風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

天安門事件の周辺

2019-06-08 22:04:36 | 時事放談
 前回は、当の中国のいまどきの反応を覗いてみたが、他国・他地域の反応もまた興味深い。天安門事件の5ヶ月後に、ベルリンの壁があっさり崩壊した(と私には見えた)のは、天安門事件の惨劇を抜きには考えられないだろう。
 台湾でも、天安門事件発生から9ヶ月後の1990年3月に、民主化を求める学生運動が起きていたそうだ。「三月学運」あるいは「野百合学生運動」と名付けられた抗議行動では、中正紀念堂に6,000人を超える学生が集まったというから、10万人とも言われる天安門事件とはひと回りもふた回りも規模が小さいが、しかし、私も中正紀念堂には行ったことがあるし、6,000人自体も相当な数であり、集まればかなりの威圧感がある。
 当時の台湾の社会状況は中国に似て、国民党による独裁で、言論や集会の自由は保障されていなかったが、1986年には民進党の結党が黙認され、87年には戒厳令が解除されるなど、「民主化の階段を一歩ずつ上がり始めていた」(李登輝総統事務所の秘書・早川友久氏による)頃だ。私が台湾に都合30回ほど出張したのも、ちょうど戒厳令が解除される前後の86年から89年にかけて、当初、空港には銃を構える兵士が警備にあたってウロウロしていて、それなりに緊張したものだった。
 台湾は世代交代の過渡期にあった。創業家とも言える蒋介石のご子息・蒋経国総統は「蒋家から総統を出すことはない」と明言していて88年に急逝され、本省人の李登輝さんが総統職を継いでいたが、カリスマ性で統治するわけには行かず、さりとて実績もなく、権力基盤は弱かった。ただ、中国と決定的に違ったのは、李登輝さんが(昔風に言えば)開明的だったことで、勿論、当時の台湾にあって急進的な民主化は望まず、社会の安定を優先したものの、「人々が枕を高くして安心して寝られる社会を実現したい」との青写真があり(同氏による)、学生運動を通して民主化への要望が社会全体で盛り上がることを期待されていたようだ。李登輝さんご本人曰く「従来の国民党であれば、台湾の学生たちも天安門事件と同じように武力で弾圧せよ、という声が大勢を占めたかもしれない。しかし、天安門事件によって中国が蒙った負のイメージは計り知れなかった。それを目の当たりにしたことによって強硬的な意見は鳴りを潜めた」という。学生たちとの衝突が起きれば「第二の天安門事件」として中国と同列に語られかねないし、国民党内の強硬派が再び台頭することも恐れた李登輝さんは、軍や警察に対して、学生たちに手出しをすることを厳禁するとともに、中正紀念堂で座り込みが始まってから5日後には学生代表を総統府に招いて話合いをしたそうだ。そして、席上で学生たちから示された要望を受け、翌91年には国家総動員法にあたる「動員戡乱時期臨時条款」を撤廃し、数十年にわたって改選されなかった「万年議員」たちを退職させることにも成功し、台湾の民主化を本格化していく(このあたりも同氏による)。
 強硬なやり方(作用)は相手の反発(反作用)を招くだけでなく、周囲の空気(=意識)まで変えてしまう。一帯一路でも、中国の(表面上の)戦略の美しさとは裏腹に(美辞麗句のレッテルで取り繕うのは、他者を罵ることと共に、共産主義の得意とするところ 笑)、新たな植民地主義だと評判を落としてしまったのは、すっかり有名になったスリランカのハンバントタ港でまんまと99年間の租借権を獲得したように、気前良くインフラ投資などの経済支援で寄り添うポーズを見せながら、その実、採算性が乏しかったり当事国の支払い能力を軽々と超えたりして、借金の罠に陥れて実権を握るという阿漕なやり方に“見えてしまう”ことにある。これは中国の脇の甘さに他ならない。2010年のASEAN地域フォーラム(ARF)外相会議で、時の中国外交部長・楊潔篪(ようけつち)氏が「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実」だと言い放って、さも小国は大国に従えと言わんばかりに威圧したことを、私は今も忘れることが出来ない。所謂ウェストファリア体制以降、大国も小国もなく主権国家として対等で相互に敬意を払う西欧的な国際秩序観とは明らかに相容れない。
 八幡和郎氏が、「私はあのとき、中国政府を支持したし、いまも間違っていたとは思わない。中国人はあのときに鄧小平が断固とした措置を執ったおかげで素晴らしい幸福を手に入れた」と言われたのは賛同できないが、その後に続く「ぐうだらな政府のもとで平成日本は昭和の繁栄の果実を使い果たしてしまった」ことへの強烈な皮肉なのだろう。そして、こうも言われる。「60年安保の盛り上がりは天安門事件以上だった。しかし、あの安保反対の学生たちの言う通りにしたら日本は経済大国になれなかった。安全保障の枠組みは崩れ、衆愚政治で経済もガタガタになっただろう。それと同じだ。天安門に集まった学生を押さえ込んだからこそ今日の中国人の幸福がある。それが分かっているから中国人は欧米的な民主主義に憬れを持たなくなった」 
 私は安保闘争を肌で知らない世代だが、日本の一般大衆が学生に対して同情しても盛り上がっていたとは思わない。それはともかくとして、あのとき、もしも中国が民主制に舵を切っていたら、共産党の一党独裁は終焉を迎え、強烈なイデオロギーの統制のタガが外れて、あの広大な国土に50を超える多民族を抱える土地柄だから、それこそ大東亜戦争前のようにあちらこちらに軍閥のようなものが割拠して、大混乱に陥っていたことだろう。そうでなくても、中国では民主主義実現に向けた準備は歴史的に何も行われて来なかったのだ。引越しできない隣組の日本としては、傍迷惑なだけで、とても容認できなかっただろうと思う。そうは言っても、人民解放軍が軍に向かって引き鉄を引いたことに衝撃を受けた人もいたし、私も酷い話だと思うが、人民解放軍は国家機関ではなく党の軍隊なのだから、国家の独立のため、また国民の自由や財産を守るためにあるのではなく、飽くまで共産党の統治を守る限りにおいて社会を安定させるだけのことだ。ひところは、国防費並みの治安維持費をかけていたが、来年には主要都市の監視カメラが6億台に達するそうだから、その役割はITで部分的に置き換わっているのかも知れない。
 八幡氏は更に以下のように論を進める。「それから30年、中国経済は予想の上限を超えた発展に成功した。もはや、中国は民主化に舵を切るべき時だ。それを促すためにトランプは勝負に出た以上は、手綱を緩めてはならない、これを逃すと二度とチャンスはないのではないかというのが私の意見だ」 しかし、と自問自答される。「しかし、そういう考え方は、おそらく、中国人に受け入れられないということも承知している。なぜなら、あのときから30年、専制主義の中国は最高の経済発展をし、民主主義で自民党永久政権という異常な状態も解消して政権交代が二度も行われた日本は、世界最低のパフォーマンスだ。アメリカも欧州もぱっとしない」 そしてこう締め括る。「これでは、民主主義が人々を幸福にする最高の制度だから、お勧めしたいといってもなんとも説得力がない」・・・最後まで、シニカルだ。
 トランプ氏が大統領に就任し、超大国の軍の総司令官でありながら、いくら前政権の仕掛けたことの反対ばかり実行する子供じみた執着心があるとは言え、同盟や国際機関の何たるかを理解しようとせず、貿易赤字を悪と断じ、ツイッターで感情まかせの罵詈雑言を撒き散らすなど、お行儀が甚だよろしくないが(大英帝国の女王陛下に謁見したときには、お行儀がよくなったと褒められていたが 笑)、概ね制御されているから(安倍さんのことを猛獣使いと呼ぶ人もいる 笑)、アメリカの民主制はやはり大したものだと思うが、中国人の多くは、あんな猛獣を政界に解き放って為すがままで、民主制とはなんとだらしない体制だろうと思っているのは違いない(苦笑) それが民主制の強さでもあるのだが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする