大震災では、あらためて自然の威力の凄まじさ・・・地震の揺れもさることながら、津波の脅威・・・に衝撃を受けました。宮古市には「万里の長城」と呼ばれる世界最大規模の巨大防潮堤が建造されていましたし、釜石市は海底の防波堤と海岸の防潮堤とで湾内を守る構造になっていましたが、津波は、人間の所作を嘲笑うかのように、これら構造物をやすやすと乗り越え、あるいは破壊し、街をさらって行きました。それは、車や家を呑み込み、さながら生き物のようでもありました。
「(我欲に走った日本人に)天罰が下った」と語った石原都知事は、宮城県知事から「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、慮った発言をして頂きたい」と不快感を露わにされて謝罪しました。確かに、被災者に向けた発言と取られかねなかったところは不用意でしたし、我欲のどの点をとらえて(天罰が下る)悪事とみなしたか判然としないものの、「天罰」という形容そのものに共感した人は少なくなかったのではないでしょうか。それは、自然の前に(自然と対峙するものとしての文明の主体たる)人間は無力だという、古来からの鉄則です。人々をこのたびの自然の脅威から守ったのが、人工の防波堤や防潮堤ではなく、この高さより低いところに家を建てるなという言い伝え、さらにはそこに示された自然に対する畏れを伝える知恵だったという皮肉なエピソードに象徴されます。
繰り返し放映される映像や文字情報によって、そんな敬虔な気持ちになった首都圏に住まう私たちに、次に襲ったのが電力危機でした。福島原発が停止され電力供給が制限されるという不自由に晒される中で、ある種の思いが芽生えてくるのを禁じ得ませんでした。それは、先ずは、文明社会における“過剰”の問題です。
初めこそ、電話やメールが繋がらないことに苛立ち、電車が動かなくて立ち往生し、エレベーターが止まって立体都市は苦痛を伴うものとなり、行き場のない怒りがこみあげて来たものでした。同じように、初めこそ「計画停電」という、極めて稚拙で乱暴な手法で始まった節電運動に怒りを募らせもしました。しかし、時間が経つにつれ、そうした不自由にまがりなりにも慣れてくると、あらためて私たちの普段の生活が過剰なエネルギーに支えられていることに気づかされました。駅のエスカレーターまで止めてしまったのは、明らかに行き過ぎで、社会的弱者にとって酷なことでしたが、昼間のオフィスの消灯キャンペーンが始まったとき、薄暗くてしみったれた感じが情けなくもあったのはほんの束の間のことで、実際にはパソコン画面とにらめっこする分には問題なく、すぐに慣れたばかりでなく、以前のように灯りを点けると却って眩し過ぎて不快に感じるようになるまで、それほど時間はかかりませんでした。今では、会社のエレベーターの四分の一ほどを間引きし、昼間のオフィスの蛍光灯を強制的に半分取り外しても、全く支障はありません。
そして、過剰を知ると同時に、電気(電力)が現代文明社会にとってこの上もなく必要不可欠な存在である現実をも思い知らされました。オール電化というマンションは愚かな一つの極端ですが、コンピュータがあまねく行きわたり、情報が電子化された高度情報化社会にあっては、もはや電気(電力)は空気や水と同じで、それなしには成り立ち得ません。
文明を推し進める主たる動機は私たちの欲望であり、欲望には常に「もっと」を求めてとどまるところを知らない傾向があります。他方、現代文明を支える主要なインフラの一つは電気(電力)であり、その電気(電力)に限りがあることを知らされたとき、文明の原動力である欲望の限りなきことに、期せずして気づかされたというわけです。極端なことを言えば、電力危機は、私たちの文明社会を続けることが出来るかどうかの危機と同義なわけです。勿論、電気(電力)が少ない、あるいは乏しい、かつてのひもじい生活に戻ることなどもはや出来るわけがありません。しかし、思えば遠くへ来たものですし、行き過ぎた針を少し戻すくらいのことは出来るかもしれない。
振り返れば、日本人が二千年以上もの長きにわたって続けてきた、自然との共生という伝統的な生活様式を捨てたのは、ほんのここ数十年からせいぜいい百数十年のことではないでしょうか。自然とのふれあいを拒むような鉄筋コンクリートの壁や道路に囲まれ、宇宙から眺めれば24時間不夜城のような人工的な街を作り上げ、私たちが築き上げ享受してきた便利な生活は、電気(電力)という、当たり前と思っていたものが当たり前でなくなったときに、いかに脆くも儚いものか。しかしそれが文明というものであり、その文明社会をまがりなりにも生きていくしかない。次回は、そのあたりをもう少し考えてみたいと思います。
(追記 2011/05/29)
恐らく今回の大震災をきっかけにしてのことと思われますが、寺田寅彦氏の災害に関連する論考のアンソロジー「天災と国防」が講談社学術文庫から近々復刻されるようです。「天災は忘れた頃にやって来る」という警句の原典と言われるもので、是非、手に取って読んでみたい。その中で、「日本は・・・(注略)・・・気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである」「ここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす」「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」と指摘しています。事業仕分けで必要な災害関連予算に切り込んだ蓮舫議員に読み聞かせてあげたいですね。昭和9年の論考ですが、昨日、書かれたような慧眼です。因みに本書の解説は、政府の福島原発における事故調査・検証委員会委員長に任命された畑村洋太郎氏だそうです・・・。
「(我欲に走った日本人に)天罰が下った」と語った石原都知事は、宮城県知事から「塗炭の苦しみを味わっている被災者がいることを常に考え、慮った発言をして頂きたい」と不快感を露わにされて謝罪しました。確かに、被災者に向けた発言と取られかねなかったところは不用意でしたし、我欲のどの点をとらえて(天罰が下る)悪事とみなしたか判然としないものの、「天罰」という形容そのものに共感した人は少なくなかったのではないでしょうか。それは、自然の前に(自然と対峙するものとしての文明の主体たる)人間は無力だという、古来からの鉄則です。人々をこのたびの自然の脅威から守ったのが、人工の防波堤や防潮堤ではなく、この高さより低いところに家を建てるなという言い伝え、さらにはそこに示された自然に対する畏れを伝える知恵だったという皮肉なエピソードに象徴されます。
繰り返し放映される映像や文字情報によって、そんな敬虔な気持ちになった首都圏に住まう私たちに、次に襲ったのが電力危機でした。福島原発が停止され電力供給が制限されるという不自由に晒される中で、ある種の思いが芽生えてくるのを禁じ得ませんでした。それは、先ずは、文明社会における“過剰”の問題です。
初めこそ、電話やメールが繋がらないことに苛立ち、電車が動かなくて立ち往生し、エレベーターが止まって立体都市は苦痛を伴うものとなり、行き場のない怒りがこみあげて来たものでした。同じように、初めこそ「計画停電」という、極めて稚拙で乱暴な手法で始まった節電運動に怒りを募らせもしました。しかし、時間が経つにつれ、そうした不自由にまがりなりにも慣れてくると、あらためて私たちの普段の生活が過剰なエネルギーに支えられていることに気づかされました。駅のエスカレーターまで止めてしまったのは、明らかに行き過ぎで、社会的弱者にとって酷なことでしたが、昼間のオフィスの消灯キャンペーンが始まったとき、薄暗くてしみったれた感じが情けなくもあったのはほんの束の間のことで、実際にはパソコン画面とにらめっこする分には問題なく、すぐに慣れたばかりでなく、以前のように灯りを点けると却って眩し過ぎて不快に感じるようになるまで、それほど時間はかかりませんでした。今では、会社のエレベーターの四分の一ほどを間引きし、昼間のオフィスの蛍光灯を強制的に半分取り外しても、全く支障はありません。
そして、過剰を知ると同時に、電気(電力)が現代文明社会にとってこの上もなく必要不可欠な存在である現実をも思い知らされました。オール電化というマンションは愚かな一つの極端ですが、コンピュータがあまねく行きわたり、情報が電子化された高度情報化社会にあっては、もはや電気(電力)は空気や水と同じで、それなしには成り立ち得ません。
文明を推し進める主たる動機は私たちの欲望であり、欲望には常に「もっと」を求めてとどまるところを知らない傾向があります。他方、現代文明を支える主要なインフラの一つは電気(電力)であり、その電気(電力)に限りがあることを知らされたとき、文明の原動力である欲望の限りなきことに、期せずして気づかされたというわけです。極端なことを言えば、電力危機は、私たちの文明社会を続けることが出来るかどうかの危機と同義なわけです。勿論、電気(電力)が少ない、あるいは乏しい、かつてのひもじい生活に戻ることなどもはや出来るわけがありません。しかし、思えば遠くへ来たものですし、行き過ぎた針を少し戻すくらいのことは出来るかもしれない。
振り返れば、日本人が二千年以上もの長きにわたって続けてきた、自然との共生という伝統的な生活様式を捨てたのは、ほんのここ数十年からせいぜいい百数十年のことではないでしょうか。自然とのふれあいを拒むような鉄筋コンクリートの壁や道路に囲まれ、宇宙から眺めれば24時間不夜城のような人工的な街を作り上げ、私たちが築き上げ享受してきた便利な生活は、電気(電力)という、当たり前と思っていたものが当たり前でなくなったときに、いかに脆くも儚いものか。しかしそれが文明というものであり、その文明社会をまがりなりにも生きていくしかない。次回は、そのあたりをもう少し考えてみたいと思います。
(追記 2011/05/29)
恐らく今回の大震災をきっかけにしてのことと思われますが、寺田寅彦氏の災害に関連する論考のアンソロジー「天災と国防」が講談社学術文庫から近々復刻されるようです。「天災は忘れた頃にやって来る」という警句の原典と言われるもので、是非、手に取って読んでみたい。その中で、「日本は・・・(注略)・・・気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである」「ここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である」「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす」「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。」と指摘しています。事業仕分けで必要な災害関連予算に切り込んだ蓮舫議員に読み聞かせてあげたいですね。昭和9年の論考ですが、昨日、書かれたような慧眼です。因みに本書の解説は、政府の福島原発における事故調査・検証委員会委員長に任命された畑村洋太郎氏だそうです・・・。