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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬 菊の宴、菊合

2017年10月30日 | 日本古典文学-冬

延喜御時の菊宴歌 藤原俊蔭朝臣 
初霜とひとつ色にはみゆれともかこそしるけれ白菊の花 
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

菊宴せさせ給うける 延喜御製 
秋過て残れる色も神無月霜をわけてそおしむへらなる 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

延喜十二年十月、御前のやり水のほとりに菊うへて、御あそひ侍けるついてによませ給ける 延喜御製 
みなそこにかけをうつせる菊の花波のおるにそ色まさりける 
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

延喜十七年十月、御前の菊の宴の日 源公忠朝臣 
神無月時雨にまさる菊の花秋はてにきとみえすも有哉 
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
延喜十七年十月菊の宴の日、御かさしとて奏し侍ける 三条右大臣 
たかためになかき冬まて匂ふらんとはゝ千とせと君そこたへん 
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

延喜十七年閏十月、菊の宴せさせ給ける時、三条右大臣おほんかさし奉るとて、「たかために長き冬まて匂ふらんとはゝ千とせと君はこたへよ」と奏し侍ける御返しに 延喜御製 
色ふかく匂ふ菊かなあはれなるおりに折ける花にや有らん 
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

 同年十月九日更衣たち菊の宴し給ふ其日さけのだいのすはまの銘の哥女水のほとりにありて菊の花をみる
菊の花をしむ心は水底のかけさへ色のふかくもありける(イあるかな)
(躬恒集~群書類従15)

うへのおのこともきくあはせし侍けるついてに 延喜御歌 
時雨つゝかれ行野辺の花なれと霜のまかきににほふ色かな 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

康保三年内裏菊合に 天暦御製 
かけみえてみきはにたてる白菊はおられぬ波の花かとそみる 
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
康保三年内裏歌合の時一番の人に花を奉らしめ給て、あさかれいのおましのかたに、やそ島をつくりて菊をうへさせ給へり、その菊のはに書付たりける歌 よみ人しらす 
いくたひか霜はをきけんきくの花やそ島なからうつろひにけり 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
康保三年内裏歌合に、十月廿二日大盤所の方のつほに、二番のかた草の花いとすくなく成にけれは、天橋立のかたをつくりて松につけたりける歌 よみ人しらす 
うつろはぬ松につけてや橋立の久しき世をはかそへわたらん 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

上東門院菊合に 大弐三位 
うすくこくうつろふ色もはつ霜のみな白きくとみえわたるかな 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

(同十三年癸酉。)十月十三日。殿上菊合。有十首和歌。
(帝王編年記~「新訂増補 国史大系12」)


「かるもかく〔枕詞〕」用例

2017年10月29日 | 日本国語大辞典-か行

 「かるもかく(枯草掻)」という枕詞の早い用例として日本国語大辞典は1244年頃の和歌を載せていますが、さかのぼる用例が複数あります。

かるもかくゐなののはらの秋風にこやのいけみづささらなみたつ
(146・関白内大臣歌合 保安二年、野風、19、雅光)
『新編国歌大観5』角川書店、1987年、165ページ

かるもかくゐまちの月もまちいでついまはいやすくねもやしなまし
(29・為忠家後度百首、秋月廿首・居待月・337)
『新編国歌大鑑4』角川書店、1986年、276ページ


「掻く⑧」用例

2017年10月28日 | 日本国語大辞典-か行

 「掻く」という単語の「熊手などで、集め寄せる。」という語釈の用例は、日本国語大辞典では1689年の俳句の用例を早い例として挙げていますが、もっとさかのぼる用例が複数あります。

 路落葉
落葉かく程成けりな吹かせのひまにもそよく森の下道
(巻第百六十三・為尹卿千首、冬)
『群書類従・第十一輯(訂正三版)』続群書類従完成会、1993年、22ページ

04857 [詞書] 庭紅葉
岩かくれ汀のちりとつもるともかきもはらはし宿の紅葉は
08288  [詞書] 寄絵恋
墨染の夕波かけて落葉かく絵島のあまもまつと告けこせ
01662  [詞書] 磯春草
春は又落葉かきても松陰の礒菜摘むなりあまのをとめ子
(草根集~日文研HPの和歌データベースより)


「神風」用例

2017年10月27日 | 日本国語大辞典-か行

 「神風」という単語の「(1)神の威徳によって吹き起こるという風。」という語釈の用例は日本国語大辞典・第2版では、『拾遺愚草』(1216-33年頃)からの例が早いのですが、さらに、120年ほどさかのぼる用例があります。

神かぜもかばかり身にはしまじかしかたしくそでのさゆるよなよな
(102・祐子内親王家紀伊集、78)
『新編国歌大観3』1985年、416ページ


若山牧水「木枯紀行」

2017年10月26日 | 読書日記

若山牧水 木枯紀行
 十月二十九日。
  宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
  真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。岸に沿ふた村の柿の紅葉がことに眼立つた。こゝらの村は湖に沿うてゐながら井戸といふものがなく、飲料水には年中苦労してゐるのださうだ。熔岩地帯であるためだといふ。(略)
 樹海などと呼びなされてゐる森林青木が原の中に入つたのはそれから直ぐであつた。成る程好き森であつた。上州信州あたりの山奥に見る森木の欝蒼たる所はないが、明るく、而かも寂びてゐた。木に大木なく、而かもすべて相当の樹齢を持つてゐるらしかつた。これは土地が一帯に火山岩の地面で、土気(つちけ)の少いためだらうと思はれた。それでゐて岩にも、樹木の幹にも、みな青やかな苔がむしてゐた。多くは針葉樹の林であるが、中に雑木も混り、とりどりに紅葉してゐた。中でも楓が一番美しかつた。楓にも種類があり、葉の大きいのになるとわたしの掌をひろげても及ばぬのがあつた。小さいのは小さいなりに深い色に染つてゐた。多くは栂(つが)らしい木の、葉も幹も真黒く見えて茂つてゐるなかに此等の紅葉は一層鮮かに見えた。
  わたしは路をそれて森の中に入り、人目につかぬ様な所を選んで風呂敷包を開いた。空が次第に明るむにつれ、風が強くなつた。あたりはひどい落葉の音である。樅か栂のこまかい葉が落ち散るのである。雨の様な落葉の音の中に混つて頻りに山雀の啼くのが聞える。よほど大きな群らしく、相引いて次第に森を渡つてゆくらしい。と、ツイ鼻先の栂の木に来て樫鳥が啼き出した。これは二羽だ。例の鋭い声でけたゝましく啼き交はしてゐる。

 十一月九日。
  早暁、手を握つて別れる。彼は坂を降つて里の方へ、わたしは荒野の中を山の方へ、久しぶりに一人となつて踏む草鞋の下には二寸三寸高さの霜柱が音を立てつつ崩れて行つた。
  また久し振の快晴、僅か四五日のことであつたに八ヶ嶽には早やとつぷりと雪が来てゐた。野から仰ぐ遠くの空にはまだ幾つかの山々が同じく白々と聳えてゐた。踏み辿る野辺山が原の冬ざれも今日のわたしには何となく親しかつた。

野末なる山に雪見ゆ冬枯の荒野を越ゆと打ち出でて来れば
大空の深きもなかに聳えたる峰の高きに雪降りにけり
高山に白雪降れりいつかしき冬の姿を今日よりぞ見む
わが行くや見る限りなるすすき野の霜に枯れ伏し真白き野辺を
はりはりとわが踏み裂くやうちわたす枯野がなかの路の氷を
野のなかの路は氷りて行きがたし傍への芝の霜を踏みゆく
枯れて立つ野辺のすすきに結べるは氷にまがふあららけき霜
わが袖の触れつつ落つる路ばたの薄の霜は音立てにけり
草は枯れ木に残る葉の影もなき冬野が原を行くは寂しも
八ヶ嶽峰のとがりの八つに裂けてあらはに立てる八ヶ嶽の山
昨日見つ今日もひねもす見つつ行かむ枯野がはての八ヶ嶽の山
冬空の澄みぬるもとに八つに裂けて峰低くならぶ八ヶ嶽の山
見よ下にはるかに見えて流れたる千曲の川ぞ音も聞えぬ
入り行かむ千曲の川のみなかみの峰仰ぎ見ればはるけかりけり

 おもうて来た千曲川上流の渓谷はさほどでなかつたが、それを中に置いて見る四方寒山の眺望は意外によかつた。
  大深山村附近雑詠。

ゆきゆけどいまだ迫らぬこの谷の峡間はざまの紅葉時過ぎにけり
この谷の峡間を広み見えてをる四方の峰々冬寂びにけり
岩山のいただきかけてあらはなる冬のすがたぞ親しかりける
泥草鞋踏み入れて其処に酒をわかすこの国の囲炉裏なつかしきかな
とろとろと榾火(ほだび)燃えつつわが寒き草鞋の泥の乾き来るなり
居酒屋の榾火のけむり出でてゆく軒端に冬の山晴れて見ゆ

(青空文庫より。底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版、1976(昭和51)年8月1日初版発行)