monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 牡丹

2021年04月30日 | 日本古典文学-夏

 牡丹
何(いづ)れの處(ところ)の種(しゅ)なるかを知らず
喜びて見る 牡丹(ぼうたん)の花
雨を帯(お)ぶれば 傾(かたぶ)きて架(たな)に臨(のぞ)む
風の随(まにま)に 引きて沙(いさご)に亞(た)る
あに 塵容(ぢむよう)の苑(その)に攀(ひ)かむや
當(まさ)に 玉仙(ぎょくせん)の家(いへ)に翫(もてあそ)ばむ
朗詠(らうえい)して 叢(くさむら)の邊(ほとり)に立(た)てれば
悠悠(いういう)として 日(ひ)の斜(ななめ)なることを忘(わす)る
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

花開き花落つ二十日、一城の人皆狂ふが若し
(白居易 「牡丹芳」~ウィキペディアの「ボタン(牡丹)」より)

まづ僧坊におりゐてみいだしたればまへにませゆひわたしてまだなにともしらぬ草どもしげきなかにぼうたん草どもいとなさけなげにて花ちりはてゝたてるをみるにも散るがうへはときといふことをかへしおぼえつゝいとかなし。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

くれなゐのやしほの色のふかみ草を卯の花がきの庭に見るかな
ふかみ草やへのにほひの窓のうちにぬれて色こきゆふだちの空
(拾玉集)

夏木立庭の野すぢの石の上にみちて色こきふかみ草かな 慈鎮和尚
紅のいろ深見草さきぬればをしむ心もあさからぬかな 前参議教長卿
(夫木和歌抄~「校註国歌大系21」)

新院位におはしましゝ時牡丹をよませ給ひけるによみはべりける 關白前太政大臣
咲きしより散果つる迄見し程に花のもとにて廿日へに鳬
(詞花和歌集~バージニア大学HPより)

うゑたつるまかきのうちのしけりあひてはつかにみゆるふかみくさかな
(正治初度百首・生蓮(源師光)~日文研HPより)

はつかのつきそおそくいてぬる/さきちるはほとこそなけれふかみくさ 
(続草庵集~日文研HPより)

夏にいりて恋まさるといへるこゝろをよめる 賀茂重保 
人しれすおもふ心はふかみ草花開てこそ色にいてけれ 
(千載和歌集~国文学研究資料館DBより)

きみをわかおもふこころのふかみくさはなのさかりにくるひともなし 
きみのみやこころふかみのはなとみるわかおもかけにさらぬにほひを 
(経信集~日文研HPより)

むらさめのつゆさへのへのふかみくさたれかすみすてしにはのまかきそ
(壬二集~日文研HPより)

六条摂政かくれ侍て後、うへをきて侍ける牡丹のさきて侍けるをおりて、女房のもとよりつかはして侍けれは 大宰大弐重家 
かたみとてみれはなけきのふかみ草なに中++の匂ひ成らん 
(新古今和歌集~国文学研究資料館DBより)

 御子左入道大納言家旬十首、牡丹
咲きにけり何ぞは色のふかみ草さらでも人の花になる世に
(草庵集~「和歌文学大系65」明治書院)

牡丹
咲く花の露も心もふかみ草たたなほさりの色とやは見る
ともに見んことわりあれやもろこしの師子を絵かけはほうたんの花
(草根集~日文研HPより)

 名とり草
おる人の心なしとや名取草 花みる時はとかもすくなし
(纂題和歌集~明治書院)

扨も草花の大将に。牡丹は情も深み草。浅からざりし花の名の。真先かけて咲き乱れ。
(謡曲「花軍」~半魚文庫「謡曲三百五十番」より)

獅子団乱旋の、舞楽の砌、獅子団乱旋の、舞楽の砌、牡丹(ぼたん)の花房(はなぶさ)、匂ひ満ち、大筋力(たいきんりきん)の、獅子頭、打てや囃せや、牡丹芳(ぼたんばう)、牡丹芳、黄金(くゎうきん)の蕊(ずい)、あらはれて花にたはぶれ、枝に伏し転(まろ)び、げにも上なき、獅子王の勢ひ、(略)
(謡曲「石橋」小学館・日本古典文学全集)

二十日余りになりて、御前の牡丹の盛りに咲き満ちたるを、ところからは並ぶべうもなくめであへる。げにきらきらしう、花やかなるかたは、をかしき花のさまを、一枝折りてまかでぬれど、例の夕暮は、いづこをはかとなく、浮き立つ心のみまさりて、ながめゐたる空の気色さへ、少し曇(くも)らはしく、時雨うちそそぐよひのまに、ほのめきそむる郭公(ほととぎす)の初音は、いづれの国境(くにざかひ)にも変らざりけり。
(松浦宮物語~小学館・新編日本古典文学全集)

 ぼたんの花の、におひおほく咲きみだれたる、朝ぼらけに初ほととぎすの一こゑおとづれたるほどとや聞こえむ。
(「平家花ぞろへ」で、平重衡を花にたとえている部分~「室町時代物語集成12」角川書店)

この御だうの御まへのかたには。またいけのかたにかうらんたかうしてそのもとにさうひ。ほうたんからなでしこ。らんれんくゑのはなどもうつさせ給へり。 
(栄花物語~国文学研究資料館DBより)

(承安二年四月)二十日〈戊午〉右大臣兼実法性寺ノ牡丹ヲ法皇ニ献ス。
(玉葉~東京大学史料編纂所データベース・大日本史料総合データベースより)

(寛喜元年四月)十五日(壬子)。天陰る。朝より甚雨。昏に臨みて間々休む。聖法印国務・貞法印祇園・隆承僧都梨本の庄務、房中悦喜放光と云々。諸苦の因る所人の逃るる無きか。牡丹の花を折りて仏に供す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜元年五月)五日(壬申)。朝天晴る。(略)牡丹の花盛んに開く。此の花端午の日に逢ひ、年来之を見ず。瞿麦此の間に漸く綻ぶ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(略)猶草むらに分け入りければ、ふかみ草のさかりさきたるを見て、「卯の花は、つぼみてだにもちるに、此の花の思ふ事無げにさかりなるや。如何にさくとも、二十日草、さかりも日数の有るなれば、花の命も限り有り。哀れ、身に知る心かな」と涙ぐみければ、五郎聞きて、「此の草の事は、花開き落ちて同じく、一城の人たぶらかすが如しと見えたり。是は、楽府の言葉なり。又、歌にも、
 名ばかりはさかでも色のふかみ草花さくならば如何で見てまし 
と口ずさみければ、十郎聞きて、「此の歌は、未ださかざる時も、色深き草とこそ詠みたれ。さかりの花にも、心や違ふべからん」とたはぶれけるにも、哀れ残さぬ言の葉は無かりけり。
(曾我物語~国民文庫)

深見草今を盛りに咲きにけり手折るも惜しし手折らぬも惜し 
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

 女の牡丹を見たる絵に
ます鏡見ませわが背子君(きみ)をわが思ふ心の深見草(ふかみぐさ)これ
(平賀元義集~校註国歌大系19)

 牡丹
夢にだにみぬもろこしの顔よ人おもかげにほふ深見草かな
(千々廼屋集~校註国歌大系19)

 楊貴妃
ふかみ草よそに香をしも漏らさずば花のはつかに色はあせじを
(空谷伝声集(やまびこしゅう)~校註国歌大系19)

わが友魚淵といふ人の所に、天が下にたぐひなき牡丹咲きたりとて、いひつぎきゝ傳 へて、界隈はさらなり、よそ國の人も足を勞して、わざわざ見に來るもの、日々多かりき。おのれもけふ通りがけに立より侍りけるに、五間ばかりに花園をしつらひ、雨覆ひの蔀など今樣めかしてりゝしく、しろ紅ゐ紫花のさま透間もなく開き揃ひたり、其中に黒と黄なるはいひしに違はず目をおどろかす程めづらしく妙なるが、心をしづ めてふたゝび花のありさまを思ふに、ばさばさとして、何となく見すぼらしく、外の花にたくらぶれば、今を盛りのたをやめの側に、むなしき屍を粧ひ立て竝べおきたるやうにて、さらさら色つやなし。是主人のわざくれに紙もて作りて、葉がくれにくゝりつけて、人を化すにぞありける、されど腰かけ臺の價をむさぼるためにもあらで、たゞ日々の群集に酒茶つひやしてたのしむ主の心おもひやられて、しきりにをかしくなん。
 紙屑もぼたん顏ぞよ葉がくれに   一茶
(おらが春~バージニア大学HPより)

折から這(この)客殿の庭に、牡丹花開満(さきみち)て、紅白色を交(まじ)へたる、香風馥郁として、得もいはれぬ看弄(ながめ)にあなれば、(略)
牡丹は上古(いにしへ)這(この)大皇国(おほみくに)になし。延喜・天暦の比なりけん、渤海国の商舩(しょうはく)、創(はじめ)て載(のせ)て来(き)にければ、牡丹の和名(わみゃう)をふかみぐさといふ。ふかみは渤海の仮字(かじ)なり。崇徳帝の御時より牡丹の歌あり。且(かつ)牡丹は、極寒(ごくかん)の地に宜(よろ)しからず。東南温暖の彼方(ところ)に、相応(ふさは)しと聞(きこ)えしかば、当時(そのかみ)詔(みことのり)して、其根(そのね)を紀伊・薩摩・安房へ植(うゑ)させ給へり。是(これ)よりの後(のち)処々(しょしょ)に分根(わけね)して、今は諸国(くにぐに)に多くあり。(略)
(南総里見八犬伝~岩波文庫)


古典の季節表現 夏 四月 舎利会

2019年04月28日 | 日本古典文学-夏

醍醐の舎利会に花のちるをみてよめる 珍海法師母
けふも猶おしみやせまし法の為ちらす花そとおもひなさすは
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

舎利会をこなひ侍けるついてに、蓮を 後京極摂政前太政大臣
此世より蓮の糸にむすほゝれ西に心のひく我身哉
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(寛弘四年四月)十日、丙子。
明日の天台舎利会について、蔵人頭たち(藤原実成・源頼定)が聞きに来た。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

四月になれば、賀茂の祭とて世騒ぎたるに、又山の座主、山の舎利を女のえ拜(おが)み給はぬ事いといと口惜しとて、舎利会せんとて、舎利はまづくだし奉り給へれば、世中の人びと拜み奉る。祭はてゝ、四月廿日余りに舎利会せさせ給。法興院より祇陀林といふ寺に渡し奉らり給程の有様を日頃いみじうとゝのへのゝしりて、小一条院、入道殿などの御桟敷をはじめ、さるべき殿ばらの御桟敷ども、いといみじく造りのゝしりたり。まづその御桟敷の有様ぞいみじき見物(みもの)なる。その日になりぬれば、三百余人の僧の、梵音・錫杖の音などさまざまいみじくめでたく装束きとゝのへて、御輿二つをさきにたて奉りて、定者左右よりいみじくおかしげにて歩み続きたるに、御輿につきたる物ども、頭には兜(かぶと)といふものをして、いろいろのおどろおどろしういみじき唐錦どもを著(き)て、持ち奉れり。楽人・舞人、えもいはぬ■(くさかんむり+廾)の顔すがた(かをかたち)にて、左右にわかれたる僧達に続きたり。御輿のおはします法興院より祇陀林までの道の程、いみじき宝の植木どもをおほし竝(な)めたるに、空より色々の花降り紛(まが)ひたるに、銀(しろがね)・黄金(こがね)の香炉に、さまざまの香をたきて薫じ合せたる程、えもいはずめでたし。祇陀林におはしまして、御前の庭を、たゞかの極楽浄土の如くにみがき、玉を敷けりと見ゆるに、こゝらの■(くさかんむり+廾)舞人どもに、例の童べのえもいはずさまざま装束たる、舞ひたり。この楽の■(くさかんむり+廾)達の金・銀・瑠璃の笙や、琵琶や、簫(さう)の笛、篳篥など吹き合せたるは、この世の事とゆめに覚えず、たゞ浄土と思なされて、えもいはずあはれに尊くかなし。事ども果てぬる際(きは)に、被(かづけ)物、入道殿御桟敷より、様ざま残りなくせさせ給へるに、山の座主の御心掟(おきて)も、様ざまめでたくいろいろにせさ給へり。(略)
(栄花物語~岩波・日本古典文学大系新装版)


古典の季節表現 夏 四月中旬

2019年04月15日 | 日本古典文学-夏

 同三年四月十二日、飛香舎にて藤花宴ありけり。右大臣・左衛門督・左兵衛督候給。和歌糸竹の興などはてゝ、女御、御おくり物ありけり。先皇の勤子内親王にたまひける筝譜三巻、貞保親王のもちゐたりける笛・螺鈿筝などをぞたてまつり給ける。件(くだんの)筝、奇香あるよし、李部王記し給たるとかや。いかなるにほひにてか侍けむ。ゆかしき事也。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

 大斎院と申は、村上の御門の御女也。其時小野宮右大臣、大納言にて、まつりの上卿にて、本院に参て、客殿上殿につかんとせられけるを、「申べき事あり。まづ是へ」と仰せられければ、御前へ参られたるに、御簾のうちに茵(しとね)しきて、女房つたへ仰られける、「中宮より色々の扇をたまはせたりつる。つかひ少将雅通也。女房とゞめつれ共、ひきはなちてにげぬ。ねたき事なり。いかゞすべき。この事いひあはせんとてなん」と仰られければ、大将申されける、「明日の形見下にて参たらんとき、今日の禄を給ふべきなり。中宮よりの御桧扇とりいでゝ、みせたまひけり。女房取つたふ」とて、御簾にかほをかくして、身はあらはにいでゝなんありける。そのふるまひたよりありて、艶に見えけり。
 かへさの日、雅通ものみんとて、知足院の辺にありける所へ、斎院のさむらひ、御ふみ、禄をもちてきて、車になげいれて、馬をはせてかへりにけり。興ある事になん、時の人申ける。少将用意なきよし、人々いひけり。
(「續古事談」おうふう)

うちのわかみやの御五十日。四月十よ日。その日のありさまいふにかたなし。一ほんのみやにようごどのゝにようばううちいだしわたしたり。日くれかゝるほどに。うへわたらせ給御ともに。かんたちめてんじやう人あまたさふらひ給。もとよりこの御かたにさふらひ給人びと。まちむかへまいらせおりさはぐほどもいとめでたし。うへの御ありさまさかりにものものしくおはします。廿七八ばかりにぞならせ給ふ。にようばうなでしこにこきうちたるををしいでわたしたり。この御とききぬのかずすくなく。くれなゐをきせさせ給はす。御前物かんたちめとりつゞきてまいり給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

承元二年四月十三日壬子。天晴。時属清和。世楽静謐。
太上天皇機務の余閑に前大相国郁芳里第に臨幸し給ひて、蹴鞠の宴あり。盖是
(略)御服一具二重。をり物の御狩衣直衣。〈地白。竹桐のおりえだをあをき紫の糸にてをる。〉うす色の御さしぬき。もえぎの御うちぎ。すゞしの御単。おなじき御おほくち。御おび。御扇。ふせむれうの あか色の三重褁に。いろしろがねの鞠一丸をく。〈金をもてこれをぬりふすべ。まりをうつす。〉にしきの御したうづ一そく。〈紫地のにしき一反にてこれをつくる。〉ぬひめに伏ぐみあり。上わかかえでの うち枝に付て。是をあひそふ。以下の座おなじく ついがさねをすふ。公卿二本。殿上人一本。(略)
からあやのまり。〈山ぶき三白四。をのをのつくり花の枝につく。〉にしきのしたうづ。〈をのをの一反にて是をつくる。〉北面の衆行景のれう上におなじ。但あをはかまをもちゆ。(略)
此間。上中下の輩。皆悉く恩賜の装束を着してまりの庭にあひのぞむ。左馬権頭忠綱 まりを持てすゝみ出で 木の下にをく。次にあげ鞠のことあり。まづ下八人あげ鞠家綱。
(略)
次に又忠綱上料の御鞠〈燻。〉を持参す。宗長朝臣是をあぐ。二足の後御所に進上。于時清風ゆるく扇て。微雨まゝそゝぐ。数重の白妙ちりをやめ。一枝の紅梅梢にのこる。(略)
(承元御鞠記~群書類従19)

(承元二年四月)十三日。天陰る。微雨、時に灑ぐ。夜に入り甚雨。青侍等見物する者云ふ、日来風聞す。院御鞠の間、勝事と。今日大炊御門(大相国亭)に於て行はると云々。南庭に新屋を造りて御所となす。其の東に公卿の屋、殿上人の屋、北面・西面に至りて各々其の屋有り。風流過差、口の宣ぶる所にあらず。皆、金銀錦繍にあらざるは莫(な)し。鞠足の輩、給はる物、皆是れ金銀なり。按察召しに依りて参入す(成通卿の子息の古老に依り、其の座に接す)、言語の及ぶ所にあらず。入興の輩、定めて委しく注するか。又尋ね問ふべし。午始に御幸と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(安貞元年四月)十四日。朝天晴る。終夜風。昨今、蝉の声を聞く。
十五日。天晴れ、風吹く。明月片雲なし。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年四月)廿日。天晴る。午後に急雨、即ち休む。(略)未の時許りに、雨後郭公の初声(但し十余声に及び、頗る無念)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十三日 乙酉。若君南庭ニ出御シタマヒ、手鞠ノ御会有リ。又駿河三郎光村、筑後九郎知氏、伊賀左衛門太郎宗義、佐佐木八郎信朝競馬ニ騎ル、其ノ後各又相撲ノ勝負ヲ決スト〈云云〉。島津三郎兵衛忠義行事タリ)
(吾妻鏡【貞応二年四月十三日】条~国文学研究資料館HPより)

十七日。辛卯。霽。将軍家并ニ御台所武州ノ御亭ニ入御。彼ノ東ノ壷ノ卯ノ花瞿麦等ノ花盛ナリ。仍テ御連歌有リ。相模ノ三郎入道真昭、式部大夫〈政〉、式部大夫親行、大夫判官基綱、都筑ノ九郎経景等召シニ応ジテ参上ス。親行秀句ヲ献ズルヤノ間、直ニ御剣ヲ賜フ。暁更ニ及ンデ還御。六位ノ八人松明ヲ取ル。
(吾妻鏡【天福元年四月十七日】条~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 六月上旬

2018年06月02日 | 日本古典文学-夏

まづ僧坊におりゐてみいだしたればまへにませゆひわたしてまだなにともしらぬ草どもしげきなかにぼうたん草どもいとなさけなげにて花ちりはてゝたてるをみるにも散るがうへはときといふことをかへしおぼえつゝいとかなし。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

(長保五年六月)二日、庚申。
(略)今夜、御庚申待が行なわれた。(源)道済が序を献上した。(藤原)広業が題を出した。「瑶琴(ようきん)は治世の音」と。探韻を行なった。この題で、御書所も同じく作文会を行なった。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘七年六月)七日、甲寅。
土御門第の文殿(ふどの)の人々が、作文を行なった。題は、「青松は、古い苔を衣とする」であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 六月大
一日 己丑 大姫公ノ御方ノ山ノ際ノ前栽ニ於テ、 田ヲ殖エラル。美女等之ヲ殖ユ。皆唱歌ス。又壮士ノ中ニ能芸有ルノ輩ヲ召シ出サレ笛鼓ノ曲ヲ事トスト〈云云〉。
(吾妻鏡【文治四年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)

 六月小
一日 甲申。晴 御所ニ旬ノ御鞠ナリ。一条ノ侍従定氏奉行トシテ、人人ヲ催ス。将軍家、〈御狩衣、直衣〉立タシメ御フ。土御門ノ中納言〈布衣〉刑部卿〈同ク上鞠一足〉 前ノ讃岐ノ守忠時朝臣〈同ジ〉二条ノ少将雅有朝臣〈同ジ〉小野寺新左衛門ノ尉 〈布衣〉計ヘ申ス三百
(以下略)
(吾妻鏡【正嘉元年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)

 六月大
一日 丁酉 疾風、暴雨、洪水。河辺ノ人屋ハ、大底流失シ、山崩レ、人多ク磐石ノ為ニ、圧サレテ死ス。
(吾妻鏡【文応元年六月一日】条~国文学研究資料館HPより)

(嘉禄元年六月)二日(辛卯)。天晴る。右武衛の家、所労の人有るの由伝へ聞く。(略)右幕下音信の次で、氷を送らる。下官本より炎暑に堪へず。氷を愛すること懇切なり。伝へ聞かるるか。昔、禁裏に暑月参ずる時、常に別して削氷を賜はる。今往事を思ひ、更に旧恩を感ず。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年六月)二日。遅明に雨止む。未の時許りに大雨沃ぐが如し。又止む。昏に臨みて又雷電。河水溢るるの由を聞く。鷹司の末に出でて之を見る。是より先、水已に落つと云々。中島幷に岸の草等皆顕はる。指したる事無し。但し、下の辺りに於ては往還せずと云々。侲子狂言に云ふ、霖雨は是れ廃后の涙と云々。夕後に雷電猛烈。大雨沃ぐが如し。匪直なる事か。戌終許りに雷声止む。雨、終夜降る。
三日。遅明に大雨、飛礫の如し。路頭門庭、皆河の如し。辰巳の時許りに大雨殊に甚だし。諸水流れ溢る。蓬門の庭上、偏へに池の如し。草樹皆菰蒲の如し。午の時、雨僅に止むと雖も、水更に晞(かわ)かず。今夜又降る。定めて寝所に及ぶか。此の地、低湿にして水門なし。此の時に逢ひ、尤も計を失ふか。酉の時に及びて夕陽晴る。而も、東南猶雲暗し。夜深く又雨降る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(元久元年六月)十日。天晴る。暁に帰洛す。近日、夜々の冷気、季秋初冬の如し。昼猶、常に綿衣を着す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)


古典の季節表現 夏 五月 最勝講

2018年05月27日 | 日本古典文学-夏

最勝講は十八日よりなれば、結願廿二日也。行香にたつ人々、左大臣殿〔近衞殿〕・花山院大納言〔さだまさ〕・權大納言〔さねを〕などぞ、御あかしのひかりにほのみしりたりし。さならぬ人々はいとみわかず。殿はおにの間に候はせ給ふ。きゝもしらぬ論議のこゑも、結願なにとなく名殘おほくて、辨内侍、
くらべみる御法のちゑの花ならばけふやはつかに蕾開けん
(弁内侍日記~群書類從18)

さいしよう講は、廿二日よりはじまりて、廿六日結願也。この御所にては、これがはじめなれば、めづらかに、行香のほどおもしろし。鬼の間をかみにて、御てうづの間・大ばん所はうしろに(*一字欠)、堀川内大臣ともみ・冷泉大納言・權大納言・新大納言・左衞門督・三條中納言、ふぞくさだひら・きんたゞ。ことゞもおそくはじまりて、有明の月出づるほどに、人々出で給ひし。そのころ〔廿三日〕聖護院僧正、正觀音法おこなはる。ひろ御所、廿七日結願なるべきを、そのよ行幸にて侍りしかば、あかつきの御ときをひきあげて、夕暮れにおこなはれし。れいのこゑもことさら心すみてたふとかりしかば、辨内侍、
曉のかねよりもなほ夕ぐれのれいじにれいの聲もすみけり
(弁内侍日記~群書類從18)

やうやう十日あまりになりぬれば最勝講いとなみあひまゐらせてと聞きしかば、はてての十余日ばかりのつれづれ物語には、その日の論議を言ひ出し、いみじさなど沙汰せさせ給ひし思ひ出でらる。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

かくてとしかはりぬれは寛元元年ときこゆ。五月廿六日より最勝講はじめておこなはる。関白をはじめ上達部殿上人残りなくまいり給ふ。左右大将〈たゝいへ さねもと〉のくるま陣にたつるとて。あらそひのゝしりていみじうおそろし。
(増鏡~国文学研究資料館HPより)

 仁平二年五月十七日、最勝講おこなはれけるに、中山内府、蔵人左衛門佐にて奉行せられけるに、廿一日結願日、左大臣まゐり給て、御装束をみさせ給けるに、九条大相国大納言にておはしけり、資信中納言の左大弁とて参られたりけるが、講読師座のたてや、例にたがひたるよし申されけるにつきて、左府、奉行の職事におほせられて、なほされにけり。左府、のちに日記をみさせ給けるに、本(もと)の御装束たがはざりければ、僻説にてなおされつる事をくいたまひて、怠状をかきて職事のもとにつかはしける、正直なりける事かな。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

最勝講の御聽聞所なるをば、「御かうのろ」とこそいふ を、「かうろ」といふ、くちをしとぞ、ふるき人はおほせられし。
(徒然草~バージニア大学HPより)

(嘉禄元年五月)廿日(庚辰)。天晴る。巳後に陰る。夜に入りて雨降る。(略)今日、最勝講始めと云々。猷僧都に小字経・却温神咒経を請け奉る。竹の筒に入れ、門の上に(釘を以て)打つ。今日、同経を書き奉る。承源の本なり。即ち承源に供養せしむ。
廿四日。(略)最勝講結願と云々。(略)
廿六日。天晴る。未後に陰る。経高卿書状に云ふ、最勝講の初日の行香足らず。通方資経卿、笏を置き参じ進むの間、中納言中将、御前の座を起ち、小板敷に於て剣を解き、笏を把りて帰参さる。之を見て両卿帰り来たり、笏を把り上戸を出づるの間、資経又思ひ返し、帰りて笏を御倚子の前に置き、行香し訖んぬ。通方、家嗣卿の笏を取り、帰り来たる。彼の卿来たるの後、之を取り替ふ。不請の気有りと云々。行香、猶新儀に及ぶ。狂乱の作法か。尤も末代の議に叶ふ。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜元年五月)廿三日(庚寅)。天晴る。最勝講始めと云々。法眼長賢、巳の時許りに来たる。奈良禅師の御房聴衆に参ぜしめ給ふ。殿上人両方の御随身、迎送し奉るべしと云々。時を得たる御運か。尤も以て厳重なり。夜に入り宰相来たる。最勝講に参じ早く出づ。禅師御房、御直蘆より参じ給ふ。殿下・左大将殿御随身前行。殿上人師季朝臣・有教朝臣・雅継朝臣・頼行・能定等御供に在り。公卿殿下・左大臣・右大臣・右大将・中納言通方・経通・定高・参議伊平・隆親・為家・範輔・宣経。堂童子信盛・能定・兼宣・宗氏。治部卿、御願の趣を仰すと云々。明日参ずべき公卿、大納言雅親・中納言国通・雷資・参議経高・家光・範輔(此の宰相五巻の日、第四日)。禅師御房の御所作五巻の日に参ずべしと云々。(略)
廿六日(癸巳)。曙後に雨止み、天晴陰。(略)昨日の最勝講、殿下・右大臣殿・大納言雅親・大将・家嗣・中納言公氏・通方・経通・実基・定高・具実・参議隆親・為家・宣経。出居宗平・雅継・実蔭・兼輔・実任。堂童子信盛・宣実・能定・知宗と云々。侍従、門前に来たる。病者に逢はずして帰る。夕に定修来たる。逢はず。最勝講の聴衆、座主挙げ申し給ふ。殿下御返事なしと云々。排堂供奉の事、一事の恩顧なし。騎馬すべきの由責め有りと云々。不運の法師、文拙きを以て交衆。尤も由無き事か。只暗き跡雲霞たるべき者なり。
廿八日(乙未)。漢雲遠く晴る。今日、最勝講僧名を見及ぶ。
證義者、僧正実尊・法印聖覚。
初日。朝座講師、覚遍。問者番範。暮。公性。問。良遍。
第二日。円聡・良盛・親縁・道喜。
第三日。憲円。問。尊家。暮の講師、長静、円―。
第四日。同じく、経円・円成。同じく聖基・経海。
結願。同じく智円・実縁。同じく、公命・定兼。
威儀師。厳儀(惣じて庁に在り)、従儀師相円(惣じて是れ又)。僧事、大僧正実尊・円基辞退の替へ(五月廿七日)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十九日。癸巳。小雨降ル。申ノ刻天晴。今日最勝講ノ始ナリ。
(吾妻鏡【嘉禎四年五月十九日】条~国文学研究資料館HPより)