震災の影響で開催が一ヶ月遅れとなった東京国立博物館・特別展の写楽を見に行って来ました。連休中とは言え暦の上では平日だったので、多少は空いているかと高を括っていたら、年配の方が多くて大盛況、しかも解説のヘッド・セットを借り出して立ち止まって解説をじっくり聞いているものだから、大渋滞を招いていました。
勿論、年配の方々のお気持ちは分からなくはありません。写楽と言えば、1794年から翌95年にかけて僅か10ヶ月の間に145(あるいは146?)点の錦絵作品を出版した後、忽然と姿を消したため、出生地、本名、生没年などが不明であることと併せて、その正体について様々な研究やら憶測がなされて来たからです。現在では、阿波の能役者・斎藤十郎兵衛(1763年?~1820年?)だとする説が有力のようですが(Wikipedia)、今なお疑義を呈する人もいて、謎は謎のまま、まだまだ楽しめそうな気がします。
私はと言えば、写楽の正体に興味がないではありませんが、先ずは解説を聞くより自らの目と肌で感じて・・・解説はその後からでも良いではないかと思います。感じたことを2点紹介します。
一つは、浮世絵のはかなさ、でしょうか。植物性の顔料を用いていて、陽射しや水分に弱いとは解説でも述べられていましたが、今回は欧米の美術館から保存状態が良い作品が取り寄せられて並行展示されているため、普段、私たちが接している浮世絵が如何に色褪せたものか、そして本来の(それでも当時には及ぶべくもないのでしょうが)浮世絵の色の鮮やかさにあらためて驚かされました(とりわけ黄色っぽいところは、褪せているだけで、実は紫色だったとか)。欧米での保存状態の良さは、日本よりも先行して浮世絵が評価された時間差によるものでしょう。中には日本の重要文化財の横に、明らかに保存状態が良い欧米のギャラリー作品が並べられ、何故、こんな色褪せた作品の方が重要文化財なの?と疑問を呈する人もいましたが、さもありなん。モネやゴッホが見た浮世絵は、意匠がそもそも派手な歌舞伎の世界であり、現代の私たちが想像する以上に色鮮やかで、鮮烈な印象を与えたことでしょう。色褪せて枯れた浮世絵こそ浮世絵と思っている現代の私たちには、もはや手が届かない世界です。羨ましいったらありゃしない。博物館の土産品コーナーでは、現代の匠が浮世絵を蘇らせたと言って、鮮やかな色彩の版画に3万円以上の値札をつけていましたが、勿論、その鮮やかな色彩はウソッパチです。今、辛うじて判別出来る色をそのまま鮮やかに復元したに過ぎません。現代の科学は、当時の色彩を再現できないものでしょうか。
もう一つは、写楽のデビュー作で第一期(1794年5月)に区分される大判雲母摺り役者大首絵28図で、その素晴らしさに目を見張りました。正確に言うと、それ以後(第二期の全身像や、相撲絵や、連続した背景の細版など)の作品が別人の作と思えるほどに、この第一期の作品の力強さが際立っているということです。単純明快な曲線は揺るぎなく、顔の表情は当時流行りのただ美しいだけのブロマイドを越えた写実性が備わり、つい引き寄せられます。当時はこうした写実性が却ってアダとなり人気が出なかったために、その後の絵のタッチが変わったと言われ、あるいはまた写楽の正体が、北斎がらみのグループ説、あるいは蔦重工房説と言われる所以でもあります(後で調べたところによると)。
そうは言っても、写楽という画家の名前の生涯作品145の内、ボストン美術館浮世絵名品展で展示中(現在、千葉市美術館)の1作品と、門外不出あるいは行方不明の3作品を除く計141作品が展示され、壮観です。6月12日までやっていますので、是非、足をお運びになっては如何でしょう。
上の写真は、上野公園から見た今日のスカイツリー。
(追伸)
先日、NHKスペシャルで、写楽の正体を追っていました。最近、ギリシャで発見された肉筆画を写楽の真作と鑑定し、あるいはまた写楽が有名絵師かどうかの可能性を否定するところで、その筋の専門家が、どうでもいい部署の描き方にこそ作家の特徴が表れるとして、耳の描き方に着目していたところは、なかなか示唆的で面白かった。なくて七癖とは言われますが、私たちの日々の生活でも、どうでもいい何気ないクセの中にこそ、私たちらしさが表れるものです。
勿論、年配の方々のお気持ちは分からなくはありません。写楽と言えば、1794年から翌95年にかけて僅か10ヶ月の間に145(あるいは146?)点の錦絵作品を出版した後、忽然と姿を消したため、出生地、本名、生没年などが不明であることと併せて、その正体について様々な研究やら憶測がなされて来たからです。現在では、阿波の能役者・斎藤十郎兵衛(1763年?~1820年?)だとする説が有力のようですが(Wikipedia)、今なお疑義を呈する人もいて、謎は謎のまま、まだまだ楽しめそうな気がします。
私はと言えば、写楽の正体に興味がないではありませんが、先ずは解説を聞くより自らの目と肌で感じて・・・解説はその後からでも良いではないかと思います。感じたことを2点紹介します。
一つは、浮世絵のはかなさ、でしょうか。植物性の顔料を用いていて、陽射しや水分に弱いとは解説でも述べられていましたが、今回は欧米の美術館から保存状態が良い作品が取り寄せられて並行展示されているため、普段、私たちが接している浮世絵が如何に色褪せたものか、そして本来の(それでも当時には及ぶべくもないのでしょうが)浮世絵の色の鮮やかさにあらためて驚かされました(とりわけ黄色っぽいところは、褪せているだけで、実は紫色だったとか)。欧米での保存状態の良さは、日本よりも先行して浮世絵が評価された時間差によるものでしょう。中には日本の重要文化財の横に、明らかに保存状態が良い欧米のギャラリー作品が並べられ、何故、こんな色褪せた作品の方が重要文化財なの?と疑問を呈する人もいましたが、さもありなん。モネやゴッホが見た浮世絵は、意匠がそもそも派手な歌舞伎の世界であり、現代の私たちが想像する以上に色鮮やかで、鮮烈な印象を与えたことでしょう。色褪せて枯れた浮世絵こそ浮世絵と思っている現代の私たちには、もはや手が届かない世界です。羨ましいったらありゃしない。博物館の土産品コーナーでは、現代の匠が浮世絵を蘇らせたと言って、鮮やかな色彩の版画に3万円以上の値札をつけていましたが、勿論、その鮮やかな色彩はウソッパチです。今、辛うじて判別出来る色をそのまま鮮やかに復元したに過ぎません。現代の科学は、当時の色彩を再現できないものでしょうか。
もう一つは、写楽のデビュー作で第一期(1794年5月)に区分される大判雲母摺り役者大首絵28図で、その素晴らしさに目を見張りました。正確に言うと、それ以後(第二期の全身像や、相撲絵や、連続した背景の細版など)の作品が別人の作と思えるほどに、この第一期の作品の力強さが際立っているということです。単純明快な曲線は揺るぎなく、顔の表情は当時流行りのただ美しいだけのブロマイドを越えた写実性が備わり、つい引き寄せられます。当時はこうした写実性が却ってアダとなり人気が出なかったために、その後の絵のタッチが変わったと言われ、あるいはまた写楽の正体が、北斎がらみのグループ説、あるいは蔦重工房説と言われる所以でもあります(後で調べたところによると)。
そうは言っても、写楽という画家の名前の生涯作品145の内、ボストン美術館浮世絵名品展で展示中(現在、千葉市美術館)の1作品と、門外不出あるいは行方不明の3作品を除く計141作品が展示され、壮観です。6月12日までやっていますので、是非、足をお運びになっては如何でしょう。
上の写真は、上野公園から見た今日のスカイツリー。
(追伸)
先日、NHKスペシャルで、写楽の正体を追っていました。最近、ギリシャで発見された肉筆画を写楽の真作と鑑定し、あるいはまた写楽が有名絵師かどうかの可能性を否定するところで、その筋の専門家が、どうでもいい部署の描き方にこそ作家の特徴が表れるとして、耳の描き方に着目していたところは、なかなか示唆的で面白かった。なくて七癖とは言われますが、私たちの日々の生活でも、どうでもいい何気ないクセの中にこそ、私たちらしさが表れるものです。