
《女へのまなざし》茨木のり子
【465ページ】
最晩年は、なぜかエロ爺さんを演じてマスコミにもてはやされた。それをにがにがしく思う人は多かったし、批判もされた。戦時中たった一人、反戦詩を書いていた人として、敗戦後にわかに脚光を浴びた時、
「ジャーナリズムの玩具(おもちゃ)にはなりたくない」
と言い放った人としては、確かに矛盾していた。だが、若い時、
「つまらない人間になってやろう」と決心して、さまざま実行したら、ひとびとが次々離れ去ってゆき、そのひりひりした感触を十分に味わった人としては、首尾一貫している。
【466~467ページ】
今のような長寿社会になってみると、あまりに年若く逝った人の作品は、なんとなく物足りなくなってくるようである。
「堕落することは向上なんだ」といい、絶望しながら意気軒高という逆説を生き抜き、80歳を過ぎてもおどけまくったその生涯と作品こそは読むに足るものになってゆくのかもしれない。生きかたそのものが詩であり、なにしろ日本人の幅を大きく拡げてくれた人なのだから。
道草をくい、てくてく歩き廻り、よそ見ばっかりして、いわゆる大人の分別からも遠く、いったい何だやら----のところもあるのだが、ベルトコンベヤに乗り、グリーン車で終着駅まで、あとはさっさと墓場に入っていったつまらない人達に比べたら、彼はゆったりと、美味しい実を、確実に、いっぱい採ったのだ。危険を冒しながら。
それは後の世の人々をも潤してくれるドリアンのような果実である。
[ken] 茨木さんの述べる「エロ爺さん」「つまらない人間」に、私もなりたいと思いました。また「堕落することは向上」というのは、坂口安吾さんの『堕落論』に書かれていたことを思い出しました。そして「絶望しながら意気軒高」「道草、てくてく歩き廻り、よそ見、分別からも遠く」を、自分の老後を過ごしていく考え方の参考にしていきたいです。(終わり)