風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

チャップリンとゼレンスキー

2022-05-14 09:11:45 | 時事放談

 チャップリンとウクライナのゼレンスキー大統領は、喜劇役者だったこと、そしていずれも独裁者に挑戦しているところが共通する。
 日本チャップリン協会会長の大野裕之氏が面白いことを言われていた(*)。「今回の戦争は情報戦を組み合わせた“ハイブリッド戦争”で、21世紀の新しい戦争のかたちだという指摘もありますが、僕はそうは思いません。映像メディアを駆使した戦争の原型はヒトラーが作り、プーチンもゼレンスキーも、そのフォーマットで戦っているように見えます」と。確かにハイブリッド戦争自体は多かれ少なかれ伝統的に行われて来ており、とりわけ大衆社会の総力戦となった第一次大戦以降は宣伝戦の要素が強く、さらにネットワーク化社会の現代は情報戦の比重が格段に高まっている。そして、こうも付け加えておられる。かつて戦争を知らない若者たちの中に、「ヒトラーは悪くない」「ヒトラーはカッコいい」といったブームが起きたときに、コメントを求められたチャップリンは、「映像には毒が入っている」と喝破したというエピソードをひきながら、「独裁者ヒトラーという毒を、より強い『笑い』という毒で制したチャップリンは、あらゆる映像に何らかの“意図”が含まれる危険性に自覚的でした」と。
 喜劇役者チャップリンは、「新しいリーダーとして人気を博したヒトラーの危うさに、いち早く気づいて」(同氏)、「笑いものにしなくてはならない」と言って、『独裁者』(1940年)によってヒトラーを揶揄した。その後、大衆に向けたヒトラーの演説回数は激減したそうだ。そして今、喜劇役者出身のゼレンスキー大統領は、独裁者プーチンに対して、伝統的な戦闘だけでなく、SNSという新たなメディアを通した情報戦を挑んでいるという符合は、大野氏が指摘される通りになかなか興味深い。ウクライナ侵略後にプーチン氏のイメージは一変したが、大野氏は「これは正義が悪に勝ったのではなく、イメージがイメージに勝ったということ」だと、鋭く指摘される。
 振返れば、湾岸戦争は、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、まるでテレビゲームを見ているかのような錯覚(現実感覚のなさ)に陥り、「劇場型の戦争」とでも呼ぶべき驚きがあった。今、「プーチンのウクライナ戦争」もまた、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、SNSによってふんだんに提供される映像や、情報機関によって惜しげもなく提供される機密情報を、映像と解説付きの後世の歴史書でも読んでいるかのような錯覚(超現実の感覚)に陥りながら、似たような「劇場型の戦争」に戸惑っている。
 私は天邪鬼でへそ曲がりなので、プーチン氏の非道は言うまでもないが、さりとてゼレンスキー氏の演説を褒めちぎることもせず、プーチン氏の不条理な戦争の何故?背景?を巡って、私なりに本質に迫ろうとしてきた(が、ウロウロするばかりで核心に迫れていなかった)のは、この戦いが「イメージとイメージの戦い」だったからに他ならず、本能的に警戒していたせいだろうと得心した。
 例えば、連休前にキーウを訪問したアメリカのオースチン国防長官が「ロシアがウクライナ侵攻でやってきたようなことを繰り返す力を失うほどに弱体化する」ことを期待するようなことを述べ(CNNより。その後、サキ大統領報道官は、ウクライナがロシアに破壊されるのを阻止するという米政権の目標に沿った発言だと補足(言い訳)した)、ゼレンスキー大統領が国際社会に対して(際限なく)武器供与等を求めるのは、キリスト教的な善悪二元論の立場からすれば正しいが、やや危険なニオイを感じる。窮鼠猫を噛むではないが、プーチン氏を追い詰め過ぎないこともまた配慮すべきだろう。古代ローマのコロッセオでナマ観戦するわけでもない現代の私たちは、飽くまで映像(イメージ)として見る「劇場型の戦争」に潜む「毒」に自覚的であるべきなのだろう。
 プーチン氏の非道はあらためて言うまでもないことなのだが。

(*)前編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751767.html?DETAIL
   後編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751768.html?DETAIL

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