風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大震災その後(1)五大危機

2011-05-17 00:26:32 | 時事放談
 東日本大震災から二ヶ月以上が経ちました。当初、三重苦(震災、津波、原発)と言われ、これに風評被害と電力危機とを加えて、五大危機と呼んだ外国人ジャーナリストがいましたが、今や日本は未曾有の複合危機に直面しています。これら五つの危機を仔細に見ると、震災こそ一次災害であり、津波もそれに付随する一次災害である(と同時に、予測が甘かったという一種の人災の側面もありますが)のに対し、原発は安全管理の問題として二次災害と位置づけるべきであり、更に風評被害や電力危機は原発危機に起因する三次災害とでも言うべきものです。これら二次災害以降は人災とも呼ぶべきものであり、如何に日本が危機管理が苦手だったかという現実を否応なく突きつけられ、愕然とします。
 今回の大震災は、太平洋戦争以来の危機だと言われます。確かにいくつかの重大な局面で太平洋戦争とのアナロジーを感じます。
 一つは、大震災で亡くなった方が、震災そのものよりも、付随する津波被害によるものが多かったということでした。太平洋戦争では、直接の戦闘で亡くなった兵士よりも、飢えや疫病で亡くなった兵士が圧倒的に多かったと言われます。いわば戦争に付随するロジスティクス被害と言えましょうか。津波被害を甘く見たことが指摘されますが、まさにロジスティクスの重要性が看過されたことと重なります。
 二つは、原発危機に対して余りに備えがなかったことです。例えば日本は世界に冠たるロボット大国だと思っていましたが、その実、放射線汚染された現場で働くロボットは日本では開発されて来ず、他国から借りて来なければならなかったというニュースに、ショックを受けました。原発は安全だという神話を守り、反対派から付け込まれないために、原発のポテンシャルな危機に対する投資を怠って来たと言う、信じられないほどの感情的な思考停止状態にあったことは、太平洋戦争の戦陣訓を思わせます。「生きて虜囚の辱を受けず」という一節は、多くの軍人・民間人の無駄な討ち死・自殺(特攻・集団自決)の原因となったか否かが議論の中心になっていますが(Wikipedia)、少なくとも、この戦陣訓があるばかりに、「捕虜」となることが想定されず、そのために「捕虜」になった後のことまで教えられず、罪悪感に苛まれつつ投降した敗残兵は、どんな辱めを受けるかと恐れていたら、案に相違して身の安全と日本軍よりよほど豪華な食事を振舞われ、単なる国際法上の「捕虜」としての扱いを受けただけなのに、そうとはつゆ知らずに感謝・感激し、意気に感じて、敵方に貴重な情報を漏らしてしまう例が相次いだと言われます。これもまた「捕虜」をタブー視するばかりに、「捕虜」としての心得(機密保護など)を教えなかった、感情的な思考停止による失態と言えます。
 三つは、原発に関する官邸や東電の発表が、言うまでもなく大本営発表を思わせることです。今頃になって、一号機のメルトダウンのことに、今さらのように言及していますが、一部の週刊誌は、爆発があった三月半ばの時点で既にメルトダウンの可能性に言及していました。原発を管理していた東電が可能性に思い至らなかったはずはありませんが、もはや隠しおおせないところまで来て、小出しにしているのでしょうか。放射線汚染の予測データも、ほとんど公にされることなく、政府によって秘匿されて来たことも知られるところです。政府や東電による事実の公表が少なく、その発表が信用ならないことは、つとに海外のメディアから指摘されてきましたが、日本の信用はガタ落ちです。
 日本は半世紀以上も前の戦争に、何も学んで来なかったのか、それとも日本民族の欠点は直しようがないということか。
コメント
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