もお金も遣っていた。千葉大学に造園科があると知ったが、理系なので無理だった。

 建築も造園も理系の仕事とは思っていなかった。好きなように絵を描いて、出来上がるものだと思っていたのだった。本を読むことと文章を書くことは好きだったし、人間と社会に対する関心は強かったので、新聞記者になろうと思うようになった。高校1年の時、普通科高校は大学の予備校になっているのはおかしいと書いて新聞社に送ったら、投稿欄に掲載された。

 建築も造園も新聞も、そして教師も、夢を追うところは同じだ。先のことも考えず、私はいつも夢を追っていた。

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どうすれば良いのだろう。

2020年03月20日 17時58分43秒 | Weblog

 真夜中の午前1時過ぎだった。ブォーという風の音がし、ザァーという雨の音がした。まるで台風の時のような激しい風雨だ。慌てて起きて、カーテン越しにルーフバルコニーを見た。天気予報で風が強くなると聞いていたので、それなりの対策はしたつもりだが心配だった。

 こんな豪雨の中、外に出ていくことは出来ない。やるだけのことはやったのだから、後は天に任せる他ない。そう思ってフトンに戻った。今朝、ルーフバルコニーを見ると何事にもなっていなかった。まだ、風は相変わらず強く吹いている。ツツジがスイセンをバックに咲いていた。

 

 昨夜の荒れた天気は神の怒りなのか。自分の娘を「しつけ」を理由に死に至らしめた父親に懲役16年の判決が出た。42歳の父親は、58歳で出所してくる。今、1歳の次女は17歳の難しい年頃になっているはずだ。刑務所での態度がよければもっと早い出所になるかも知れない。

 どうしようもなく悲しくなることが多い。2年前、森友問題で公文書の改ざんにかかわった財務省近畿財務局の職員が自殺した。妻が夫の死の解明を求めて、その手記を公表した。けれど、担当大臣である麻生副総理は「手記は読んでいない」と言い、「新たな事実が判明したことはないので、再調査はしない」とまで言う。

 自殺するしかなかった誠実な人が、勉強にもしっかりと取り組んでいた小4の女の子が、なぜ死に追い込まれなければならなかったのか。どう見ても世の中おかしい。神が怒り狂うのも正におかしいが、新型コロナウイルス旋風もおかしくなっている。どうすれば良いのだろう。

 

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「秘密は生まれ続ける」

2020年03月19日 17時51分59秒 | Weblog

 ルーフバルコニーで作業をしていたら、近くの小学校から歌声が聞こえてきた。休校になっているとばかり思っていたが、今日は卒業式が行われていた。午前11時過ぎ、体育館から黒服が次々と出てくる。この地方では、進学する中学校の制服を着る子が多いが、最近はまるで大学生のように袴姿の女の子もいる。

 やはりすぐに解散するのは惜しいようで、運動場でそれぞれの家族が小学校最後の写真を取り合っていた。私は自分の小学校の時の卒業式を思い出そうとするが出てこない。代表して登壇したが、あれは何だったのだろう。小学校の時は、おとなしいだけの全くの子どもだった。校区外から登校していたから、帰りはいつも街中をブラブラと見て回っていた。

 テレビドラマ『テセウスの船』は、何が何だかさっぱり分からない。小学6年生と思う子どもたちが出てくるが、とてもしっかりしている。私も6年生くらいの時は、あんな風にきちんと受け答えできていたのだろうか。もう1つ、よく分からないままに観ていた『10の秘密』は、火曜日に最終回を迎えたが、初めから見ていなかったためか、すっきり感が無い。

 「秘密は生まれ続ける。この世に欲望と弱さそして愛がある限り」というセリフを聞いてなるほどとは思った。誰が悪人で、誰が善人か、それが問題ではないようだ。人にはいろんな秘密がある。抱え込んだまま生きられるか否かだとドラマは指摘した。そうかなとも思うが、そうでなくてもいいようにも思う。曖昧模糊として終わっていく人生でもいい。

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「津久井やまゆり園」事件の犯人に死刑

2020年03月18日 18時13分57秒 | Weblog

 神奈川県の「津久井やまゆり園」の入所者45人を殺傷(うち死者は19人)した犯人に死刑が言い渡された。「障害者は生きるに値しない」と考えての犯行だった。「人を殺しておいて、よくそんなことが言える」と思う人は圧倒的に多いだろう。けれど、どこかで「障害者ってめんどくさい」と思う人もいる。

 障害があるというだけで、同情が裏返ったような差別した目で見てしまう、そんな場面があった気がする。私の子どもの頃なら、新型コロナウイルスのように、「うつる」とまで言われていた。死刑の宣告を受けた犯人は、「死刑に値する罪ではない。時間と金を奪う重度障害者に基本的な人権は無い」とまで言っている。

 それでも、私は死刑でいいのだろうかと思う。彼はどんなに長く時間をかけても、自分の行為を反省することはないのかも知れない。だけど、人を殺したから死刑というのは、なぜか納得できない。犯人は人を殺しても何とも思わない極悪非道な人物だから死刑が当然というのは、「生きるに値しないから殺した」と同じ考えではないのだろうか。

 小4の娘を「しつけのため」と殺した父親は、「しつけが行き過ぎた」と言うが、「虐待はしていない」と強弁する。しつけのためなら多少手荒なことも許される。あるいは、「役に立たない人間は要らない」、そうした考え方がある限り、やまゆり園のような事件や親による子どもへの虐待は無くならない気がする。

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過去に戻りたくないし、未来も見たくない

2020年03月17日 17時25分47秒 | Weblog

 驚いた。昨夜、浴室から出て洗面所の時計を見ると、午後8時26分だった。えっ、そんな訳ないだろう。10時になったから、風呂に入ったはずなのに、いったいどうしたのかと仰天だった。まるでドラマ『テセウスの船』のように、2時間タイムスリップしている。時計を見ると、秒針はカチカチと動いているがなんとなく遅い。

 身体を拭いて居間の時計を見た。午後10時28分を指している。ちょうど2時間の時差だ。変に慌ててしまった。洗面所の時計の電池を新しいものに取り換えると、秒針は元気よく動き出した。電池が古くなって遅れただけのことなのに、なぜタイムスリップしたと思ってしまったのだろう

 どうも『テセウスの船』の影響のような気がする。来週、最終回だが、観ていると何が何だかわからなくなる。いったい誰が真犯人で、何のための犯罪なのか、毎回、謎が深まるばかりで、何も解決していかない。マンガが原作というが、こんなややこやしいストリーをよく描けたと感心する。

 「過去に戻れるなら、いつに戻りたい?」と聞かれたことがある。私は過去に戻りたいとは思わない。「この先、何があって欲しい?」と聞かれたなら、いっぱい答えられるが、過去に拘りたくない。直してしまいたい過去はいくらでもあるが、そうすると現在の私は存在しない。あの時ああすればと思っても、過去を変えることは出来ない。

 未来を見たいかと問われれば、それもしたくない。もし、100歳のジジイになっていたなら、こんな哀れなことはない。過去を振り返らず、今に固執していたい。もう充分に生きてきた。

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「お別れの会」でのあいさつ文を見る

2020年03月16日 17時22分41秒 | Weblog

 朝から荒れ模様の天候で、今は陽が射しているが猛烈な風が吹いている。ドアの隙間を通り抜ける風が「ブォー、ブォー」と不気味な音を上げる。植えた花が気になるし、植え替えたバラは大丈夫かとルーフバルコニーに目をやるが、今のところは持ちこたえている。新型コロナウイルスに襲われてもジッと耐えるしかないように。

 午後、知人の女性がやって来た。彼女の家族は熱心なキリスト教徒で、亡くなった姉の「お別れの会でのあいさつ文を見て欲しい」と言う。A4判2枚の原稿は、亡くなる直前の様子や亡くなった姉の人柄などが素直に書かれていて、特に直すところはなかった。亡くなった姉のダンナからの指名だと言うので、「頼りにされているのだから、受けなきゃ―ね」と話す。

 キリスト教でもいろいろあって、彼女の家族が信仰する団体に付いて私はよく知らない。彼女は明るくお茶目なところがあるから、亡くなった姉も似ていることだろう。義兄は大学の先生で理屈っぽいのに、信仰に導いてしまったのだから、姉の力がよく分かる。料理が上手で、オシャレで柔和で、自分で「わがまま」と言える家庭のようだ。

 私のところに週に1度訪ねて来る「エホバの証人」の女性がいる。「キリストを信じますか」と彼女が言うので、「信じていますよ。キリストの言葉には感心しています」と私は答えている。釈迦や孔子よりも分かりやすく感じている。「ぜひ、集会に」と誘われるが、敬愛は出来ても信仰心は無い。エホバの彼女は「可哀そうな人」と私を思っていることだろう。

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買って来た花は全部植えたが

2020年03月15日 17時58分41秒 | Weblog

 バレンタインデーに、「大好きなパパちゃん」と手紙をくれた仙台の5歳の孫娘にもうすぐ会えるからと思い、ホワイトデーの贈り物を考えていなかった。来るのか、止めるのか、迷っていた次女から、「感染者が3桁もいる愛知県には帰らない」と連絡がきた。

 新型コロナウイルスの影響がこんな身近なところにもあった。自粛、自粛といろんなところで行事が無くなっていく。家でジッとしていれば感染することも無いから、仕方のないことだと思うが、何だか寂しい。

 昨日、買って来た花を全部植えた。いつもなら、ブルーシートを敷いて、古い土を出し、バーク堆肥を混ぜ合わせて新しい土作りをするが、気力の消失で手抜きした。草花を抜いた古い土に残っている根を取り出し、そこへバーク堆肥を入れて混ぜ合わせ、買って来た花を植え込んだ。

 草花に対する愛情が少しずつ減ってきている。労を惜しまずやって来たことが出来なくなっている。おそらく、鉢から全ての土を出して要らないものを取り除き、小さな赤玉土とバーク堆肥を混ぜ合わせて新しい土で育てても、手抜きの土で育てても、どうやらそんなに変わらない、そんな気がしているからだろう。

 丁寧にやってもやらなくても、そんなに変わらないなら、私は丁寧にやる方を選んできた。効率よりも自分がどれだけ愛情を注げたかに価値を置いてきた。仕事も効率的にやることよりも、自分が納得できることだった。「そんなめんどくさいこと」を、自分から選んできた。

 それなのに、今は手抜きでいいじゃーないかと思っている。恋愛だってクソ真面目に、精一杯だったのに、今は無気力になっている。

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「特措法」に反対‼

2020年03月14日 17時13分52秒 | Weblog

 朝、カミさんに促されて花屋へ出かけた。雨降りだから客は少ないだろうと思っていたが、結構な人が花を選んでいる。私は肥料さえ買えれば良いと思っていたが、カミさんは「1株50円」に魅せられていた。店員さんが「コロナウイルスの影響で花も売れないんです」と値段の安さを説明してくれた。それに、「雨降りの日はポイント2倍」とも教えてくれた。

 みんなそれぞれに苦労している。おかげで我が家は予算の半分近くで済んだ。客の女性から、「あら、先生。お元気」と声をかけられたが、すぐに思い出せない。荷物を積んで帰る頃に、美容院のママだと気が付いた。もう少し、話していてもよかったのにと思っても後の祭りである。雨が降っていたし、花をケースで持っていたんだからと自己弁護。

 国会議員の中にも自分の投票を自己弁護している人がいるかも知れない。昨日、国会は新型コロナウイルスの急拡大に備えて「特別措置法」を成立させた。「緊急事態」と首相が判断すれば何でも出来るような法律に私は絶対反対だ。立憲の山尾議員は「私権を制限する」と反対したが、国会議員の中で何人が反対したのか、マスコミは報道して欲しいと思う。

 新型コロナウイルスに脅されて、マスコミの報道規制は「出来る」から「しない」に答弁が変わったが、「出来ない」ではない。こんな恐ろしい法律を成立させてしまう国会議員を私たち国民は選んだのだ。戦前、国家権力から弾圧された創価学会を母体とする公明党は賛成した。維新、立憲、国民も賛成に回り、共産とれいわ新選組は反対したが、他に反対した議員はいなかったのか。

 オヤッ、陽が射してきた。明日は朝からルーフバルコニーで作業が出来るだろう。何にもしたくなかったのに、春の花を植える気になっている。流されているなあーと反省してみるが‥。

 

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確実に春になっている

2020年03月13日 17時46分12秒 | Weblog

 天気予報は「暖かな一日」とあったので、昨日に続いて今日も朝からルーフバルコニーで作業する。元気のないバラの鉢から15匹の幼虫が出てきた。この幼虫が大きくなると何になるのか知らないが、花木が枯れる鉢には必ずこの幼虫がいる。全部取り除いたから、元気になってくれるだろう。

 「桜の開花が早まっている」と気象予報士が言っていたが、鉢植えのツツジやアザレアも蕾が大きく膨らんでいるし、アジサイも青々した若葉が伸びようとしている。富山へ出かけた時、売店でカメムシを見つけたが、薄緑色のとてもきれいなカメムシがいた。やっぱり確実に春になっている。

 バラの2鉢の土を入れ替え、窓枠を飾っているジャスミンの2鉢も一回り大きな鉢に取り換えた。ジャスミンはしっかり根を張っていたので、古い鉢を割って新しい鉢に移した。もったいない気もしたが、以前もそうして大きな鉢へと移したから、いっぱい花を咲かせるためには仕方がない。

 新型コロナウイルスの猛威は収まりそうにないが仕方ない。トランプ大統領は東京五輪の延期もあり得ると発言し、「賢明な安倍首相が判断する」と妙なことまで言っていた。オリンピックは日本政府の主催ではないことを知らなくて言っているのか、知っているから言っているのか、なかなか微妙だ。

 私は国対抗のオリンピックは、勝敗に拘り過ぎて好きになれない。メダルを幾つ取ったと争うのを聞いていると何だかうんざりする。無観客の大相撲もプロ野球も味気ない。見せて金をとる競技だからそう思うのかも知れない。明日は雨降りだというから、作業が出来ないのは仕方ない。何をしようか。

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全身が痛い。歳だなあー。

2020年03月12日 18時08分43秒 | Weblog

 風も無く温かな日だった。朝からルーフバルコニーに出た。鉢の土を入れ替える作業が一番大事と分かっているが、花でいっぱいにしようという気力が無い。さて、何をしよか、そう思いながらしばらくぼんやりしていた。鉢の土を入れ替えるためには、新しい土作りをしなくてはならないが、そのための肥料が無い。

 昨年の秋、植わっていた草花を抜いたものの、出来るだけ花を少なくしようと思い、新しい土作りのための肥料を買わなかった。チューリップも毎年300球は購入するのに、昨年の球根200球をそのまま植え込んだ。パンジーなどの春の花を植えるつもりの鉢が30個ある。「手頃の大きさの鉢なら貰い手がある」と言われている鉢もまだ4個ある。

 何時までも無気力でいても仕方がないので、何をしようかと肥料などが入れてあるプラスチックの箱を空けた。昨年に残った牛糞が少しとバラの肥料が少々あった。バラの鉢の土の入れ替えは大変だが、2鉢分くらいの肥料があるので、「やりなさいという縁」なのだろうと勝手に解釈して取り掛かった。

 久しぶりの作業なので、腰が痛い。植え終わったら、剪定もしてやろう。そんなことを考えながら作業していると、近くの小学校から子どもたちの声が聞こえてくる。先生の声は聞き覚えがある。放課後子ども教室で一緒だった人だ。彼女の子どもはこの春から高校生だが、中学校の卒業式はどうなったのだろう。

 新型コロナウイルスは「パンデミック(世界的大流行)」にあるとWHOは分析する。私は子どもたちの元気な声を聞きながら、腰を伸ばして背伸びをする。全身が痛い。歳だなあー。

 

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