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やまと豚、三元豚、親子蓋!

2016年04月24日 | O60→70(オーバー70歳)
▼各業界によって、他の人たちには皆目見当のつかない専門用語が、多々ありますね。もっとも、あまりにストレート過ぎて、かえって「えっ、それでいいの?」という呼び方もありました。
▼過日、新宿御苑へ入ろうとしたら「アルコール持ち込み厳禁」ということで、仕方がないから新宿御苑の外周を散歩したとき、見かけないマンホールがあり、下水道工事を専門とする会社社長の友人が「これは『親子蓋(おやこぶた)』といって、小さい方が作業員の出入りする蓋で、大きい方が機材搬入用の蓋、それが一つの蓋になってるんだ」と説明してくれました。
▼文字通りの『親子蓋』というわけですね。世の中、知らないことが多過ぎます、本当に!
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抜き書き帳『金子光晴』(その17/完)

2016年04月24日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《女へのまなざし》茨木のり子

【465ページ】
最晩年は、なぜかエロ爺さんを演じてマスコミにもてはやされた。それをにがにがしく思う人は多かったし、批判もされた。戦時中たった一人、反戦詩を書いていた人として、敗戦後にわかに脚光を浴びた時、
「ジャーナリズムの玩具(おもちゃ)にはなりたくない」
と言い放った人としては、確かに矛盾していた。だが、若い時、
「つまらない人間になってやろう」と決心して、さまざま実行したら、ひとびとが次々離れ去ってゆき、そのひりひりした感触を十分に味わった人としては、首尾一貫している。

【466~467ページ】
今のような長寿社会になってみると、あまりに年若く逝った人の作品は、なんとなく物足りなくなってくるようである。
「堕落することは向上なんだ」といい、絶望しながら意気軒高という逆説を生き抜き、80歳を過ぎてもおどけまくったその生涯と作品こそは読むに足るものになってゆくのかもしれない。生きかたそのものが詩であり、なにしろ日本人の幅を大きく拡げてくれた人なのだから。
道草をくい、てくてく歩き廻り、よそ見ばっかりして、いわゆる大人の分別からも遠く、いったい何だやら----のところもあるのだが、ベルトコンベヤに乗り、グリーン車で終着駅まで、あとはさっさと墓場に入っていったつまらない人達に比べたら、彼はゆったりと、美味しい実を、確実に、いっぱい採ったのだ。危険を冒しながら。
それは後の世の人々をも潤してくれるドリアンのような果実である。

[ken] 茨木さんの述べる「エロ爺さん」「つまらない人間」に、私もなりたいと思いました。また「堕落することは向上」というのは、坂口安吾さんの『堕落論』に書かれていたことを思い出しました。そして「絶望しながら意気軒高」「道草、てくてく歩き廻り、よそ見、分別からも遠く」を、自分の老後を過ごしていく考え方の参考にしていきたいです。(終わり)
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