イチローについては、今さら言うことなどありませんが・・・愛工大名電高からオリックスに入団した時はドラフト4位でしたが、3年目の1994年から頭角を現し、7年連続首位打者を獲得、2001年にポスティングシステムでマリナーズに移籍すると、10年連続200安打、2004年には262安打でシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新、2008年に日米通算3000安打に到達、そして一昨日には日米通算4000安打の偉業をまた一つ付け加えました。
イチローの凄さについては、いろいろな人がいろいろなことを語っています。確かに常人からすれば、いろいろな面でずば抜けて優れているため、いろいろと凄いと思えることがあるのでしょう。そういう意味で、彼のどこが凄いと思うか、その理由を聞くことによって、彼自身のことではなくて、彼のことを語る人自身の信念なり人生観のようなものが見えてくると言う、イチローは不思議な素材です。
私は、彼の「自制心」を挙げたい。彼が自分に厳しいことは、誰しも認めるところでしょう。平常心。克己心。似たような言葉がすぐに浮かびます。しかし、今、ピッタリくるのは「自制心」。彼のインタビューをつらつら眺めていて、一番印象に残ったのは、記念すべき4000安打の後の記者会見ではなく、さきほど4001本目の安打を放った後で、「(4000本目と)同じように大事な1本です。だって、昨日の1本が(これまでと)変わらないんだから、そりゃ、変わらないでしょ」と言ってのけられることの凄さでした。実は4000安打の時にも同じように「節目の1本も、それ以外の1本も僕には同じヒットだから」と語っていたようですし、「4000安打を打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきた」と、常人なら必然にせよ偶然にせようまく行った場面を思い浮かべて自己満足に浸るところを、イチローはそうじゃないんだ、やっぱり違うなあ、と驚いた方が多かったと思います。
最近、坊主頭になって、愛犬「一弓(いっきゅう)」(弓子夫人との間で仲良く一字ずつ貰ったんですね)の飼い主に相応しく、ちょっと歳食った「一休さん」風情で、外見も益々野球の求道者然として来ましたが、思い出されるのは、かつてのWBCで、あのイチローでも高揚し、「人並みに」はしゃいだ姿でした。そんな「人並み」を意外に思いつつも、微笑ましく見守ったものでした。もとよりイチローと言えども神ではありませんので、彼の「自制心」を称えつつ、彼が語っているところのどこまでが事実でありどこからが願望なのか、興味のあるところで、多分に世間に公言しながら自分を追い込んでいる、つまりはポーカーフェイスを装いながら高みを目指そうとする今は弱い自分を抱えているようにも見受けられますが、もとより知る由もありません。
そのストイックなまでの「自制心」は、彼自身の言動とともに、彼を評する身近な人の言葉にも接して、思い至ったものでした。オリックス時代に指導した新井宏昌氏(現・広島の打撃コーチ)が次のように語っています(産経新聞の記事を引用)。
(前略)イチローが大リーグで安打を積み重ねることができたのは、パワーに“迎合”しなかったことだ。求めたのは、いかに自分のスピードを生かすかだった。
「そのために体をケアし、体幹を鍛え、体脂肪を増やさない。若いころと同じことをしているぐらいではダメでしょう。でも彼は体形、体脂肪、短距離走のタイムが10年変わらないという。それを維持していることがすごいこと」(後略)
「水戸黄門」でお馴染みだった由美かおるさんも若い頃から体形が変わらないのは、本人の並外れた努力のお陰とは言え、魔女か妖怪かと思っていましたが、イチローも体形が変わらないとは・・・。更に、
(前略)「よく眼から衰えると言いますが、眼からの情報に体を動かす反応が遅れるんです。だから、脚力が衰えると内野安打は減るのかなと。でも、今季のイチローは内野安打が多い。まだまだそんな心配は取り越し苦労ですね」
今年1月の自主トレーニング。彼の腹筋、背筋の目標は1日1万回。それをこともなげにやってのけた。オリックスの選手や他のスポーツ選手がトレーニングに加わることもあるが、その多くは悲鳴を上げたという。さらに、驚嘆させたのはバットだった。
「今もずっとスタイルが変わらないという。サイズ、重さ、バランス。それらがデビューしたころからずっと一緒。彼のように20年以上変わっていないのは、すごいと思う。変えなくてもよい、それだけのコンディションを維持しているということでもあるし、自分の打撃に対する自信の表れでもあるのでしょう」(後略)
この記事ではさらに、変わらないのはプライベートでも同じで、神戸でよく行く店ではいつも同じメニュー、という、イチローらしいとは言えなんとも微笑ましいジョークが続き、イチローが「これは」と思ったことは頑なに守り続ける意思の強さ・・・しかも、美味しいものには目が無くてすぐ目移りしてしまう自分を思うにつけ、愚直なまでの、そういう意味ではちょっと尋常ではない空恐ろしいまでの強さが伝わってきます。同じ記事で、イチローが今シーズンを迎えるにあたって、新井さんのような身近な方に語った言葉の中に、彼の本音、つまり人間イチローの苦悩が垣間見えます。求道者然として近づき難いイチローが、ふと世俗に戻って人間らしさをちらっと見せる、ほっとする瞬間でもあり、こうしたところからも、彼の「自制心」に思いを馳せます。
(前略)「日米通算4千本を、今年のモチベーションとしてやります」。新井氏が今年1月、神戸で食事を共にしたイチローから聞いた言葉だ。
昨季途中、マリナーズから、レギュラーが確約されていないヤンキースに移籍。「勝たなければならない」チームで「役立つプレー」をすることの意義を、その記録に求めたのだ。(後略)
長嶋さんは、「けがが少なく、いつもゲームに出ているからこそ達成できた記録であり、コンディションに細心の注意を払っているイチロー選手の努力のたまものでしょう。常にグラウンドにいることは、最高のファンサービスであり、まさにプロ中のプロといえましょう」と核心を衝くコメントを寄せられました。「ベースボール」の本場アメリカでは、「野球」の日本の記録を合算することに、当然のことながらわだかまりがあり、議論もありますが、ヤンキースの同僚ジーターは、「4千安打がたとえリトル・リーグの記録であれ、今回の記録はイチがいかに安定して活躍をしてきたかを物語っている。通常ではとても難しいことなんだ」と、かばってくれたそうです。継続は力なり、などと、その昔、受験生の頃によく聞かされたものですが、とても自分はその言葉に相応しい努力を続けられなかったことを思うと、しかも加齢とともに体力の衰えを痛感する凡人としては、20歳前後から40歳前後まで21年間、まさに衰える一方の時期に、身体能力を落とさずにアンチ・エイジングを実践していることの難しさを思うと、「ベースボール」や「野球」の違いに拘るのは小さなことのようにも思えてきます。
そんなイチローには、極端に数字が落ちることはないと想定すると、今後2年以内に、大リーグ通算最多の4256安打(あと256本、既にさきほど1本達成)と、メジャー通算3000安打(あと278本)に手が届きます。達成する姿を見たい、と言うより、達成した時のイチローらしい言葉を聞きたいと思います。
イチローの凄さについては、いろいろな人がいろいろなことを語っています。確かに常人からすれば、いろいろな面でずば抜けて優れているため、いろいろと凄いと思えることがあるのでしょう。そういう意味で、彼のどこが凄いと思うか、その理由を聞くことによって、彼自身のことではなくて、彼のことを語る人自身の信念なり人生観のようなものが見えてくると言う、イチローは不思議な素材です。
私は、彼の「自制心」を挙げたい。彼が自分に厳しいことは、誰しも認めるところでしょう。平常心。克己心。似たような言葉がすぐに浮かびます。しかし、今、ピッタリくるのは「自制心」。彼のインタビューをつらつら眺めていて、一番印象に残ったのは、記念すべき4000安打の後の記者会見ではなく、さきほど4001本目の安打を放った後で、「(4000本目と)同じように大事な1本です。だって、昨日の1本が(これまでと)変わらないんだから、そりゃ、変わらないでしょ」と言ってのけられることの凄さでした。実は4000安打の時にも同じように「節目の1本も、それ以外の1本も僕には同じヒットだから」と語っていたようですし、「4000安打を打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきた。それと常に向き合ってきた」と、常人なら必然にせよ偶然にせようまく行った場面を思い浮かべて自己満足に浸るところを、イチローはそうじゃないんだ、やっぱり違うなあ、と驚いた方が多かったと思います。
最近、坊主頭になって、愛犬「一弓(いっきゅう)」(弓子夫人との間で仲良く一字ずつ貰ったんですね)の飼い主に相応しく、ちょっと歳食った「一休さん」風情で、外見も益々野球の求道者然として来ましたが、思い出されるのは、かつてのWBCで、あのイチローでも高揚し、「人並みに」はしゃいだ姿でした。そんな「人並み」を意外に思いつつも、微笑ましく見守ったものでした。もとよりイチローと言えども神ではありませんので、彼の「自制心」を称えつつ、彼が語っているところのどこまでが事実でありどこからが願望なのか、興味のあるところで、多分に世間に公言しながら自分を追い込んでいる、つまりはポーカーフェイスを装いながら高みを目指そうとする今は弱い自分を抱えているようにも見受けられますが、もとより知る由もありません。
そのストイックなまでの「自制心」は、彼自身の言動とともに、彼を評する身近な人の言葉にも接して、思い至ったものでした。オリックス時代に指導した新井宏昌氏(現・広島の打撃コーチ)が次のように語っています(産経新聞の記事を引用)。
(前略)イチローが大リーグで安打を積み重ねることができたのは、パワーに“迎合”しなかったことだ。求めたのは、いかに自分のスピードを生かすかだった。
「そのために体をケアし、体幹を鍛え、体脂肪を増やさない。若いころと同じことをしているぐらいではダメでしょう。でも彼は体形、体脂肪、短距離走のタイムが10年変わらないという。それを維持していることがすごいこと」(後略)
「水戸黄門」でお馴染みだった由美かおるさんも若い頃から体形が変わらないのは、本人の並外れた努力のお陰とは言え、魔女か妖怪かと思っていましたが、イチローも体形が変わらないとは・・・。更に、
(前略)「よく眼から衰えると言いますが、眼からの情報に体を動かす反応が遅れるんです。だから、脚力が衰えると内野安打は減るのかなと。でも、今季のイチローは内野安打が多い。まだまだそんな心配は取り越し苦労ですね」
今年1月の自主トレーニング。彼の腹筋、背筋の目標は1日1万回。それをこともなげにやってのけた。オリックスの選手や他のスポーツ選手がトレーニングに加わることもあるが、その多くは悲鳴を上げたという。さらに、驚嘆させたのはバットだった。
「今もずっとスタイルが変わらないという。サイズ、重さ、バランス。それらがデビューしたころからずっと一緒。彼のように20年以上変わっていないのは、すごいと思う。変えなくてもよい、それだけのコンディションを維持しているということでもあるし、自分の打撃に対する自信の表れでもあるのでしょう」(後略)
この記事ではさらに、変わらないのはプライベートでも同じで、神戸でよく行く店ではいつも同じメニュー、という、イチローらしいとは言えなんとも微笑ましいジョークが続き、イチローが「これは」と思ったことは頑なに守り続ける意思の強さ・・・しかも、美味しいものには目が無くてすぐ目移りしてしまう自分を思うにつけ、愚直なまでの、そういう意味ではちょっと尋常ではない空恐ろしいまでの強さが伝わってきます。同じ記事で、イチローが今シーズンを迎えるにあたって、新井さんのような身近な方に語った言葉の中に、彼の本音、つまり人間イチローの苦悩が垣間見えます。求道者然として近づき難いイチローが、ふと世俗に戻って人間らしさをちらっと見せる、ほっとする瞬間でもあり、こうしたところからも、彼の「自制心」に思いを馳せます。
(前略)「日米通算4千本を、今年のモチベーションとしてやります」。新井氏が今年1月、神戸で食事を共にしたイチローから聞いた言葉だ。
昨季途中、マリナーズから、レギュラーが確約されていないヤンキースに移籍。「勝たなければならない」チームで「役立つプレー」をすることの意義を、その記録に求めたのだ。(後略)
長嶋さんは、「けがが少なく、いつもゲームに出ているからこそ達成できた記録であり、コンディションに細心の注意を払っているイチロー選手の努力のたまものでしょう。常にグラウンドにいることは、最高のファンサービスであり、まさにプロ中のプロといえましょう」と核心を衝くコメントを寄せられました。「ベースボール」の本場アメリカでは、「野球」の日本の記録を合算することに、当然のことながらわだかまりがあり、議論もありますが、ヤンキースの同僚ジーターは、「4千安打がたとえリトル・リーグの記録であれ、今回の記録はイチがいかに安定して活躍をしてきたかを物語っている。通常ではとても難しいことなんだ」と、かばってくれたそうです。継続は力なり、などと、その昔、受験生の頃によく聞かされたものですが、とても自分はその言葉に相応しい努力を続けられなかったことを思うと、しかも加齢とともに体力の衰えを痛感する凡人としては、20歳前後から40歳前後まで21年間、まさに衰える一方の時期に、身体能力を落とさずにアンチ・エイジングを実践していることの難しさを思うと、「ベースボール」や「野球」の違いに拘るのは小さなことのようにも思えてきます。
そんなイチローには、極端に数字が落ちることはないと想定すると、今後2年以内に、大リーグ通算最多の4256安打(あと256本、既にさきほど1本達成)と、メジャー通算3000安打(あと278本)に手が届きます。達成する姿を見たい、と言うより、達成した時のイチローらしい言葉を聞きたいと思います。