風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

また青梅への道(5・終)

2018-03-29 22:08:57 | スポーツ・芸能好き
 なんと北朝鮮の金正恩委員長が極秘裏に中国を訪問し習近平国家主席と会談したとか、イチローが9番・レフトでマリナーズの開幕先発メンバーに入ったとか、東芝の「サザエさん」スポンサー契約が終わったとか、興味深いニュースがいろいろあったが、今回も、しつこく今シーズンを振り返りたい。
 今年の花粉症の症状は例年になく軽く、もしや加齢により身体の反応が鈍ったのではないかと訝しく思ったりするのは気のせいかも・・・と思える範囲だが、走ることにかけては、いつもの練習コースでほんの2~3年前のスピードを出せずに低迷するという目に見える形で、加齢による衰えの現実を突き付けられる。そのため、今年の青梅と、先週の佐倉では、5キロ30分を切るペースには拘らなかった。その分、青梅では後半に多少の余裕が残るくらいだったが、(練習量とか練習の形態を変えない限り)年齢相応の走りに徐々に切り替えていかざるを得ないのだろうと思う。
 こうして毎年、冬場(10~3月)だけ走り込み、2~3の大会に参加する生活を続けていて思うのは、人間の身体(生理)の不思議である。冬場に頑張って走り込んでも、なかなか体脂肪は減らないが、春になれば、私にとってのオフで運動しなくなっても体脂肪は自然に落ちていくのである。昔は、そんなことは気にしたことがなかったが、今はそれなりに努力して年齢相応よりも体重を落としているので、晩酌で日本酒を飲んだら太ってしまうとか、ちょっとしたことにも敏感になっているのだろう。
 さて、そんなこんなで、早いもので6度目のシーズンが終わった。ビギナーズ・ラックで東京マラソンに当選した年から始めて、その後5度も続けて落選したことになる。そこまでして何故、走るのか、と時に自問自答する。
 足腰の筋力をはじめとする体力の衰えに抗うつもりはないが、体力の衰えに愕然とした経験は何度かあった。中学時代は軟式テニスで、高校時代は陸上部で鍛えた自信があったのに、8年前、あるゴルフ場の砲台グリーンを駆け上ったところで肉離れを起こしたのはショックだったし、その翌年の東日本大震災で、会社に一泊した翌日、エレベーターが動かなかくて36階の執務フロアから歩いて階段を降りて、翌日も翌々日も筋肉痛に苛まれたのもショックだった。これじゃあ関東大震災に襲われたときにサバイブ出来ないのではないか、と。
 そんな体力に自信をなくしつつあった私に、自然に年を重ねるままにまかせていると、その内、食事や酒の嗜好さえも矯正させられかねない(例えば塩分は控えめに、は当然にしても、日本酒ではなく焼酎やウィスキーなどの蒸留酒に切り替えろ、とか)という恐怖心が加わった。実際に7年前の健康診断でコレステロール値が高く出たため、ラーメン(卵麺)は控えてウドン(小麦粉麺)にしろと医者に言われたときは、さすがにこたえた。大好きなラーメンを思う存分食べられないなんて・・・これが引き金となって東京マラソンに申し込んだのだったが、こうして好きなものを食べ、飲むという、人生のささやかな楽しみを失いたくないという思いが強いのは間違いない。そのためには、適度の運動(かどうかは議論があるところだが)によって五臓六腑を健康な状態に維持しなければならない、もはや努力しなければ維持できない年齢なのだ、という自覚がある。そして、これくらいの練習をすれば、まだここまで頑張れる、といった確かな実感を、秘かに心強く思っている自分がいる。
 ところが、6度のシーズンで、8度のハーフ、4度の30キロ(青梅)、7度のフルを走って、ガス欠で(栄養補給に失敗して)走る元気が出ないとか、靴が合わなくて(マメが潰れて)失速したとか、ブドウ糖不足で視野狭窄に陥ったとか、情けない理由によって、これまで体力の限界まで走り切ったことがないから、満足な記録も出ていない。そうである以上、年齢と戦いながら、そしてマメ対策などの課題に一つひとつ取り組みながら、また来年も懲りずに挑戦するのだろうと思う。
 上の写真は、一昨日、東京タワーそばまで外出したときのもの。折角の満開の桜なのに、花曇り。シーズンが無事終わったことを祝福してくれているかのよう。
コメント (2)
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