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古典の季節表現 秋 九月

2015年09月09日 | 日本古典文学-秋

九月ばかり、夜一夜降りあかしたる雨の、今朝はやみて、朝日の花やかにさしたるに、前栽の菊の露、こぼつばかりぬれかかりたるも、いとをかし。透垣、羅文、薄などの上にかいたる蜘蛛の巣の、こぼれ殘りて、所々に糸も絶えざまに雨のかかりたるが白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。すこし日たけぬれば、萩などのいとおもげなりつるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふと上樣へあがりたる、いみじういとをかしといひたること人の心地には、つゆをかしからじと思ふこそ又をかしけれ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

あなたの御前を見やりたまへば、枯れ枯れなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかに眺めたまふらむ御ありさま、容貌も、いとゆかしくあはれにて、え念じたまはで、
  「かくさぶらひたるついでを過ぐしはべらむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御訪らひ聞こゆべかりけり」
  とて、やがて簀子より渡りたまふ。
  暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影あはれに、追風なまめかしく吹き通し、けはひあらまほし。簀子はかたはらいたければ、南の廂に入れたてまつる。
(略)
心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして、寝覚がちに思し続けらる。とく御格子参らせたまひて、朝霧を眺めたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひてたてまつれたまふ。
  「けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地しはべりて、うしろでもいとどいかが御覧じけむと、ねたく。されど、
   見し折のつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらむ
 年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは」
  など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知らぬやうにや」と思し、人々も御硯とりまかなひて、聞こゆれば、
  「秋果てて霧の籬にむすぼほれあるかなきかに移る朝顔」
  似つかはしき御よそへにつけても、露けく」
  とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青鈍の紙の、なよびかなる墨つきはしも、をかしく見ゆめり。
(源氏物語・朝顔~バージニア大学HPより)

九月ばかりのゆふべ前栽の枯れがれになりゆき、空のけしきもあはれに心ぼそげなるに、すゝきの、をのれひとり風になびきてうちまねきたるも心ときめきせられて、
  たづぬべき方しなければ古郷の尾花が袖にまかせてぞみる
(浜松中納言物語~岩波・日本古典文学大系77)

 かくて、年ごろ願あるを、いかで初瀬にと思ひ立つを、立ゝむ月にと思ふを、さすがに心にしまかせねば、からうして九月に思ひ立つ。(略)門出ばかり法性寺の辺(へ)にして、あか月より出で立ちて、午時ばかりに宇治の院にいたり着く。
 見やれば木の間より水の面(おもて)つやゝかにて、いとあはれなる心ちす。(略)
 又の日、霜のいと白きに、詣でもし帰りもするなめり、脛を布の端して引きめぐらかしたる者ども、ありき違ひさわぐめり。蔀さしあげたるところに宿りて、湯わかしなどするほどに見れば、さまざまなる人の行き違ふ。おのがじゝはおもふことこそはあらめと見ゆ。(略)
 それより立ちて、行きもて行けば、なでふことなき道も、山ふかき心ちすればいとあはれに、水の声も例に似ず霧は道まで立ちわたり、木の葉はいろいろに見えたり。水は石がちなる中より湧きかへりゆく。夕日の射したるさまなどを見るに、涙もとゞまらず。道はことにをかしくもあらざりつ。もみぢもまだし、花もみな失せにたり、枯れたる薄ばかりぞ見えつる。
 こゝはいと心ことに見ゆれば、簾(すだれ)まきあげて、下簾おしはさみて見れば、着なやしたる物の色も、あらぬやうに見ゆ。うすいろなる薄物の裳を引きかくれば、腰などちりひて、焦がれたる朽葉に合ひたる心ちも、いとをかしうおぼゆ。(略)
 落忌(としみ)のまうけありければ、とかうものするほど、川のあなたには、按察使の大納言の領(らう)じ給ところありける、「このごろ網代御覧ずとて、こゝになんものし給ふ」と言ふ人あれば、「かうてありと聞き給べからんを、まうでこそすべかりけれ」など定むるほどに、紅葉のいとをかしき枝に、雉、氷魚などを付けて、「かうものし給と聞きて、もろともにと思ふも、あやしう物なき日にこそあれ」とあり。御かへり、「こゝにおはしましけるを。たゞ今さぶらひ、かしこまりは」など言ひて、単衣ぬぎかづく。さながらさし渡しぬめり。また鯉、鱸(すゞき)などしきりにあめり。ある好き者ども、酔(ゑ)ひあつまりて、「いみじかりつるものかな。御車の月の輪のほどの、日にあたりて見えつるは」とも言ふめり。車の後(しり)のかたに花、紅葉などや挿したりけん、家の子とおぼしき人、「ちかう花さき、実なるまでなりにける日ごろよ」と言ふなれば、後(しり)なる人も、とかくいらへなどするほどに、あなたへ舟にてみなさし渡る。「論(ろ)なう酔(ゑ)はむものぞ」とて、みな酒飲む者どもを選(え)りて、率(ゐ)てわたる。(略)
(蜻蛉日記~岩波文庫)

九月になりてまだしきにかうしをあげてみいだしたれば、うちなるにもとなるにもかはぎりたちわたりてふもともみえぬ山のみやられたるもいとものがなしうて
ながれてのとことたのみてこしかども我がなかがははあせにけらしも
とぞいはれける。
ひんがしのかどのまへなる田どもかりてゆひわたしてかけたり。たまかさにもみえとふ人にはあをいねからせて馬にかひやいごめせさせなどするわざにおりたちてあり。小鷹の人もあればたかども外にたちいでゝあそぶ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

九月ばかりに、いとつれづれにて、人にいひやる
秋深きあはれを知らば知らざらん人もここをぞ尋ね来て見ん
(和泉式部集~岩波文庫)

みかど、みこと申しける時、かれがれにならせ給へりければ、長月ばかりによめる 後悔ゆる大将の女御
風寒み人まつ虫の声立ててなきもしぬべき秋の暮かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

叢虫といへる心を 太宰権帥為経
むしのねもかれかれになる長月の浅ちか末の露のさむけさ
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月はかりに、すゝきを崇徳院にたてまつるとてよめる 大蔵卿行宗
花すゝき秋のすゑはに成ぬれはことそともなく露そこほるゝ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

やうやう秋も深くなるまま、さらぬ人だにあはれなるべき風の音に、ましてこの御身どもには、身は木枯らしとのみ思し惚(ほ)れて、木の葉とともに誘はれぬべき心地し給ふ。
 人知れず思ふ心は秋の露身をこがらしに消え返りつつ
など思し続くるにも、人やりならず心細くおぼえ給ふ。虫の声々常よりもうらやましく聞きわたり給ひて、涙の露は袖よりほかに置きわたす心地して、例よりもかき続けて悲しきに、筝(しゃう)の琴の傍らなるを、女君の見初(そ)めし宵、弾きたまひしものをと、音(ね)さへなつかしくて、少し掻き鳴らし給へば、いとど御心の乱るれば、琴を押しやりて、
 人しれず音(ね)をのみ立つる唐琴の弾く手もたゆく濡るる袖かな
(あきぎり~「中世王朝物語全集1」笠間書院)

九月になれば、おほかたの空のけしきもただならずながめがちになるに、まして、つれづれともの心細き御ありさまにて、御前の紅葉やうやう散り乱れ、月もまだ影隠したる夕暮れに、枯れわたりたる草の原などうちながめて、つくづくと思し続くるに、(略)
よろづのこと、まめまめしく聞こえ交はして、しめじめとしたる夜の様なれば、あながちに近き人目もあらざりければ、少しうちとけ給ひて、かたはらなる筝(さう)の琴をひき寄せ給へば、平調(ひゃうでう)によく調べたり。折ふしもいとをかしければ、艶(えん)なるほどに音(ね)取りて、女君をそそのかし給ふ。いとつつましくも面(おも)はゆくも、例(れい)の思し沈みぬれど、いとわりなく責め給へば、掻き合はせばかり弾きすさび給へる御手つき、いとゆゑなからず。君も、御笛を懐(ふところ)に持(も)給へれば、かうやうの折過すまじき心地し給へど、怪しまん人の聞き耳もけしからぬわたりなれば、唱歌(さうが)ををかしうし給ひて、拍子(はうし)取りなどばかり、忍びやかにうちし給ふ様(さま)の、いとゆゆしう、光る様に見え給へり。
(しら露~「中世王朝物語全集10」笠間書院)

 秋の末つ方、いともの心細くて嘆きたまふ。月のをかしき夜、忍びたる所にからうして思ひ立ちたまへるを、時雨めいてうちそそく。
(源氏物語・若紫~バージニア大学HPより)

題しらす 西行法師
山里は秋の末にそ思ひしるかなしかりけり木からしの風
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月ばかり、山へ登るとて、大岳といふ所にて休み侍りけるに、月影に鹿の声あはれに聞こえ侍りければ 風につれなきの関白
月のすむ峰をはるかに尋ぬれば憂き世を送る鹿の声かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

 九月許、月のあかかりけるに、をりをり、もみぢのちりけるに 寂超
たとふべきかたこそなけれこのはちるあきのみやまにさゆる月かげ
(言葉集~「新編国歌大観 第十巻」)

かむとけの 日香空の 九月の しぐれの降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神なびの 清き御田屋の 垣つ田の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝さす 秋の黄葉 まき持てる 小鈴もゆらに 手弱女に 我れはあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 我は持ちて行く 君がかざしに
反歌
ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君
(万葉集~バージニア大学HPより)

九月ばかりなれば、むらむら気色ばみ行く山の景色もあはれなるに、(略)
(とりかへばや物語~講談社学術文庫)

長月になれば、紅葉むらむら色づきて、宮の御前えも言はずおもしろし。風うち吹きたる夕暮に、御箱の蓋に、色々の花紅葉をこき混ぜて、こなたにたてまつらせたまへり。
 大きやかなる童女の、濃き衵、紫苑の織物重ねて、赤朽葉の羅の汗衫、いといたうなれて、廊、渡殿の反橋を渡りて参る。うるはしき儀式なれど、童女のをかしきをなむ、え思し捨てざりける。さる所にさぶらひなれたれば、もてなし、ありさま、他のには似ず、このましうをかし。御消息には、
 「心から春まつ園はわが宿の紅葉を風のつてにだに見よ」
 若き人々、御使もてはやすさまどもをかし。
 御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に、
 「風に散る紅葉は軽し春の色を岩根の松にかけてこそ見め」
(源氏物語・少女~バージニア大学HPより))

大伴家持秋歌四首
久方の雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね
雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ
雨隠り心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり
雨晴れて清く照りたるこの月夜またさらにして雲なたなびき
 右四首天平八年丙子秋九月作
(万葉集~バージニア大学HPより)

大伴坂上郎女竹田庄作歌二首
しかとあらぬ五百代小田を刈り乱り田廬に居れば都し思ほゆ
隠口の泊瀬の山は色づきぬ時雨の雨は降りにけらしも
 右天平十一年己卯秋九月作
(万葉集~バージニア大学HPより)

源清雅九月はかりにさまかへて山寺に侍けるを、人のとひて侍ける返事せよと申侍けれは、よみてつかはしける 源通清 
思ひやれならはぬ山にすみそめの袖に露をく秋のけしきを 
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

九月にもなりぬ。初霜むすぼほれ、艶なる朝に、例の、とりどりなる御後見どもの、引きそばみつつ持て参る御文どもを、見たまふこともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。大将殿のには、
  「なほ頼み来しも、過ぎゆく空のけしきこそ、心尽くしに、
   数ならば厭ひもせまし長月に命をかくるほどぞはかなき」
  「月たたば」とある定めを、いとよく聞きたまふなめり。
  兵部卿宮は、
  「いふかひなき世は、聞こえむ方なきを、
   朝日さす光を見ても玉笹の葉分けの霜を消たずもあらなむ
 思しだに知らば、慰む方もありぬべくなむ」
  とて、いとかしけたる下折れの霜も落とさず持て参れる御使さへぞ、うちあひたるや。
  式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御はらからぞかし。親しく参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。いと多く怨み続けて、
  「忘れなむと思ふもものの悲しきをいかさまにしていかさまにせむ」
  紙の色、墨つき、しめたる匂ひも、さまざまなるを、人々も皆、
  「思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ」
  など言ふ。
  宮の御返りをぞ、いかが思すらむ、ただいささかにて、
  「心もて光に向かふ葵だに朝おく霜をおのれやは消つ」
  とほのかなるを、いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。
(源氏物語・藤袴~バージニア大学HPより)

つくづくとながめ給ふに、風も荒らかにうち吹き、時雨も待たぬ木の葉は、もろき涙に、たぐひ落ちつつ、片方(かたへ)霜枯るる庭の前栽も、身によそへられ給ふに、荻の葉は、ものよりことに、いよいよなつかしからぬさまにて、露結ばず、しほたれ果てたるも、いとあはれなれば、
 「秋深き憂き我からの長月の露だにかかる庭の荻原
思ひしほどにはかなくて」など、忍びやかにうち誦(ずん)じ給ひつつ、何となきさまに、涙を払ひ給へる手つき、白ううつくしさぞ、女だに、かかるたぐひはまれなるものをと、内なる人々は、いとど忍びがたく、袖の隙(ひま)なし。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

ワキ詞「これは都方に住居する者にて候。扨も洛陽に於て。遊楽のけいえんつきせぬ中に。殊に此頃弄び候ふは花の会にて候。今日は伏見の深草にわけ入り。草花を尋ねばやと思ひ候。
サシ「面白やげに一年の詠にも。皆草木の花に知る。三人「名残を思ふ心の末。山路いく野に行きかふ空の。こや九重の情なる。
下歌「立入る空も遠近のはや秋深き夕しぐれ。上歌「濡れつゝも鶉なくなる深草や。/\。誰を忍ぶの浅茅原実に住み捨てし故郷の。野となりてしも露繁き。草のはつかに暮れ残る。伏見の沢田水白く薄霧迷ふ夕かな。薄霧迷ふ夕かな。ワキ詞「急ぎ候ふ程に伏見の里に着きて候。やがて草花を尋ねばやと存じ候。
(謡曲「花軍」~半魚文庫「謡曲三百五十番」より)

シテサシ「秋の風更けゆくまゝに長月の。有明寒き朝風に。四人「袖ふれつゞく市人の。伴なひ出づる道のべの。草葉の露も深緑。立ちつれ行くやいろ/\の。簔代衣日も出て。阿部の市路に出づるなり。下歌「遠里ながら程近きこや住の江の裏伝。上歌「汐風も。吹くや岸野の秋の草。吹くや岸野の秋の草。松も響きて沖つ浪。聞えて声々友さそふ。此市人の数々に。我も行き人も行く。阿部野の原は面白や。阿部野の原は面白や。
(略)
ワキ「おもしろや。千草にすだく。虫の音の。地「機織るおとの。シテ「きりはたりちやう。地「きりはたりちやう。つゞり刺せてふ蛬蜩。いろいろの色音のなかに。わきて我がしのぶ松虫の声。りんりんりんりんとして。夜の声冥々たり。すはや難波の鐘の明方の。あさまにもなりぬべしさらばよ友人なごりの袖を。招く尾花のほのかに見えし。跡絶えて。草茫茫たるあしたの原に。草茫茫たるあしたの原に。虫の音ばかりや。残るらん虫の音ばかりや残るらん。
(謡曲「松虫」~半魚文庫「謡曲三百五十番」より)

 同じ年の九月に長講堂供花なるに参り侍りし。萩の経青(たてあを)に、黄筋白筋の単襲(ひとへがさね)、朽葉の唐衣。御簾に西園寺大納言殿参り給。出御の後、北向きにて御酒(みき)あり。新院、二御所おはします。御前に大納言殿候(さぶら)はせ給。御陪膳にたゞ一人候。垣ほに這へる蔦のわづかに色づきたるに、岩間をくゞる水の心ばへも由(よし)ありてと、心をやりて縫ひたる小袖に、女郎花の羅(うすもの)の単(ひとへ)、脱ぎすべして候。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51)

(寛弘四年九月)十七日、庚辰。
土御門第で作文を行なった。題は、「秋雁は、数行の書である」であった。
二十三日、丙戌。
土御門第で作文を行なった。題は、「林亭における即事」であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(2013/9/27の記事は削除しました。)

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4 コメント

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Unknown (mono)
2017-09-09 22:09:32
千載和歌集といはでしのぶを追加しました。
返信する
Unknown (mono)
2018-09-23 22:39:56
御堂関白記を追加しました。
返信する
Unknown (mono)
2020-10-03 21:48:07
浜松中納言物語とあきぎりと謡曲「花軍」「松虫」と竹むきが記を追加しました。
返信する
Unknown (mono)
2024-10-03 11:01:00
しら露を追加しました。
返信する

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