前回のブログでは、メディアを巡る、功罪のうちの主に罪に近い方の話でしたが、最後にもう一度、旅客船事故の話に戻ります。一連の報道を見ていて、感覚的にではありますが、海難救助に不慣れな韓国は、安全管理以前の問題として、海洋国ではなく大陸国なのかもしれないとの印象をもちました(あくまで日本と対比しての話です)。それは恐らく中国においてはなおのことで、海洋大国として台頭しようとしていますが、伝統的な大陸国から方向転換するのは並大抵ではないだろうと想像されます。国境を14の国と接し、その膨大な国境線を守るだけでも大変な労力が必要であり、軍事費も(それから治安維持費も)並大抵ではないはずですが、このあたりは余談で、稿を改めたいと思います。
いずれにしても、こうした大事故の後は、日本にあっては(そして普通の先進国でも)、事故の経緯を検証し、原因を究明し、再発防止策を練り上げ、「仕組み」として取り込むものです。何故なら、事故の「記憶」そのものは時とともに薄れていくからです。日本の安全は、そうした「仕組み」の積み重ねによって担保され、日本人の安心は、そうした人々の取り組みの上に、ひいてはそんな人々の信頼の上に成り立っていると言ってもよいでしょう。
ところで、年末のことでしたが、創業357年の飴店「桂飴本家 養老亭」(京都市西京区)が閉店するとのニュースが報道されました。(売上減などの)金銭的な問題というより、力のいる作業ができなくなった当主の体力の限界が理由だと説明されていましたが、これは極端にしても、日本には創業100年以上の長寿企業(個人・各種法人を含む)が2万6千社に達するそうです(帝国データバンク調べ)。この内、従業員10人未満が62%、年商10億円未満が82%と、比較的小規模な企業が多いようで、なんとなく納得します。また、6年ほど前、韓国銀行が発表した「日本企業の長寿要因および示唆点」と題する報告書によると、世界で創業200年を超える企業は、当時41ヶ国5,586社に及び、実に日本に3,146社(56.3%)が集中し、続いてドイツに837社(15.0%)、オランダに222社(4.0%)、フランスに196社(3.5%)の順となっているそうです。世界最古の企業は、ご存知、金剛組で、創業は西暦578年(!)、2位は甲州西山温泉慶雲館(創業705年)、3位は1千年の湯古まん(創業717年)と、日本企業の独擅場です。因みに韓国に創業200年を超える企業はなく、創業100年を超える企業は辛うじて2社(斗山、東洋薬品工業)あるに留まります。
何故、日本にはこんなに長寿企業が多いのか。いろいろな理由が考えられることでしょう。私が見たその「環境会議」「人間会議」編集部の記事では、「植民地化や長期にわたる内戦などで人や産業が壊滅的な状態にまで追い込まれることがなかった」ことが挙げられていましたが、確かに日本という国体が続き、戦後の一時期を除いて他国・多民族から侵略・支配を受けたことがないのは重要な要件と思います。そのほか、日本の伝統的な中小企業は、目先の利益や浮利を追わず、本業に専念して手堅い経営を行うことが多いように思いますし、地域密着型で、どちらかと言うと儲けを求めるよりも顧客と持ちつ持たれつで永続的な関係を重視することが多いようにも思いますし、競合他社とも何等かの棲み分けを行い共存共栄する知恵もありそうですし、家族経営の企業では、切れ者の番頭さんが仕切っていたり婿に迎えたりして、血縁関係がなくても優秀な人に後を継がせる仕組みがあって、意外にしぶといようにも思います。私がここで言いたいのは、日本の長寿企業は、ただ古いだけではなく、たゆまぬカイゼンによって進化しているのではないかという想定です。代を経るごとに、一ヶ所にとどまることなく、と言うのは、多角化を意味するのではなく、専門とする領域でワザを磨き、あるいは工夫して専門の幅を少しずつ広げるなりして、強くなり(ダーウィンに言わせれば、変化によく対応し)、常にお客様の期待を上回り、驚かせ、感動をお届けする、そんな心掛けをもつ経営者が多いのではないか、それこそが長寿の秘訣ではないかと思う次第です。つまり、小さな成功を積み重ね、あるいは隠し立てすることなく失敗からも学んで、次には失敗しない工夫を凝らし・・・と言った、多かれ少なかれトヨタに見られるような小さなカイゼンの積み重ね、あるいはそれを着実に行う生真面目さや謙虚さや潔さと、東日本大震災で世界に見せつけた譲り合いや相手を思いやる気持ちこそ、日本人のサガでありDNAとでも言うべきものだと思うわけです。
閑話休題。今回の韓国の旅客船事故で、乗客にその場に留まるようアナウンスが繰り返されたのは、救命ボートがワイヤーで固定されたままで(ということもビデオ映像から明らかになりました)、転覆しても機能しないことを知っていたからではないか、といった穿った報道もあるようですが、なんだか悲しい話です。韓国にあっても、死亡や行方不明で302人に達する犠牲者を弔うためにも、隠し立てされることなく、謙虚に真実が詳らかにされ、再発防止の取り組みが真摯に行われることを、ただ祈念するものです。
いずれにしても、こうした大事故の後は、日本にあっては(そして普通の先進国でも)、事故の経緯を検証し、原因を究明し、再発防止策を練り上げ、「仕組み」として取り込むものです。何故なら、事故の「記憶」そのものは時とともに薄れていくからです。日本の安全は、そうした「仕組み」の積み重ねによって担保され、日本人の安心は、そうした人々の取り組みの上に、ひいてはそんな人々の信頼の上に成り立っていると言ってもよいでしょう。
ところで、年末のことでしたが、創業357年の飴店「桂飴本家 養老亭」(京都市西京区)が閉店するとのニュースが報道されました。(売上減などの)金銭的な問題というより、力のいる作業ができなくなった当主の体力の限界が理由だと説明されていましたが、これは極端にしても、日本には創業100年以上の長寿企業(個人・各種法人を含む)が2万6千社に達するそうです(帝国データバンク調べ)。この内、従業員10人未満が62%、年商10億円未満が82%と、比較的小規模な企業が多いようで、なんとなく納得します。また、6年ほど前、韓国銀行が発表した「日本企業の長寿要因および示唆点」と題する報告書によると、世界で創業200年を超える企業は、当時41ヶ国5,586社に及び、実に日本に3,146社(56.3%)が集中し、続いてドイツに837社(15.0%)、オランダに222社(4.0%)、フランスに196社(3.5%)の順となっているそうです。世界最古の企業は、ご存知、金剛組で、創業は西暦578年(!)、2位は甲州西山温泉慶雲館(創業705年)、3位は1千年の湯古まん(創業717年)と、日本企業の独擅場です。因みに韓国に創業200年を超える企業はなく、創業100年を超える企業は辛うじて2社(斗山、東洋薬品工業)あるに留まります。
何故、日本にはこんなに長寿企業が多いのか。いろいろな理由が考えられることでしょう。私が見たその「環境会議」「人間会議」編集部の記事では、「植民地化や長期にわたる内戦などで人や産業が壊滅的な状態にまで追い込まれることがなかった」ことが挙げられていましたが、確かに日本という国体が続き、戦後の一時期を除いて他国・多民族から侵略・支配を受けたことがないのは重要な要件と思います。そのほか、日本の伝統的な中小企業は、目先の利益や浮利を追わず、本業に専念して手堅い経営を行うことが多いように思いますし、地域密着型で、どちらかと言うと儲けを求めるよりも顧客と持ちつ持たれつで永続的な関係を重視することが多いようにも思いますし、競合他社とも何等かの棲み分けを行い共存共栄する知恵もありそうですし、家族経営の企業では、切れ者の番頭さんが仕切っていたり婿に迎えたりして、血縁関係がなくても優秀な人に後を継がせる仕組みがあって、意外にしぶといようにも思います。私がここで言いたいのは、日本の長寿企業は、ただ古いだけではなく、たゆまぬカイゼンによって進化しているのではないかという想定です。代を経るごとに、一ヶ所にとどまることなく、と言うのは、多角化を意味するのではなく、専門とする領域でワザを磨き、あるいは工夫して専門の幅を少しずつ広げるなりして、強くなり(ダーウィンに言わせれば、変化によく対応し)、常にお客様の期待を上回り、驚かせ、感動をお届けする、そんな心掛けをもつ経営者が多いのではないか、それこそが長寿の秘訣ではないかと思う次第です。つまり、小さな成功を積み重ね、あるいは隠し立てすることなく失敗からも学んで、次には失敗しない工夫を凝らし・・・と言った、多かれ少なかれトヨタに見られるような小さなカイゼンの積み重ね、あるいはそれを着実に行う生真面目さや謙虚さや潔さと、東日本大震災で世界に見せつけた譲り合いや相手を思いやる気持ちこそ、日本人のサガでありDNAとでも言うべきものだと思うわけです。
閑話休題。今回の韓国の旅客船事故で、乗客にその場に留まるようアナウンスが繰り返されたのは、救命ボートがワイヤーで固定されたままで(ということもビデオ映像から明らかになりました)、転覆しても機能しないことを知っていたからではないか、といった穿った報道もあるようですが、なんだか悲しい話です。韓国にあっても、死亡や行方不明で302人に達する犠牲者を弔うためにも、隠し立てされることなく、謙虚に真実が詳らかにされ、再発防止の取り組みが真摯に行われることを、ただ祈念するものです。