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▼抜き書き帳『金子光晴』(ちくま日本文学)を読み終えました。文章が濃密で、すらすらとはいきませんでした。とくに詩や紀行文は、折り重なる修飾語が読む者のイメージをかき立てます。
▼幼い頃より漢籍に親しみ、絵画の腕前もたしかな「詩人」といえばそれまででしょうが、こんな真似はできないとお手上げになるほど、圧倒的な表現力で、試しに音読してみたら、その心地よさに感動を覚えました。
▼たばこが登場するシーンおよび私が「いいね!」と感じた文章について、コメントを含め連載投稿しますので、これまで同様お付き合い下されば幸いです。
▼まずは、詩の抜き書きから始めましょう。
《二十五歳》(大正12年7月)
【15ページ】
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二十五歳の色色の小島は煙ってゐる。
二十五歳の行楽は、寛やかな紫煙草の輪に環かれてゐる。
二十五歳の懶惰(らんだ)は金色に眠って--------。
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《鮫》(昭和12年8月)
【34ページ】
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鮫。
あいつは刃だ。
刃の危なさだ。研ぎたてなのだ。
刃のぎらぎらしたこまかい苛立ちだ。
鮫。
あいつは心臓がなくて、この世のなかを横行してゐる。無残な奴だ。
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【46ページ】
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ゴムは腐って、ボロボロにくづれ、タールになって流れる。
人は、それを喰いもならず、阿片代りに煙管(カユ)につめて、吸うわけにもゆかぬ。
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[Ken] 金子光晴さんの詩に触れて、動植物への目線というか、対象に迫る感覚の豊饒さと読む者の心象を解き放つ力があると思いました。
《二十五歳》の「紫煙草」というのは、たばこの銘柄や種類ではなく、たばこの煙が漂っている様子でしょう。
《鮫》の一部を引用しましたが、言葉の飛躍や選択が驚きに満ちています。それから「煙管」って、たばこだけではなく阿片の吸引にも使われていたのですね。(つづく)