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大声が出るって良いですね。

2016年04月16日 | O60→70(オーバー70歳)
▼昨年末に胆のうを摘出し、年明けから、自宅で身体の軸を意識したゴルフの素振りを続けていました。そしたら、右脇腹で機能低下し、ろくに胆汁を出せなくなった胆のうがなくなり、腰がくるりと回るようになったようです。
▼というわけで、下腹部に存在するとされる丹田が活性化したようで、昨夕の詩吟教室では、昨年に比べ声が出るようになったようです。腹の底から大声を出して、気分爽快でした。
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抜き書き帳『金子光晴』その9

2016年04月16日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
【272~273ページ】
その年の9月1日、関東一円にわたる大地震があった。----
川田家の板塀をひきはがし、庭の空地に200人ばかりの老幼婦女子を非難させた。----再三追い出しの催促がくるので、僕と、もう一人が、日本刀を腰にさして談判に行った。その剣幕で、ともかくも、こちらの言い分を認めさせた。連日火事は消えず、ついに江戸川を一つへだてた対岸まで燃えひろがってきた。

【274ページ】
この天地で、多くのものが崩れ去った。江戸時代からのこっていた建物や什器、その他、二度と存在しないような貴重な物件が烏有に帰した。なんらかの意味で、過去の完成に支えられていた僕じしんの精神の拠点がゆらぎ出したとともに、その後の日本の崩壊も、すでにその時に端を発していたとおもえる節があった。単なる災厄ではない。明治が早幕に築きあげた新しい秩序が、ようやくその上塗りを剥がされ素地の非力を露呈しはじめたものと考えられる。そのどさくさのあいだにおこった朝鮮人さわぎや、左翼書生への神経病的な当局、並びに一般市民の警戒ぶりが、はっきりそのことをものがたっている。地震のひびわれのあいだから、反政府の思想運動が芽吹き、人々の心に不安と、一脈の共感を呼びさませた。余震は10日ほどすぎてもなおつづいた。各町内に自警団が組織され、椅子テーブルを持ち出して通行人を一々点検した。

[Ken]  1995(平成7)年1月17日に起きた阪神淡路大地震では、自然発生的なボランティア活動が注目され、2011(平成23)年3月11日の東北大震災では、日本的な助け合いによる「絆」が世界各国から評価されました。
しかし、1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災では、本書にあるとおり情報が錯綜し、10日間にも及ぶ余震によって国民の不安や疑心暗鬼が助長され、数々の悲劇が発生しました。多くの被災者の避難場所を確保するため、金子光晴さんの男気や正義感は、異常事態にあっても遺憾なく発揮されました。また、274ページは、当時の歴史をきちんと知っておくための貴重な記述であると思います。
ちなみに関東大震災に関連し、経営再建中のシャープは創業者である早川氏が、ベルトに穴を開けずに使えるバックル「徳尾錠」の開発からスタートしました。現在の本社所在地大阪府阿倍野区ではなく、大正元年に東京で起こした金属加工業が始まりでした。その後、関東大震災の大火で工場を失った上に、奥さんと2人のお子さんを亡くして関西に移住したそうです。(つづく)
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3年で7割の外食店がつぶれています!

2016年04月16日 | O60→70(オーバー70歳)
▼4月13日のテレビ東京「WBS 」で、「飲食店の7割が3年間でつぶれています」という厳しい数字があることを知りました。
▼それを打開するため、ファビーの高梨社長が考えた「儲かる外相」とは、素材の評価を食材メーカーさんと連携し、お料理を無料で提供して、お客さんにアンケートを取り、その情報を食材メーカーに伝えることで、一定の料金を得るシステムです。
▼食材メーカーにとっては、ランダムな調査よりも確実な情報が得られ、今後の開発ターゲットを絞り込み、新商品の開発スピードアップとともに、開発経費の集中化・効率化がはかられるというわけです。
▼外食店は、収入源を来店顧客だけに依存することなく、アンケート結果は次店舗のメニュー開発にも役立つのですから、経営の持続的成長にも寄与することになります。追い詰められと、それにひるまず突破口を見つけ出す人たちが出てくるのですね。いや~っ、とても勉強になりました。
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