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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 二月又は八月 季の御読経

2018年02月23日 | 日本古典文学

廿三日は季の御讀經也。大宮大納言・萬里小路大納言・左衞門督まゐりて、皆御所へ御まゐり有り。殿より、かへでのえだに手まりを付けてまゐらせさせ給ひたるを、中納言のすけどの見たまひて、こぞさきのとのより、ふねにまりを十つけられて、まゐりたりしこそ、おもひ出でらるれとて、なにとなく、「ふねのとまりは猶ぞ戀しき」と、くちずさみ給へば、辨内侍、「みなと川なみのかゝりのせとあれて」とつけたりしを、「是を一首になして、返す人のあれかし。」ときこゆれば、辨内侍、
いかにしてかけたる波の跡やそのうきたる舟のとまり成る覽
(弁内侍日記~群書類從18)

故中務宮よしあきらのみこの御むすめのはらに。御むすめ二人男一人おはしましておほひめ君は。圓融院の御時女御にて中宮と申き。(略)いみじき有心者有職にぞいはれ給ひし。功徳も御いのりも如法にをこなはせ給ひし。としことの季御讀經なども。つねの事ともおほしめしたらす。四日がほど廿人そうを坊のかざりめでたうてかしづきすへさせ給ひ。ゆあむし時などかぎりなく如法に供養せさせたまひ。御前よりも又とりわきさるべきものどもいたさせ給ふ。御みづからもきよき御ぞたてまつり。かぎりなくきよまいらせ給ひて。そこに給はらするものどもはまづ御前にとりすゑさせて。おがませ給ひてぞ後につかはしける。
(大鏡~国文学研究資料館HPより)

えせ者のところ得るをり。(略)季の御読経の威儀師。赤袈裟着て、僧の名どもを読み上げたる、いときらきらし。
(枕草子~新潮日本古典集成)


古典の季節表現 春 二月下旬

2018年02月21日 | 日本古典文学-春

このごろにはもはらにはなふりしきてうみともなりなんとみえたり。けふは廿七日あめ昨日のゆふべよりくだり風ののちのはなをはらふ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

今日は廿四日、雨のあしいとのどかにてあはれなり。ふゆづけていとめづらしきふみあり。「いとおそろしきけしきにおぢてなん日ごろへにける」などぞある。かへりごとなし。五日なほあめやまでつれづれと思はぬ山々とかやいふやうに物のおぼゆるまゝにつきせぬ物は涙なりけり。
ふる雨のあしともおつるなみだかなこまかに物を思ひくだけば
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 八日の日、未の時ばかりに、「おはしますおはします」とのゝしる。中門押しあけて車ごめ引き入るゝを見れば、御前の男どもあまた轅(ながえ)につきて、簾まきあげ、下簾左右おしはさみたり。榻(しぢ)もてよりたれば、下り走りて、紅梅のたゞいま盛りなる下よりさしあゆみたるに、にげなうもあるまじううち見あげつゝ、「あなおおもしろ」と言ひつゝあゆみのぼりぬ。(略)
 このごろ空のけしきなほりたちて、うらうらとのどかなり。あたゝかにもあらず、さむくもあらぬ風、梅にたぐひて鶯を誘ふ。にはとりの声などさまざまなごうきこえたり。屋(や)の上をながむれば、巣くふ雀ども、瓦(かはら)の下をいで入りさへづる。庭の草、氷にゆるされ顔なり。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

(略)二月の二十日余り、三条院に行幸あり。あるべき花の木末(こずゑ)は旧(ふ)りにし事にて、なほ年を経て植ゑ添へらるる若木の花まで、散るも散らぬも、主(あるじ)からにや、みな白雲と見えまがひ、日にみがき風にみがける玉かと疑はれ、枝を染め浪を染むる池の鏡の紅(くれなゐ)も、これゆゑ言ひ置ける古言(ふるごと)にやとぞ見ゆる。春宮、中宮、みなさるべき御仲らひにて、行啓なるほど、事を添へたる世のけしきなり。御遊びはじまり、文作り、何かと花の興(きょう)にて日も暮れぬれば、次の日ぞ、方丈の室(むろ)の中の構(かま)へは御覧ぜられける。(略)
(恋路ゆかしき大将~「中世王朝物語全集8」笠間書院)

明けぬれば、女院の御かたへ、渡らせ給へるに、長橋の左右(さう)に桜を植ゑさせければ、御衣の御袂に香ばしき風の訪るるは、この世ならぬ御心地ぞせさせ給へる。こなたには、(略)
暮つかたより、御池の汀に、篝(かがり)焚かせて、御舟にて、御遊びのありけるに、三位の中将は、島先の、岩の上にゐ給へるに、船の中(うち)より「その山吹、一枝折りて」と、いとをかしき声にて、聞こえければ、
 池水に影を映して咲く花のそこの心はさこそ見ゆらめ
とて、嘆かせ給へば、舟は行き過ぎぬ。
 夜も、やうやう笛更け過ぎぬれども、山吹の心に掛からせ給ひにけるにや、有明の月の月影に、ここかしこ、彷徨(さまよ)ひ給へればある御曹司の妻戸を、見入れ給へるに、山吹の几帳の上に掛かりけるを、<いとうれし>と思して、這ひ入り給へれば、(略)
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

二十日あまりの有明の頃、山に造りかけたる御堂の廊の、妻戸を押し開け給へるに、月影やうやう弱りゆきて、あけはなるる霞の絶え間より、宇治橋のはるばると見わたされて、船どもの行きかふも、ほのかに見えたるほど、いみじうものあはれなり。
  晴れやらぬ身を宇治川の朝霞心細くもながめやるかな
など独りごちつつ、とばかりながめ入り給へるに、ただここもとに、艶なる文をぞさし置きたる。青鈍の薄様にて、桜に付けたるを、引き開けて見給へば、
 「限りなき伏見の里の別れこそ聞くも夢かとおどろかれぬれ
 隔て給ふ恨めしさに、思ひながらこそ」
と、内裏(うち)の上の御手にて、書かせ給へるに、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

かくて二月はつかてんわうじに詣せさせ給。このゐんをば一院とぞ人++申ける。後三条院とも申めり。にようゐんも一ほんのみやもまうでさせ給。されどかんたちめてんじやう人おほくもまいらせさせ給はず。むつまじくおぼしめす。人++さてはあそひのかたの人++をぞゐておはしましける。まづにようゐんの御くるま。つぎに一院。そのゝちに一ほんのみやおはします。にようゐんくるまふたつづゝ。にようゐんのはさくらどもに。すわうのうちたる。一院のはさくらにやまぶき。一ほんのみやのはやまぶきのにほひ一のくるまは。こき二のくるまはうすくにほひたり。おはしますみちのほどなどいとおかし。やはたにまうでさせ給て。しばしばかりありてうちの御つかひ。頭中将もろたゞのきみまいりたり。御返うけ給てかへりまいりぬ。一品のみやうへのやしろにのぼらせ給べきよし申させ給へば。舞人ぐしてのぼらせ給。いはしみづのほどにて御祓あり。舞人にものなどかつげさせ給てかへさせ給つ。四ゐの少将いゑかた侍従みちよし。ひやうゑのすけあきざねなどを御かた++の御ともにてさふらふべきにて。とゞめさせ給。
(略)
廿二日のたつのときばかりに御ふねいだしてくだらせ給ほどに。江ぐちのあそひふたふねばかりまいり。ろくなどぞ給はせける。ものなどはぬがせ給はず。つねのぶの左大弁びは。ごん中将すゑむね笙。民部太輔まさながもふえ。もろかたのべんうたうたふ。ふえの音もびはのをとも。せゞのかはなみにまかひていみじくおかし。(略)なかつかはといふところにおはしましぬ。うみのいろもそらのみどりに見えまがひておかし。とをきふねのほあげたるなどいひしらずみゆ。このほどに摂津守さま++のおもひつゑなどかきたるに。くた物まいらせたり。日やう++くれて。みぎはのたづのかすみのたえまよりみえたり。かはなみのをともつるのこゑも。さま++にこゝろうごかしかゞりびのかげも。みなそこかくれなくおもしろながらものこゝろぼそし。うぐひすのこゑも。かへるかりのひゞきも。とりあつめことさらのやうなるたびのそらなり。廿二日(大系は廿三日)ひうちくたりてかすみたなびきわたりたるほどに。御くるまどもかた++の御ふねによせて。いろ++さま++にさうそきたるものどもたちやすらふ。まづすみよしにまいらせ給。くはんばくどのくれなゐのいたしうちきに。やなぎのなをしたてまつりたりしこそ。いとおかしくこのたびのおもひいでなれとひと申けり。ましてこと人++のしやうぞくいふかたなし。御祓ありてそのゝちみやしろにまいらせ給て御あそひはてゝかへらせ給。にようゐんのにようばう。しろきどもにこきうちたる。うるはしきものゝいときよげにみゆ。一品 
のみやのには。もえぎどもに蘇芳のうちたる。ゐんのはいろ++にこきうちたる。ひのくるゝほどにてんわうじにまいらせ給。あめいたくふりてものゝはへもなし。御くるまよせて御だうにわたらせ給。このほどに蔵人少将きんざね。うちの御つかひにてまつれり。廿四日は御だうのことよく御らんじ。かめ井など御らんず。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

(延暦十三年)二月庚午(二十七日) 天皇が水生野で狩猟した。
(承和二年二月)壬寅(二十七日) 天皇が水生瀬野(みなせの)に行幸(みゆき)して猟をした。扈従する者に禄を賜い、日暮れて宮へ戻った。(略)
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘四年二月)二十八日、乙未。
雨気が盛んで、今にも降りそうであった。巳剋に、人々が土御門第に集合した。春日社に出立した。楽遊(がくゆう)が有った。求子(もとめご)のみであった。やって来た公卿は、(略)。宇治に着いて、饗宴が有った。山城国司が儲けた。申剋に出発した。木津に着いた頃、雨が少々降った。笠を取るには及ばなかった。亥剋に佐保殿に到着した。饗宴が有った。公卿と殿上人が、それに着した。その後、また雨が少し降ったことは、初めのようであった。
二十九日、丙申。
雨気は晴れた。雲を返して、時々、雨が降った。辰剋の頃、雷声が四、五回ほど有った。雪が降った。未剋に春日社の社頭に参った。この間、雨が少し降った。或る者は笠を取り、或る者は取らなかった。社頭に着いた頃、天気が晴れた。日脚(ひあし)が晴れた。御幣殿(ごへいでん)に着いた後、御棚(たな)を舁(か)いたのは、公卿と殿上人であった。神宝を奉ったのは、藤原氏の殿上人と四位の者であった。祝文(しゅくぶん)を読んだのは、(藤原)知章朝臣であった。奉幣を行なった。戻ってきて座に就いた。神馬と十列(とおつら)が廻(めぐ)った後、神馬四疋を永く奉献した。その後、東遊(あずまあそび)があったのは、常と同じであった。次に神楽があった。次に膳を進めた。人長(にんじょう)の兼時に、人々は被物(かずけもの)を纏頭した。夜通しあって、神宴(しんえん)が終わった。
三十日、丁酉。
早朝、春日社の馬場殿に着した。餛飩(こんとん)が供されたのは、常と同じであった。禄を下賜した。四位と五位の者、合わせて三十人に纏頭を下賜した。舞童に禄を下賜した。殿上人に纏頭を下賜した。纏頭が終わった頃に、馬を引き出した。別当僧都(定澄)に二疋、僧綱三人<観昭・林懐・扶公。>に各一匹を下賜した。通例の被物の他にである。楽人たちに禄を下賜した。上座(じょうざ)の時算を召して衵を下賜した。賜禄(しろく)の儀が終わって、佐保殿に着した。すぐに出立した。木津に着いた頃、小雨が降った。その後、天気になった。木津に着いて饗宴が有った。舞人・陪従・弁・少納言に禄物を下賜した。右衛門督と左衛門督に馬二疋を引き出した。源中納言は、一足先に京に入った。夜に入って、京に着いた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(正治二年二月)廿二日。天晴る。(略)坊門に向ひ、又退出し、直ちに御所に参ず。大臣殿、中将殿の御宿所におはします。俄に出題ありと云々。今日の詩筵、極めて深恩の事と雖も、興無きに似たり。又、不堪えの由、表はすべし。仍て座を立つに応じて諷吟す。題に云ふ、花開きて宮中に遊ぶと。秉燭以後、講了りて分散す。大臣殿の御共し、御堂に参じて退下す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年二月)廿五日。天晴る。午の時許りに、召しに依り大臣殿に参ず。中書と右の方の歌を撰み了んぬ。御共して御堂に参ず。隆信朝臣・寂蓮入道等、召しに依り参入す。右の歌を撰み了んぬる後、昏に御前に参ず。和歌あり。題。華を待ちて日暮れぬ。春の夜の増す恋。読み上げ了り退下す。殿下、今夜、御方違へ。歌人(十題歌合せ)。左の方は、中将殿(実は殿下の御歌)・隆信朝臣・保季朝臣・宗隆・寂蓮・業清。右の方は、資実(実は大臣殿)・能李朝臣(実は僧正御房)・有家朝臣・定家ゝゝ・顕昭・丹後。深更に帰参す。殿の御共して法性寺に参じ、定法寺に宿す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年閏二月)廿一日。朝の間、大雨。辰後に止む。天、間々晴る。夕に大雨雷電。其の音、猛烈。戌終に雨止む。(略)新御所に於て出題。各々評定して云ふ、今日詩、歌と合せらる興たるべしと。予申して云ふ、不堪の物、尤も一方を作るべしと。但し、大臣殿一紙に書かしめ給ひ、衆中に下し給ふ。各々被見す。
 詩の題。春日山寺の即事。
 歌の題。山花。滝水。
 詩の作者。左大臣・右中将・有家ゝゝ・以宗ゝゝ・長兼・為長・成信・信定・知範。
 歌人。左大臣・季経卿・中将・隆信朝臣・有家ゝゝ・定家ゝゝ・長兼・業清・信定。
各々之を披き見る。即ち諷吟に堪へず。両方極めて術無し。暫く御饌に入りおはします(能季朝臣・予等陪膳)。季経卿御前に召され、閑所に入れらる。能季戸又私(ひそか)に之に行く。自余の人々、仰せに依り、又各々に酒餅等差(すす)め了んぬ。晩頭に及び、雷鳴以後に詩を献ず。殿下之を召し取り、結番し御清書。信定又之を給ひて書す。秉燭以後、講ぜらる。衆議評定するの間、雷雨大風、掌燈頻りに滅するの間、格子を下げ、内に於て講ぜられ訖んぬ。予が和歌は、為長が詩に合せらる。一首持、一首負く。詩は信定が歌に合せらる。一首勝ち、一首持。是れ存ずるの外なり。詩の胸の句、
 鳬鐘響き近し松風の夕 鳳輦蹤遺(しょうゐ)草露の春
座中、頗る難無きの由を称ふ。尤も存ずるの外となす。歌に於ては、異様(ことやう)の処せられ了んぬ。是れ又何為(いかんせん)や。評定訖るの間、雨止むと云々。人々退下す。前後に退出。即ち還りおはします。騎馬にて、御共し、即ち退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年閏二月)廿三日。水無瀬の里の梅花ヲ衣筥の盖に取り入れ、随身秦頼弘を以て使となし、大内に献じ、和歌一首を詠じて之に相具す。紅の薄様に書く。立文は白き薄様なり。詠に曰く、
 みなせ山ほどはくもゐにとをけれどにほひばかりをきみがまにまに
即ち御返し歌有り。白き薄様に書く。立文は紅の薄様なり。其の詠に曰く、
 みなせ山ほどは雲井のはるながらちよのかざしのいろぞうれしき
此の事其の興多し。仍て記する所なり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年二月)廿九日。天快晴。暑さ初めて催す。鶏鳴以後に帰洛す。山階に於て日出づ。往還の間、社頭の路次、花盛りの最中なり。田夫樵父悉く一枝を挿す。桃李浅深又満望。白河の辺りを過ぎ、只懐旧の思ひ有り。昔旧遊と花を翫(もてあそ)ぶの所、時移り事去り、花猶毎春回らず。古木折れ尽し、堂宇滅亡す。新豊の遺民只一身あり。暮齢の身を恐るるに依り、暫くも眺望する能はず、盧に帰る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

忠盛朝臣備前守たりし時、鳥羽院御願得長寿院とて、鳳城の左鴨河の東に、三十三間の御堂を造進し、一千一体の観音を奉居。勧賞には闕国を賜べき由被仰下但馬国賜ふ。其外結縁経営の人、手足奉公の者までも、程々に随て蒙勧賞、真実の御善根と覚えたり。崇徳院御宇長承元年壬子二月十六日に勅願の御供養有べしと、公卿僉議有て、同二十一日の午の一点と被定たりけるに、其時刻に及て、大雨大風共に夥かりければ延引す。同廿五日に又有僉議、廿九日は天老日也、勅願の御供養宜しかるべしとて可被遂けるに、氷の雨大降、牛馬人畜打損ずる計なりければ、上下不及出行又延引す。禅定法皇大に被歎思召けり。昔近江国に有仏事けり。風雨煩たびたびに及ければ、甚雨を陰谷に流刑して、堂舎を供養すといへり、されば雨風の鎮有べきかと云議あり、尤可然とて諸寺の高僧に仰て御祈あり。度々延引の後、重て有僉議。同年三月十三日、曜宿相応の良辰なりとて、其日供養に被定。御導師には、天台座主東陽房忠尋僧正と聞ゆ。(略)
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

二十九日 乙卯。朝ノ間雨降ル、 未ノ後休止ス。羽林、永福寺已下近辺ノ勝地ヲ歴覧シ給ヒ、晩鐘ノ程ニ、還御シタマフ。永福寺ニ於テ、郢曲有ルノ僧、児童等、釣殿ニ参リ、頻ニ杯酒ヲ申シ行フ。御供ニ候ズルノ輩、頗ル以テ酩酊ス。
(吾妻鏡【正治二年閏二月二十九日】条~国文学研究資料館HPより)

三月(やよひ)に隣(とな)る峯上(をのへ)の櫻(さくら)、這里(ここ)も那里(かしこ)も開初(さきそめ)て、花香(はなのか)寄する春の風、吹くとはなしに霞こめし、谷の柴鶺鴒(うぐひす)、珍らしき、人来(ひとく)と鳴くや、我も亦、経こそ読(よま)め墓参り、路(みち)の小草(をぐさ)も目にぞ憑(つ)く、現(げに)托生(たくせう)の蓮華草、導き給へ仏の座、心つくしも幾春(いくはる)を、今は杉菜(すぎな)と薹(たう)に立つ、色美(うるは)しき草も木も、竟(つひ)に悉皆成仏の、功徳を徐(しづか)に念じつゝ、山又山(やままたやま)を向上(みあぐ)れば、奇嵒(きがん)突立(とつりう)して、造物天然の妙工を見(あら)はし、嶮辺(そはのべ)逈(はるか)に直下(みおろ)せば、白雲(はくうん)聳起(そびえおこ)りて、谷神(こくしん)窅然(ようねん)と玄牝(げんびん)の門(かど)を開(ひら)けり。然(され)ば流水(ながれみづ)に零(ち)る桃花(もゝのはな)は、武陵の仙境遠きにあらず。偃松(はひまつ)に罹(かゝ)る藤葛(ふぢかづら)は、天台の石橋(しやくきやう)危(あやふ)きに似たり。
(南総里見八犬伝~岩波文庫)


古典の季節表現 春

2018年02月17日 | 日本古典文学-春

萬里の好山に雲忽におこり。 一樓の明月に雨はじめて晴れり。げにのどかなる時しもや。春のけしき松原の。浪立ちつづく朝霞。月ものこりの天の原。及なき身のながめにも。心そらなるけしきかな。
(謡曲・羽衣~バージニア大学HPより)
春霞。たなびきにけり久かたの。月の桂も花やさく。げに花かづら。色めくは春のしるしかや。
(謡曲・羽衣~バージニア大学HPより)

正治二年後鳥羽院に百首歌奉りける時、春歌 後京極摂政前太政大臣
梅の花うすくれなゐに咲しより霞色つく春の山陰 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

山中春望といふ事をよみ侍し 前大納言為兼
鳥の音ものとけき山の朝あけに霞の色は春めきにけり
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

山里のはるのなさけやこれならん霞にしつむ鶯のこゑ
(若宮社歌合~群書類従・第十二輯)

ふるすたつゆきまのくさのはつこゑはわかなつむののはるのうくひす
(明日香井集~日文研HPより)

京極御息所かすかにまうて侍ける時、国司のたてまつりけるうたあまた有ける中に 藤原忠房朝臣
鶯のなきつるなへにかすか野のけふのみゆきを花とこそみれ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

山ふかみ霞こめたる柴のいほにこととふものは谷のうぐひす
(山家集~バージニア大学HPより)

あつまのかたより京へまうてくとて、道にてよめる おと
山かくす春の霞そうらめしきいつれ都のさかひなるらん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

修理大夫顕季はりまのすけにてくたりける時、川尻まてをくりにまかりて、舟こきはなるゝ程はるかにかすみわたれるをみて 津守国基
島かくれ漕行まてもみるへきにまたきへたつる春の霞か
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 前内大臣
朝ほらけはまなの橋はとたえして霞をわたる春の旅人
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

都にのほり侍ける時、二村山をこゆとてよめる 藤原行朝
越ゆけは一かたならすかすむなり二村山の春の明ほの
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 恵慶法師
春をあさみ旅の枕に結ふへき草葉も若き比にも有かな
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

建長二年、詩歌を合せられけるに、江上春望 冷泉太政大臣
こき出る入江の小舟ほのほのと浪まにかすむ春の明ほの
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

眺望の心をよめる 円玄法師
なにはかた塩路はるかに見渡せは霞にうかふ沖のつり舟
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

わたのはらくもにかりかねなみにふねかすみてかへるはるのあけほの
あかしかたかすみてかへるかりかねもしまかくれゆくはるのあけほの
(秋篠月清集~日文研HPより)

亀山殿千首歌に、霞 前大納言為世
もしほやく煙も波もうつもれて霞のみたつ春のあけほの
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

同歌合に、春風を 前大納言家雅
吹となき霞のしたの春風に花の香ふかきやとの夕暮
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

暮山春望といふ事を 中務卿宗尊親王
花の香はそこともしらす匂ひきてとを山かすむ春の夕暮
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 順徳院御製
難波かた月の出しほの夕なきに春の霞のかきりをそしる
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

旅なる所にて、月を見て
春の夜の月は所もわかねどもなほすみなれし宿ぞ恋しき
(和泉式部続集~岩波文庫)

牡鹿伏すなる春日山、牡鹿伏すなる春日山、水嵩(みかさ)ぞ増さる春雨の、音(おと)はいづくぞ吉野川。よしや暫しこそ、花曇りなれ春の夜の、月は雲居に帰らめや、頼みをかけよ玉の輿、頼みをかけよ玉の輿。
(謡曲・国栖~岩波・日本古典文学大系41「謡曲集 下」)

道助法親王家五十首歌、旅春雨 源家長朝臣
宿もかなさのゝわたりのさのみやはぬれてもゆかむ春雨の比
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 八日、雨ふる。夜は石の上の苔くるしげにきこえたり。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

春ノ風暗(そら)ニ庭ノ前ノ樹ヲ剪定(き)リ、夜ノ雨ハ偸(ひそか)ニ石ノ上ノ苔ヲ穿(うが)ツ
(千載佳句)

いはのうへのこけたにたへぬはるさめにのへのくさはのいかてもゆらむ
(堀河百首~日文研HPより)

あさみとりなるそらの気色いみしくすみわたりたるに、こほれてにほふ御前の花さかりめてたきにもよをされ給て、物のねもはへぬへき程なるを、わたり給て、すこしも聞ならし給へかしときこえ給を、(略)
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

草のいと青やかなるを、遠くいにし人を思ふ
浅茅原見るにつけてぞ思ひやるいかなる里にすみれ摘むらん
(和泉式部集~岩波文庫)

春の歌とて 従三位親子
すみれさく道のしはふに花ちりて遠かたかすむ野への夕暮
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

燭(ともしび)を背(そむ)けては共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

そむけつる窓のともし火深き夜の霞にいづる二月の月
(拾遺愚草員外~笠間叢書)

有明の月に背くるともしびの影にうつろふ花を見るかな
(拾玉集)

怪しぶことなかれ紅巾(こうきん)の面(おもて)を遮(さしかさ)いて咲(わら)ふことを 春の風は吹き綻(ほころ)ぼす牡丹の花
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

康永三年後二月、仙洞にて、松遐年友と云事を講せられけるに 照光院前関白右大臣
千とせともかきらぬ君か友なれは松も花さく春やかさねん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
康永三年後二月十二日、仙洞にて、松遐年友といへる事を講せられけるに 藤原為重朝臣
我君のめくみをそへて契るらし松のときはの行末の春
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

貞治二年二月、春松久緑と云事を講せられけるに 前参議実名
君かへん千とせの春の行すゑも松のみとりの色にみゆらし
藤原雅家朝臣
いく千世そみとりをそへて相生の松と君とのゆくすゑの春
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 後堀川院御位すべらせ給て、内大臣の冷泉富小路亭にわたらせ給けるに、天福元年の春の比、院・藻壁門院、方をわかちて、絵づくの貝おほひありけり。大殿・摂政殿、女院の御方にてぞおはしましける。一方に、しかるべき女房四五人ばかりにて、ひろきには及ざりけり。(略)
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)


春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば
(万葉集~バージニア大学HPより)

(たいしらす) 貫之 
津の国の難波のあしのめもはるにしけきわか恋人しるらめや 
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

題不知 正三位家隆 
春の浪の入江にまよふはつ草のはつかにみえし人そ恋しき 
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

過かてによその梢をみてしより忘れもやらぬ花の面かけ
見てしよりわすれもやらぬ面影はよその梢の花にや有らん
散もそめす咲も残らぬ俤をいかてかよその花にまかへん
(鳥部山物語~バージニア大学HPより)

夜、寝(い)もねぬに、障子をいそぎ開けて眺むるに
恋しさも秋の夕べにおとらぬは霞たな引く春のあけぼの
(和泉式部続集~岩波文庫)

女御まうのほり給へと有ける夜、なやましきとてさも侍らさりけれは、又の日給はせける 天暦御歌 
ねられねは夢にもみえす春のよをあかしかねつる身こそつらけれ 
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

心ならぬこと侍りける暁よみ給ひける 慣れて悔しきの桂のみこ
春の夜のはかなきほどの契りゆゑ人のつらさを見つる夢かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

女のもとより帰りて、あしたに遣はしける み山隠れの宰相中将
見るほどもなくて明けぬる春の夜の夢路にまどふ我が心かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題不知 永福門院
鳥の声さへつりつくす春日影くらしかたみに物をこそ思へ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
.

物思ひけるころ、木々の梢の青みわたれるを見て 老人(おいびと)の形見の源大納言女
人知れぬ嘆きはいつも絶えせねど萌え出づる春はわびしかりける
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

歎事侍ける時、述懐歌 後京極摂政前太政大臣
数ならは春をしらましみ山木のふかくや苔にむもれ果なん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 御庭の草は、やうやう青みだちて、己が心のままに茂るも、秋の霜には、あへずけたれなんと、はかなく見ゆるものから、霜うちはらふ人もあらざりけらし。
 霜がれし庭の草葉も春にあひぬ我が身ひとつぞつれなかりける
 小さき桜の一重なるが、初めて春を知りけるにや、所々咲き出でたるは、雲と見紛ふらん折まで、御命のつれなくて、ものを思はせ給はんかと、うちながめさせ給ふ。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

百首歌奉りし時、述懐 前内大臣
一時の花のさきしは夢なれや春の外なる谷の埋木
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

春比、憐れなる事を、人しれず歎くに
わが袖を心も知らぬよそ人は折りける花のしづくとや見る
(和泉式部続集~岩波文庫)

心にもあらず東宮の御あたりもかけ離れて、山里に侍りけるころ 緒絶えの沼の内侍のかみ
いかにしていづれの世にか霞晴れ春のみやこの花を見るべき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題しらず 緒絶えの沼の右大臣
たぐひなき花の匂ひを身にしめて今いくとせの春を嘆かん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

春述懐の心を 伏見院御歌
花鳥の情はうへのすさひにて心のうちの春そ物うき
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

春歌とて 徽安門院
心うつすなさけよこれも夢なれや花うくひすの一時の春
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

述懐の心をよめる 覚審法師
すきゝにしよそちの春の夢のよは憂より外の思ひ出そなき
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

世を背かんと思ひ立ちて、后の宮にまうでて、女房に申し侍りける 二葉の松の中納言
心しむる花のあたりの月かげもこれや限りの眺めなるべき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
.

前大納言光頼春身まかりにけるを、桂なる所にてとかくしてかへり侍けるに 前左兵衛督惟方
たちのほる煙をたにも見るへきに霞にまかふはるの曙
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

後鳥羽院かくれ給うてのころ 順徳院御歌
のほりにし春の霞をしたふとてそむる衣の色もはかなし
大原におさめたてまつるよし聞えけれは 順徳院御歌
いる月のおほろのし水いかにしてつゐにすむへき影をとむらん
春のよのみしかき夢と聞しかとなかき思ひのさむるともなし
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

後朱雀院かくれ給て後、源三位かもとにつかはしける 弁乳母
あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ
返し 源三位
おもへ君もえし煙にまかひなて立をくれたる春のかすみを
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

こぞの夏よりうすにびきたる人に、女院かくれたまへる又の春、いたうかすみたる夕ぐれに、人のさしおかせたる
雲のうへもものおもふ春はすみぞめにかすむ空さへ哀なる哉
返しに
なにしこの程なき袖をぬらすらんかすみのころもなべてきるよに
(紫式部集~岩波文庫)

贈皇后宮かくれての春のころ、山のかすみを御覧して 堀川院御歌
梓弓はるの山へのかすむこそ恋しき人のかたみなりけれ
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

先坊うせ給ての春、大輔につかはしける はるかみの朝臣のむすめ 
あら玉のとしこえつらしつねもなきはつ鶯の音にそなかるゝ 
返し 大輔 
ねにたてゝなかぬ日はなし鶯のむかしの春を思ひやりつゝ 
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

内大臣かくれて後、一条院の紅梅も時を忘れず咲きぬらんと人のいふを聞かせ給ひて 言はで忍ぶの女院
鶯も春や昔と忘るなよ荒れまく惜しき花の古里
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

後京極摂政かくれ侍けるあくる日、従二位家隆とふらひて侍けれは 前中納言定家
昨日まてかけてたのみし桜花一夜の夢の春の山かせ
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
後京極摂政春身まかりにけれは、前中納言定家もとへ読てつかはしける 従二位家隆
ふして思ひおきてもまとふ春の夢いつか思ひのさめむとすらん
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
後京極摂政身まかりて後、四五日ありて従二位家隆許より、「ふしてこひおきてもまとふ春の夢いつか思ひのさめんとすらん」と申て侍ける返事に 前中納言定家
夢ならてあふよも今はしら露のをくとはわかれぬとはまたれて
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

あにのふくにて一条にまかりて 太政大臣
春のよの夢のうちにも思ひきや君なき宿を(イ君なき宿に)行てみんとは
返し (読人不知)
やとみれはねてもさめても恋しくて夢うつゝともわかれさりけり
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

あひ知りし人のみまかりて又の春ものへまかる道にて 過ぎて見れば、住む人はなくて花は庭に散りみだれてありければ
おもほえず又この庵に來にけらし有りし昔の心ならひに
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

洞院摂政のことを思ひてよみ侍ける 前右大臣
わかれにしむかしの春を思ひ出て弥生のけふの空そかなしき
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(2013年2月19日と2014年2月8日の「古典の季節表現 春」の記事は削除して、この記事にまとめました。ついでに、謡曲・国栖、蜻蛉日記、狭衣物語、松陰中納言、古今著聞集などを追加しました。)


古典の季節表現 春 二月雪落衣(にがつのゆきころもにおつ)

2018年02月03日 | 日本古典文学-春

松根(しようこん)に倚(よ)つて腰(こし)を摩(す)れば
千年(せんねん)の翠(みどり)手(て)に満(み)てり
梅花(ばいくわ)を折(を)つて頭(かうべ)に挿(さしはさ)めば
二月(にぐゑつ)の雪(ゆき)衣(ころも)に落(お)つ
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

二月雪落衣といふことをよみ侍ける 康資王母
梅ちらす風も越てや吹つらむかほれる雪の袖にみたるゝ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

たをりつつかさせるうめのはなちりてたもとにさむききさらきのゆき
(嘉元百首~日文研HPより)

手折つつかさす袂に二月の雪とや梅の花はちるらん
(嘉吉三年二月十日前摂政家歌合~続群書類従15上)

松の木蔭に立ち寄れば、千歳のみどりぞ身に染(し)める、梅が枝かざしにさしつれば、春の雪こそ降りかかれ
(梁塵秘抄~岩波・日本古典文学大系)

あをきが 原の 波間より。
「 あらはれ出でし 神松の。 春なれや 殘んの 雪の 朝香潟。
「 玉藻 刈るなる 岸陰の。
「 松根によつて 腰をすれば。
「 千年の 緑 手に 滿てり。
「 梅花を 折つて 頭にさせば。
「 二月の 雪ころもに 落つ。
(謡曲・高砂~バージニア大学HPより)

シテ「あらありがたや候。や。花の香の聞え候。いかさま木の花散り方になり候ふな。
ワキ「おうこれなる籬の梅の花が。弱法師が袖に散りかゝるぞとよ。
シテ「憂たてやな難波津の春ならば。唯木の花とこそ仰あるべきに。今は春辺もなかばぞかし。梅花を折つて頭に挿しはさまざれども。二月の雪は衣に落つ。あら面白の花の匂やな。
(謡曲・弱法師)


古典の季節表現 春 二月上旬

2018年02月02日 | 日本古典文学-春

さえにける空は二月はつ春の影におぼめくけふの三日月
(春夢草~新編国歌大観8)

あかつきがたにまつふく風のおといとあらくきこゆ。こゝらひとりあかす夜かゝるおとのせぬはものゝたすけにこそありけれとまでぞきこゆる。あくれば二月にもなりぬめり。あめいとのどかにふるなり。(略)日ごろいとかぜはやしとてみなみおもてのかうしはあげぬを今日かうてみいだしてと許あればあめよいほどにのどやかにふりて庭うちあれたるさまにてくちばところどころあをみわたりにけり。あはれとみえたり。ひるつかたかへしうちふきてはるゝがほのそらはしたれどこゝちあ やしうなやましうてくれはつるまでながめくらしつ。三日になりぬる夜ふりけるゆき三四寸許たまりていまもふる。すだれをまきあげてながむれば、「あさなむ」といふこゑこゝかしこにきこゆ。風さへはやし。よの中いとあはれなり。(略)
 いかなるにかありけん、このごろの日てりみくもりみいとはるさむかるとしとおぼえたり。夜は月あかし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

さてついたち三日のほどにむま時ばかりにみえたり。老いてはづかしうなりにたるにいとくるしけれどいかゞはせん。と許ありて「かたふたがりたり」とてわがそめたるともいはじにほふ許のさくらがさねのあや、文はこぼれぬばかりしてかたもんのうへのはかまつやつやとしてはるかにおひちらしてかへるをきゝつゝ、あなくるしいみじうもうちとけたりつるかななどおもひて、なりをうちみればいたうしほなえたり、かゞみをうち見ればいとにくげにはあり。また此度うじはてぬらんとおもふ ことかぎりなし。かゝることをつきせずながむるほどについたちよりあめがちになりにたればいとどなげきのめをもやすとのみなんありける。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

うるふ二月のついたちの日あめのどかなり。それよりのち天はれたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 思ひかけず旅寝の床(とこ)に夜を明かす事なん侍し比、二月の初め、例の宿りに立ちとまれるに、鳥の声、鐘の音、しきりに驚かしつゝ、車引出たる暁の空霞み渡りて、峰の横雲ほのかに白みゆく程なり。吹すさむ風につけて、其処(そこ)とも知らぬ梅が香の匂ひたるなど、いと艶(ゑん)なりしも、心なき身にはさしも思ひわかれざりしさへ、思ひ出らるゝ端(つま)にありける。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系)

如月の十日のほどに、内裏に文作らせたまふとて、この宮も大将も参りあひたまへり。折に合ひたる物の調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、「梅が枝」など謡ひたまふ。(略)
雪にはかに降り乱れ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。(略)雪のやうやう積もるが、星の光におぼおぼしきを、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

きさらぎの十日ばかりに飯乞ふとて眞木山てふ所に行 きて有則が家のあたりを尋ぬれば今は野らとなりぬ、一と本の梅の散りかかりたるを 見て古を思ひ出でてよめる。
そのかみは酒に受けつる梅の花つちに落ちけりいたづらにして
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

小一條院をば、今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常に參うのぼらせ給ふ。おまへはつぼなれば、前栽などうゑ、笆ゆひていとをかし。二月十日の日の、うらうらとのどかに照りたるに、わたどのの西の廂にて、うへの御笛ふかせ給ふ。高遠の大貳、御笛の師にて物し給ふを、異笛ふたつして、高砂ををりかへし吹かせ給へば、猶いみじうめでたしと言ふもよのつねなり。御笛の師にて、そのことどもなど申し給ふ、いとめでたし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

桜の、一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、「いと疾く咲きにけるかな。梅こそ、ただ今は盛りなれ」と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花の匂ひなど、つゆまことに劣らず、いかにうるさかりけむ。「雨降らば、しぼみなむかし」と思ふぞ、口惜しき。(略)
(枕草子~新潮日本古典集成)

如月の朔日ごろとあれば、ほど近くなるままに、花の木どものけしきばむも残りゆかしく、(略)
(源氏物語・早蕨~バージニア大学HPより)

山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、柴積み舟の所々に行きちがひたるなど、他にて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

(天平六年)二月一日 天皇は朱雀門に出御して歌垣をご覧になった。参加者は男女二百四十余人で、五品以上の風流心のある者は、皆その中に入りまじった。正四位下の長田王・従四位下の栗栖王・門部王・従五位下の野中王らをその頭(かみ)として、本末を以て唱和した。浪花曲・倭部曲・浅茅原曲・広瀬曲・八裳刺曲の音楽を奏し、都中の人々に自由に見させた。歓楽を極めて終った。歌垣に参加した男女らに物を賜わった。
(続日本紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十二年)二月戊寅(一日) 天皇が紫宸殿に出御して、侍臣に酒を賜った。ここにおいて殿前の梅花を折りとって、皇太子および侍臣らの頭に挿し、酒宴の楽しみとした。近衛少将に命じて、親王以下、侍従以下の見参の物の名を記録し、御被(みふすま)・襖子(ぬのこ)等を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(嘉禄元年二月)一日。戊辰。終日天陰る。夜に入りて微雨降る。西面の紅梅(八重)盛んに開く。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保元年二月)三日。禁裏詩歌合せ、其の座に参ずべしと云々。未の時許り、重ねての召しに依り参内す(束帯)。(略)人々座廻る。兼隆参じ進みて詩の方を読み上ぐ。詩・和歌を評定す。大略一人之を申す。又、家衡卿康光に示し合せ、狂言を出す。御気色に依り、勝負を定められ了んぬ。次で作者を書き、重ねて之を読み上ぐ。御製之を知らず。任意に褒美の詞の如き、露顕するの時甚だ其の興あり。帥秀句あり。予、其の結びの歌を詠ましめず。雪尽き、草の色青し。南老の鬂眉残る。緞在西施(脱字アラン)。顔色斯より新なり。此の題に於て、尤も沈思の力あるか。花綻ぶ仙遊の裏。同じ腰の句に云ふ、唐帝の清宮唯月の夜。漢皇の汾水又風秋。頗る賞翫ありと雖も、予の愚歌、天気に依り勝ち了んぬ。存外の面目なり。
  河上の花
 名取川春の日かずはあらはれて花にぞ沈むせぜのむもれ木
頭弁の詩、尋常なり。次で当座の歌有り。庭上の柳。書き了りて読み上ぐ。各々退出するなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年二月)四日。暁に雪降る。朝の間、粉々たり。辰後に漸く晴る。猶間々飛ぶ。(略)沍寒、厳冬の如し。今朝、硯水氷る(冬、此の事無し)。仍て出で行かず。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

 二月大
一日 壬申 幕府ニ於テ、和歌ノ御会有リ。梅花万春ニ契ルトイフヲ題ス。
武州、修理ノ亮、伊賀ノ次郎兵衛ノ尉、和田ノ新兵衛ノ尉等、参入ス。女房相ヒ接ハツテ、披講スルノ後、御連歌有リト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦三年二月一日】条~国文学研究資料館HPより)

(嘉禎元年)九日、壬申、将軍家、後藤大夫判官基綱の大倉の宅に入御、御水干、御騎馬なり、陸奥式部大夫、相模式部大夫、前民部少輔、駿河前司、伊東大夫判官、駿河大夫判官等供奉す、五位は水干、六位は直垂、立烏帽子、上野七郎左衛門尉、同五郎、武田六郎、以上三人、甲を著けて最末に候す、今夜彼家に御止宿、遊興一に非ず、先づ御的、次に小笠懸、次に御鞠、次に御酒宴、管絃、夜に入つて、和歌御会と云々、相州、武州、参り給ふ、(略)
(吾妻鏡~岩波文庫)

比は二月初の事なれば、峯の雪村消て、花かと見ゆる所も有り。谷の鶯音信て、霞に迷ふ所も有り。上れば白雪皓々として聳え、下れば青山峨々として岸高し。松の雪だに消やらで、苔の細道幽なり。嵐にたぐふ折々は、梅花とも又疑はれ、(略)
(平家物語~バージニア大学HPより)

比は二月の始也、霞の衣立阻て、緑を副る山の端に、白雲絶々聳つゝ、先咲花かとあやまたる。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

春風にそよぐ松の響、岩間に落る水音ばかりにて、(略)。姑射山仙洞の池の汀(みぎは)を望ば、春風波に諍て、紫鴛白鴎逍遥せり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

詩歌管絃は公家仙洞の翫物、東夷争磯城島難波津の言葉を可存なれ共、梶原は心の剛も人に勝れ、数寄たる道も優也けり。咲乱たる梅が枝を、蚕簿に副てぞ指たりける。蒐れば花は散けれども、匂は袖にぞ残りける。
  吹風を何いとひけん梅の花散くる時ぞ香はまさりける
と云ふ古き言までも思出ければ、平家の公達は花箙とて、優也やさししと口々にぞ感じ給ける。
(略)
懸るやさしき男成ければ、さしもの戦場思寄べきにあらね共、折知貌の梅が枝を、箙にさして寄たれば、源氏の手折れる花なれ共、平家の陣にぞ香ける。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

時しもきさらぎ上旬の空のことなれば。須磨の若木の桜もまだ咲きかぬる薄雪のさえかへる浪こゝもとに。生田のおのづからさかりを得て。かつ色見する梅が枝一花開けては天下の春よと。軍の門出を祝ふ心の花もさきかけぬ。
(謡曲「箙」~謡曲三百五十番)

(2013年2月9日と10日の「古典の季節表現 二月上旬」を二つとも削除して、本記事にまとめました。ついでに、竹むきが記と良寛歌集と続日本紀と続日本後紀と吾妻鏡と謡曲「箙」などを追加しました。)