風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

キッシンジャー発言の波紋

2022-05-28 20:11:12 | 時事放談

 ダボス会議にオンライン参加されたキッシンジャー博士が、ウクライナ情勢について、「今後二ヶ月以内に和平交渉を進めるべきだ」「理想的には、分割する線を戦争前の状態に戻すべきだ」と述べたこと(時事 *)が波紋を呼んでいる。ゼレンスキー大統領は、クリミア返還を諦めるなどの「宥和策」を提案したものと受け止めて反発し、「『偉大な地政学者』は普通の人々の姿を見ようとしない」「彼らが和平という幻想との交換を提案する領土には、普通のウクライナ人が実際に住んでいる」と訴えた(同じく時事)。

 キッシンジャー氏の発言は、「ロシアが中国との恒久的な同盟関係に追い込まれないようにすることが重要だ」と強調された(同じく時事)ことからも分かるように、権力政治の文脈、すなわち世界政治を相手にするアメリカの論理に外ならず、分からなくはないが、ロシア・ウクライナ戦争の当事者であるゼレンスキー氏にとっては、たまったものではない。さすがのキッシンジャー氏も、昨日、めでたく99歳の誕生日を迎えられて、ちょっと耄碌されたのか、かつての米中和解の成功体験に溺れて、本来、このような場(ダボス会議)で発言することではなかったように思う。

 以下は余談である。

 これに関連して、キッシンジャー氏が言われるように「三方一両損」を引きどころにプーチン氏にも立場を与える調停が必要ではないかと、ある知人が言う。これも分からなくはない。

 しかし、「三方一両損」は、ここでは適切な譬えとは思えない。あの話は、金を落とした男も、拾った男も、無欲だったからこそ、町奉行(大岡越前)は意気に感じて、自ら懐を痛めてまでも、三者が一両損となって丸くおさまる美談として成り立ち得たのだった。ところがプーチン氏の場合は、無欲どころか欲の塊である(笑)。これを認めてしまうと、「ヤリ得」の世の中になって、プーチン氏がNATOに加盟するバルト三国やポーランドに攻め込むかどうかは甚だ疑問だが、中国や北朝鮮が図に乗るのは目に見えている。プーチン氏には「名誉ある撤退」を用意してあげられるとよいのだが・・・

 さらに、西側は戦争を煽るばかりで火消しをしようとしないと、その知人は憤懣遣るかたない。これも分からなくはない。

 しかし、戦後の国際秩序、所謂「ルール・ベースのインターナショナル・リベラル・オーダー」を守るためには、プーチン氏のような「ゴネ得」を許すべきではない。さもないと、19世紀的な権力政治、力による現状変更が闊歩する時代に舞い戻ってしまう。そうなったら、19世紀の帝国主義時代に受けた屈辱を雪ぐことを目標にする習近平氏にとっては願ってもない展開で、台湾や南・東シナ海を迷うことなくわが物とするだろうし、北朝鮮は半島支配の夢を捨てないことだろう。実のところ、2008年のジョージアや、2014年のウクライナでは、西側はコトを荒立てず、目をつぶったので、プーチン氏は勘違いして、図に乗ったのだった。しかし三度目はない、ということだと思う。

 ウクライナでの戦争を長引かせて、双方の被害が大きくなるばかりなのは、見るに忍びない。プーチン氏を追い詰め過ぎると、窮鼠猫を噛む、で、大量破壊兵器に手を出さないとも限らない。だが、此度は、余りにもプーチン氏に大義がない、露骨に不合理な戦争なので(プーチン氏は、国連憲章に言う、国際紛争を解決する手段としての武力行使ではなく、ドンバスの両州を独立させて、集団的自衛権の発動として武力介入するという、一応の屁理屈はこねたが、信じる者はいない)、西側としては落としどころを探しあぐねている、というのが正直なところだろう。西側は、決して煽っているわけではない。

 さらに、知人は、このどさくさに紛れた自民党の防衛費2%議論にも批判的だ。これも分からなくはない。

 しかし、フィンランドやスウェーデンですらも、ヨーロッパの安全保障環境の悪化に対応しようと、NATO加盟を申し入れる形で「反応」したのと同根で、それが東アジアにも波及しないようにと身構える日本の「反応」も、まっとうだと思う。日本の安全保障は、戦後、長らくアメリカに頼りっ放しだった。これを日本人が不甲斐なくも何とも思わないのを、外国人は訝しがるようだ(笑)。一説によると、日本が自主防衛するためには、GDP比4%以上が必要だという。それは今の少子高齢化の日本に現実的とは思えないが、だからと言って、いつまでもアメリカに頼っていてよいとも思えない。アメリカは、民主党のバイデン政権でも、トランプ氏と同様、America Firstなのは明らかだからだ。オフショア・コントロール、すなわち、地域のことはその地域の同盟国・パートナー国が一義的に対応するのに任せる、というスタンスであって、それは決してトランプ氏由来ではなく、アメリカの、特にベトナムやアフガニスタンの長い戦争の後に、厭戦気分が横溢する中での伝統だと思う。GDP比2%はNATO基準だが、アメリカが頼りにならなくなりそうな今後は、日米同盟だけでなく、日・米・欧で足並みを揃える意味でも、NATO基準に合わせるべきだと思う。その意味ではただの数合わせに過ぎない。中身のない2%を唱えても仕方ないという意見はよく分かる。また、未来永劫でもないだろう。中国が今のまま持続可能だとは思えないから、せいぜいここ10~20年の話である。

 まあ、多少の領土は、クリミアにせよドンバスにせよ台湾にせよ尖閣・沖縄にせよ、ケチらずに権威主義者にくれてしまえ、というのであれば、話は別なのだが・・・。

(*)https://www.jiji.com/jc/article?k=2022052600977&g=int

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