テニス界で、記録を残した日本人として記憶に残る選手として、世界ランク1位のグラフを破った伊達公子が先ず浮かびます。調べてみると、今から18年前、1996年のフェドカップのことでした。当時、ボストンに滞在していて、NHK衛星すら見ることが出来ず、現地の番組表を見ながら“Date”(デートじゃありません)の名前を見つけて、喜び勇んでテレビ観戦したのを思い出します。その翌年の同じ大会だったと思いますが、ボストン郊外のテニス・コートまで観戦に行きました。その時の日本人トップ選手は杉山愛で、ほかに沢松奈生子がいて、相手コーチにナブラチロワを見かけた記憶があります。ボストン日本人会の活動をしていた知人は、かいがいしくお握りなどの差し入れをして選手からサインを貰ったりしていたものですが、我が家は1歳の乳飲み子を抱えて、退屈する子供をあやしながら、子守り半分、観戦半分、疲れて会場を後にするところで、同じく会場を後にする杉山愛の乗った車にばったり出会いました。アメリカの片田舎で、ちぎれるほど手を振る日本人の私に気が付いて、手を振り返してくれて、と~っても感動していたら、家内が、あら、手を振っていたのは子供に対してよ、と・・・。
伊達公子が世界ランク4位まで駆け上ったのは1995年のことであり、杉山愛が8位になったのは2004年のことでした。男子は、熱血・松岡修造が、ウィンブルドンで日本人男子として62年振りにベスト8に進出したのが、伊達公子の世界ランク4位と同じ年で、話題を呼びましたが、世界ランクは46位(1992年)に留まりました。
先週、錦織圭は、マドリッド・オープン決勝でナダルと対戦し、第一セットを6-2で奪い、第二セットも後2ゲーム奪えば頂点を狙えるところまで追いつめながら結果として4-6で落とし、迎えた第3セットを0-3とリードされたところで、臀部等の痛みのため惜しくも棄権し、準優勝に終わりましたが、決勝進出が決まった12日に発表された世界ランキングで、ついに9位に浮上しました。昨年6月に11位と迫っていて、時間の問題とされていたものですが、日本人男子プロとして初のトップ10入りには感慨深いものがあります。
錦織圭の場合、身長178センチ、体重74キロと、一般よりは十分に大きいですがテニス選手としては小柄のため、無理をするせいか常にケガの心配があるわけですが、今季は「ストロークの安定感」と「サーブの向上」の点で成長したと、本人自身が語っているようです。「ストロークは単に安定しているだけでなく、早いタイミングで捕えて強打を鋭角に打ち分けてなお、ミスを犯さぬ安定感がある」(内田暁氏)ようですし、サーブ改善の最大功労者として、錦織圭自身、新たにコーチに迎えた元全仏王者のマイケル・チャンを挙げ、実際に「戦術の幅」が広がったと評判のようです。また、「バウンド後に大きくサイドに逃げていくスライス・サーブも、今季は錦織圭の危機を何度も救ってきた生命線。錦織の関係者が『チャンも錦織と似た身長なので、打点や打つコースの指摘が合っているのだろう』と語っている」そうです(内田暁氏)。
こう見えて(どう見える?)小学生の頃はリトルリーグ相手に、自分たちだけでコーチを互選しながら手造り野球チームでしのぎを削り、中学生の頃は軟式でしたがテニス部に所属し、高校生の頃は有り余る若いエネルギーを(結果として余計なところに向かうことなく)中距離を専門とする陸上に注ぎ、大学では同好会でしたがゴルフに興じていた私としては、二番目に目覚めた(?)スポーツであり、今なお、その経験した順番通りにスポーツに興味があって、最近の錦織圭の活躍には目を奪われますし目を見張ります。2週間前のバルセロナ・オープンでは優勝しましたし、3月のソニー・オープンではフェデラーを破りベスト4に進出したのが記憶に新しい。そして今回は、12日に発表された世界ランク1位のナダルとも互角にわたりあい、そのナダルをして「今季はこれまでのキャリアで最高のレベルにいるように思う。けがが深刻ではなく、全仏オープンに出られることを祈っている」と言わしめました。本人は「(トップ10は)目標だったのでうれしいけど、1週入っただけでは意味がない。1年通して、いられるようにしたい」と語り、今後ますます体力をつけ、世界を舞台に活躍する姿をワクワク見続けたいものです。
伊達公子が世界ランク4位まで駆け上ったのは1995年のことであり、杉山愛が8位になったのは2004年のことでした。男子は、熱血・松岡修造が、ウィンブルドンで日本人男子として62年振りにベスト8に進出したのが、伊達公子の世界ランク4位と同じ年で、話題を呼びましたが、世界ランクは46位(1992年)に留まりました。
先週、錦織圭は、マドリッド・オープン決勝でナダルと対戦し、第一セットを6-2で奪い、第二セットも後2ゲーム奪えば頂点を狙えるところまで追いつめながら結果として4-6で落とし、迎えた第3セットを0-3とリードされたところで、臀部等の痛みのため惜しくも棄権し、準優勝に終わりましたが、決勝進出が決まった12日に発表された世界ランキングで、ついに9位に浮上しました。昨年6月に11位と迫っていて、時間の問題とされていたものですが、日本人男子プロとして初のトップ10入りには感慨深いものがあります。
錦織圭の場合、身長178センチ、体重74キロと、一般よりは十分に大きいですがテニス選手としては小柄のため、無理をするせいか常にケガの心配があるわけですが、今季は「ストロークの安定感」と「サーブの向上」の点で成長したと、本人自身が語っているようです。「ストロークは単に安定しているだけでなく、早いタイミングで捕えて強打を鋭角に打ち分けてなお、ミスを犯さぬ安定感がある」(内田暁氏)ようですし、サーブ改善の最大功労者として、錦織圭自身、新たにコーチに迎えた元全仏王者のマイケル・チャンを挙げ、実際に「戦術の幅」が広がったと評判のようです。また、「バウンド後に大きくサイドに逃げていくスライス・サーブも、今季は錦織圭の危機を何度も救ってきた生命線。錦織の関係者が『チャンも錦織と似た身長なので、打点や打つコースの指摘が合っているのだろう』と語っている」そうです(内田暁氏)。
こう見えて(どう見える?)小学生の頃はリトルリーグ相手に、自分たちだけでコーチを互選しながら手造り野球チームでしのぎを削り、中学生の頃は軟式でしたがテニス部に所属し、高校生の頃は有り余る若いエネルギーを(結果として余計なところに向かうことなく)中距離を専門とする陸上に注ぎ、大学では同好会でしたがゴルフに興じていた私としては、二番目に目覚めた(?)スポーツであり、今なお、その経験した順番通りにスポーツに興味があって、最近の錦織圭の活躍には目を奪われますし目を見張ります。2週間前のバルセロナ・オープンでは優勝しましたし、3月のソニー・オープンではフェデラーを破りベスト4に進出したのが記憶に新しい。そして今回は、12日に発表された世界ランク1位のナダルとも互角にわたりあい、そのナダルをして「今季はこれまでのキャリアで最高のレベルにいるように思う。けがが深刻ではなく、全仏オープンに出られることを祈っている」と言わしめました。本人は「(トップ10は)目標だったのでうれしいけど、1週入っただけでは意味がない。1年通して、いられるようにしたい」と語り、今後ますます体力をつけ、世界を舞台に活躍する姿をワクワク見続けたいものです。