

馬車のうえで、微笑しながら挙手の礼をしていた東郷大将の凱旋姿をみるため、小学生の僕らは早朝から小旗を持って通りの片側に並ばせられた。銀座の三十間堀の仮寓した土蔵のある家から僕は、数寄屋橋の泰明小学校に通学していた。
【156ページ】
僕が学校の嫌いな原因は、1時間ずつでまるで縁のない学科にうつっていくことで、とりつくこともおそく、ぬけでることもすぐにできない僕には、ついていけないのであった。
【163ページ】
虚栄心、浪費癖、遊惰な精神、耽美的傾向、それらは、それぞれ、「地獄」に通ずる道の途上にあるアクセサリーであった。----欲に渇いた所業をしながら、本心は無欲でもあった。とりわけ、他人の心の虚につけ込んだり、放縦に見境なくなったり、良心のない、底では少しも人間を愛していない、ある種の日本人の索漠たる実利的な心境は、幼くしてはやくも身につけながら、その一方で血が騒ぎ、物に憑かれ、熱狂し、おのれをさいなんで、苦痛を快楽とするような傾向があった。
[Ken] 146ページに出てくる泰明小学校は、バブル時代の一時期、よく出かけた飲み屋さんが近くにあって、タクシーに乗車し「泰明小学校前までお願いします」と行き先を告げていたものです。次に、金子光晴さんが小学校の授業についていけない理由は、とても説得力がありますね。時間を区切った授業の由来は、資本主義社会にうまく適用できるような習慣を身に着けさせるための仕組みである、という説もあります。私もなかなかどうして授業には集中できず、小中学校にかけてたびたび先生に叱られていました。
163ページの自己を振り返った吐露は、誰しも少しは思い当たることでしょう。個人的な傾向を日本人にまで普遍化し、現代史をひも解けば「なるほど」と納得させられるシーンがいくつも目に浮かびます。(つづく)