山がつの庭のそで垣つたひきて軒ばにかかる夕顔の花
(自葉和歌集)
山かつの折かけかきのひまこえてとなりにもさく夕かほの花
(西行法師家集~日文研HPより)
かたやまのかきねのひかけほのみえてつゆにそうつるはなのゆふかほ
(秋篠月清集~日文研HPより)
このころはしつかふせやのかきならひすすしくさけるゆふかほのはな
(拾遺愚草員外~日文研HPより)
くれそめてくさのはなひくかせのまにかきねすすしきゆふかほのはな
(拾遺愚草~日文研HPより)
このまもるかきねにうすきみかつきのかけあらはるるゆふかほのはな
(拾遺愚草~日文研HPより)
六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり。
御車入るべき門は鎖したりければ、人して惟光召させて、待たせたまひけるほど、むつかしげなる大路のさまを見わたしたまへるに、この家のかたはらに、桧垣といふもの新しうして、上は半蔀四五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影、あまた見えて覗く。立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。いかなる者の集へるならむと、やうかはりて思さる。
御車もいたくやつしたまへり、前駆も追はせたまはず、誰とか知らむとうちとけたまひて、すこしさし覗きたまへれば、門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに、「何処かさして」と思ほしなせば、玉の台も同じことなり。
切懸だつ物に、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉開けたる。
「遠方人にもの申す」
と独りごちたまふを、御隋身ついゐて、
「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」
と申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒の妻戸に這ひまつはれたるを、
「口惜しの花の契りや。一房折りて参れ」
とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。
さすがに、されたる遣戸口に、黄なる生絹の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる出で来て、うち招く。白き扇のいたうこがしたるを、
「これに置きて参らせよ。枝も情けなげなめる花を」
とて取らせたれば、門開けて惟光朝臣出で来たるして、奉らす。
(略)
修法など、またまた始むべきことなど掟てのたまはせて、出でたまふとて、惟光に紙燭召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴らしたる移り香、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさみ書きたり。
「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」
そこはかとなく書き紛らはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかに、をかしうおぼえたまふ。(略)御畳紙にいたうあらぬさまに書き変へたまひて、
「寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔」
ありつる御随身して遣はす。
(源氏物語・夕顔~バージニア大学HPより)
正治二年百首歌に 小侍従
咲にけりをちかた人にことゝひてなをしりそめし夕顔の花
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
こたへねとそれとはみえぬたそかれやをちかた人の夕貌の花
(内裏百番歌合-建保四年閏六月九日~日文研HPより)
後小松院にて、人々題をさくりて歌つかうまつりけるに 前右衛門督為盛
咲てこそ賎か垣ねの数ならぬ名もあらはるれ夕かほの花
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
夕顔を 津守国助
いとゝ又/かりやそはむしら露に月まち出る夕かほの花
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
一枝の花をそおける夕かほのかきほの月のしろき扇に
(草根集~日文研HPより)
はなといへはあはれならすやつゆかかるゆくてのこやののきのゆふかほ
(春夢草~日文研HPより)
おのつからなさけそみゆるあらてくむしつかそとものゆふかほのはな
(夫木抄~日文研HPより)
里は荒れぬたれいにしへに住む人の形見はかなき花のゆふがほ
(隣女集)