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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 秋 七月 相撲

2015年07月28日 | 日本古典文学-秋

さしかねてなげまふよりもすまひをさのひさごばなとるけしきまづみよ
(為忠家後度百首~新編国歌大観4)

かくて、相撲の節明日になりて、内裏にいとかしこく、賄ひにあたりたまへる御息所、更衣たちは、参土りたまふべきことを思しつつ、手尽くしたる御化粧をしおはします。
 その相撲の日、仁寿殿にてなむ聞こしめしける。内宴思ひ違へたるなるべし。その日、朝の御賄ひには仁寿殿の女御、昼の賄ひには承香殿の女御、夜さりの御庸ひには式部卿の女御、更衣十人、色許されたまへる限り、色を尽くして奉れり。更衣たち、みな日の装ひし、天の下のめづらしき綾の文を奉り尽くし、御息所たち、賄ひ仕うまつりたまはぬは、うなゐにてなむ候ひたまひける。(略)みな相撲の装束し、瓠花かざしなど、いとめづらかなることどもしつつ、左、右近の握打ちつつ候ふ。限りなく清らなる御かたちども、まして御装束奉りて、みなその日、男女、二藍をなむ奉りける。
(略)
今はみな相撲始まりて、左右の気色、祝ひそして、勝ち負けのかづきには、四人の相撲人出だして、勝つ方。一、二の相撲、方人に取られたまへる親王たち、上達部、大将、中、少将、楽したまふ。十二番まで、こなたかなたかたみに勝ち負けしたまふ。ただ今は、こなたもかなたも数なし。今一番は出だすべきになむ、勝ち負け定まるべき。左に名だたる下野の並則、上りて候ふに、並則が都に参上ること三度、ここばくの年ごろの中に、一度は仕うまつれり、一度は合ふ手なくてまかり帰りにき。天の下の最手なり。左大将のおとど、右の相撲、これに合ふべきはなしと思して、こたびの相撲にぞ勝負定まるべければ、せめてこなたかなたに挑み交はしておはしまさふ。左は並則を頼み、右は行経を頼みて、大願を立てつつ勝たむことを念じ、さらに相撲、とみに出で来ず。
かくいふほどに、まだ日高し。そのほどに御膳の貼ひ代はりて、承香殿仕まつりたまひけるを、今は夜さりの御膳になりて、式部卿の宮の女御あたりたまふを、この御息所、昼の御賄ひに、「なほこたみは仕うまつりたまへ。後は御譲りあらむことを仕うまつらむ」とて、今日はなほ承香殿仕うまつりたまふ、夕影のほどになり、かの賄ひ仕うまつりたまふ。
 相撲の盛りにきしろひて、勝ち負けして、左右さまざまの相撲出だして仕うまつらせ、限りなく楽を仕うまつる。(略)
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)

承和三年七月乙亥(八日)
天皇が神泉苑にいて相撲節を観覧した。
丙子(九日)
天皇が紫宸殿に出御して、相撲司の音楽と舞を観賞した。夕刻になろうとする頃、終了した。
(続日本後紀~講談社学術文庫)

承和八年七月戊子(二十日)
天皇が紫宸殿に出御し、左右近衛と兵衛に相撲をとらせた。
(続日本後紀~講談社学術文庫)

(長徳三年七月)二十七日、己丑。
今日、相撲の内取(うちとり)が行なわれた。(略)
三十日、壬辰。相撲召合
相撲の召合(めしあわせ)が行なわれた。(略)一番は右が勝った。天皇の勅判が有って引き分けとなった。二番の頃、張筵(はりむしろ)を出居の座に賜わった。三番の頃、右兵衛督憲定が天皇の御膳を供した。次に内蔵頭陳政朝臣が、東宮の饗饌を供した。(略)十七番が終わって、天皇は還御された。(略)
(八月)一日、癸巳。
相撲御覧が行なわれた。(略)次に抜出(ぬきいで)が行なわれた。一番。このこの番の頃、王卿以下に饗饌を賜わったことは、昨日のとおりであった。二番(略)。第三番の頃、近江介(源)規忠朝臣が倍膳を勤めた。民部権大輔(源)成信朝臣が春宮の饗饌を供した。東宮大進(源)頼光が弾正親王の饗饌を賜わった。
この頃、追相撲が行なわれた。白丁や陣直は、通例のとおりであった。追相撲の頃、所司が燭を執った。追相撲が終わって、天皇は還御された。五番の頃、瓜が下賜された。(略)
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和二年七月)二十六日、丙辰。
「相撲節会の御前の内取は、左右二十人で行なわれます。左方の取手の者が、多く揃っておりません。右方の者は十六人と多くおります」ということだ。もしかしたら擬近(ぎこん)の奏によって、右大将の行なったものであろうか。内取りが終わって退出した時、雨が降った。左右大将(藤原公季・藤原実資)が参列していなかった。左右宰相中将(源経房・藤原兼隆)が参列した。
二十七日、丁巳。
昨夜から大雨であった。午剋にまで及んだ。そこで右大弁(藤原朝経)が来て云ったことには、「天皇の仰せでは、『雨脚が止まない。相撲の召合は延期すべきであろう』ということでした」と。仰せを承ったということを天皇に奏聞した。「明日は坎日(かんにち)である。明後日から行なうべきであろう」ということだ。雨は一日中、降った。
二十九日、己未。
内裏に参ろうとしていた頃、(大江)景理が来て、天皇の仰せを伝えて云ったことには、「早く参入せよ」と。すぐに参入した。巳四剋であった。午一剋に、天皇が相撲の召合に出御なされたことは、常と同じであった。右大臣(藤原顕光)が、上卿として天皇の御前に伺候した。ニ・三番は、左方が勝った。四番から七番に至るまでは右方が勝った。夜に入った。そこで十四番で停止(ちょうじ)とした。差王が勝負楽を演奏した後、右方もまた、演奏しようとしたが、停止させた。左方が勝数で一つ勝っていた。そこで右方の演奏を止(とど)められた。右方は引き分けと思ったのであろうか。
八月一日、庚申。
午一剋に、三条天皇の出御があった。相撲の抜出(ぬきいで)を御覧になられたのは、常と同じであった。右大臣(藤原顕光)がおっしゃって云ったことには、「よし」と。この詞は、やはり奇怪な事であった。左右の最手(ほて)を召した。右方の最手の(越智)常世は、極めて見苦しかった。頭は白く、髪はなかった。度々、障りを申した。手を突いて入ってきた。二番は、右方が(真上)勝岡、左方が(宗丘)数木であった。右方は、膝を突いて入ってきた。三番は引き分けであった。白丁による追相撲の取組が四番行なわれた。(略)左右が楽を演奏した。左方は蘇合・秦王・散手・太平楽・還城楽・散楽、右方は鳥蘇・皇仁・貴徳・弄槍・狛犬・吉簡であった。狛犬を演奏している間に、唐綾を公卿に下賜した。親王と大臣に三疋、納言に二疋、参議に一疋であった。公卿は拝舞した。北を上座として西面した。天皇は入御された。私は御簾の内に伺候した。式部卿宮(敦明親王)・中務卿宮(敦儀親王)・兵部卿宮(敦平親王)も、同じく昨日から内裏に候宿した。四宮(師明親王)も、また伺候した。私は宿直装束を賜った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(建永元年七月)九日。天晴る。今暁、賀茂祇園に御幸の後、新宮に於て相撲七番了りて、還りおはしますと云々。未の時、大納言殿に参ず。旧史を披き、夕、盧に帰る。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(元久二年七月)廿七日。巳の時に参上す。毎事例の如し。今日、離宮に於て相撲あるべし。俄に御神事と云々。即ち退出す。上皇以下、相撲におはします。今日、殿下の姫君御着袴なり。故宗雅卿、養ひ奉る。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 秋

2015年07月26日 | 日本古典文学-秋

山上憶良詠秋野花二首
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
(万葉集~バージニア大学HPより)

女郎花紫苑なでしこ咲きにけり今朝の朝けの露にきほひて
秋の野の草ばの露を玉と見てとらんとすればかつ消えにけり 
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ
(万葉集~バージニア大学HPより)

清キ河ノ流タルホトリニ。秋草ノ花ノ色々ニ。サキ亂テ。ヨロヅ物サビシク。ワリナキ景氣せル叢ノ中ニ。(略)
(沙石集~国文学研究資料館HPより)

秋萩を散らす長雨の降るころはひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き
(万葉集~バージニア大学HPより)

風吹き物あはれなる夕暮に
秋風は気色(けしき)吹くだに悲しきにかき曇る日はいふかたぞなき
(和泉式部集~岩波文庫)

聞くに心の澄むものは、荻の葉そよぐ秋の暮れ、夜ふかき笛の音(ね)箏の琴、荒れたる宿ふく松風
(梁塵秘抄~岩波・日本古典文学大系)

秋の夜のつれづれ長き寝覚(ねざめ)に、悲しく物あはれなる小夜中(さよなか)に、閨(ねや)近き荻(をぎ)の上風(うはかぜ)そよめきわたる折しも、いと肌寒き手枕(たまくら)の下に夜もすがら鳴くきりぎりすの声も、その事となく涙押さへがたき端(つま)となる折ふし、爪音(つまおと)やさしき筝(しゃう)の琴の音(ね)、空に聞こえければ(略)
(住吉物語~「中世王朝物語全集11」笠間書院)

浮香迎綺茵 秋の夜しとねのほとりに蘭燈をかゝくといへり。蘭草をあふらに和して。そのかをとる也。又云蘭草のしるを煎して。そのあふらのともしひをかゝくるに。光のいたる所かうはしと云り。
藤はかま露にかゝくるともし火の光そ秋の匂ひなりける
(百詠和歌・第九・燭~続群書類従15上)

雲居寺の瞻西上人の房にて歌合志侍りける時よめる 藤原道經
ふみしだぎ朝ゆく鹿や過ぬ覽しどろに見ゆる野路の刈萱
(千載和歌集~日文研HPより)

おもしろき萩を折りて、葉にかく書きつく。
  秋萩の下葉に宿る白露も色には出づるものにざりける
とて、孫王の君に、「これ折あらば」とて取らす。持て参りたれば、あて宮見たまふ。
また東宮より、かく聞こえたまへり。
  いつとても頼むものから秋風の吹く夕暮れはいふ方ぞなき
あて宮の御返り
  吹くごとに草木移ろふ秋風につけて頼むといふぞ苦しき
(略)
 源宰相、志賀に行ひしに詣でたまへりけり。それよりおもしろき紅葉の露に濡れたるを折りて、かくなむ。
  わが恋は秋の山辺に満ちぬらむ袖よりほかに濡るるもみぢ葉
とあれど御返りなし。
(宇津保物語~新編日本古典文学全集)

「去年の秋ごろばかりに、清水に籠りてはべりしに、かたはらに、屏風ばかりを、ものはかなげに立てたる局の、にほひいとをかしう、人少ななるけはひして、をりをりうち泣くけはひなどしつつおこなふを、誰ならむと聞きはべりしに、明日出でなむとての夕つ方、風いと荒らかに吹きて、木の葉ほろほろと、滝のかたざまにくづれ、色濃きもみぢなど、局の前にはひまなく散り敷きたるを、この中隔の屏風のつらによりて、ここにも、ながめはべりしかば、いみじう忍びやかに、
  『いとふ身はつれなきものを憂きことをあらしに散れる木の葉なりけり
 風の前なる』と、聞こゆべきほどにもなく、聞きつけてはべりしほどの、まことに、いとあはれにおぼえはべりながら、さすがに、ふといらへにくく、つつましくてこそやみはべりしか」
(堤中納言物語~新編日本古典文学全集)

 山のほとり尋ぬる道にそうのいへあり紅葉ちりしきたりぜんざいに花すゝき風にしたがひてなびく人をまねくにゝたり源少将馬よりおりて
人しれぬ宿にな植そ花すゝき招けはとまる我にやはあらぬ
 そうにかはりて
今よりは植こそまさめ花薄ほにいつる時そ人よりきける(イとまりける)
(躬恒集~群書類従15)

 霧りわたれる夕べの空を、つくづくと御覧じ出だして、
  九重に立つ夕霧をながめわびよそふる花も露けかりけり
御返りは、暮れ果ててぞ持てまゐりける。けざやかなる月の光に、色々の装ひに埋(うづ)もれ臥したる御前(おまへ)の、野辺にまがひて、いとをかしかりけり。
  秋霧のいとど雲居を隔つれば野辺にしをるる女郎花かな
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

  高尾ノ住房ニ侍ベルニ、小夜フケ月カタブクホドニ雨降ル空ニ雲透(ス)キニ見レバ、霧タチテ草庵ノウチニ満(ミ)チタリ。居並ベル人々霧ニマツハレテ、衣(キヌ)ヲ着タルカト見エ侍ベル有様(アリサマ)、オモシロクテ
小夜フケテ風スサマジキ山寺ニ衣(コロモ)重ヌル秋ノ霧カナ
霧ニムセブ草ノ庵ノウチニアレバ空ニマギロフ心地コソスレ
  軒ノ松モ霧ニマギレテカスカニ見ユレバ
空色ノ紙ニヱガキテ見ユルカナ霧ニマギルヽ松ノケシキハ
(明恵上人歌集~明治書院和歌文学大系)

題しらす 凡河内みつね
むつこともまたつきなくに明ぬめりいつらは秋のなかしてふよは
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

秋の比よみ侍ける 慶政上人
年へたる深山のおくの秋の空ねさめしくれぬ暁そなき
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

みかど、御心変り世の常ならで、年経(へ)ぬる秋の夕べをながめて、風にとまらぬ露もうらやましう、いとひかね侍りければ よその思ひの登花殿の女御
消えねかし袖の涙の露とだに憂き身を払ふ秋風もがな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

言ふ方なう心細きに、時しも秋の風さへ、身にしみわたりつつ、野原の露も、袖に玉散る片敷の床(とこ)のさびしさ、今さらならはぬ心地して、
  夜な夜なは寝覚めの床(とこ)に露散りてむなしき秋の風ぞ言(こと)問ふ
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

七月はかりあきのふかくなり侍けれは 中宮内侍〈馬〉
うつろふはした葉はかりと見し程にやかても秋になりにけるかな
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

風は
(略)八九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨のあし横ざまに、さわがしう吹きたるに、夏とほしたる綿絹の、汗の香などかわき、生絹の單衣に、引き重ねて著たるも をかし。この生絹だにいとあつかはしう、捨てまほしかりしかば、いつの間にかうなりぬらんと思ふもをかし。あかつき、格子妻戸など押しあげたるに、嵐のさと吹きわたりて、顏にしみたるこそいみじうをかしけれ。
(枕草子~バージニア大学HPより)

 秋となりて少し涼しき風待ちえたる夕月夜のかげに誘はれて、そなたざまへ忍びてたちや寄らましと思しつつ内裏(うち)より出で給ふままに一条院へさし入り給ひつれば、二所(ふたところ)琴(きん)の御琴(こと)弾かせ給ふほどなりけり。(略)
この人々にも琵琶・筝の琴など賜ひて宮の君に東(あづま)奉り給へれば、まことにえならぬ御気色にて掻きたて給へるほども上衆めかしげに愛敬づきたる。いづれもさばかりの御中にまじりぬればさまざまをかしう聞こゆるに、内大臣の唱歌(しゃうが)し給へる御声なのめならずおもしろきに、権大納言の笛を持ちながら折々うち添へ給ひつるなどぞ、げにとりあつめ、かばかりすぐれたるたぐひ、いかに二つしもものし給ひけむと、とにかくに目も耳もうつる御さまどもなりかし。
(略)
御琴の音(ね)に心もうき立ちて音(ね)の限り吹きとほし給ひつる御笛、はたさらにこの世のものならずや、雲居に澄み上(のぼ)る心地するに、まことにあかぬほどにて月も入りなんとするに、
 「音(ね)にかよふ秋の調べの松風に月をも空に吹きやとどめぬ
うらめしうもあるかな」と空をながめ給へる月影の御さまのなまめかしさ言ふよしもなく見え給ふ。内大臣、
 笛竹のまつと契らむ風の音(おと)に入りぬる月のかへらざらめや
などのたまふに何となく御心に入りたることぞ、
 松風にかよふ憂き音(ね)やいかならむなほ山の端に入り方の月
(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

中将のあふきに、秋の野をかきて風いたくふかせたるに、もとあらのこはきに露おもけなる、しからみかくるさおしかの気色、おかしくかきないたるをみ給て、かい給えるさまに、ちゐさくて、
 我かたになひけよあきのはなすすき心をよするかせはなくとも
 心にはしめゆひをきしはきのえをしからみかくるしかやなくらん
いつしかいもにと、かきすさみ給えるさまさまの御さえとも、めもをよはぬに、これすこし物おほえん女なとの、めととめぬはあらしかしとみ給。
 まねくともなひくなよゆめのはなすすきあきかせふかぬ野辺もみえぬに
 をしなへてしめゆひわたす秋ののにこはきか露をかけしとそおもふ
なと、かきてそみせたてまつり給ヘは、あちきなきさかしらかなと、うちわらひ給て、いろとる風はとくちすさみ給えるあいきやう、猶この御あたりのちりともならまほしけ也。
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

宮はたたずみ歩きたまひて、西の方に例ならぬ童の見えつるを、「今参りたるか」など思して、さし覗きたまふ。中のほどなる障子の、細目に開きたるより見たまへば、障子のあなたに、一尺ばかりひきさけて、屏風立てたり。そのつまに、几帳、簾に添へて立てたり。
  帷一重をうちかけて、紫苑色のはなやかなるに、女郎花の織物と見ゆる重なりて、袖口さし出でたり。屏風の一枚たたまれたるより、「心にもあらで見ゆるなめり。今参りの口惜しからぬなめり」と思して、この廂に通ふ障子を、いとみそかに押し開けたまひて、やをら歩み寄りたまふも、人知らず。
  こなたの廊の中の壷前栽の、いとをかしう色々に咲き乱れたるに、遣水のわたり、石高きほど、いとをかしければ、端近く添ひ臥して眺むるなりけり。開きたる障子を、今すこし押し開けて、屏風のつまより覗きたまふに、宮とは思ひもかけず、「例こなたに来馴れたる人にやあらむ」と思ひて、起き上がりたる様体、いとをかしう見ゆるに、例の御心は過ぐしたまはで、衣の裾を捉へたまひて、こなたの障子は引き立てたまひて、屏風のはさまに居たまひぬ。
(源氏物語・東屋~バージニア大学HPより)

  野分だちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、 「闇の現」にはなほ劣りけり。
 命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ 「八重葎にも障はらず」差し入りたる。
(源氏物語・桐壷~バージニア大学HPより)

いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、頭中将、兵衛督乗せたまふ。
  「いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」
  と、いたうからがりたまふ。
  「昨夜の月に、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。山の錦は、まだしうはべりけり。野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」
  など言ふ。
  「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応と騷ぎて、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。
  野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。
  弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
(源氏物語・松風~バージニア大学HPより)

にようご殿さとにひさしくおはしますを。まいら給へどつねにあれど。とみにもいらせ給はで。ほうゐんのものし給を。野のいとおかしかなるも御らんぜまほしくおぼしめしてわたらせ給て。こゝろのどかに御をこなひなどせさせ給て。おはしますやまざとのあきのけしき。しかのなくねなどもあはれにあきこそことになどやおほしめししらせ給けん。内より御つかひのきりをわけてまいるも。ものがたりのこゝちしておかし。てんじやう人などあまたまいりて。ことひきあそびなどしつゝかへりぬる。なごりもわかき人びとはおかしくおかふ。うちより侍従のないしとて。やかてかけてさふらふ。人をたてまつらせ給へりところのさま御しつらひもいとおかしくみゆ。うすものゝ御几帳のうら。うちかけてわざとみえさせ給はねど。すきておはしますほどなどゑにかきたらんこゝちして。おかし。にようばうなどもしのびやかにこゝろにくきほどなり。やがて二三日ばかりさふらひてぞまかつる。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。
 (略)
  紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、論議せさせて聞こしめさせたまふ。所からに、いとど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方の月影に、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、はかなげなれど、(略)
(源氏物語・賢木~バージニア大学HPより)

 露は、朝日にきらきらしく、匂ひわたりて、いろいろ咲ける花の上に、玉をこぼしかけたらんやうに、いとをかしく見ゆれ。見やりの山には、紅葉の色ことなるに、霜白く置きけるは、<何にてか染めつらん>と、思ひやらるれ。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

 なほ、いみじうつれづれなれば、朝顔の宮に、「今日のあはれは、さりとも見知りたまふらむ」と推し量らるる御心ばへなれば、暗きほどなれど、聞こえたまふ。絶え間遠けれど、さのものとなりにたる御文なれば、咎なくて御覧ぜさす。空の色したる唐の紙に、
  「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまた経ぬれど
 いつも時雨は」
  とあり。御手などの心とどめて書きたまへる、常よりも見どころありて、「過ぐしがたきほどなり」と人も聞こえ、みづからも思されければ、
  「大内山を、思ひやりきこえながら、えやは」とて、
  「秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」
  とのみ、ほのかなる墨つきにて、思ひなし心にくし。
(源氏物語・野分~バージニア大学HPより)

忠度の朝臣の、西山の紅葉みたるとて、なべてならぬ枝をおこせて、むすびつけたる。
君に思ひ深きみ山のもみぢをば嵐のひまに折りぞしらする
かへし
おぼつかな折りこそ知らねたれに思ひ深きみ山のもみぢなるらむ
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

物思ひけるころ、風の荒らかにもみぢを吹くを見出して 床中の右衛門督の中女
飽かず見るもみぢ葉よりもかくばかり憂き身を誘へ木枯らしの風
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

秋比、わつらひけるおこたりて、たひたひとふらひける人につかはしける 伊勢大輔
うれしさは忘やはする忍草しのふる物をあきのゆふくれ
返し 大納言経信
秋風の音せさりせはしら露の軒の忍ふにかゝらましやは
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

旅別はこれ客(かく)のおもひ 行路(かうろ)は又友を忍(した)ふ 何(いづれ)も哀(あはれ)はかはらねど 殊にわりなく切(せつ)なるや 餞別は秋の情(なさけ)ならむ 思立より嶺の秋霧(ぎり)へだてつつ 過(すぎ)方(かた)も遠ざかれば 麓の里をよそにみて 駒(こま)なべてむかふ嵐の 跡よりしらむ横雲の たえだえ残る篠目(しののめ) 又いつかは逢坂(あふさか)の 杉の梢をすぎがてに ほのかに招くかしの薄(すすき) 見てだにゆかんと 名残をとむる関の戸を 明てもしばしやすらへど 思とがむる人もなし この山は雲に連(つらな)り 野原は煙(けぶり)のすゑ遠く 海は波を凌(しのぎ)ても 旅の情(なさけ)ぞ忍びがたき 東屋のまやのあまりに恋しければ ただかりそめの雨やどりに 立寄(たちよる)友の行摺(ゆきずり)にも いざや古郷(ふるさと)人に言伝(ことづて)ん わかぬすさみのおかしきは 主(ぬし)さだまらぬ狂妻(うかれづま)の 妻よぶ小鹿の真葛原に なれも恨(うらみ)てねをたつるや おなじ涙のたぐひならん 凡(およそ)日を続(つぎ)夜を重ね きても旅衣(たびごろも)の 露を方敷(かたしく)草枕に むすぶ契は化(あだ)ながら 思をのこす夜はの床(ゆか)に 蛬(きりぎりす)の声閙(いそがはし)き事をやげにさば嫌(きらふ)らん いまはたさびしくよはる虫 秋の霜の置あへぬね覚をすすめつつ やがて明行(あけゆく)鳥の音 そよや千種(ちくさ)百種(ももくさ)風になびき 思みだるる苅萱(かるかや) 名も睦(むつま)しき女郎花(をみなへし)の 花には誰(たれ)かめでざらむ まばらにふける板びさしに よるはすがらにねらねめや 北斗の星の前には 旅雁(りょがん)を横たへ 南楼(なんろう)の月の下(もと)には 寒衣(かんい)のきぬたの音(おと)さびし 閨月(けいげつ)の冷(すさまじ)きを愁(うれふ)るも ただ暁(あかつき)の空にあり 時しもあれや 秋の別(わかれ)をいか様(さま)にせん さるは夜寒(さむ)の風いとはしく はや長月の初(そ)三夜(や) 玉(たまに)まがふ露をみだり 弓にや似たらん三日月の 入(いる)方見ゆる山の端(は)に この心ぼそき雲間の光 蘭蕙苑(らんけいゑん)のあらしの 紫を砕(くだ)くまがきの菊 此(この)花開(ひらけ)て後(のち)は更に 花かつみかつみる色やなかるらん あの露も涙もはらひあへぬ 旅宿(りょしゅく)の秋の夕ぐれ 野の宮の秋の哀(あはれ) 秋の名残をしたひてや 伊勢まで遥(はるか)におもひおくりけむ
(「拾菓抄」旅別秋情~「早歌全詞集」外村久江・外村南都子、三弥井書店)

 てならひに
たなはたも哀は空にしりにぬらん物思ひまさる秋のこゝろは
(相模集~群書類従15)

七夕まつるこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、雁なきて來る比、萩の下葉色づくほど、わさ田刈り干すなど、とりあつめたる事は秋のみぞ多かる。又野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草子などにことふりにたれど、同じ事、また今さらにいはじとにもあらず。おぼしき事いはぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かつやりすつべき物なれば、人の見るべきにもあらず。
(徒然草~バージニア大学HPより)

北山の辺によしある所のありしを、はかなくなりし人の領(りやう)ずる所にて、花のさかり、秋の野辺など見には、つねにかよひしかば、たれもみしをりもありしを、あるひじりの物になりてときゝしを、ゆかりある事ありしかば、せめてのことに、しのびてわたりてみれば、おもかげはさきだちて、又かきくらさるゝさまぞ、いふかたなき。みがきつくろはれし庭も、浅茅が原、蓬が杣になりて、むぐらも苔もしげりつゝ、ありしけしきにもあらぬに、植ゑし小萩はしげりあひて、北南(きたみなみ)の庭にみだれふしたり。ふぢばかまうちかをり、ひと村すゝきも、まことに虫の音(ね)しげき野べとみえしに、車よせておりし妻戸のもとにて、たゞひとりながむるに、さまざま思ひいづることなど、いふも中々也。れいの物もおぼえぬやうにかきみだる心のうちながら、
露きえしあとは野原となりはててありしにもにずあれはてにけり
あとをだに形見にみんと思ひしをさてしもいとゞかなしさぞそふ
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

白河院の皇后宮かくれさせ給ひての秋、女院の御方に参りて、ひも解き渡れる花の色々も、この秋は恨みまほしうとて 言はで忍ぶの関白
見し人はあらしに迷ふ野辺の露よもの草木のしをれだにせよ
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

亀山院かくれさせ給にし比、去年の秋後深草院うせさせ給しを、又程なく哀なる御ことなと女房の中へ申送り侍とて 前大納言為兼 
ふたとせの秋のあはれは深草やさか野の露も又きえぬなり 
御返し 院御製 
またほさぬこその袂の秋かけて消そふ露もよそにやは思ふ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

つきの年亀山院かくれ給けるに、前大納言為兼、「二とせの秋の哀はふか草やさか野の露も亦消ぬなり」と申侍けるに 従二位為子 
ふか草の露にかさねてしほれそふ憂世のさかの秋そかなしき 
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

また物へまかりし道に、昔のあとの煙(けぶり)になりしが、いしずゑばかりのこりたるに、草ふかくて、秋の花ところどころに咲きいでて、露うちこぼれつゝ、虫の声々(こえごゑ)みだれあひてきこゆるもかなしく、ゆきすぐべき心ちもせねば、しばし車をとゞめてみるも、いつをかぎりにかとおぼえて、
またさらにうきふるさとをかへりみて心とゞむることもはかなし
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

さても男山ふもとの野辺に来てみれば、千種の花盛んにして色を飾り露を含みて、虫の音までも心あり顔なり、(略)
(謡曲・女郎花~岩波・新日本古典文学大系「謡曲百番」)

千種の花の色々に、秋も夜寒になるをりは、弱るか声も遠ざかる、虫の音までも一しほに、ものあはれなる有様を、心つくしてそめつらん。
(薄雪物語)

秋歌の中に 前参議雅有
こよひこそ秋とおほゆれ月影に蛬なきて風そ身にしむ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

冷泉院春宮と申ける時、歌めしける中に 重之
鳴鹿の声きくことに秋はきの下葉こかれて物をこそ思へ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより

水無瀬恋十五首歌合に 藤原定家朝臣
白妙の袖の別につゆおちて身にしむ色の秋風そふく
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたる心地して、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海の方を見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜より深う起きて、鼻すすりうちして、行なひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。
(源氏物語・松風~バージニア大学HPより)

ましばふくねやの板間にもる月を霜とやはらふ秋の山里
いとゞしく露やおきそふかきくらし雨降るころの秋の山里
椎ひろふ賎(しづ)も道にやまよふらむ霧たちこむる秋の山里
鶉ふす 門田の鳴子 引きなれて 帰りうきにや 秋の山里
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

  秋日高尾ノ草庵ニコモリヰルアヒダ、人音(ヲト)絶エテ虫ノ音ノミサヘヅル夕ベニ、月ノ光ノ雲間ヨリサソヒ、嵐ノ声松ノ梢ニオトヅレタル心地、ナニトナク物アハレナルニ、世中アヂキナク思ヒ続ケ侍ル筆スサミニ
ウキ世ゾト仏ノ法(ノリ)ニ説クノミカ見ルコトゴトニ何カ常(ツネ)ナル
夢ノ世ノウツヽナリセバイカヾセム覚メユクホドヲ待テバコソアレ
常(ツネ)ナラヌ世ノタメシダニナカリセバ何ニヨソヘテアハレ知ラマシ
世ノ中ヲ捨テヌ身ナリト思ヒセバ常(ツネ)ナキコトモ悲シカラマシ
ハタオリモオリワヅラヒテ聞コユナリ草葉ノ上モウキ世ナラメヤ
虫ノ音モセキカネテコソ聞コユナレ過ギユク秋ノ末ヲ思ヘバ
松虫ノ千歳ゾトイフ声聞クモイマイクバクノ秋ノ末マデ
アハレ知レト我ヲスヽムル夜半ナレヤ松ノ嵐モ虫ノ鳴ク音(ネ)モ
  ソノ暁キ、虫ノ音ヲ聞キテ
山寺ニ秋ノアカツキ寝覚メシテ虫トトモニゾ鳴キアカシツル
(明恵上人歌集~明治書院和歌文学大系)

八九月になりぬれば。木々のこのはもえだにとまらず。むしのこゑ++。ものおもひしりかほに。おぎふくかぜのをともそゞろさむく。たびねのかりのたよりなげなるこゑもみゝとまりて。おくやまのしかもいとゞいやめにおもひやられ。よろづあはれにこゝろぼそきゆふぐれ。くはうたいこうぐうのにようばうたち。はしをうちながめておのかどちうちかたらふ。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

清水山の鹿のねは、わが身の友と聞きなされ、まがきの虫の声々は、涙こととふと悲しくて、後夜(ごや)の懴法に夜ふかくおきて侍れば、東よりいづる月影の西にかたぶくほどになりにけり。(略)
みねの鹿野原のむしの声までもおなじ涙の友とこそきけ
(問はず語り~岩波文庫)

そのなげき、この思ひは、たれにうれへてか慰むべきと思へども、申しあらはすべき言の葉ならねば、つくづくとうけたまはりゐたるに、音羽の山の鹿のねは、涙をすすめがほにきこえ、即成院のあかつきの鐘は、あけ行く空を知らせがほなり。
鹿のねに又うちそへてかねのおとの涙こととふあか月の空
(問はず語り~岩波文庫)

もろこしにわたりて侍ける時、秋の風身にしみける夕、日本にのこりとまれりける母の事なと思てよめる 権僧正栄西
もろこしの梢もさひし日のもとのはゝその紅葉散やしぬらん
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(略)まさに長き夜のねざめは、千声万声のきぬたの音も、我が手枕にこととふかと悲しく、雲井をわたるかりのなみだも、物おもふ宿の萩のうは葉をたづねけるかとあやまたれ、あかしくらして、(略)
(問はず語り~岩波文庫)

こころの澄むものは、秋は山田の庵(いほ)ごとに、鹿おどろかすてふ引板(ひた)の声、衣しで打つ槌の音(おと)
(梁塵秘抄~岩波・日本古典文学大系)

ツレ「なう村雨の聞え候。
シテ詞「げに村雨の開ゆるぞや。遠里小野の嵐やらん。
ツレ「よくよく聞けば時雨ならで。更け行くまゝに秋風の。
シテ「軒端の松に。
ツレ「吹き来るぞや。
地「雨にてはなかりけり。小夜の嵐の吹き落ちて。中々空は住吉の。処からなる月をも見。雨をも聞けと吹く。閨の軒端の松の風。こゝは住吉の。岸打つ浪も程近し。仮寝の夢もいかならん。よしとても放枕さらでも夢はよもあらじ。いざいざ砧擣たうよ。浮世の業を賎の女は。風寒しとて衣打つ。身の為はさもあらで秋の恨の小夜衣。月見がてらに擣たうよ。
シテ「時雨せぬ夜も時雨する。地「木の葉の雨の音信に。老の涙もいと深き心を染めて色々の。木の葉衣の袖の上。露をも宿す月影に。重ねて落つるもみぢ葉の。色にも交じるちりひぢの。積る木の葉をかき集め雨の名残と思はん。
(謡曲・雨月~謡曲三百五十番)

唯秋山の嵐烈く、軒ばをつたふ友となり、古宮の月さやけくして、涙の露に影を宿す、夜深しては枕に通砧の声、御寝の夢を覚し、暁かけては氷を碾車の音、老牛心を傷しむ。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

時雨に染むる紅葉(もみぢ)の色、山は錦とうち見えて、庭の秋草なびきあひ、籬(ませ)の内の八重菊も、おのれおのれの色をます。暮行く空もひやゝかに、月に末野の虫の声は、更行く鐘にすだきつれ、荻の上風萩の露も、さながら心しづかなり。
(采女歌舞伎草紙絵詞~『日本歌謡集成 巻六 近世編』東京堂)

或日、天(そら)長閑(のどか)に晴れ渡り、衣(ころも)を返す風寒からず、秋蝉の翼(つばさ)暖(あたゝ)む小春(こはる)の空に、瀧口そゞろに心浮かれ、常には行かぬ桂(かつら)、鳥羽(とば)わたり巡錫して、嵯峨とは都を隔てて南北(みなみきた)、深草(ふかくさ)の邊(ほとり)に來にける。此あたりは山近く林密(みつ)にして、立田(たつた)の姫が織り成せる木々の錦、二月の花よりも紅(くれなゐ)にして、匂あらましかばと惜(を)しまるゝ美しさ、得も言はれず。
(瀧口入道~バージニア大学HPより)

(2013年7月13日の「古典の季節表現 秋」の記事は削除しました。)

コメント (8)
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古典の季節表現 秋 秋の庭

2015年07月25日 | 日本古典文学-秋

軒より庭に飛下、東西南北見廻ば、四季の景気ぞ面白き。
(略)
西は秋の心地也、萩女郎花花薄、枝指かはす籬の内、朝は露に乱つゝ、夕は風にやそよぐらん、梢につたふ■(むささび)、庭の白菊色そへて、窓の紅葉々濃薄し、妻喚鹿の声すごく、虫の怨も絶々也。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

 中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色濃かるべき植木どもを添へて、泉の水遠く澄ましやり、水の音まさるべき巌立て加へ、滝落として、秋の野をはるかに作りたる、そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。嵯峨の大堰のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり。
(源氏物語・乙女~バージニア大学HPより)

御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、衰へゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し捨てずなど、わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける。
(源氏物語・匂兵部卿(匂宮)~バージニア大学HPより)

あきのうたのなかに  前大僧正実承
月残り露またきえぬ朝あけの秋の籬の花のいろいろ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

弘安百首歌奉りける時 後九条内大臣
浅茅生の霜夜の虫も声すみて荒たる庭そ月はさひしき
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

つきそなほつゆのよすかもたつねけるよもきかにはのまつむしのこゑ
(摂政家月十首歌合~日文研HPより)

弘安元年百首歌奉りける時 後西園寺入道前太政大臣
暮ゆけは虫のねにさへ埋れて露もはらはぬ蓬生の宿
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふるさとはかせのすみかとなりにけりひとやははらふにはのをきはら
(秋篠月清集~日文研HPより)

さらぬたにはらはぬにはのさひしきにひとはをちらすあきかせそふく 
おともせてきりはかりふるにはのおもにたれををはなのまねきたつらむ
(廿二番歌合_治承二年八月~日文研HPより)

まねけとてうゑしすすきのひともとにとはれぬにはそしけりはてぬる 
(新勅撰和歌集~日文研HPより)

四日、例の所に渡りたれば、見ざりつる程に、荻薄も、萩の籬(ませ)なども、みなこぼれにければ
我が宿は菅原野辺となりにけりいかにふし見て人のゆくらん
(和泉式部続集~岩波文庫)

さとあれてまかきのつゆのたまゆらもはきのさかりをとふひとはなし
(沙玉集~日文研HPより)

秋の庭はらはぬやどに跡たえて 苔のみ深くなるぞかなしき
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

あきくれてわかみしくれとふるさとのにははもみちのあとたにもなし
(拾遺愚草~日文研HPより)

心地重くわづらひ侍りけるころ、風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見るとて、いささか起きゐたるを、院のうれしとおぼしたるも、つひにはいかがおぼし騒がむとあはれにて 紫の上
おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩の上露
 六条院御歌
ややもせば消えを争ふ露の世に後れ先立つほど経ずもがな
 明石の中宮
秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

秋の庭は掃(はら)はず藤杖(とうぢやう)に携(たづさ)はりて 閑(しづ)かに梧桐(ごとう)の黄葉(くわうえふ)を踏んで行(あり)く
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

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古典の季節表現 秋 藤袴

2015年07月21日 | 日本古典文学-秋

待草花といへることをよめる 皇后宮美濃
藤はかまはやほころひてにほはなむ秋の初風吹たゝすとも
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

ならのみかと位におはしましける時さかのみかとは坊におはしましてよみて奉れ給ける
皆人の其香にめつる藤はかま君のみためと手折つるけふ
みかと御かへし
折人の心にかよふ藤はかまむへ色ことににほひたりけり
(大和物語~バージニア大学HPより)

堀河院御時、百首歌たてまつりけるによめる 隆源法師
ぬしやたれきる人なしに藤はかまみれは野ことにほころひにけり
(詞花和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふちはかまをよめる そせい
ぬししらぬかこそにほへれ秋のゝにたかぬきかけし藤はかまそも
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

蘭をよめる 公猷法師
ふちはかまぬしは誰とも白露のこほれて匂ふ野への秋風
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

ふちはかまをよみて人につかはしける つらゆき
やとりせし人の形見か藤はかま忘られかたきかにゝほひつゝ
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

わきもこかすそのににほふふちはかまつゆはむすへとほころひにけり
しらつゆのとちめもせぬかふちはかますそののことに(イあきののことに)ほころひにけり
(久安百首~日文研HPより)

月前蘭 公保
ふちはかまほころひ初し露の上にうつるも匂ふのへの月影
(永享十年石清水社奉納百首~続群書類従・14下)

野分の朝(あした)、藤袴に付けて女に遣はしける うつせみ知らぬの宰相中将
藤袴しをるる色によそへても物思ふ袖の露やまさらん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

なつかしきたかたまくらのあたりそとこころをみたすふちはかまかな
(寂蓮結題百首~日文研HPより)

いたつらにやとににほへるふちはかまこひしきひとのきてもみよかし
きてなれしひとはみねともふちはかまおのかこころとほころひにけり
(南宮歌合~日文研HPより)

わかこふるひともきてみぬふちはかまなにとてつゆのそめておくらむ
あふことはかたのののへのふちはかまたれきてみよとつゆのおくらむ
(西宮歌合~日文研HPより)

かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、
  「これも御覧ずべきゆゑはありけり」
  とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。
  「同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも」
  「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、
  「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば薄紫やかことならまし
 かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」
  とのたまへば、(略)
(源氏物語・藤袴~バージニア大学HPより)

諒闇の年の秋、鳥羽殿に美福門院おはしましける比、前栽に蘭のしほれて見えけるを折て人につかはしける 皇太后宮大夫俊成
なへて世の色とはみれと蘭わきて露けき宿にも有かな
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

式部卿の宮かくれて後、かの家のらに(蘭)をおし折りてよみ侍りける あたり去らぬ内大臣
主(ぬし)なくて荒るるまがきの藤袴折るに露けき秋の暮かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

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古典の季節表現 秋 七月中旬

2015年07月17日 | 日本古典文学-秋

 七月五日、北山殿に行啓なる。御幸もなりしかば、はえばえしき御遊どもなり。晝は山瀧など所々御覽ぜられて、暮るれば御(み)舟に召す。夕月夜より有明になるまで、かゝる夜もなし。
九日、月さし出づる程に、例の御舟に召す。(略)御樂(ぎょがく)あり。殿上人ども、小さき舟に乘りて、中島を隔てて吹き合せたる物の音、たとへむ方なくおもしろし。遙に漕ぎ出でぬるに、かすかに鞨鼓を打つ音聞ゆるを、人々あきれて、「いづくならむ。」と申すに、「大夫にやあらむ。」とて、迎の小舟に樂(がく)し朗詠などして、さし寄せたれば、火を焚きてぞ參り給ふを、いみじく興ぜさせ給ふ。
春宮の御方、十三日は御くたびれにやありけむ、御舟にも召さず、無量光院の庇にて、月御覽ぜらる。簀子には花山院(くゎざんゐん)大納言、大夫殿さぶらひ給ふ。さまざまをかしき御物語どもあり。東(ひんがし)の妻戸の口に、大納言〔家教卿〕、權大納言殿さぶらひ給ふ。やがてその東の間のすみ勾欄に、宮内、宰相殿三人さぶらふ。なにとなき物語どもして、更け行くまゝに、ことに近き西の山もと、入方(いるかた)近く傾きたる月の、池にうつろひて面白きを、「所がらは、げに見所あるよゝの月影、いかなる世にも忘れじや」などいひあはせつゝ、廿五の菩薩來迎の御繪(おんかた)見るよりはじめて頼もしく哀なる方も添ひて、名殘多げに、「ながらへば又來む年の今宵、思ひ出でなるべしや」など云ふ。心のうちに、
山かげにながむる月よめぐりあはむ都のそらにおもがはりすな
更けぬれば入らせ給ひぬ。
十六日も、この御方は、御舟もなし。朝餉の御簾卷きあげて、月御覽ぜらる。御縁(ごえん)に人々さぶらひ給ふ。伯(はくの)新少將、衞門藏人、召し出でてまゐらせらる。花山院大納言笛、大夫殿太鼓、さらぬ殿上人ども、律(りち)には月の光もことなるに、拔頭(ばとう)の舞ひ出でたる程は、誠に面白し。名殘多くて果てぬ。宮内のお許に、親の親ともいひぬべき人の許より、
月の便(たより)にと頼め侍るに、人々供(ぐ)して前渡して見え侍るを、恨みて、
いつはりと思ひながらも待ちかねつ寢ぬ夜の月の影あくるまで
といひおこせたる返事を、餘りひたやごもりならむもさすがなれば、忍びて返すがへすもつかはし侍るが、さるべき使もなきを、如何(いかゞ)し侍るべきと、いひ合はするかひなからむも、と思ひて、あらぬさまなる姿をして、夜も半に過ぎて、曉近くなる程に、行きて、御まやを局にしつらひたる蔀を忍びやかにうち叩けど、皆人寢たる氣色にて答ふる人もなければ、あまり事々しからむも如何なり、と思ひ煩ひて休らふ程に、東の妻戸の方に、たたく水鷄の外(と)うちながむる聲すれば、それにやあらむ、と理も過ぎて、やさしくも、おもしろくも覺えて、聲につきて遣戸に立ち添ひて、月を眺むるなりけり、と聞くに、まことに月を待つにはあらで、人待つほどのすさみにや、と思ひやられて、うち叩けば、「誰(た)ぞ」ともいひあへぬ許に開けたれば、なにとはいはず、文をさし置くに、袖をひかへて放たず。怖しくあきれたる心地して、あさましけれど、騷がぬ樣にもてなして、さりげなく、やをらすべり逃ぐるに、隈なき月に見ゆらむ後手〔後影〕も恥しく、我ながら、心淺かりける擧動(ふるまひ)もそらおそろしく案ぜられて、悔しく覺えて、心の中に、
水鷄かとうたがはれつる眞木の戸を開くるまでとは何叩きけむ
人にはいはぬ事なれば、萬はあいなき心一つなり。
十八日、野上の御幸(ごかう)、行啓なる、筵道に、殿上人ども圓座(わらふだ)をあまたして敷きたるを、又、拾ひ劣らじと走りなどするもをかし。野上の景色、まことにおもしろし。筧の水の氣色、はかなき木草までも見所あり。ひろき野に、われもかう〔秋草〕を、交るものなく植ゑわたしたるに、わかき女房たち、山際まで分け入りて見れど、道なくて歸りぬ。暮るゝまで御遊ありて、入らせ給ひぬれば、例の御舟も果てぬ。
十九日は、妙音堂の御幸なり。おもしろくめでたし。
二十日、夜は殊に引きつくろひたる御舟樂(おんふながく)あり。春宮御琵琶、花山院大納言笛、琴は連中(れんちう)なり。徳大寺大納言〔公松〕朗詠、大夫殿は、二位入道が御ものやどりの刀自といふものと、乘りたる舟にて、入江の松の下にかくろへて、琵琶を調べておとづれ給ふ。いづくならむ、いだしたれば、御舟さし寄せてまゐり給ふ。「傾城(けいせい)の舟に乘りたがり侍りつる程に。」など申し給ふ、いとをかし。廿日月は、すこし心もとなく待たるゝ程、御堂の御あかしの光、かすかに水に映(うつろ)ひたるほど、おもしろく見ゆ。月さし出でぬれば、まばゆき程なるに、漕ぎまはす舟の■(楫+戈)の音に、立ち騷ぐ水鳥の景色、中島の松の梢、物ごとにおもしろきこと限なきにも、又かゝる事、いかなる世にか、と名殘かなしうこそ。遊び果てぬれば、また田向(たむき)の月御覽ぜらるゝに、春宮の御方は、道とほくこと離れたるやうなれば、ならず、野上へぞ入らせ給ふ。田向の方、ことに草深く分け入りたるに、名におふも、げに覺えて、はては何處(いづく)と見えぬまで、はるばると廣きに、稻葉におき渡す露の光は、玉を並べたらむやうなり。とりどりさまざまなる所々の景色、いひ盡すべうもあらず。還御なりて、入らせ給ひぬれば、女房たちは、なほ大御堂の廣庇に出で、横雲のひま見えゆくに、洲崎に立てる松の木立、釣殿近き松に、舟浮きたりし中島に、羽うちかはしたる鳥どもの群れ居たるまでも、よろづに見捨てがたけれど、心々にさしきの野上分け行くに、あるかなきかの月の名殘なほ慕ひけむ、さしきは、西の山もとゆかしくて行きぬ。松山に分けて生ひたる眞木の梢、露けき山田の庵(いほ)までも、はかなく稻葉の風に亂れたるほど、山の端ちかく雲に消え行く有明の影取り集めたる朝ぼらけ、もの悲しくて、心細くながめつるさへ入りぬれば、
よこぐもの空に消えゆく有明をこころぼそくもながめつるかな
しののめの明けゆく空の秋風になびくいな葉もつゆぞこぼるる
かやうにつゞかぬ事のみぞ、心の中に多き。また野上より還御なりて、曙に御舟召されて、明け果てぬれば、入らせ給ひて、やがてそのまゝながら御會(ぎょくゎい)あり。數ならぬ末々までも、心々にうち寢る時もなくぞ遊びあひぬる。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

 御堂供養、治安二年七月十四日と定めさせたまへれば、よろづを静心なく夜を昼に思し営ませたまふ。(略)
かくて日うららかにさし出づるほどに、御方々の女房たちの御簾際ども見渡せば、御簾の有様よりはじめ、廻まで世の常ならずめづらかなるまで見ゆるに、朽葉、女郎花、桔梗、萩などの織物、いとゆふなどの末濃の御几帳、村濃の紐どもして、さまざま心ばへある絵を泥してかかせたまへり。えもいはずめでたき袖口ども、衣の褄などのうち出だし渡したる、見るに目耀きて何とも見分きがたく、そがなかにも、紅、撫子などの引倍木どもの耀きわたれるに、桔梗、女郎花、萩、朽葉、草の香などの織物、薄物に、あるはいとゆふ結び、唐衣、裳などの言ひつくすべくもあらぬに、紅の三重の袴どもみな綾なり。枇杷殿の宮の御方には、またこの色々の織物、薄物どもを同じ数にて、袴の上に重ねさせたまへり。またこれぞなかりつることと、いみじくめづらかなり。この御方々に聞えさせ合せたまへるにもあらず、みな心ごころにせさせたまへるに、同じ色一つならぬほど、いみじうをかしく見えたり。これにまた殿の上の御方劣りげなし。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

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(秋七月)○丙申。遣使山城貴布禰神社。大和国室生山上龍穴等處。祈雨也。
(日本紀略、嵯峨天皇、弘仁九年~国史大系5巻)

承和十一年七月癸巳(十二日)
百人の僧を八省院に喚んで『大般若経』を転読して、祈雨(あまごい)をした。本日、雨が降った。
(続日本後紀~講談社学術文庫)

貞観八年七月十四日丙辰、幣を賀茂御祖、別雷、松尾、丹生川上、稲荷、水主、貴布禰の神に班(わか)ちき。前日の祷(いのり)に賽(さい)し、兼ねて嘉澍を祈りしなり。告文に云ひけらく、「天皇が詔旨と掛けまくも畏き松尾大神の廣前に、恐み恐みも申し給はくと申さく。不慮之外(おもひのほか)に天の下に旱(ひでり)の災(わざはひ)有りて、農稼(たなつもの)枯れ損ひぬ。茲(これ)に因(よ)りて掛けまくも畏き大神を憑(たの)み奉(まつ)りて、大幣帛(おほみてぐら)奉出(たてまだ)し給はむと祈り申しき。而(しか)るに祈り申しゝも験(しる)く、甘雨(あめ)零(ふ)らしめ賜へり。因りて歓びながら散位従五位下大中臣朝臣国雄を差使(つかは)して、大幣帛を捧げ持たしめて奉出(たてまだ)し賜ふ。此の状(さま)を平(たひら)けく聞(きこ)し食(め)して、今も今も風雨調(とゝの)へ和(なご)め給ひ、五穀(いつくさのたなつもの)豊に登(みの)らしめ賜ひ、天の下饒(にぎは)ひ足(た)らしめ賜ひ、天皇が朝廷を寶祚(あまつひつぎ)動くこと無く、常磐堅磐(ときはかきは)に、夜守日守に、護り幸(さきは)へ奉り給へと申し給はくと申す」と。自餘(ほか)の社(やしろ)の告文、並びに同じかりき。
(訓読日本三代実録~臨川書店)

(寛弘元年七月)一六日、戊戌。
天が晴れた。大外記(滋野)善言(よしとき)朝臣を召した。明日、議定する事が有るので、諸卿にその事を申すよう命じた。夜に入って、内裏に参った。候宿した。(藤原)説孝(ときたか)朝臣に命じて、竜穴社の御読経をまた奉仕させた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(正治元年七月)十五日。陰る。辰後に雨下る。始めて秋の景気あり。大臣殿に参じ、終日あり。夜に入りて退下す。明日、仗議延引と云々。関東女子の穢気不審の間、公卿勅使、延引す。九月に発遣さるべし。仍て、此の仗議又忩がるべからざるに依り、延ばさると云々。一昨日の条事定め、左衛門督・中宮権大夫・左大弁・冷泉中納言(隆房)参内す。祈雨奉幣幷に除目等の事を行ふ。件の除目、土佐守宗行・和泉守宣房・石見守雅家・加賀守親時。去る十二日、信清卿を以て、御厩別当に補せらると云々。公経卿、遂に以て改めらるるか。籠居の間、猶綸言を蒙る。御馬御剣等を呈するに依り、悉く納受と云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(治承四年七月)十六日。天晴る。炎旱、旬に渉る。法勝寺如説仁王会に参ず。池の荷(はす)盛んに発(ひら)く。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(元久二年七月)十七日。暁。女房日吉に参ず(十ヶ日籠る)。未の時許りに最勝金剛院に参ず。女院、今日渡りおはします。即ち退出し、夕殿に参ず。見参の後、深更に退下す。院より題三首を給はる。北野、祈雨の歌合と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年七月)十九日。天晴る。未後に大風雨。巳の時許りに、小男参ぜしむ。今日、日吉御幸。出でおはしますの後、帰り来たる。未の時以後、風雨猛烈。木を折り、屋を発(おこ)し、沙石を揚ぐ。年来の間、見聞かざる所なり。荒屋皆破損す。更に筆端の及ぶ所にあらず。夜に入りて休止す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保二年七月)十二日。今夕。於主上御前。有種々御会遊事等。上皇同御覧之。舞女幷猿楽等応其召云々。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

(建保二年七月)十七日。上皇於賀茂上下社。有七番競馬。五番流鏑馬。仍去夜御幸。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

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その十三日の夜、月いみじくくまなくあかきに、みな人もねたる夜中許に、えんにいでゐて、あねなる人、そらをつくづくとながめて、「たゞいまゆくゑなくとびうせなばいかゞ思べき」ととふに、なまおそろしとおもへるけしきを見て、こと事にいひなしてわらひなどしてきけば、かたはらなる所に、さきをふくるまとまりて、「おぎのはおぎのは」とよばすれど、こたへざなり。よびわづらひて、ふえをいとおかしくふきすまして、すぎぬなり。
ふえのねのたゞ秋風ときこゆるになどおぎのはのそよとこたへぬ
といひたれば、げにとて、
おぎのはのこたふるまでのふきよらでたゞにすぎにるふえのねぞうき
かやうにあくるまでながめあかいて、夜あけてぞみな人ねぬる。
(更級日記~バージニア大学HPより)

承元三年七月十六日ノ夜、深雨ノ即時ニ空イマダ晴レザル間、高尾ノ住房ニシテ、両三ノ同輩トモニ曇ル空ニ月ヲシノブトイフコトヲヨミシ時
出デヌラム月ノユカリト思フニハ曇ル空ニモアクガレゾスル
秋ノ夜モイマイクバクノ月カゲヲイトウラメシクヲシム雲カナ
(略)
 人々モロトモニ雲間ヨリ出ヅル月ヲ待ツニ、小夜フケヌレドモ晴レモヤラズ。人々寝入リガタニ、軒ノ松ノ梢ノホド晴レアガリテ、月ノ光リ、草ノ庵ニサシ入ルニ、モロトモニ見ムトテ引キ起コセドモ、ナサケナキホドニ起クルコトナケレバ、イトイトウラメシクテ、寝入ル人ノ小袖ノ袂ニ書キツケ侍ベル。
千歳フル小松ナラネド引キカネツ深ク寝入レル君ガ袂ヲ
寝入リヌル君ヲバイカニ恨ムラム梢ニ出ヅル秋ノ夜ノ月
(明恵上人歌集~明治書院和歌文学大系)

  夜もやうやうふけゆけども、かへらむ空もおぼえねば、むなしき庭にひとりゐて、むかしを思ひつづくれば、をりをりの御面影たたいまのここちして、何と申しつくすべき言の葉もなく悲しくて、月を見れば、さやかにすみのぼりて見えしかば、
 くまもなき月さへつらきこよひかなくもらばいかにうれしからまし
釈迦入滅のむかしは、日月も光をうしなひ、心なき鳥獣までも、うれへたる色にしづみけるにと、げにすずろに、月にむかふながめさへ、われながら、せめての事と、思ひれしられ侍りしか。
(問はず語り~岩波文庫)

後深草院の御事おほしめし出て、七月十六日、月のあかゝりけるによませ給うける 伏見院御製
かそふれは十とせあまりの秋なれと面影ちかき月そかなしき
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

(寛喜二年七月)十五日(甲辰)。朝霧。凉風仲秋の如し。昨今萩の花盛んに開く。(略)雑人、毎年東北院に集会し、相撲を見物。咲声騒動す。近き辺り怖畏あり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜三年七月)十二日(丙申)。朝天晴る。未の時許りに雷鳴、雨降らず。(略)今日競馬・蹴鞠の興有るべき由、去月より議せらると云々。定めて又七珍万宝の儲け有るか。夜、月清明なり。
十三日(丁酉・欠日)。天晴る。未の時許りに黒雲乾より起つ(雨灑ぎ雷鳴)。去る晦、荒和祓の時刻に郭公数声の後、其の声無し。鶯舌又至る。此の晦の朔、高声に叫ぶが如し。此の四五日又其の音を罷む(猶、竹樹の中に在り)。時節に随ひ廻囀す。其の興を催すを依(たの)む、往々なり。伝へ聞く、昨日競馬。一番隆親卿、久清(儲け勝つ)。二番(略)鞠二度、還りおはします。中納言中将殿・盛兼卿・実有・為家・基氏。殿下御騎馬と云々。泉の辺り綾の橋を渡し、紺の簀子を敷く。厩に向ひて御椅子等の類を立つと云々。委しからず。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十二日 壬申。雨降ル 将軍家〈御騎馬〉最明寺ノ第ニ入御シタマヒ弓鞠競馬相撲等ノ勝負亦管絃詠歌以下ヲ覧タマヒ御遊宴等有リト〈云云〉。
(吾妻鏡【弘長元年七月十二日】条~国文学研究資料館HPより)

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