十二月廿日比に雪のいたくふりたりしにつとめてもくのさきのかみ俊頼の君前の兵衛佐顕仲かもとにおなし歌をやりて侍し
雪ふれはふまゝく惜き庭の面をたつねぬ人そ嬉しかりける
俊頼のきみかへし
我心雪けの空にかよへともしらさりけりなあとしなけれは
あきなかのきみ
人はいさふまゝくおしき雪なれと尋てとふは嬉しき物を
(六条修理大夫集~群書類従)
御佛名のあした、地獄繪の御屏風とりわたして、宮に御覽ぜさせ奉りたまふ。いみじうゆゆしき事かぎりなし。「これ見よかし」と仰せらるれど、「更に見侍らじ」とて、ゆゆしさにうへやに隱れふしぬ。雨いたく降りて徒然なりとて、殿上人うへの御局に召して御あそびあり。道方の少納言琵琶いとめでたし。濟政の君筝の琴、行成笛、經房の中將笙の笛など、いとおもしろうひとわたり遊びて、琵琶ひきやみたるほどに、大納言殿の、「琵琶の聲はやめて物語すること遲し」といふ事を誦じ給ひしに、隱れふしたりしも起き出でて、「罪はおそろしけれど、なほ物のめでたきはえ止むまじ」とて笑はる。御聲などの勝れたるにはあらねど、折のことさらに作りいでたるやうなりしなり。
(枕草子~バージニア大学HPより)
御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散りにまかでたまふ。師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへらむ世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほどに、悲しきこと限りなし。
宮は、三条の宮に渡りたまふ。御迎へに兵部卿宮参りたまへり。雪うち散り、風はげしうて、院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物語聞こえたまふ。御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、
「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ下葉散りゆく年の暮かな」
何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。池の隙なう氷れるに、
「さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし影を見ぬぞ悲しき」
と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。王命婦、
「年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人影のあせもゆくかな」
(源氏物語・賢木~バージニア大学HPより)
めづらしく、日たくるまで朝寝(あさい)し、昼つ方、大殿、内裏(うち)などに参り給はんとて、引きつくろひつつ、まかり申しに入りおはしたれば、女房は、白き御衣どもに、蘇芳の小袿着て、単衣の袖口長やかに、口覆ひつつ、所々むら消えたる庭の雪、池の汀は凍り閉ぢて、立ちゐる水鳥どもの気色を、見出し給へる御有様、いとうつくしげに、あくまで愛敬づき、をかしうぞ見え給ふ。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)