大原野の祭にまいりて、周防内侍につかはしける 藤原伊家
千世迄も心してふけ紅葉はを神もをしほの山をろしの風
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
大原野祭にまいりてよみ侍ける 周防内侍
木からしも心してふけしめのうちはちらぬ木すゑそ大原の山
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
《貞觀元年十一月十三日甲子》○十三日甲子。大原野神祭如常。
(日本三代實録~「増補 六国史 9」朝日新聞社、昭和15年)
(延長二年十一月)十八日、壬子、大原野祭、奉幣馬如例、
(貞信公記~東京大学史料編纂所・古記録フルテキストデータベースより)
長保元年十一月二十一日。
暁方、元■(りっしんべん+豈)朝臣の宅に移った。大原野社に奉幣を行なった〈薬助も、同じく赴いた。〉。大原野祭が行なわれた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
寛弘三年十一月十三日、壬子。
河原に出て、奉幣を行なった。大原野祭が行なわれた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
(寛弘四年十一月)十三日、丙子。
大原野祭に際しての神馬使は、常と同じであった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(長和五年十一月)二十四日、甲子。
大原野祭に奉幣を行なうために、鴨川の河原に出た。使は雅楽助(うたのすけ)(藤原)頼文であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(仁治元年十一月)廿三日壬子。大原野祭也。於仮殿被行之。未曾有事也。他社有其例。被准拠云々。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系 11」)