風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史を振り返るとき

2020-08-16 00:12:21 | 日々の生活
 この時期になると歴史を振り返り、謙虚な気持ちになる。平和は尊い。問題は、平和憲法前文に謳うような環境にあるのかどうかで、認識にギャップが生じてしまうことだろう。そのために、多民族でもない日本でも、国内に分断が生じてしまう: 「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」 今日の全国戦没者追悼式で「深い反省」の上に「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」を切に願われる天皇陛下を象徴として戴く日本国民として、前半部分は良いとして、後半部分、果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することが出来るのかどうか、ということである。
 その意味でも、立命館大学の上久保誠人教授がダイヤモンド・オンラインに寄稿するコラムで紹介されていた、同大学・学生さん向け周庭さんの講義と質疑応答の映像(今年1月にオンラインで実施)は、なかなか衝撃的だった(https://www.youtube.com/channel/UCGkeJnXqCzMgN4_Fnw2kvhg)。何がと言って、報道ではなかなか伝えきれない香港の現実に触れられているのはともかくとして、ごく普通の学生にしか見えない周庭さんが権力に敢然と立ち向かう姿と、平和な日本に生まれ育った学生さんの感度の鈍さ・・・と言っては気の毒だろう、牙の抜かれた「優しさ」とのギャップに、あらためて愕然としてしまったのだ。もとより他人事ではなく、私だって戦争を知らないのはもとより、60年安保や70年安保すら知らない、80年代に学生時代を送って、当時、一部の講義を寮闘争の同級生に乗っ取られたことはあったが、概ね平和で安穏としていて、今の学生さんと大差ない。
 この映像を、親しくしている自衛隊の元・幹部と共有して、日本の若者が何かするでもなし、周庭さんは「共感」を得られても「共(協)働」は得られないだろうに、何を期待するのか・・・という話になった。香港の人たちだって、国際機関は無力であり、超大国のアメリカや宗主国だった英国じゃあるまいし、外野席にいる日本やその他の国が中国を批判し、ましてや制裁をかけるなど圧力を加えることが難しいことくらいは分かっているだろう。なにしろ中国はあれだけ経済大国化し、世界中の国々と相互依存する関係にあって、コロナ禍でマスクや医薬品が入手できるかどうかで諸外国が気を揉むほどに、経済動脈を握っているのだ。今の香港情勢については、せいぜい見守ること、もう少し強めに言うならば、国際的に監視することが求められているのだろうと思う。今風に言えば、ツイッターで多くの人たちがフォローし、リツイートし、いいねボタンを押すことが、中国政府へのプレッシャーになるだろう。私個人的には、日本政府には是々非々で、日本の価値観に基づき、相手が中国のような大国だろうと何だろうと、堂々と自己主張する品位を示して欲しいものだと思う(国の経済という日常の安寧を守らなければならない政府としてはなかなか悩ましいところだろうことは理解はするが)。
 今日、靖国神社には、小泉環境相、萩生田文科相、衛藤沖縄北方担当相、高市総務相の4人が参拝したそうだ。「終戦の日」に閣僚が参拝するのは4年ぶりだという。早速、中国・国営新華社通信は、「中国は一貫して日本の要人の誤った行動に断固反対している」「侵略の歴史を直視し、深く反省するよう日本に促す」と毎度の批判記事を配信した(時事)。香港で圧力を強め、次には台湾や尖閣や沖縄を狙っているであろう権威主義的で覇権主義的な中国に「侵略の歴史」と言われても説得力がない。また韓国外交省は、「過去の侵略戦争を美化し、戦争犯罪者を合祀した靖国神社への参拝に深く失望し、憂慮する」との毎度の談話を出した(朝日新聞)。靖国神社参拝を通して侵略戦争を美化しようと心から思う日本人がどれほどいるだろうか。談話ではまた「日本の指導者が歴史を正しく直視し、真の反省を実際の行動で示すべきだ」「未来志向的な韓日関係の構築や、国際社会の信頼を得ることにつながる」と毎度の主張をした(同)。文在寅大統領が建国に対する考え方を3年前に示したところによると、建国は1919年3月、政府樹立は1948年8月、1945年8月15日は解放独立を意味する「光復」と言い、これがどこからもたらされたか、韓国の教科書では、同時に我々の努力にもよると書いてはいるものの、連合国の日本に対する勝利の結果だと書いているが、「外からもたらされたものではなく、我々が力を合わせて成し遂げた」と言ったらしい(黒田勝弘氏)。歴史を直視すべきなのは韓国自身であろう。
 恵泉女学園大学大学院の李泳采教授は、「今までは敗北意識、自分たちで勝ち取れなかった受け身の独立だという意識が強かった」「文在寅政権では韓国は抵抗して自ら取り戻したと強調して、国民が歴史の主人公だと訴えている」「サムスンやドラマのヒットなどで韓国は以前よりも自信を取り戻している。経済的にも国際的にも、昔のように日本に対して負けていると思っていない。それと歴史認識が重なって、植民地時代は弱かった、でも歴史認識でも正々堂々戦ったことになれば自信を取り戻せると」「日本ではこうした歴史は知られてないからギャップが大きいと思うが、平等な関係で向き合ったほうが関係改善になるのではないか」と語っておられる(FNNプライムオンライン)。なかなか興味深い。今では年配の一部の方を除き、多くの日本人は日韓を平等な関係だと思っていることだろう。また歴史認識はそれぞれの立場を尊重すべきものであることは認めるにしても、日本は請求権協定の5億ドルのほかにも、民間企業ベースで技術移転協力を行ってきた歴史的事実は動かせないはずだ。そうした歴史的事実は等閑視して、妙な歴史認識を振り回し、(その時々の大国である中国やロシアや日本につかえる)事大主義の長い歴史の鬱積を日本だけに向けるのは、勘弁してもらいたいものだ。
 アメリカでも、BLM運動の過程で、コロンブスの銅像や歴代大統領の銅像が薙ぎ倒される野蛮な行動が報道された。主張されることには賛同するし、今の価値観で当時の歴史を反省することは理解する。だいたい人類は長い歴史の中でそれほど進歩してこなかったと見る方が正しいと思うが、それでもポリティカル・コレクトネスに関してはこの戦後の間で明らかに変わって来た。それを後知恵のように歴史上の人物を追及するのは酷というものだろう。私たちは歴史的事実に対して謙虚であるべきであり、当時を生きた人たちに対してフェアであるべきであって、民族の沽券にかかわることとはいえ、歴史を抹殺するのも、捏造するのも、明らかに行き過ぎであろう。
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