友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「次回が楽しみね」

2020年03月11日 17時43分17秒 | Weblog

 いつも歴史物をコピーしたDVDをくれる、80代の先輩から電話があった。遠慮がちに用件を伝えてくるが、本当は会って話しがしたいと分かっているのに、新型コロナウイルスの話をして、「もう少し暖かくなったらボクから電話しますよ」と遮ってしまった。

 「家から出るな」と言われているのに、毎度無視する訳にもいかない。でも本当に、こんな閉じ籠りでいいのだろうか。私のブログに「いいね」を送ってくれる人は、どうやら同年配が多いようで、その人のブログを読むと、大半が退屈している様子だ。

 人も物も動かなければ、燃料は消費しないので、原油の値は下がる。経済活動はますます低下するから、利潤も下がる。世界は資本主義経済の社会だから、どこかが落ち込めばどこかが潤うだろうに、原因が新型コロナウイルスではどうにもならないのだろうか。

 いや、そんなことはないだろう。新型コロナウイルスに対抗する薬品で一儲けしようと企んでいる人たちは必ずいるはずだ。株が急降下したので、これを絶好の機会と捉えて株を買う、金に余裕のある富豪も必ずいるだろう。

 「退屈だ」などと言うような年金暮らしの年寄りは、働き盛りの子持ちの世代から、「ふざけるな」と怒鳴られそうだ。休校になった子どもを抱え、どう乗り切ろうかと苦労している働き盛りの世代には本当に申し訳ない。消費が落ち込まないようにと思うが、遊びに行くことも買い物に行くことも憚れる。

 昨夜、一緒に旅行に行った人から、「バックが戻って来た」と電話があった。やれやれである。これでカミさんが会計報告を仕上げれば旅行の件は終了する。電話の主はバックのことは忘れたのか、「次回が楽しみ」と言う。

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何時まで続く?新型コロナウイルスの騒ぎ!

2020年03月10日 17時31分28秒 | Weblog

 降り続いた雨も上がりそうな雲になってきた。さすがに今日は公園で遊ぶ子どもの声が聞こえてこない。昨日、書店に入ったら月曜日にも拘わらず、家族連れや子どもの姿が多かった。「盛況ですね」と店員さんに声をかけると、「このところ、いつもこんな調子です」と言う。

 雨降りの日は、子どもたちはどうしているのだろう。看護師をしている長女のところに小4の娘がいるが、「こんな時に、バス旅行に行くジジババのところには預けられない」と、何も言ってこない。いったい何時まで不要不急の集まりを控える、この状況が続くのだろう。

 カミさんは「2週間は家でジッとしていて」と長女に言われたので、テレビで新型コロナウイルスの報道に釘付けになっている。諏訪哲史さんが書いていた「人類の滅亡」は、巨大隕石が地球に衝突して世界は終わるのがいいとあった。私もそれが一番いいと思うが、そういかないのが現実だ。

 そうなると、新型コロナウイルスの来襲は人類が滅亡へ向かう1つのパターンなのだろうか。これまでもいろんな危機があったけれど、それで何万いや何千万の人が亡くなったか知らないが、必ず生き延びてきた。人類は生き延びる度に、また新たな不幸を作り出してきた。

 そろそろ限界ではないのかと思うが、どう見ても限界なのは私のようだ。ああだこうだと悩んだり、恥の上塗りばかりより、おさらばできるなら望むところだが、なかなかそういかないのが現実だ。つまらないと思うが、結末は神様に任せる以外にない。親しい女性から頂いた花をアップしておこう。アレ?どうして縦にならないのだろう?

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バス旅行のハプニング

2020年03月09日 18時28分54秒 | Weblog

 『富山うまいもの三昧』のバス旅行はハプニングで始まった。集合時間になっても、ひとりが来ない。最近、約束の時間を忘れることが多いから、前日も電話したのにどうしたのだろうと、友だちが家まで見に行った。バスの集合時間はギリギリセーフだった。

 土曜日は気持ちの良い好天に恵まれ、バスは順調に走り出した。新型コロナウイルスの影響でキャンセルする人も多いだろうと予想していたが、満席の41人だったからビックリ。看護師をしている長女は「止めなさい」と言ってくれたのに、無視したから罰が当たるかも知れない。

 その予感は的中した。東海北陸自動車道を北上していくと、次第に雪の山々がハッキリ見えるようになってきた。美しい過ぎるくらいだ。最後のパーキングはトイレしかない飛騨白川。「用足しを済ませてくださいね」と添乗員の声に促されてバスを降りる。

 いよいよ蟹を味わう昼食の時間。朝、遅れてきたひとりが、「私のバックはどこかしら」と言い出す。みんなで探したが見つからない。「さっき、トイレに行った時、バックをつるした」と言うので、添乗員にそれを伝えるとすぐに手配してくれた。添乗員の努力のおかげでバックは見つかった。

 今朝、その後始末をしてきたので、これでバックが戻れば「全てよし」である。誕生日を祝う旅行、念願だった雪の立山連峰が見事なまでに美しく見えた。料理もおいしかったし、みんなでお酒もよく飲み、よく食べ、よく笑った。日曜日の午前中は雨の予報だったがすぐに止み、天候にはとても恵まれた。

 ひんしゅくを買うかも知れないが、私たちにはいい旅だった。これから先、何度こうした旅が出来るのだろうか。人は嫌でも歳をとる。それは仕方のないことだ。委縮せずに笑っていたいが、それが出来そうになくなってきている。

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自粛ムードの中での旅行

2020年03月06日 17時43分58秒 | Weblog

 卒業した小学校のジオラマを見ていて、遠い昔を思い出していたが、今日は明日からの旅行に向けてバタバタしている。午後、「同年の集い」の会計報告のため幹事で集まるが、ひとりが「遠慮させてもらう」と言う。新型コロナウイルスを警戒してのことだろうからやむを得ない。

 愛知県も感染者は57人となった。学校が休校となったのに歩調を合わせて、公共施設も閉鎖になった。楽しみにしていた名演の3月例会『マクベス』も中止になった。ロシア人演出家の話題作だったので観たかったのに残念だ。

 新型コロナウイルスの感染は、この3月が山場と言われて自粛ムードなのに、「本当に出かけて行っていいの?」とカミさんは心配する。「嫌ならあなたは降りてもいいよ。代わりの人を探すから」と言ったら怒られた。心配しながら出かけても楽しくないだろうと気を遣ったつもりなのに、下心を見透かされた。

 出入国を禁止したり、不要不急の集まりを抑えたり、国は出来る限りの対策を行う。それは当然のことだが、私が打ち合わせ会に出たり、旅行に出かけたりするのは私の責任だ。働いている世代は必死なのに、ジジババ世代はのんびりと旅行なんて、世の中可笑しいと言う人もいるので、申し訳なさそうにしていないと叩かれそうだ。

 クラブツーリズムに問い合わせたら、「中止にはしていないので、身体に気を付けてお集まりください」との返事だった。旅行会社はキャンセルの対応で大変だろう。知り合いの会社はクルーズに特化した旅行を多く企画しているから、この先どうなるのだろう。

 知り合いの娘さんがカミさんにメールして来た。「よく笑い、よく食べ、免疫力アップ旅行に!気を付けてお出かけください」。ありがとう、行ってきます。明日と明後日のブログは休みます。

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晴れているのに雨が降ってきたりして

2020年03月05日 17時59分18秒 | Weblog

 晴れているのに雨が降ってきたり、冬に逆戻りしたように冷たい風が強く吹き付ける。いい時もあれば悪い時もある。私は戦後育ちの三男だったからか、可愛がられて育った。小1の時、「桜祭り絵画コンクール」で描いた絵を担任が絶賛し、あるはずも無いのに「ピカソになるかも知れない」と母親に話したことから「絵の塾」へ通うことになった。ストーブで焼いた干し芋を食べたことは覚えているのに、「絵の塾」で何かを教えてもらった記憶がない。

 小4の時、不登校になったが、ボスに対して「イヤだ」と言えない自分が情けなかった。5年のクラスは気のいい友だちに恵まれ、自分を変えるきっかけになった。引っ込み思案で消極的な自分を変えようと決意した。小6の時、ラジオで「ルーテルアワー」を聞いていて、キリスト教に興味を持った。図書館で『アンクル・トムの小屋』に出会い、夢中で読むうちに聖書を読みたいと思った。中学校へ通う道の傍にルーテル教会があったので入り込んだ。「中学生聖書研究会」を作り、友だちも誘った。

 高校生の時、アメリカ人の牧師から「牧師になるよう」に勧められたが、自分はその器でなかった。「アメリカ軍がベトナムを空爆する」ことが正義とは思えなかったし、私の心に純情な恋心と邪悪な肉欲が葛藤していて、今なら、だからこそ人は信仰の道を歩むと言えるが、当時の私は正か悪かで悩み苦しんでいた。遠藤周作の著書だと思うが、「信仰とは理解することではなく、受け入れること」といった言葉に納得できたが、もう信徒になる気は失せていた。

 高3の1月に父親が亡くなった。映画監督になりたいとか、造園設計士になりたいとか、新聞記者になりたいとか、夢は夢でしかなかった。兄貴に「大学の入学金は払ってやる」と言われ、東京に出てストリップ劇場の看板描きになる下賤な夢も消えた。大学は授業料免除で奨学金がもらえ、家庭教師で小遣いまであった。ところが2年の時、我が家は倒産し、家族はバラバラとなり、私は大学の先生の家に住まわせてもらった。

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思い出の小学校のジオラマ

2020年03月04日 17時16分40秒 | Weblog

  

 「千載一遇の友」である小学校の同級生から小包が届いた。私たちが卒業した小学校の、昭和38年当時のジオラマを、彼がパワーポイントで作成したA4判24枚入っていた。ジオラマは私たちの担任らが創立90周年を記念して制作したものらしい。

 6年の時の私たちの教室は今、郷土資料館となっていて、そこに展示されているものだ。私が訪ねた時も既にあったかも知れないが、あまり気に留めなかった。それなのに、こうして何枚もの写真を改めて見ているととても当時が懐かしく感じられた。

 昭和38年が創立90周年であるなら、昭和28年が80周年だが、私の記憶では6年生の時、創立を祝って児童会役員で国旗掲揚をしたが、あれは85周年だったのか。明治政府が学制を施行した翌年に発足した地域で最古の小学校だ。城跡を利用した校舎で、学校の中に谷があり、小川が流れ、沼のような池があった。

 5年生のクラスは何故か分からないが、始業時間より早く集まって、その池で遊んでいた。ある時、誰かが「今日はストライキだ」と言い出し、学校の西にあった公園へとみんなで移動した。当時の工場は赤旗が立ち並びストライキが盛んに行われていたから、オヤジたちを真似たのだろう。遊びの延長だったのに、いつの間にか抜け出して学校へ帰る子もいた。

 「ここにいたら捕まるぞ」というので、公園からさらに西の境川へと進み、川上へ向かった。自転車に乗った教頭がやって来て、学校へ戻ることになった。最後まで行動を共にした子は何人だったのだろう。校長室の隣りの応接間で注意を受けた。担任の若い女性教師が泣きじゃくっているのを見た時、とんでもないことをしてしまったと知った。

 私の父も校長だったから、きっと肝を冷やしただろうが、特に叱られなかった。いつかのクラス会で、「多分、先生の気持ちを引きつけたかったのではないか」と話した。大人になる前の男の子が、若い女の先生に抱いた恋心の変形だろう。先生の白いブラウスがとってもまぶしかったことをよく覚えている。

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トップダウンの社会は嫌い

2020年03月03日 17時05分11秒 | Weblog

 今日は雛祭り。小4の孫娘は友だちと一緒に、雛祭りを行なったのだろうか。公園を見ると、何人かの子どもが遊んでいるが、いつものような甲高くて大きな声が聞こえてこない。中には子どもたちと遊ぶジジババの姿が見える。

 安倍首相の「小・中・高校と特別支援学校は春休みまで休校とする」要請が批判にさらされている。専門家会議の意見を聞いていないとか、全国一律に休校とする根拠が明らかでないとか、文科省とも相談していないとか、野党やマスコミから追及されている。「私の判断で決めた。私が責任を負う」と、安倍首相は強い姿勢を崩さない。

 私は新型コロナウイルスの知識がないので、感染を食い止める有効な方法を判断できないが、ただ、「非常事態にはトップが責任を持って判断する」ことに異議がある。「グデグデ論議していては蔓延を食い止められない」と反論されるだろうが、どうしても納得できない。極端なことを言えば、蔓延が進んでもみんなで論議した結果なら仕方がない。

 トップの英断で、結果として感染を抑えることが出来ても、もろ手を挙げて喜べない。専制君主や一部の人たちが権力を独占してきた時代から、「みんなが主人公」の民主主義へと移行してきたのに、非常事態を理由に「トップダウンでなければ乗り切れない」と、受け入れてしまうことがやり切れない。

 国家でなく、地方ごとに対応する、そんな仕組みを作り上げるべきではないだろうか。「単なる空想で、それでは何も解決しない」と言う人の方が多いだろうが、トップダウンで本当にいいのだろうかと思う。私は、そういう社会が嫌いだ。

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孫娘姉妹がやってきた

2020年03月02日 17時27分36秒 | Weblog

 小学校が休校のため、小4の孫娘が我が家にやって来た。お昼には夜勤明けの上の孫娘も来た。小4の孫娘が上の孫娘の家に行きたいと願ったからだ。14歳も離れているのに、仲がいい。そういえば、私も姉とは14歳も違っていて、姉を初めて知った時はヨソのおばさんだった。

 上の孫娘が2月29日に行った「1.5次会」の動画を見せてくれた。オーストラリアでの結婚式もパーティー会場の「1.5次会」もセットだと教えてくれる。私たちの頃は「2次会」で、会費制の結婚披露宴だったが、今は様々なオプションをつけることの出来る結婚披露パーティーが流行りのようだ。

 いろんなプレミアムが仕組まれていて、驚いたり笑ったりと華やかなパーティーだが、ジジババが最も泣けたのは、嫁にいく姉を慕う小4の孫娘の歌だった。ミュージシャンのパパのピアノで、ちょっと緊張気味に歌っていたが、ふたりの子どもの頃の写真も投影され、「大好きだよ お姉ちゃん」のフレーズに思わず涙がこみ上げてきた。

 動画の鑑賞会が終わり、片づけをしていた時、小4の孫娘が「中国人はバカだ」と言う。ビックリしていると、「だって蝙蝠を食べるんだよ。それでコロナウイルスが世界中に広がったんだよ」と教えてくれる。「それはちょっと違うね。日本人は生の魚を刺身で食べるけど、そういう食習慣の無い国の人は『よく平気で食べるね、気持ち悪い』と言うよ」と話すと、信じられないという顔をした。

 周りの大人で、「中国人はバカ」と言った人がいたのだろう。そんな風に他人を決めつける人間にはなって欲しくない。どんな人にもそれぞれに生きてきた環境があり、生活習慣も違う。その違いだけで差別してはならない。好きな人も嫌いな人も、似ている人も似ていない人も、みんな友だちになっていく、心の大きな人になって欲しい。

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ウヤムヤの感染を止めて

2020年03月01日 17時27分56秒 | Weblog

 久しぶりに複数の人と話した。話題はもっぱら新型コロナウイルスによる影響ばかりだ。安倍首相が27日の夕方に突如として、「全国の小中高校および特別支援学校を3月2日の月曜日から春休みまでを休校とする」と発表した。これを受けて公共施設も閉鎖になった。

 感染がどこまで広がっているのかよく分からないのに、いきなりの首相英断に学校も行政も戸惑いはあっただろうが、閉鎖すればその責任からは免れるからと飛び付いてしまったようだ。公共施設で発表会や講演会あるいはグループの勉強会などを準備していた人たちは、打つ手は無くお先真っ暗である。

 26日に「会場が借りれなくなることはありませんよね」と訊ねた時は、「皆さんからのキャンセルはあっても、こちらからお断りすることはありません」と言われて安堵していたのに、「えっ、どうして?」と問うても、「上からの指示ですから」と言うばかり。プログラムの刷り直しや他所から劇団を招いている場合はどうやって穴埋めをするのか、「頭が痛い」と言う。

 安倍首相は「(損失を)保障する」と言うが、何がどこまでなのか分からない。国会の討論を見ても、全く何も見えてこない。超党派でコロナウイルス対策を検討することは大事だが、桜を見る会やモリカケや検事長の定年延期は、安倍首相の政治姿勢の問題である。このままではまたしてもウヤムヤになってしまう。

 日本人は怒りに任せたりせずに、みんなで問題に取り組むように教育されてきた。新型コロナウイルスのような得体の知れないものにすぐ振り回され、不安ばかりが掻き立てられ、肝心のことを忘れたり、水に流してしてしまう。これではウヤムヤ感染だ。

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