週末のもう一つの話題は大相撲だった。
琴奨菊が優勝したことを、私も日本人として素直に喜んだように、世間も注目していたようで、千秋楽の平均番組世帯視聴率(午後5:00~6:00)は24.0%と、同じNHKの「真田丸」初回(10日放送:19.9%)や第二回(17日放送:20.1%)を越えたらしい(まあ、大河ドラマと比べるのはどうかと思うが)。日刊スポーツは「SMAPから1面奪った 琴奨菊 初V」という見出しをつけたほど、暫くSMAPで食い繋いで来た、冬枯れのスポーツ新聞も久しぶりに沸いた。
私はてっきり「日本人」力士として2006年初場所の栃東以来10年振りの優勝かと思っていたら、そうではなくて、正確には「日本出身」力士として、ということらしい。「日本人」としてならば、モンゴルから帰化した「日本人」の旭天鵬が2012年夏場所に優勝しているから、3年8ヶ月ぶりの優勝になるのだそうだ。全国紙5紙(朝日・読売・日経・毎日・産経)の翌日朝刊のうち、「日本人」旭天鵬が2012年に優勝したことに触れていたのは読売新聞だけで、日経を購読する私は、当然のことながら、ネットで知ってビックリした次第。
それではこの10年間、誰が優勝したのかと言うと、白鵬(35回)をはじめ、朝青龍(10回)、日馬富士(7回)、鶴竜(2回)、照ノ富士(1回)と、モンゴル勢が計55回で圧倒的、残り3回をブルガリアの琴欧洲とエストニアの把瑠都と「日本」の旭天鵬が分けている。10年ぶりの「日本出身」力士の優勝について、理事長は「今までモンゴル力士が頑張って大相撲を盛り上げてくれた」と話したといい、横審委員長も「世の中が国際化している中で、日本人にこだわる必要はない」と語ったというが、優勝回数だけ見るとモンゴル勢が95%と、モンゴル勢が頑張っているのはその通りで誰も否定しないにしても、明確に国際化していると言えるかと言うと甚だ疑問だ。念のため初場所の幕内力士42人の出身地を調べてみると、外国人力士は、モンゴル8人(白鵬・日馬富士・鶴竜・照ノ富士・逸ノ城・旭秀鵬・玉鷲・貴ノ岩)と最多なのは当然として(それにしても8人もいるとは思わなかったが)、ジョージア2人(栃ノ心・臥牙丸)、ブルガリア(碧山)/ブラジル(魁聖)/エジプト(大砂嵐)/中国(蒼国来)/ロシア(阿夢露)各1人と、意外にもいつの間にか多様化して15人を数え、全体の三分の一強を占めるまでになった。国技とは言え徐々にではあるが着実に国際化しつつあると言えるのかも知れない。
今回の事案で、あらためて意識することになった「日本人」に、当然、帰化した外国出身者も含まれることは頭では理解するが、単一民族と言われるだけあって、普段、そんな多様性を意識することはなかなかない。日本人は「純粋な」日本人、つまり「日本出身」につい拘るのを思い知ったわけだが、いずれその意識を変える可能性があるニュースに接することが、最近は増えつつあるのもまた事実だ。言わずと知れた「ハーフ」の活躍である。例えば、陸上男子100Mのサニブラウン・アブデル・ハキームくんの父親はガーナ人、高校野球のオコエ瑠偉くんの父親はナイジェリア人、テニスの大坂なおみさんの父親はハイチ人と、見た目もハーフの彼ら・彼女は、「日本人」の活躍として認知されている(最初はおっと驚いたものだったが)。
日本人が多くの移民を受け入れるとは思えないが、着実に世の中は、そして私たちの意識も少しずつ変わって行くのだろう。そのときの「日本人」は、それでも、もともと海洋民族としてオープンで誰にも親切で、地続きの国境をもたない島国で平和に住みなし、独特の勤勉さと職人技を愛し、なんとなく「天皇陛下」を頂くことに疑問を差し挟むことなく、むしろ尊いと思い、宗教的にも寛容で、神道的な清らかさを身上とする、大いなる田舎モノとして、しかし知的にも道徳的にもクオリティの高い、尊敬される存在でありたいものだとふと思うが、それは古いと却下されてしまうだろうか。
琴奨菊が優勝したことを、私も日本人として素直に喜んだように、世間も注目していたようで、千秋楽の平均番組世帯視聴率(午後5:00~6:00)は24.0%と、同じNHKの「真田丸」初回(10日放送:19.9%)や第二回(17日放送:20.1%)を越えたらしい(まあ、大河ドラマと比べるのはどうかと思うが)。日刊スポーツは「SMAPから1面奪った 琴奨菊 初V」という見出しをつけたほど、暫くSMAPで食い繋いで来た、冬枯れのスポーツ新聞も久しぶりに沸いた。
私はてっきり「日本人」力士として2006年初場所の栃東以来10年振りの優勝かと思っていたら、そうではなくて、正確には「日本出身」力士として、ということらしい。「日本人」としてならば、モンゴルから帰化した「日本人」の旭天鵬が2012年夏場所に優勝しているから、3年8ヶ月ぶりの優勝になるのだそうだ。全国紙5紙(朝日・読売・日経・毎日・産経)の翌日朝刊のうち、「日本人」旭天鵬が2012年に優勝したことに触れていたのは読売新聞だけで、日経を購読する私は、当然のことながら、ネットで知ってビックリした次第。
それではこの10年間、誰が優勝したのかと言うと、白鵬(35回)をはじめ、朝青龍(10回)、日馬富士(7回)、鶴竜(2回)、照ノ富士(1回)と、モンゴル勢が計55回で圧倒的、残り3回をブルガリアの琴欧洲とエストニアの把瑠都と「日本」の旭天鵬が分けている。10年ぶりの「日本出身」力士の優勝について、理事長は「今までモンゴル力士が頑張って大相撲を盛り上げてくれた」と話したといい、横審委員長も「世の中が国際化している中で、日本人にこだわる必要はない」と語ったというが、優勝回数だけ見るとモンゴル勢が95%と、モンゴル勢が頑張っているのはその通りで誰も否定しないにしても、明確に国際化していると言えるかと言うと甚だ疑問だ。念のため初場所の幕内力士42人の出身地を調べてみると、外国人力士は、モンゴル8人(白鵬・日馬富士・鶴竜・照ノ富士・逸ノ城・旭秀鵬・玉鷲・貴ノ岩)と最多なのは当然として(それにしても8人もいるとは思わなかったが)、ジョージア2人(栃ノ心・臥牙丸)、ブルガリア(碧山)/ブラジル(魁聖)/エジプト(大砂嵐)/中国(蒼国来)/ロシア(阿夢露)各1人と、意外にもいつの間にか多様化して15人を数え、全体の三分の一強を占めるまでになった。国技とは言え徐々にではあるが着実に国際化しつつあると言えるのかも知れない。
今回の事案で、あらためて意識することになった「日本人」に、当然、帰化した外国出身者も含まれることは頭では理解するが、単一民族と言われるだけあって、普段、そんな多様性を意識することはなかなかない。日本人は「純粋な」日本人、つまり「日本出身」につい拘るのを思い知ったわけだが、いずれその意識を変える可能性があるニュースに接することが、最近は増えつつあるのもまた事実だ。言わずと知れた「ハーフ」の活躍である。例えば、陸上男子100Mのサニブラウン・アブデル・ハキームくんの父親はガーナ人、高校野球のオコエ瑠偉くんの父親はナイジェリア人、テニスの大坂なおみさんの父親はハイチ人と、見た目もハーフの彼ら・彼女は、「日本人」の活躍として認知されている(最初はおっと驚いたものだったが)。
日本人が多くの移民を受け入れるとは思えないが、着実に世の中は、そして私たちの意識も少しずつ変わって行くのだろう。そのときの「日本人」は、それでも、もともと海洋民族としてオープンで誰にも親切で、地続きの国境をもたない島国で平和に住みなし、独特の勤勉さと職人技を愛し、なんとなく「天皇陛下」を頂くことに疑問を差し挟むことなく、むしろ尊いと思い、宗教的にも寛容で、神道的な清らかさを身上とする、大いなる田舎モノとして、しかし知的にも道徳的にもクオリティの高い、尊敬される存在でありたいものだとふと思うが、それは古いと却下されてしまうだろうか。