風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中国・落穂拾い

2015-12-10 00:00:07 | 永遠の旅人
 北京では昨日から再び大気汚染が深刻で、2013年10月に警報システムが試行・導入されてから初めて最も重い1級(赤色)警報が、昨日に続いて今日も発令中のようである。北京の小学校は休校だったようだし、市中心部の天安門広場を警備する武装警察はマスク姿で巡回に当たり、日本の侵略に反対した1935年の学生運動「一二・九運動」から80年の折角の記念行事も、屋外活動は大気汚染のため中止に追い込まれるなど、影響が徐々に広がっている。
 私が先週、上海経由で西安を訪問するちょっと前、11月末から12月初にも、北京ではこの冬最悪の大気汚染が報じられ、北京経由にしなくて良かったと安堵したものだった。それでも上海でも薄っすらと曇っていたのは、風の影響でやはりPM2.5が運ばれて来るのだと聞いたが、もとより北京の比ではない。
 逆に北京では風の影響で大気汚染が和らぐものらしい。ネットでは「政府ではなく風が頼り」だとか「かつては雨乞いをしたが、今は風乞いが必要だ」などと言った書き込みで溢れているらしい。上手いものである。さらにストレートな批判は削除される可能性があるため“褒め殺し”の書き込みも溢れていて、「この汚染でみな65歳以上は生きられないだろう。これで年金問題も解決だ」とか「改革開放の成果は平等に得られなかったが、大気汚染は人々にとって平等だ」さらには「大気汚染は公平だ。首都にいる人間はみな被害者。預金額や所有不動産、戸籍で差別されることはない」など、実に風刺が効いている。
 今日の昼食時、同僚とそんな彼の地の大気汚染の話に及んで、そう言えば中学校の校歌には黒い煙(静岡)とか四色の煙(北九州)が成長か繁栄の証のように謳い上げられていたと回顧する者がいた。へええ、である。確かに戦後の荒廃から立ち上がった頃、田舎ほどそういった晴れがましい空気に包まれることがあったかも知れない。今となっては想像もつかないことではある。しかし、そんな悠長な時の流れは、中国には存在しない(中国と言わず、アフリカや中南米の新興国も同じ)。何もかもすっ飛ばして、古代から(!)いきなり(おらが田舎の誉れより、個人の権利意識が強い)現代であろう。
 上海から西安に移動する空港や機内でも、スマホは当たり前、今なおガラケーを握りしめる私は恥ずかしいくらいだった。彼らは黒電話など見たこともないだろうし、弁当箱のような移動電話(あるいはむしろ自動車電話)があったことなど聞いたこともないだろう。「東京ラブストーリー」でリカとカンチが待ち合わせて、携帯電話がないものだから連絡が取れず、電話ボックスで呼び出し音を聞きながら、すれ違いに気づくときのやるせない思いなど、想像もつかないだろう。彼女の自宅(の固定電話)に電話して、ご両親のいずれかが出る時のドキドキ感も、知る由もあるまい。
 国内を移動するときも、広い中国では、さすがに鈍行の夜行列車というわけには行かないかも知れないが、今は少なくとも飛行機が当たり前で、時間感覚もまた古代からいきなり現代といった風情なのである。中国内の飛行機は、アメリカのシャトル便のように都市間を一日5往復も6往復もするものだから、夕方になるほど到着時間に遅れが出て、2時間以内の遅れであればOn-timeと受け止められるそうだ。遅れるのが常なら、初めからそれだけの余裕をもたせた運行スケジュールを組めばよいのにと思うが、セッカチなのか、ケチなのか、そういうものでもないらしい。そこで果たして乗継ぎが上手く行くのか気を揉んだ西安~上海~羽田の帰国便は、ほぼ予定通りに運行され、上海~羽田に至っては、偏西風が手伝って予定より20分も早く到着してしまって、お蔭で映画を観終えることが出来ず、欲求不満のまま機内を後にしたのだった。
 今の大気汚染にまみれた北京は、物理的な環境面では40~50年前の日本と似たようなものだろうが、精神面では、インターネットが水道や電気のように各家庭まで届けられるインフラとなっているだけでなく、無線が降り注ぎ、一人一台のスマホを持ち歩いて、いつでもネットにアクセスして好きな情報を取り、GPS機能によって見知らぬ土地でも迷うことがないなど、世界の最先端を生きる現代人の国である。そのギャップは私たち日本人には計り知れない。
コメント
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