風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

NHK籾井さん

2014-02-08 11:44:28 | 時事放談
 ブログ・タイトルで韻を踏んでみました。今日は、時ならぬ大雪で、興に乗って、ちょっと長めのブログです。
 かれこれ二週間前の話になりますが、籾井勝人氏のNHK会長就任記者会見(1/25)が物議を醸しました。従軍慰安婦問題については「どこの国にもあったこと」、尖閣諸島・竹島などの問題については国際放送で「明確に日本の立場を主張するのは当然」「政府が右ということを左というわけにはいかない」などと発言するなど、「政治的中立性を疑われる発言を繰り返した」(朝日新聞)ことが問題視されました。なんだかデジャヴを見るようで・・・如何にも日本維新の会の橋下徹共同代表は「まさに正論。その通り」と、全面的支持を表明されましたが、NHKに寄せられた意見は2月3日夕方までに約1万2300件にのぼり、「政府寄り」といった批判的意見が約6割、「日本の立場をはっきり示した」など肯定的意見は約3割だったそうです。多くのマスコミは、自分たちのことは棚に置いて(と敢えて言います)、寄ってたかって「報道の中立」「公人の立場」を盾に、公共放送の会長としての適格性に疑義を呈しました。
 しかし、どう見ても私には、そそっかしい籾井さんに同情の余地があるとしか思えず、敢えてメディア側を批判したいと思います(今日も、かな)。たとえば、会見の場で、秘密保護法、領土問題、慰安婦問題という、日・中・韓で懸案となり、メディアの記者が飛びつきたくなるようなテーマに関して、記者は次のように畳みかけました(朝日新聞「NHK籾井会長会見の主なやりとり」から抜粋)。

 ――秘密保護法について、NHKスペシャルやクローズアップ現代で取り上げられていない。法律の是非について幅広い意見があり、問題点の追及が必要との指摘もあるが、NHKの伝え方についてどう考えるか
 (籾井)まあ通っちゃったんで、言ってもしょうがないのではと思いますが、僕なりに個人的な意見はないことはないのですが、これは差し控えさせていただければ。
 ――法律が通ったから、これ以上議論を蒸し返すことは必要ないということか
 (籾井)そういう意味ではないですが、一応決まったわけでしょう。それについて、ああだこうだ言ってもしょうがない、と言うわけではない。必要とあれば取り上げますよ。もし本当に世間がいろいろ心配しているようなことが政府の目的であれば大変なことですけど、そういうこともないでしょうし。
 国際問題等々も考えてこれが必要だとの政府の説明ですから、とりあえず受けて様子を見るしかないんじゃないでしょうか。あまり、かっかかっかすることはないと僕は思いますし。昔のような変なことが起こるとも考えにくいですね。

 ――国際放送を強化すると言うが、日本の立場を政府見解をそのまま伝えるのか
 (籾井)民主主義について、はっきりしていることは多数決。みんなのイメージやプロセスもあります。民主主義に対するイメージで放送していけば、政府と逆になるということはありえないのではないかと。議会民主主義からいっても、そういうことはありえないと思います。
 国際放送は多少国内とは違います。尖閣諸島、竹島という領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。時には政府の言うこと、そういうこともあります。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない。国際放送については、そういうニュアンスもあると思います。外交も絡む問題ですし、我々がこう思うからと、勝手にあさってのことをいうわけにはいきません。領土問題については食い違いはない。
 コメントを出すとき、日本が他国のことを中傷したり、非難したりしたことはあんまりありませんよね。政府がそういう中傷のメッセージをだすはずもないですから。ただ、非難することはあるかもしれない。国連においても非難したりしているので。それをやってはいけないということはない。
 ――外国を非難するということ?
 (籾井)日本政府とかけ離れたようなものではあってはならない。日本国を代表する政府ですから。
 ――領土問題で、近隣諸国の考えも伝えることで、国のプロパガンダではない公共放送への理解が得られるのではないか。
 (籾井)それはそうです。外国の放送を見ていますか。それは、聞くに堪えない、見るに堪えない。そういうことをやろうといっているわけではないんです。尖閣が日本の領土であると、なぜ主張しているのかは、もう少し国際的に説明してもいいのではないか。 明治28年にどこの領土でもないと確認した上で、やった。某国は日清戦争で横取りしたというが、国際条約は、その時に作った条約が生きている。そういうことで世界が律さなければならないと思っています。

 ――政府との距離の問題について、2001年の番組改変問題があった。慰安婦を巡る問題についての考えは
 (籾井)コメントを控えたい。いわゆる、戦時慰安婦ですよね。戦時だからいいとか悪いとかいうつもりは毛頭無いが、このへんの問題はどこの国にもあったこと。違いますか。
(この後、放送センター建て替えやスポーツ報道をめぐる質問が続きますが、省略)
 ――先ほどの発言から、慰安婦は戦争していた国すべてにいた、というふうに取れるが
 (籾井)こっちから質問ですけど、韓国だけにあったことだとお思いですか。
 ――どこの国でも、というと、すべての国と取れる
 (籾井)戦争地域ってことですよ。どこでもあったと思いますね、僕は。
 ――何か証拠があってのことなのか
 (籾井)この問題にこれ以上深入りすることはやめたいのですが、いいですか。慰安婦そのものが良いか悪いかと言われれば、今のモラルでは悪いんです。じゃあ、従軍慰安婦はどうだったかと言われると、これはそのときの現実としてあったということなんです。私は慰安婦は良いとは言っていない。ただ、ふたつに分けないと、話はややこしいですよ。従軍慰安婦が韓国だけにあって、他になかったという証拠がありますか?
 言葉尻をとらえてもだめですよ。あなた、行って調べてごらんなさいよ。あったはずですよ。あったんですよ、現実的に。ないという証拠もないでしょう。やっぱり従軍慰安婦の問題を色々うんぬんされると、これはちょっとおかしいんじゃないかという気がしますよ。私、良いといっていませんよ。しかしどう思いますか。日本だけがやっていたようなことを言われて。
 ――他の国にもあったということと、どこの国にもあったということは違う
 (籾井)戦争をしているどこの国にもあったでしょ、ということです。じゃあ、ドイツにありませんでしたか、フランスにありませんでしたか? そんなことないでしょう。ヨーロッパはどこだってあったでしょう。じゃあ、なぜオランダに今ごろまだ飾り窓があるんですか? 議論するつもりはありませんが、私が「どこでもあった」と言ったのは、世界中くまなくどこでもあったと言っているのではなくて、戦争している所では大体そういうものは付きものだったわけですよ。証拠があるかと言われたけれども、逆に僕は、なかったという証拠はどこにあったのか聞きたいですよ。
 僕が今韓国がやっていることで一番不満なのは、ここまで言うのは会長としては言い過ぎですから、会長の職はさておき、さておきですよ、これを忘れないで下さいよ。韓国が、日本だけが強制連行をしたみたいなことを言っているから、話がややこしいですよ。お金寄越せと言っているわけですよ、補償しろと言っているわけですよ。しかしそういうことは全て、日韓条約で国際的には解決しているわけですよ。それをなぜそれを蒸し返されるんですか。おかしいでしょう。そう思いますよ、僕は。

 この後、「『会長としての職はさておいて』というが、ここは会長会見の場だ」と記者に言われて、「失礼しました。じゃあ、全部取り消します」と答えると、「取り消せないですよ」と畳みかけられて、「しつこく質問されたから、答えなきゃいかんと思って答えましたが、会長としては答えられませんので。『会長はさておき』と言ったわけですよ。じゃあ、取り消しますよ。まともな会話ができなくなる。『それはノーコメントです』と、それで済んじゃうじゃないですか。それでよろしいんでしょうか」という、有名なシーンが続きます(長くなると思って省略しましたが、結局、書いてしまいました)。
 因みに上記引用は、朝日新聞の記事からかたまりで抜粋したものなので、やり取りは朝日新聞が報道している通りの内容です。さて、公共放送の会長としてTPOを弁えないという批判は脇に措いておいて、言い分として、どちらがまともでしょうか。記者とのやりとりで、失言に誘導するような悪意を感じないでしょうか(まあ、いつものこですが)。会見後の報道において、発言を部分的に取り上げる、例えば領土問題で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」というところだけを取りあげるのは、正確さ、公正さを欠きはしないでしょうか(これもまあ、いつものことですが)。
 先週末、TBS「サンデーモーニング」は(張本さんのスポーツ・コーナーが終わった後もいつものように漫然と見ていたのですが)、余程、琴線に触れるテーマだったのでしょう、「風を読む」のコーナーで、わざわざこの話題を取り上げ、他のメディアと足並みを揃え、「報道」のあるべき論というタテマエからの月並みな批判を繰り返していました。そもそも、この番組は、改憲をテーマにしたときには、国民の権利を守る側面ばかり主張する人権派弁護士の発言に多くの時間を割き、国のカタチを巡る議論を封じましたし、特定秘密保護法案をテーマにしたときには、わざわざメディア論の大学教授を登場させれば、国民の知る権利を主張するのは理の当然で、(他国から入手した)秘密情報を守るといった本来の狙いである安全保障上の考慮を意図的に閑却するなど、いずれも政府に批判的な姿勢を貫いて来ました。まるで野党の主張を代弁するかのようであり、とても「不偏不党」とは思えないのですが、この番組にとって「報道の中立・公正」とは、目指す意図はともかくとして、結果として体制批判を軸に偏向したもののようです。
 ことほど左様に、メディアによる籾井会長会見批判は、質問によって誘導しておきながら、ご本人がわざわざ「ノーコメント」では困るだろうからとサービス精神で「会長はさておき」「個人的見解」と断って開陳したやや保守的な(そのために政府寄りと思われた)考え方に不満であるというホンネを包み隠して、公共放送の会長という立場として不適切、政治的な中立性に疑義あり、といったタテマエで断罪するものでした。会見は、イジワルな見方をすれば、結局、本人の所信表明を詳らかにする場ではなく、初めから吊し上げるためのストーリーに合わせて質問をぶつけるもののようでした。そして、メディアは、このような会見を演出した上、その通りに正確に報道するならまだしも、意図的に部分だけを取り上げて歪めて報道するという二重の罪を犯し、それが海外のメディアに拾われて、明らかな誤解・曲解が、中・韓だけでなく世界に拡散して行く現状を憂えます。
 J-CASTニュースは次のように伝えています。

(前略)BBCでは、会長発言を伝える中で、「公的資金で運営される放送局として、NHKは政治的に中立であることになっている」とNHKの特徴を紹介した上で、東京特派員が、「新会長の一番最初の会見が非常に政治的な見解で始まったことはショック」とコメント。「NHKの内部では、『新会長人事は、NHKに安倍晋三政権の言うことを聞かせる狙いがある』と言っている」とも伝えた。(後略)

 このようにBBCには、日本の多くのメディアが意図する方向で取り上げられてしまいました。
 最後に公共性について。同じ公共放送として何かと比較の対象になるBBCについて、朝日新聞は以下のように伝えます。

(前略)BBCは受信料収入(年約36億ポンド=約6千億円)と、政府交付金(年約2億5千万ポンド)などで運営される。政権と距離を置いた報道姿勢が内外から支持を得ている。
 英国とアルゼンチンが戦った1982年のフォークランド紛争では、自国軍を「我が軍」ではなく「英軍」と呼び、当時のサッチャー首相を怒らせた。2003年にはイラク戦争の開戦理由をめぐって「英政府が脅威を誇張した」と報じ、当時のブレア政権と激しく対立した。
 この問題では独立調査委員会が「誤報」と断罪、会長と経営委員長の2トップが辞任に追い込まれた。だが、別の調査委が「政府情報にも欠陥があった」と結論づけて「痛み分け」に。メディア専門家の間では報道が公益にかなっていたとの評価が定着している。(後略)

 確かに、BBCには「国民のため」「(よりよき)社会・国家のため」という大義なり思想を背後に感じますが、「偏向した」という形容詞をつけて語られることが多くなった最近のNHKには感じられない場面が増えて来ました。因みに「偏向している」とよく語られる他のメディアも同様で(と、十把一絡げにしては失礼ですが)、いろいろな意見があっていいのですが、一つだけ指摘したいのは、歴史的事実に目を向けず、日本人に自虐的な歴史観を固定化しようと声を荒げる中・韓の主張に常に配慮するかのような姿勢は、日本の伝統・文化の担い手になると言うより、貶めようとしているとしか思えず、社会の絆を強めると言うよりは、むしろ分断しているようなところがあり、結果として日本国の足を引っ張っているのではないかと残念でなりません。日本の進歩的知識人に連なる系譜は、どうしていつもこうなのかと暗澹たる気持ちになるのですが、私の被害妄想でしょうか。そういう意味で、徹頭徹尾「放送法遵守」を主張された(というのは、見ようによっては自己保身の最たるものながら)籾井さんの良識に期待したいと思いますが、あらためて、振り返りのため、公共放送「3つの柱」(ヨーロッパメディア研究所より)を、Wkipediaから抜粋します。

・誰でも好きな番組を自由にみることができること(視聴者に番組をみる自由を提供)
・文化の担い手であって、そこに住む人々の心の絆を強めること
・視聴者との対話を進め、人々に指針を提供することにより、社会の重要な構成要素となること
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