monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

アンソロジー好き

2009年04月29日 | 読書日記

 “アンソロジー好き”といっても、同人誌系のアンソロジーではありません。(一般的な)文学作品の、って意味で。
 そして、“好き”っていっても、読むのが好き、じゃなくて、私は“作るのが好き”なんだとゆーことに、気づきました。

 きっかけは、図書館で借りた 「M・エンデが読んだ本」 (ミヒャエル・エンデ編、丘沢静也訳、岩波書店)です。この本の中におさめられているのは、エンデが書いた文章ではありません。エンデが選んだ文章がおさめられてます。自分の人生を導いてきた文章を選んだのだとか。
 巻末の「読者への質問」には、「このような本を編むように言われたとしたら、あなたならどのような基準によって選択しますか?」という文があり、そこを読んで私は、“私なら――”と考え始めちゃったのです。具体的な書名とか、作家名とかが、つぎつぎと頭に浮かんできます。
 まずは、自分の思想のもととなった本や文章を集めるよね。それを、この本みたくアンソロジーとして編めば、オモシロイものができそう! 書き写すのは苦にならなかった方なので、感銘を受けた文章なんかはけっこーマメにノート(あるいは日記)に書き残してて、そーゆーのを集めてみたいなー。
 あと(それが終ったら)、テーマを限ったアンソロジーを編んでもいーし。自分が興味があることでね。――とゆーぐあいに、アンソロ企画が何本もできてしまいました。

 実は、今、夢中になってやってる“和歌集め&分類”ってやつが、立派な(?)アンソロジー編集なんじゃないかしら、と思い当たって、嬉しくなったり、アンタなら当然よ、と思ったり、心中複雑なキモチです。
 最終的には、大量の和歌を集めて類題和歌集を再編纂する! っていう壮大な計画なんだけど、いくらなんでも膨大すぎるし、和歌知識もあんまないし、ってことで、とりあえずは、主な歌題を1月から12月の時系列順に並べて、そこに和歌を何首かくっつけていく、って作業に没頭してます。春と冬が終わったとこ。
 しかしやってるうちに、まず旧暦を理解せねば、とか、古語ってやっぱ現代語とかなり意味がずれてる(ものもある)んだ、とか、1日の始まりと終わりの感覚が現代人と違うらしー、ってこととか、いろいろ出てきて、一朝一夕には終わりそーにありません。要提出のレポもあるので、そっちの方もちゃんとやりながら、(でも、できればこっちの和歌とも関連させつつ、)こなしていきたいなー、と思います。


一条ゆかり「プライド」

2009年04月28日 | 読書日記

 一条ゆかりのマンガ 「プライド」 読んでます。設定がいいよねー。クラシック声楽なんてマイナーなテーマなので、最初はどーかな、と思ったけど(個人的にはウレシイ設定)、やっぱウマイです。設定がよい。いろいろ起きる出来事で、ストーリー展開に引き込まれてしまう。からんでくるサブキャラもよい。いやー、ホントにエンターテイナーだよねー。読者をダレさせないもん。
 ふつーに(あるいは古典少女マンガ的に)考えれば、想いあってる者同士・蘭×史緒がくっついてハッピー・エンドか、と思われますが、そこは一条ゆかり先生ですから。どーなるか、わかりません。
 私なんて、最初に読んだ時点で、「神野サンと結婚して金と地位を手に入れて、蘭クンを愛人にてLOVEもゲットする」なんて、およそ夢のないラストを思い描いてました。(でも、自分がそーゆー状況にあったら、“両手に花(?)”の選択をするよ、とマジで思ってます。むちゃ美味しすぎ~。)

 蘭クンのマイナスイメージは今のところは出てきてないよね? 対するライバル・神野サンは、最初の方は冷血な感じで、「アンタと史緒は、ハッピー・エンドにゃならねーよ!」と思ってましたが、最近は、嫉妬のあまりあらぬ振る舞いに至ってしまうなど、読者の好意を獲得しつつあるように思います(私は、ね)。
 しかし萌の妊娠に関しては、「避妊しろよッ!」「バカだね~」と神野サンにはツッコミを入れてしまいました。でもこのハプニングがないと、以降の話が展開していかないんだけどね。(じゃあ通常のおアソビでは避妊してるのか、っつーと、そこらへんの説明はなかったよーな気がします。)
 そして萌が、かなり上昇してきました。悲惨な家庭環境、史緒に対するねたみなど、かなり低いとこに置かれてたけれど、オメデタが彼女を引き上げてくれてるみたいです。
 今後は蘭クンの立場がどー変化していくか、が押さえどころでしょーか。あくまで「いい人」のままなのか。多少強引に行動すればまた違うんだろーなー、とは思うものの、人物設定的にそれはナイよーな気もします。上昇した仕事運がいきなり下降しちゃう、みたいな展開になったりはしないかな? “史緒クンが幸せなら”などと言ってる「いい人」のままなら、一生、史緒とはくっつかないゾ、と思います。

 連載の方は、SRMの第二弾レコーディング実現に向かっているようで、さらなる修羅場が期待できそうです。(気持ちよく歌えるんなら、おなかの子にはよい胎教だよね。)

 シリアス好きな私としては、別にハッピー・エンドじゃなくっても、全然かまわないです。男不在の結末、って予想もあるみたいで、それはそれで「あり得るかも」と、思います。ドロドロの人間関係を楽しんでいきたい作品です。


静かなのが好き

2009年04月27日 | 雑日記

 パソコンの音声設定なんですが、私は通常ミュートの状態で使ってます。いちいち効果音がするのは、いくら音量を絞ったとしても、うるさいんだもん! 音が必要になった時にミュートを解除して、その用事が終ったらミュートに戻してます。
 なので、引っ越し後にパソコンのセッティングしたんだけど、面倒だったので、いまだにスピーカーが付いてません。“今度、音声が必要な時に、付けよう”などと思ってます。


丁寧語

2009年04月26日 | 読書日記

 「橋本治が大辞林を使う」(橋本治、三省堂)を読んで、敬語(丁寧語)で話すこと・書くこと、の一効果を実感。
 ひとりよがりな「だ・である」体で、モノローグをしゃべる・日記を書くと、聞く方・読む方は、ミョ~に馴れ馴れしくされてるみたいで、イヤなんだそうです。
  初対面の相手とは、まずは「です・ます」の丁寧語で話そうね、ということだと思います。

 丁寧語は距離を保つための言葉・表現、という見方は、自分でもその通りだと思ってたので、「自分の嫌ってる相手にタメ口で話しかけられると嫌な気分になる」の理由がわかって、すごーく納得しました。
 そして、敬語・丁寧語好きな自分は、人間関係全般を薄いものにしたがってる、ということを自覚させられました。(←コレが一番の収穫!?)

 面白いことに、この文章を読んだ後の私のブログの文体が、いきなり「です・ます体」に変わっているんですねー。(かなり影響されやすい私……。)とりあえずしばらくは、このブログも丁寧語になりそうです。


くずし字、変体仮名

2009年04月25日 | 雑日記

 くずし字とか変体仮名とか、昔の字を読めるようになりたい、って思ってたので、とりあえず読み方講座を受けてみることにしました。自習もできるハズだけど、ある程度強制されないとなかなか取り組めないんだもん。
 そーか、そーか。原稿用紙ねー。なるほどー。たしかに、自分では判読できない文字を空きスペースとして残しておけるから、便利よね。今まで普通のノートとか無地用紙を使ってたけど、コレでいきましょー。早速、帰りに入手してきて、次回の予習もヤル気マンマンです。
 「くずし字辞典」のたぐいも買ったはいーけど、使い方がよくわかってなかったのね。引き方も教えてもらったので、やっと使いこなせるようになる(かなー?)。
 しかし、いろいろコツは教えてくれるので早道だけれども、結局は自分の頭の中に入れなきゃーダメなのよね。ふぅ~。書道も習いたくなってきた……。だって、書き順とか省略の形とか、絶対、書道を習って連綿とか変体仮名をやってる人なら、読める字が多いに決まってるもん。

 自習用教材は、「土左日記」かな。これを原文のままの漢字・仮名づかいで文字に起こすことを完成させる! を目標に作業してみる。(コレ、小松英雄氏の本を読んでて思いついたこととも関係してる。)