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ブルッセル郊外のディーカムのリュー・ド・ムーラン(風車横丁)のルパージュ氏の邸宅のすぐ前の、カフェといっても、村の者のあつまる居酒屋の二階の一室に、朝のパンとコーヒーだけついた、部屋借り生活をすることになった。それは、行きがかり上のことではあったが、ルパージュ氏の人柄と、村の環境がすっかり僕の気に入ったので、この滞在の1年半は、僕の生涯にとってもっとも生甲斐のある、もっとも記念すべき期間となった。
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一すじな向学心に燃えた、規律的な、清浄なこんな生活が、なによりも僕にぴったりとしたものと、ためらいなく考えるようになったじぶんを、過去の男だな、----の自分と比べてみて、信じられない位だったが、それはみな、ルパージュの友情のたまものであった。まなぶことのたのしさは、この時期をすごして、永久に僕のもとへかえってこなかった。
[Ken] 誰しも心地よい規則的な生活、田舎暮らし、信頼できる恩師との出会いがあるわけではありません。そんな幸福に満ちた唯一の時期が、金子光晴さんにとってのブルッセルだったのでしょう。ヨーロッパには、部屋と朝食の宿屋としてB&B(Bed&Breakfast)があり、私も30歳の頃、イギリスで数泊お世話になりました。とても家庭的で、夜の10時過ぎまで暮れない白夜の散歩を終えて部屋に戻ったら、夜食にとサンドイッチがテーブルに置かれていたことを思い出しました。
私の感覚として、一般的な労務・労働といわれる職業に就かず、親の遺産や仕送りで過ごした作家としては、「川端康成さん、永井荷風、太宰治さんぐらいかな?」と記憶していましたが、金子光晴さんもそうでした。お金の使い振りが半端ではないと驚かされました。川端康成さんはノーベル文学賞、永井荷風さんは文化勲章を受賞していますが、金子光晴さんはそんな知らせが来てもお断りしたであろうと言われており、私も同感です。(つづく)