ベトナムと中国の双方が権利を主張する南シナ海のパラセル(中国名・西沙)諸島周辺で、中国が海底資源の掘削作業を始めると通告したのは5月3日のことでしたが、7日には中国海警の船舶とベトナム海上警察の船舶が衝突する事態に至りました。1974年に中国が同諸島の実効支配を開始してから初めてのことです。可愛い顔をして平気できついことを言う中国外務省の華春瑩副報道局長は、9日の記者会見で、日・米などが中国側の行動に懸念を示したことに対して「いかなる国も妨害したり、あれこれ言ったりする権利はない」と反発しましたが、まだ外国人記者を目の前にして慎みがあります。中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は、同じ日の社説で、「南シナ海でのベトナム、フィリピンとの対立について『中国はグローバルな舞台に立つ大国だ』とした上で『小国が勝手に中国の権利を侵害するならこの舞台に立ち続けることができない』」(産経Web)などと、大国意識を露わにして威嚇しました。もはや南シナ海を確保するためには実力行使を辞さない、いわば牙を剥いた中国の姿がいよいよ白日のもとに晒されたわけです。
中国と国境を接するベトナムでは、古来、中国との紛争が絶えず、ベトナム戦争以後も何度か武力衝突が発生しました。ベトナムの戦略は「民族の誇りと国土を守るために侵略軍に対して徹底抗戦し、自らの血と引き換えに侵略軍にも多大の出血を強いてやがては撤退させるという捨て身の徹底抗戦戦略に特徴がある」(サン・ディエゴ在住、戦争平和社会学者を自称する北村淳氏)とされ、実際にこの戦略によってベトナム戦争では米軍を撃退しましたし、中越戦争でも、ベトナム軍は、兵力数や戦車などの火力数で中国・人民解放軍に圧倒的に劣勢にありながら、ベトナム戦争で米軍相手に戦った百戦錬磨の民兵軍を中心として極めて屈強な上に国土防衛意識に燃えて士気が高く、中国軍を見事に撃退しました。
このあたり、まさに韓国同様、中国と地続きで、「丁(Dinh)王朝が966年に初めて独立王朝を成立させるまで、ベトナムは約1000年にわたり中国の支配下にあり」(ベトナム在住、コンサルタント細野恭平氏)、「19世紀後半にフランスの植民地支配が始まるまで、中国との戦いの歴史であった」(同)地理的な特性によるのでしょう。「フランスや日本の支配はせいぜい数十年だが、中国は1000年居座る」と言って、ベトナム人は中国への警戒感を表現するように、反中国感情は格別のようです。
従い、ベトナムとしては、パラセル諸島などを巡る中国との領有権紛争が武力衝突に発展した際には、「強大な中国軍にある程度は反撃を加えて手痛い損害を与えるだけの海洋戦力を保持することによって、対中抑止効果を期待し」(北村淳氏)、国防費予算では日本の18分の1程度の規模にも係らず、「第4.5世代戦闘機と言われているロシア製スホイ30MK2を36機(日本はF-2を88機)装備し、高性能潜水艦であるロシア製キロ636型潜水艦を6隻(日本は16隻)保有」(同)するなど、数年前から軍事力とりわけ海洋戦力の強化に取り組んで来たわけです。先に述べたように肝の座ったベトナムですから、いくら中国と言えども、小競り合いはしても、おいそれと全面衝突は出来ない。
南シナ海と東シナ海という、中国にとっての「核心的利益」の戦略性の違いがあるにせよ、また日本は、日本海に阻まれ、歴史上、中国と仲良くした時期の方が稀で、極めて恵まれた環境にあったにせよ、ベトナム、また同じようにスプラトリー(中国名・南沙)諸島で領有権を争うフィリピンの大統領はNY Timesで中国をナチスに譬えて非難し、領有権を巡って国際司法裁判所への提訴を準備するなど、緊張感をもって対決姿勢を強めるのと対照的で、日本及び日本国民の「ゆるさ」が気になります。
かねて「サンデーモーニング」の偏向振りには眉を顰めてきましたが、日曜日の朝、寝ぼけまなこで張本さんの言いたい放題のスポーツ・コーナーを楽しんだ後、ぼんやりチャネルを変えないでいると、ここ数週間、憲法改正特集「考・憲法」のコーナーが始まります。先週・先々週と、現・日本国憲法は「押しつけ?」「古い・・・?」といった批判を検証していたときにも、批判を展開するのが学者であるのに対して、反対派には何故か映画監督を起用し、論理を超えたところの情に訴えることに違和感を覚えていました。日本国の国策を検証しようとしている時に、孫を戦争に行かせたくないと訴える、戦争を経験したと自信満々のおばあちゃんの論理と言うよりは情、あるいは平和がいいとしみじみ語るおばちゃんの気分で、世論を誘導し、押し切ってしまおうとする勢いなのです。今週は「中国・北朝鮮の脅威?」というテーマで、かつて「抑止力」は理解できていなかったと白状した総理大臣がいてたまげたものでしたが、さすがに番組では、さぞ建設的な議論が展開されるであろうと期待したところ、「抑止力」の中身の検証が必要と指摘するところまでは良かったものの、耳に心地よいから要注意などと捨て台詞のように言い出す始末で、現実の危機として海洋進出を図る中国との紛争で苦悩するベトナムやフィリピンのことはまるで他人事、北朝鮮の核開発もどこ吹く風・・・といった浮世離れした風情なのです。
最近、脚光を浴びている個別的自衛権のグレーゾーン対応の問題や、集団的自衛権は、勿論、憲法解釈という小手先の閣議決定だけで良いのかという批判はあり、なるほどその通りではありますが、既に憲法解釈が何度か変わって来た現実とどう折り合いをつけるのか。そもそも憲法解釈というシロモノが不思議で、憲法はそんなに曖昧なものなのか。それなら憲法が許す範囲で、解釈は政府による運用の方針と言えなくもないのではないか。その場合、政権交代毎に運用が変わって困ったことになりはしないかと懸念する声がありますが、国家の安全保障が政権交代の度にひっくり返る方こそ困りモノであって、その意味ではどうも日本固有の特殊な事情、端的に異常な状況にあるのではないかと思ってしまいます。やはり「備え」(法的整備だけでなく防衛上の装備も)がなければ「安全保障」にはならない以上、「備え」はしなければならない。でも平和な日本にあって好んで戦争を仕掛けたい人は殆どいないわけで、実際の「運用」は別に法で厳格に定める、というのが法治国家のあるべき姿であり、国民が選ぶ政治家に最終判断させることがシビリアン・コントロールであって、普通の国家のありようなわけで、そちらの方の議論を尽くすことがより重要だと思うのですが、どうして「備え」もないまま、入口のところでつっかえてしまって平気なのか、不思議でなりません。
武力をもたないと憲法で謳いながら自衛隊という立派な軍隊をもち、それでも専守防衛と宣言したものだから空母は持つことが出来ず(だけどイージス艦にヘリを搭載するくらいならいいだろう)、それでまともに日本を救えるのでしょうか? 迎撃ミサイルの実効性は甚だ怪しい。急迫不正な攻撃を受けない限り武力反撃ができない状況で、自衛官を海外派遣しながら手枷・足枷を強いたままで良いのでしょうか。いくら平和を叫び、憲法改正に反対しようと、そこに痛みを感じない日本人を、私はどうも信用できません。こういった歪みはさっさと解消した方が良いし、もっと冷静に大人の議論をするべきではないかと思うのですが、どうでしょうか。逆に、個別的・集団的自衛権なしに、どうやったらこの国を、つまり国の領土と国民の生命や財産を守れるのか、説得力のある説明を聞きたいくらいです。
さて、日本の置かれた安全保障環境に戻りますと、「欧米の大国にはおもねりながら、近隣の小国には見下した恫喝を行う。外から見える中国は実に卑屈な存在なのだが、不思議なことにご本人は決してそうは思っていない」という、元・外交官の宮家邦彦氏の言葉をかみしめたいと思います(次回以降につづく)。
中国と国境を接するベトナムでは、古来、中国との紛争が絶えず、ベトナム戦争以後も何度か武力衝突が発生しました。ベトナムの戦略は「民族の誇りと国土を守るために侵略軍に対して徹底抗戦し、自らの血と引き換えに侵略軍にも多大の出血を強いてやがては撤退させるという捨て身の徹底抗戦戦略に特徴がある」(サン・ディエゴ在住、戦争平和社会学者を自称する北村淳氏)とされ、実際にこの戦略によってベトナム戦争では米軍を撃退しましたし、中越戦争でも、ベトナム軍は、兵力数や戦車などの火力数で中国・人民解放軍に圧倒的に劣勢にありながら、ベトナム戦争で米軍相手に戦った百戦錬磨の民兵軍を中心として極めて屈強な上に国土防衛意識に燃えて士気が高く、中国軍を見事に撃退しました。
このあたり、まさに韓国同様、中国と地続きで、「丁(Dinh)王朝が966年に初めて独立王朝を成立させるまで、ベトナムは約1000年にわたり中国の支配下にあり」(ベトナム在住、コンサルタント細野恭平氏)、「19世紀後半にフランスの植民地支配が始まるまで、中国との戦いの歴史であった」(同)地理的な特性によるのでしょう。「フランスや日本の支配はせいぜい数十年だが、中国は1000年居座る」と言って、ベトナム人は中国への警戒感を表現するように、反中国感情は格別のようです。
従い、ベトナムとしては、パラセル諸島などを巡る中国との領有権紛争が武力衝突に発展した際には、「強大な中国軍にある程度は反撃を加えて手痛い損害を与えるだけの海洋戦力を保持することによって、対中抑止効果を期待し」(北村淳氏)、国防費予算では日本の18分の1程度の規模にも係らず、「第4.5世代戦闘機と言われているロシア製スホイ30MK2を36機(日本はF-2を88機)装備し、高性能潜水艦であるロシア製キロ636型潜水艦を6隻(日本は16隻)保有」(同)するなど、数年前から軍事力とりわけ海洋戦力の強化に取り組んで来たわけです。先に述べたように肝の座ったベトナムですから、いくら中国と言えども、小競り合いはしても、おいそれと全面衝突は出来ない。
南シナ海と東シナ海という、中国にとっての「核心的利益」の戦略性の違いがあるにせよ、また日本は、日本海に阻まれ、歴史上、中国と仲良くした時期の方が稀で、極めて恵まれた環境にあったにせよ、ベトナム、また同じようにスプラトリー(中国名・南沙)諸島で領有権を争うフィリピンの大統領はNY Timesで中国をナチスに譬えて非難し、領有権を巡って国際司法裁判所への提訴を準備するなど、緊張感をもって対決姿勢を強めるのと対照的で、日本及び日本国民の「ゆるさ」が気になります。
かねて「サンデーモーニング」の偏向振りには眉を顰めてきましたが、日曜日の朝、寝ぼけまなこで張本さんの言いたい放題のスポーツ・コーナーを楽しんだ後、ぼんやりチャネルを変えないでいると、ここ数週間、憲法改正特集「考・憲法」のコーナーが始まります。先週・先々週と、現・日本国憲法は「押しつけ?」「古い・・・?」といった批判を検証していたときにも、批判を展開するのが学者であるのに対して、反対派には何故か映画監督を起用し、論理を超えたところの情に訴えることに違和感を覚えていました。日本国の国策を検証しようとしている時に、孫を戦争に行かせたくないと訴える、戦争を経験したと自信満々のおばあちゃんの論理と言うよりは情、あるいは平和がいいとしみじみ語るおばちゃんの気分で、世論を誘導し、押し切ってしまおうとする勢いなのです。今週は「中国・北朝鮮の脅威?」というテーマで、かつて「抑止力」は理解できていなかったと白状した総理大臣がいてたまげたものでしたが、さすがに番組では、さぞ建設的な議論が展開されるであろうと期待したところ、「抑止力」の中身の検証が必要と指摘するところまでは良かったものの、耳に心地よいから要注意などと捨て台詞のように言い出す始末で、現実の危機として海洋進出を図る中国との紛争で苦悩するベトナムやフィリピンのことはまるで他人事、北朝鮮の核開発もどこ吹く風・・・といった浮世離れした風情なのです。
最近、脚光を浴びている個別的自衛権のグレーゾーン対応の問題や、集団的自衛権は、勿論、憲法解釈という小手先の閣議決定だけで良いのかという批判はあり、なるほどその通りではありますが、既に憲法解釈が何度か変わって来た現実とどう折り合いをつけるのか。そもそも憲法解釈というシロモノが不思議で、憲法はそんなに曖昧なものなのか。それなら憲法が許す範囲で、解釈は政府による運用の方針と言えなくもないのではないか。その場合、政権交代毎に運用が変わって困ったことになりはしないかと懸念する声がありますが、国家の安全保障が政権交代の度にひっくり返る方こそ困りモノであって、その意味ではどうも日本固有の特殊な事情、端的に異常な状況にあるのではないかと思ってしまいます。やはり「備え」(法的整備だけでなく防衛上の装備も)がなければ「安全保障」にはならない以上、「備え」はしなければならない。でも平和な日本にあって好んで戦争を仕掛けたい人は殆どいないわけで、実際の「運用」は別に法で厳格に定める、というのが法治国家のあるべき姿であり、国民が選ぶ政治家に最終判断させることがシビリアン・コントロールであって、普通の国家のありようなわけで、そちらの方の議論を尽くすことがより重要だと思うのですが、どうして「備え」もないまま、入口のところでつっかえてしまって平気なのか、不思議でなりません。
武力をもたないと憲法で謳いながら自衛隊という立派な軍隊をもち、それでも専守防衛と宣言したものだから空母は持つことが出来ず(だけどイージス艦にヘリを搭載するくらいならいいだろう)、それでまともに日本を救えるのでしょうか? 迎撃ミサイルの実効性は甚だ怪しい。急迫不正な攻撃を受けない限り武力反撃ができない状況で、自衛官を海外派遣しながら手枷・足枷を強いたままで良いのでしょうか。いくら平和を叫び、憲法改正に反対しようと、そこに痛みを感じない日本人を、私はどうも信用できません。こういった歪みはさっさと解消した方が良いし、もっと冷静に大人の議論をするべきではないかと思うのですが、どうでしょうか。逆に、個別的・集団的自衛権なしに、どうやったらこの国を、つまり国の領土と国民の生命や財産を守れるのか、説得力のある説明を聞きたいくらいです。
さて、日本の置かれた安全保障環境に戻りますと、「欧米の大国にはおもねりながら、近隣の小国には見下した恫喝を行う。外から見える中国は実に卑屈な存在なのだが、不思議なことにご本人は決してそうは思っていない」という、元・外交官の宮家邦彦氏の言葉をかみしめたいと思います(次回以降につづく)。