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変貌する新宿ステーション!

2016年04月21日 | O60→70(オーバー70歳)
▼新宿って、横浜から「湘南新宿ライン」に乗れば、たった33分で甲州街道口に出ました。新宿駅では人工地盤の技術を活用し、これまでは不可能とされた線路の上に、10階建て程度のビルを建てています。
▼それで新宿駅は、東西南北の出口がぐるっとつながったのですね。甲州街道口(高島屋)を背に左へ向かえば新宿駅西口方面、右に向かえば東口方面へ、うん、古い記憶とイメー駅は、ジがつながりました。横浜高島屋のサンジェルマンでパンを買い、早く着き過ぎたけれど、待ち合わせ場所の伊勢丹B1ワイン売場へ向かいました。
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金網でラップした排水溝のフタ!〈英訳付〉

2016年04月21日 | O60→70(オーバー70歳)
▼道路の排水溝には、鉄格子のフタがしてあります。最初の画像は、慶応仲通り茶の木稲荷横の一般的な排水溝です。

The street drainage ditch has an iron grate lid. The first image shows a typical drainage ditch next to Chanoki Inari on Keio Naka Dori.
▼次の画像は、慶応大学東門の坂を上りきった路面の排水溝ですが、よく見ると丁寧に、一枚ごと金網で覆われていました。この金網は、鶏小屋で多く用いられていますが、落ち葉などによる目詰まり防止策として、排水溝のフタをラッピングした知恵は、なんと素晴らしいことかと感動しました。

The next image shows a drainage ditch on the road surface at the top of the hill at the east gate of Keio University, which, upon closer inspection, was carefully covered with a piece of wire mesh. This wire mesh is often used in chicken coops, and I was impressed by the wisdom of wrapping the lid of the drainage ditch to prevent clogging by fallen leaves and other debris.


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抜き書き帳『金子光晴』(その14)

2016年04月21日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《マレー印蘭紀行 より》(昭和15年10月)

【384ページ】
ゴム園開発の時代には、このあたりは猛獣の跳梁区域で、生活が常に恐怖につきまとわれた上に、支那人達は多く土匪(どひ。土着の盗賊)稼ぎをして、カンポン(日系会社関係の集落)をおびやかし廻っていた。日本人の大経営を信用しなかった馬来苦力(マレーの労務者)は、苦力賃が現金、日払いでなければ、働こうとしなかった。そのため旦那達は、毎日のように千円二千円を小銭の現金に両替して、シンガポールの銀行から運んで来なければならなかった。

[ken] ゴム園の視察記録は、熱気と恐怖、さらには経営実態などが、圧巻の自然観察とともに目の前に拡がってくるようでした。第一次世界大戦から太平洋戦争(第二次世界大戦)に至る戦線の拡大にあたって、日本の軍部ばかりではなく事業家たちも現地に赴き、数々の試練をかいくぐっていたことが推測できました。
それにしても、興味ある場所ならどこだって、ためらいなく入りこんでいく好奇心と、金子光晴さんならではの心身の力量に圧倒されそうでした。このような五感を研ぎ澄ませ、あらゆる出来事をもれなく簡潔に記述することは、よくよく考えてみると至難の技であると思いました。(つづく)
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