風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中秋

2010-09-23 10:16:38 | 日々の生活
 昨日は中秋でしたが、東京ではこの夏71度目の真夏日を記録するほどの暑さとなりました。
 今年は本当に暑い夏で、1898年の統計開始以来、113年間で最高だったと発表されました。偏西風が北に蛇行し、勢力の強い太平洋高気圧(こちらも気象庁がデータを解析するようになった1979年以降で最も勢力が大きかったようです)に覆われたことと、オホーツク海高気圧などの影響がほとんどなかったことが原因のようですが、東京ではこれにヒートアイランド現象も加わっているのでしょう。幸いこの記録的な猛暑は打ち止めのようですが、昨晩は折からの曇り空のために月を拝むことは出来ませんでした。
 さてその満月は、年に12回乃至(閏月がある年は)13回あるのに、どうして中秋だけが名月として愛されてきたかというと、一つには秋のこの季節に月の高さが月見に頃合いになること(天球上の通り道は太陽とほぼ同じで、満月は地球から見て太陽と正反対に位置しますので、太陽とは逆に夏は低く、冬は高くなります)、そうであれば春も同じ高さになるわけですが、春は朧月夜などと呼ばれるように、空気が澄んでひときわ明るく美しいお顔を見られるのは秋だというわけです。
 月見ではありませんが、「月」ということで思い出されることがあります。
 高校時代、国語・古文・漢文を担当されたオバサン先生は、折に触れ広中和歌子さんをライバル視するような、ナラジョ(関西では奈良女子大学のことをこう呼び慣わします)を出た才媛で、語り口は関西弁の柔らかいオブラートに包まれながら、話す内容にはことごとく毒を潜ませる毒舌家で、そうしたアンバランスと相俟ってちょっと浮世離れした風雅なところもあるものですから、お子さんがいないご自宅に茶室があるなどと聞くとなおのこと、私たち小僧には、ある種の近づき難い貴さのようなものを感じさせたものでした。
 さて、その一目置かれた先生の授業で、俳句をひねり、作文や感想文などの課題を提出し、返ってきた答案を見ると、「ゆき」とか「つき」とか「はな」などと、流麗な赤ペンの文字が添えられています。ご存知「雪月花」は、白居易の詩の一句「雪月花時最憶君(雪月花の時、最も君を憶ふ)」から取った言葉で、自然の美しい景物を指し、三景、三庭園においても、雪の天橋立、月の松島、花(紅葉)の宮島と言われ、雪の兼六園、月の後楽園、花(梅)の偕楽園と言われて、それぞれに趣きがあって美しい。同じように、私の作品もそれなりに「ゆき」「つき」「はな」を連想するような趣きを感じ取って頂けたのか、風雅やなあと、○×式のテストではない、それぞれに何がしかの価値を認める絶対評価になっているらしい視点が新鮮で、さすが先生だと感心し、騙されたような、そのまま騙されていたいような、俄かに嬉しい気分にさせられたものでした。
 ところがそれが地面からどれだけ離れているかをもとにした相対評価に過ぎないことを知らされたのは、年度末のこと。天空に浮かぶ「つき」が最も優れ、「はな」はそこそこ、「ゆき」は地べたを這っているというわけです。あな、あさまし。今さらどれが「つき」でどれが「ゆき」だったかを検証する気にもなれず、一年間、騙され続けた自らの思い込みを笑うしかありませんでした。
 月を見るたびにさめざめと泣くのはかぐや姫ですが、私は月を見るたびに関西弁のオブラートに包まれた毒舌先生を思い出します。
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