風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

体操ニッポン復活の世代論

2015-10-31 00:29:41 | スポーツ・芸能好き
 日経一面にスポーツ記事が掲載されることは滅多にない。昨日の夕刊にやや下の方の囲み記事ながら写真入りで「37年ぶり『金』」の文字が、同スポーツ欄には「体操ニッポン復活」の大きな文字が躍った。体操の世界選手権・男子団体での優勝である。今朝の日経スポーツ欄には「エース内村 実った執念」とあった。世界選手権に、オリンピックを含めても、2004年のアテネ五輪での優勝を最後に、常に中国の後塵を拝して、2位以下に甘んじてきて、内村航平をして「団体の金メダルしか見ていない」とまで言わしめた、悲願の優勝だった。
 昨年の同大会では最後の最後に中国に抜かれ、0.1点差で敗れた。今年は、最後の最後に、内村は鉄棒の演技中、地元英国の最終演技者の得点が出て、割れんばかりの大歓声が会場を包み込んだところで、手元が微妙に狂ったのか、カッシーナでバーを掴み損ねて落下するアクシデントがあり、気を揉んだようだ。
 注目したのは、演技後、「冨田さんみたいに決めたかった」と内村が答えたことだった。彼なりのこだわりには違いないが、昨日の日経夕刊では、11年前(15歳の内村少年は)冨田洋之が伸身の新月面で締めたアテネ五輪金メダルを見て団体優勝に憧れた、と解説されていた。内村の一学年下の田中佑典もまた、競技を続けるかどうかで悩んでいて、アテネ五輪の金に触発されて続行を決意したらしいし、萱和磨に至っては、当時7歳で、本格的に体操を始めたらしい。11年の時を経て、体操少年たちが「夢よもう一度」を現実のものにしたという因縁と言うべきなのか、その世代論を興味深く思う。
 因みに私の記憶の中でオリンピックと言えば、似たような年代の頃に見たミュンヘン五輪が最初であり、やはり印象に残っている。田口信教や青木まゆみの水泳陣や男子バレーの活躍とともに、体操男子は、史上最強メンバーと言われた加藤沢男、中山彰規、監物永三、塚原光男、笠松茂らを擁し、ライバル・ソ連に大差をつけてオリンピック団体4連覇を果たしたのだった。このとき、団体に加えて、個人総合(加藤)、平行棒(加藤)、鉄棒(月面宙返りの塚原)、つり輪(中山)で計5個の金メダルを獲得したほか、個人総合(加藤・監物・中山)、平行棒(加藤・笠松・監物)、鉄棒(塚原・加藤・笠松)では金・銀・銅を独占するなど、体操だけで実に計16個ものメダルを獲得し、体操ニッポンの黄金時代を築き上げた。この雄姿を見た私は体操を始めようとは思わなかったが。
 そうは言っても刷り込みがあるので、内村航平の目覚ましい活躍には心躍るものがあったし、この団体総合優勝によって、いよいよ黄金時代に近づきつつあるとの感慨がある。残るは個人総合で内村の6連覇を期待したい。
コメント
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