風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

中曽根元首相の大往生

2019-12-03 01:28:54 | 時事放談
 先月末に中曽根康弘・元首相が亡くなった。功成り名を遂げた101歳の大往生と言ってもよいであろう。
 第71~73代総理大臣を務めておられた頃、私は“ほぼ”学生で、父親は保守を自称するくせに朝日新聞とNHKと岩波書店をこよなく愛するという、今から思えば矛盾してやまない、しかし当時としては進歩的雰囲気を身に纏うことが当たり前の時代にあって、幼心にも中曽根氏について、自主憲法を訴えた「青年将校」のイメージや、自民党の非主流でありながら「角福戦争」の間をうまく立ち回って「風見鶏」と揶揄されたイメージが強烈に脳裏にこびりついているのは、朝日新聞のせいであるのは間違いない(苦笑)。それを払拭するのに相当の時間を要することになるマスコミの責任は重いと思うにつけ、プロパガンダやファンタジーにどっぷり浸かった中国や韓国との正常な対話は難しいだろうと、つい無力感に囚われてしまう。
 「不沈空母」発言も有名だったが、実は中曽根氏は日本語で「大きな船」と述べたのを通訳が過大な言葉に訳したものらしい(Wikipedia)し、日米安保条約を「屈辱的条約」と呼んで憚らず、強硬な対米自立論(自主防衛)を説いて、保守最右翼のタカ派と目されていた割には、総理大臣になるやレーガン元大統領との間で「ロン」「ヤス」と呼び合って蜜月を演出し、靖国神社を参拝して中国・韓国から抗議を受けると翌年からは自粛すると言った具合で、現実的な感覚を持ち合わせた政治家だった。核武装の可能性についても、防衛庁の技官に研究を指示したところ「二千億円で五年以内に成算あり」という結論だったが、「広島・長崎の惨害を受けて、非核志向を提示すること自体は悪くないが、国際的には日本にも核武装能力があるが持たないという方針を示すほうが得」と判断する賢明さを備えていた(他方、インドに言わせれば、被爆国であればこそ核保有を正当化できると、ある元・防衛官僚に聞いたことがあるが、非同盟のインドだから言えることで、私はやはり中曽根氏に賛同する)。米国・中国・韓国と同時に良好な関係を築ける首相は極めて稀だと評価する向きまであるのは、今の感覚だからそう思うだけで、当時はバブルに向かって日本の国力は最高度に充実しつつあり、中国や韓国との差は歴然としていて、難しさのレベルは断然違っていただろうと思う。が、いずれにしても、今では珍しい信念の政治家だったことは間違いないし、「ロン」「ヤス」というカタチだけでなく、元・外交官によれば、レーガン大統領は米・ソ交渉の内容を日本にも伝え、日本に不都合なことは米・ソ交渉を後戻りさせてでも反映しようと努力してくれたものだったそうで、真の同盟関係とはそういうものかと、古き良き時代とばかり言っておれない、中曽根氏ならではの存在感を思わざるを得ないのである。
 願わくは今の混迷の時代に中曽根氏の遺志を継ぐ国士が出でんことを、そして中曽根氏の魂を安んずることを祈念しつつ、合掌。
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