雪のいみじく降りたるに、人のありきたるこそをかしけれ。「われ忘れめや」などひとりごちて、直衣などもいたく濡れて来たらむと、つま戸かきはなちて入れたらば、かほも身も、いとつめたくなりて寄り来たらむは、わりなかるべきほどかな。
六位の蔵人の青色も、いとをかし。すべて、雪に濡れたらむをりは、靭負の佐(すけ)の赤衣(あかぎぬ)、罪ゆるしつべし。
(前田家本枕草子)
いとど、愁ふなりつる雪、かきたれいみじう降りけり。空の気色はげしう、風吹き荒れて、大殿油消えにけるを、ともしつくる人もなし。かの、ものに襲はれし折思し出でられて、荒れたるさまは劣らざめるを、ほどの狭う、人気のすこしあるなどに慰めたれど、すごう、うたていざとき心地する夜のさまなり。(略)
からうして明けぬるけしきなれば、格子手づから上げたまひて、前の前栽の雪を見たまふ。踏みあけたる跡もなく、はるばると荒れわたりて、いみじう寂しげなるに、ふり出でて行かむこともあはれにて、
「をかしきほどの空も見たまへ。尽きせぬ御心の隔てこそ、わりなけれ」
と、恨みきこえたまふ。まだほの暗けれど、雪の光にいとどきよらに若う見えたまふを、老い人ども笑みさかえて見たてまつる。
(源氏物語・末摘花~バージニア大学HPより)
御前めづらしうおぼして御覧ずれば暮るるまで御傍にさぶらふにも雪の降りたるつとめて、まだおほとのごもりしに、雪たかく降りたるよし申すを聞しめして、その夜御傍にさぶらひしかばもろともに具し参らせて見しつとめてぞかし、いつも雪をめでたしと思ふ中に、ことにめでたかりしかば、あやしの賤が家だにそれにつけて見所こそはあるに、まいて玉鏡とみがかれたる百敷のうちにてもろともに御覧ぜし有様など絵かく身ならましかばつゆたがへずかきて人にも見せまほしかりしか。戸おしあけさせ給へりしかば、誠に降りつもりたりしさま、梢あらん所はいづれを梅とわきがたげなりし。仁寿殿の前なる竹の台、をれぬと見ゆるまでたわみたり。御前の火たきやも埋もれたるさまして、今もかきくらし降るさま、こちたげなり。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)
日吉へまゐるに、雪はかきくらし、輿の前板にこちたくつもりて、通夜したるあけぼのに、宿へ出づる道すがら、すだれをあげたれば、袖にもふところにも横雪にて入りて、袖のうへは、はらへどもやがてむらむらこほる、おもしろきにも、みせばやと思ふ人のなき、あはれなり。
なにごとをいのりかすべき我が袖の氷はとけんかたもあらじを
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
雪のあしたに野宮のかたへまかりて読侍ける 入道前太政大臣
榊さす柴のかきほのかすかすに猶かけそふる雪のしらゆふ
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪のあした、基俊かもとへ申つかはし侍ける 胆西上人
常よりもしの屋の軒そうつもるゝけふは都に初雪やふる
返し 藤原基俊
ふる雪にまことにしのやいかならんけふは都に跡たにもなし
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪のいみしく降たりけるあした、慶政上人西山に住侍ける庵室によみてつかはしける 光明峰寺入道前摂政左大臣
いかはかり降つもるらん思ひやる心もふかきみねのしら雪
返し 慶政上人
尋ねいりし誠の道の深き山はつもれる雪の程もしられす
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪のふかくつもりて侍けるに、性助法親王のもとにつかはされける 亀山院御製
昔より今もかはらす頼みつるこゝろの跡そ雪にみゆへき
御返し 入道二品法親王性助
たのみつる心の色の跡みえて雪にしらるゝ君かことのは
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
むねをかのおほよりか、こしよりまうてきたりける時に、雪のふりけるをみて、をのか思ひはこの雪のことくなんつもれる、といひけるおりによめる みつね
君か思ひ雪とつもらはたのまれす春より後はあらしと思へは
返し 宗岳大頼
君をのみおもひこしちの白山はいつかは雪のきゆる時ある
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
堀川院位におはしましける時、南殿の北面に雪の山つくらせ給よしを聞て、内なる人に申つかはしける 周防内侍
行てみぬ心のほとを思ひやれみやこのうちのこしのしら山
返し 中宮上総
来てもみよ関守すへぬ道なれは大うち山につもるしら雪
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪中遊興
今もちる雪のの原の朝ほらけしちをならへてたてるを車
(草根集~日文研HPより)
前大納言為氏まかるへきよし申て侍ける比、雪の朝に申つかはしける 平親世
おなしくは日かけの雪にきえぬまをみせはやとのみ人そまたるゝ
返し 前大納言為氏
みせはやと待らんとてそいそきつる日影の雪の跡を尋て
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪のあした、後徳大寺左大臣のもとにつかはしける 皇太后宮大夫俊成
けふはもし君もやとふとなかむれはまた跡もなき庭の雪哉
返し 後徳大寺左大臣
いまそきく心は跡もなかりけり雪かき分て思ひやれとも
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪の朝、性助法親王をとつれて侍けるにつかはしける 前関白太政大臣
跡つけてけさしもみつることのはにふるもかひある宿の白雪
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
文永三年十一月二日、雪いとふかくふりて侍けるあしたに、山階入道前左大臣のもとへ申をくりける 前大納言為氏
とへかしな跡ある道はうつもれて雪にもふかくつもるうらみを
返し 山階入道前左大臣
ふみ分て猶もつかへよしら雪のあとある道はむもれはてしを
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
山里に侍りける女のもとに、雪の降る日遣はしける 吹き越す風の宰相中将
寂しやと思ひこそやれ雪深き深山の里の雪の気色を
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
新大納言、世を逃れて高野に住み侍りけるに、雪の降る日遣はさせ給ひける 忍ぶの院の御歌
都だに消えあえず降る白雪に高野(たかの)の奥を思ひこそやれ
この御歌を見ても、雪御覧ぜし御供つかうまつりしことなど思ひ出でられ侍りければよめる 新大納言
昔見し小塩の山のみゆきまで思ひ出でても袖ぞぬれける
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
雪、霰がちに、心細さまさりて、「あやしくさまざまに、もの思ふべかりける身かな」と、うち嘆きて、常よりもこの君を撫でつくろひつつ見ゐたり。
雪かきくらし降りつもる朝、来し方行く末のこと、残らず思ひつづけて、例はことに端近なる出で居などもせぬを、汀の氷など見やりて、白き衣どものなよよかなるあまた着て、眺めゐたる様体、頭つき、うしろでなど、「限りなき人と聞こゆとも、かうこそはおはすらめ」と人々も見る。落つる涙をかき払ひて、
「かやうならむ日、ましていかにおぼつかなからむ」と、らうたげにうち泣きて、
「雪深み深山の道は晴れずともなほ文かよへ跡絶えずして」
とのたまへば、乳母、うち泣きて、
「雪間なき吉野の山を訪ねても心のかよふ跡絶えめやは」
と言ひ慰む。
(源氏物語・薄雲~バージニア大学HPより)
かずまさる年にあはれのつもる哉わが世(よ)ふけゆく雪をながめて
(拾遺愚草~「藤原定家全歌集・上」久保田淳校訂、ちくま学芸文庫)
元輔かむかしすみはへりけるいへのかたはらに、清少納言すみけるころ、ゆきいみしうふりて、へたてのかきもたふれはへりけれは、申つかはしける 赤染衛門
跡もなく雪ふるさとはあれにけりいつれむかしのかきね成らん
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
前中納言定家はやうすみ侍ける所に、前大納言為家わつらふこと侍ける時、雪のあしたに申つかはしける 権中納言公雄
きえもせて年をかさねよ今も世にふりて残れる宿の白雪
返し 前大納言為家
消のこる跡とて人にとはるゝも猶たのみなき庭のしら雪
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
老の後病にしつみて侍し冬雪の夜、前大僧正道玄、人々あまたともなひ来りて題をさくりて歌よみ侍し中に、岡雪といへる事を読侍しを、筆とる事かなはす侍て、為兼少将に侍し時かゝせていたし侍し 前大納言為家
いかにして手にたにとらぬ水茎の岡辺の雪に跡をつくらん
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
夜一夜、病み明かしたるつとめて
すべなくて消えぬることよとばかりも雪の朝(あした)に誰眺めまし
(和泉式部続集~岩波文庫)
病おもくなり侍けるころ、雪のふるをみてよめる 良暹法師
おほつかなまたみぬ道をしての山雪ふみ分てこえんとすらん
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)
ふりしけばまさに我が身とそへつべく思へば雪のそらに散りつつ(秋萩帖)
水上雪といふ事をよめる 源仲正
もろともにはかなき物は水の面にきゆれはきゆる淡の上の雪
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
法師にならむとしけるころ、雪のふりけれは、たゝうかみにかきをきて侍ける 藤原高光
世中にふるそはかなきしら雪のかつはきえぬるものとしるしる
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
題しらす 貫之
消やすき雪はしはしもとまらなむうきことしけき我にかはりて
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
よのはかなきことを思ひつゝけて、雪のあしたに慶政上人のもとにつかはしける 関白前左大臣
かつきえてとまらぬ世とはしりなからはかなき数もつもる雪哉
返し 慶政上人
かつきゆる物ともしらて淡雪の世にふるはかりはかなきはなし
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪の降けるをみてよめる 上西門院兵衛
世中にふれとかひなき身の程はたまらぬ雪によそへてそみる
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
かくはかりふるにかひなきうき世ともしらてや雪の猶積るらん
(宗尊親王百五十番歌合~日文研HPより)
ふるほともなくてやみぬるあはゆきのあはれはかなきよにもあるかな
(万代集~日文研HPより)
女御藤原述子かくれ侍にける比、初雪を御覧して 天暦御製
ふる程もなくて消ぬる白雪は人によそへてかなしかりけり
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
弘徽殿女御うせて後、雪のふるを御覧して 天暦御製
ふるからにとまらす消る雪よりもはかなき人を何にたとへん
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
九条左大臣かくれ侍てほかにうつし侍にける朝、雪ふかくつもりたりけるに、右衛門督忠基もとにつかはしける 前大納言為家
いつのまにむかしの跡と成ぬらむたゝよの程の庭の白雪
返し 右衛門督忠基
思はすよたゝ夜の程の庭の雪に跡をむかしと忍ふへしとは
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
父基綱身まかりて後、雪のふりける日かの墓所にてよめる 藤原基隆
ふりまさる跡こそいとゝかなしけれ苺の上まて埋む白雪
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪のふる日、母のはかにまかりて 頓阿法師
思ひやる苔のしたたにかなしきにふかくも雪の猶うつむ哉
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
題しらす 平時高
きえぬまもみるそはかなきなき人のむかしの跡につもる白雪
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
地「急ぎ候ふほどに。これは早野田の里とかや申し候。あら笑止や。晴れたる空俄に曇り雪ふり。東西を弁へず候。暫く此処にて雪を晴らさばやと思ひ候。
シテ「あら面白の雪の中やな。あら面白の雪の中やな。暁梁王の園に入れば。雪群山に満てり。夜〓公が樓に上れば。月千里に明らかなり。我も真如の月出でて。妄執の雪消えなん法の。恵日の光を頼むなり。
(略)
地「地に落ち身は消えて。古事のみを思草仏の縁を結べかし。
クセ「我とはいさや白雪の。積る思はいやましに。有明さむみ夜半の月。
シテ「峯の雪。汀の氷ふみ分けて。地「君にぞ迷ふ。道は迷はじな津の国の。野田の川波高瀬漕ぐ袖の柵ひぢまさり。岩にせかるゝ沖つ船。やる方もなき我が心。浮べ給へや御僧と。月にひるがへす花衣実に廻雪の袖ならん。
シテ「朝ほらけ。野田の川霧。あさぼらけ。序の舞「絶えだえに。地「あらはれわたる。シテ「姿もさすが白雪の。地「姿のさすが白雪の。峯の横雲。シテ「立ちのぼる東雲も。地「明けなば恥かし暇申して帰る山路の梢にかゝるや雪の花。/\。又消え。きえとぞなりにける。
(謡曲・雪~謡曲三百五十番)