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やつと、このくにの不倖せを
追いはらつたとおもつたとき、
もつと根ぶかい別の厄難、
西洋の不幸を背負ひこんだ。
靴底に小石がはさまつたような
あるきにくい日々がやってきた。
それでもなほ、がたぴしと、
西洋がはこびつづけられ
おどろきもなくその西洋を、
このくにのうへにかさねた。
このくには倖せになるどころか
じぶんの不幸をさえ見失つた。
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[Ken] 昭和40年に《歯朶》が書かれたとき、私は福島県南部の農村で12歳の少年時代を過ごしていました。ほぼ自給自足的、優しい祖母、父母、3兄弟の6人家族、猫や牛と一緒に毎日がのどかな暮らしでした。小中学校では明るく元気な日々、明日が来ることを待ちきれないような、太陽と森と川、山を駆け巡っていました。
地元の県立高校に入学した頃から、農村共同体の息苦しさに気づき、初めて西洋への憧れがわいてきた、という無防備この上ない時期を過ごしていました。62歳を過ぎ、63歳にならんとする現在、金子光晴さんのこの詩を読み、上京~学生~就職~川崎~栃木~横浜と流れてきた年月を振り返り、詩文の一行一行が自分の心の変遷と重なりました。(つづく)