埋火に手たづ さはりてかぞふればむ月もすでに暮れにけるかな
(良寛歌集~バージニア大学HPより)
宝治二年、後嵯峨院に百首歌奉ける時、春雪 前大納言為氏
かけろふのもゆる春日のあさ緑かすめる空も雪は降つゝ
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
そらははやはるとはかりにかすめともなほかせさむみあはゆきそふる
(嘉元百首~日文研HPより)
春来ても雪降る空を眺れば霞もさゆる心地こそすれ
(六百番歌合~岩波文庫)
余寒氷を 光明峰寺入道前摂政左大臣
山川に冬のしからみかけとめて猶風さむくこほる春かな
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
かきくらしふるとはすれとかつ消えぬかすめる空の春のあは雪
(宝治百首~日文研HPより)
春雪を 円光院入道前関白太政大臣
かつきゆる庭には跡も見えわかて草葉にうすき春の淡雪
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
弘長元年、後嵯峨院に百首歌奉りける時、春雪 前大納言為家
まつさける花とやいはんうちわたす遠かたのへの春のあは雪
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
うちきらしふれとも雪のかつ消えて都ののへは春めきにけり
(宝治百首~日文研HPより)
またさかぬはなのおもかけさきたててかせにちりくるはるのあはゆき
(嘉元百首~日文研HPより)
堀河院に百首歌たてまつりける時、残雪のこゝろをよみ侍ける 藤原仲実朝臣
春きては花とも見よとかた岡の松のうは葉にあは雪そふる
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
高砂のをのへにふれる雪の色を松に花さく春かとそみる
(宝治百首~日文研HPより)
正嘉二年二月、受戒せんとてひえの山へのほり侍けるに、雪のなをふりつもり侍けれは 岡屋入道前摂政太政大臣
都をは春の霞をわけつれとなを雪きえぬ山路なりけり
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
かゝりし程に、文治二年の春の比、法皇建禮門院大原の閑居の御住ひ御覽ぜまほしう思食されけれども、きさらぎ彌生の程は、嵐烈く餘寒も未だ盡せず。嶺の白雪消やらで、谷のつららも打解ず。
(平家物語~バージニア大学HPより)
題しらす 従二位家隆
天原空行風のなをさえて霞にこほる春の夜の月
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
家の百首歌合に、余寒の心を 摂政太政大臣
空はなをかすみもやらす風さえて雪けに曇る春の夜の月
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
春の初(はじめ)の歌枕、霞たなびく吉野山、うぐひす、佐保姫、翁草、花を見すてて帰る雁
(梁塵秘抄~岩波の日本古典文学大系)
「高砂の。松の春風吹き暮れて。尾上の鐘もひびくなり。」
「波は霞の磯がくれ。」
「音こそ汐の滿干なれ。」
(謡曲・高砂~バージニア大学HPより)
春立つや 霞の関を今朝越えて 霞の関を今朝越えて 果てはありけり武蔵野を 分けくらしつつ跡遠き 山また山の雲を経て 都の空も近づくや 旅までのどけかるらん 旅までのどけかるらん
(謡曲・軒端梅~新潮日本古典集成「謡曲集」下)
シテ「見渡せば千木も曲まずかたそぎも反らず。
二人「これ正直捨方便の象を現すかと見え。古松枝を垂れ。老樹緑を添へ。皆これ上求菩提の相を表す。ありがたかりし。宮居かな。
下歌「神風に。心安くぞ任せつる。
上歌「桜の宮の花盛。桜の宮の花盛。花の白雲立ち迷ひ空さへ匂ふ月読の。洩り来る影も長閑にて。知るも知らぬも道のべの。行きかふ袖の花の香に春一入の気色かな春一しほの景色かな。
(謡曲・第六天~謡曲三百五十番集)
いつしか都ちかきよもの山の端霞のよそになり行ころはまたみぬ花も俤にたちておなし心の友とちとうちつれ北山のかたへとこゝろさしける道のほとに老たるわかきたかきあやしき行来る袖も色めきあへる中にさはやかなる車かたへの木蔭によせてつきしたかふをのこなとさしよりつゝいとおかしき花のけしき御らむせよすみれましりの草もなつかしくなときこえけれはおり給へるよそほひ年のほとまた二八にもたり給はぬほとなるか色々に染わけたる衣いとなよやかにきなしてなかめ給へる様体かしらつきうしろてなとこの世の人ともおもはれすあてやかなるさまはかりなし
(鳥部山物語~バージニア大学HPより)
十四に成給ひし、春の比かとよ、もと立なれし、横川の法師、又京にも、優なるおのこ、あまた来あひて、北山のさくら、今なむ、さかりなるよし、人申なり、侍従の君、見給へかし、伴ひ奉らむと、くちくちいへは、深山かくれの、色香も、ことにゆかしき、心ちして、俄に思ひ立ぬ、道の程も、人めつゝましけれは、わさと、やつしてそ、おはしける
わかきとち、駒なめて、道すから、なかめわたせは、遠き山のは、そこはかとなく、霞つゝ、野辺のけしき、青みわたり、芝生の中に、名もしらぬ花とも、すみれにましり、色々さきて、雲井の雲雀、姿も見えす、さえつりあひたるさまとも、いはんかたなし
心さす山は、やゝ深くいる所にて、水のなかれ、岩のたゝすまひも、うつし絵を、みるやうになん、おほえける、うち吹風に、そことなく、にほひくるに、人々、心あくかれて、いそき、のほりつゝ、みれは、数しらぬ花とも、枝もたはむまて、開つゝ、今日こすはと、見えたり
山かくれともいはす、都のかたの人と見えて、あまた、つとひきて、木の本、岩かくれの苺に、むれゐつゝ、哥よみ酒のみし、あそひなと、さまさまにそ、見えし
(松帆物語~「室町時代物語大成12」)
軒より庭に飛下、東西南北見廻ば、四季の景気ぞ面白き。
東は春の心地也、四方の山辺も長閑にて、霞の衣立渡り、谷より出る鶯も、軒端の梅に囀、池のつらゝも打解て、岸の青柳糸乱、松に懸れる藤花、春の名残(なごり)も惜顔なり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)
六条院造り果てて渡りたまふ。(略)
南の東は、山高く、春の花の木、数を尽くして植ゑ、池のさまおもしろくすぐれて、御前近き前栽、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などやうの、春のもてあそびをわざとは植ゑで、秋の前栽をば、むらむらほのかに混ぜたり。
(源氏物語・乙女~バージニア大学HPより)
「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、 今一きは心もうきたつものは、春の氣色にこそあめれ。鳥の聲などもことの外に春め きて、のどやかなる日影に牆根の草萌え出づる頃より、 やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、をりしも雨風う ち續きて、こゝろあわたゞしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづ にたゞ心をのみぞ惱ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ梅のにほひにぞ、古の事も立ちかへり、 戀しう思ひいでらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひすてがたき事多し。
(徒然草~バージニア大学HPより)
幾春(いくはる)の、眺(ながめ)はいつし変らねど、分(わ)きて長閑(のどか)に照る日影、契りは竹の世々(よよ)籠(こ)めて、君と二葉(ふたば)の松諸共(もろとも)に、枝も栄ゆる若緑、仰ぐに飽かぬ時を得て されば怪(あや)しの賤(しづ)の男女(をめ)、様々(さまざま)の造り花、色を尽くして捧げけり、先づ咲きそむる梅の花、いと弱く匂ひも深き花衣(はなごろも)、八重(やへ)一重(ひとへ)咲き乱れ、げに九重(ここのへ)に類(たぐ)ひなき、色も異(こと)なる桜花(さくらばな)、粧(よそほ)ひゆゆしく見えにけり、さてその次の島台(しまだい)に、松と竹とを植ゑ交ぜて、千代を囀(さへづ)る雛鶴(ひなづる)が、汀(みぎは)の方(かた)に巣をくひて、谷の流れに亀遊ぶな (略)
(松の葉、第二巻、幾春~岩波文庫「松の葉」)
「(略)春の空のたどたどしき霞の間より、おぼろなる月影に、静かに吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に澄みのぼり果てずなむ。女は春をあはれぶと、古き人の言ひ置きはべりける。げに、さなむはべりける。なつかしく物のととのほることは、春の夕暮こそことにはべりけれ」
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)
入道一品宮に人々まいりてあそひ侍けるに、式部卿敦貞のみこふえなとおかしくふき侍りけれは、かのみこのもとにはへりける人のもとに又の日、よへの笛のおかしかりしよしいひにつかはしたりけるを、みこつたへきゝて、おもふことのかよふにや、人しもこそあれ、きゝとかめけることなと侍ける返ことに 相模
いつか又こちくなるへき鶯のさへつりそめし(イさへつりそへし)夜はの笛竹
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
たいしらす 読人しらす
笛のねの春おもしろくきこゆるは花ちりたりとふけは也けり
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
雪の山つくられて侍ける雪を、む月の廿日比に、万里小路右大臣申て侍けるに 月花門院
消のこる雪につけてや我やとを花よりさきに人のとふらん
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
正月二十日ばかりになれば、空もをかしきほどに、風ぬるく吹きて、御前の梅も盛りになりゆく。おほかたの花の木どもも、皆けしきばみ、霞みわたりにけり。
(略)
夜更けゆくけはひ、冷やかなり。臥待の月はつかにさし出でたる、(略)
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)
睦月なかば過ぐるころなど、なにとなく春のけしきうらうらとかすみわたりたるに、高倉院の中納言の典侍(すけ)ときこえし人、いまの内(うち)にさぶらはるゝが、「あはん」とありしかば、昔の事しれる人もなつかしくて、その日を待つ程に、さしあふ事ありて、とどまりぬ。こよひにてあらましと思ふ夜、荒れたる家の軒端より月さし入りて、梅かをりつゝえんなり。ながめあかして、つとめて申しやる。
あはれいかにけさはなごりをながめまし昨日のくれのまことなりせば
かへし
思へたゞさぞあらましのなごりさへ昨日も今日も ありあけの空
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
二十余日のころ、梅の花盛りなるに、(略)
西の渡殿の前なる紅梅の木のもとに、「梅が枝」をうそぶきて立ち寄るけはひの、花よりもしるく、さとうち匂へれば、妻戸おし開けて、人びと、東琴をいとよく掻き合はせたり。女の琴にて、呂の歌は、かうしも合はせぬを、いたしと思ひて、今一返り、をり返し歌ふを、琵琶も二なく今めかし。
(源氏物語・竹河~バージニア大学HPより)
隙行く駒の足にまかせて、文永も五年に成りぬ。正月二十日、本院のおはします富の小路殿にて、今上の若宮、御五十日聞こし召す。いみじう清らを尽くさるべし。今年正月に閏有り。後の二十日余りの程に、冷泉院にて舞御覧有り。明けむ年、一院、五十に満たせ給ふべければ、御賀あるべしとて、今より世の急ぎに聞こゆ。楽所始めの儀式は、内裏にてぞ有りける。試楽、二十三日と聞こえしを、雨ふりて、明くる日つとめて、人々参り集ふ。新院はかねてより渡らせ給へり。寝殿の御階の間に、一院の御座設けたり。其の西によりて、新院の御座を設く。東は大宮院・東二条院、皆白き御袴に、二御衣奉れり。聖護院の法親王・円満院など参り給ふ。土御門の中務の宮も参り給ふ。上達部・殿上人、数多御供し給へり。仁和寺の御室・梶井の法親王なども、すべて残り無く集ひ給ふ。月花門院・花山院の准后などは、大宮院のおはします御座に御几帳押しのけて渡らせ給ふ。寝殿の第四の間に、袖口共心異にて押し出ださる。大納言の二位殿・南の御方など、やむごとなき上臈は、院のおはします御簾の中に、引きさがりて候ひ給ふ。いづれも、白き袴に二衣なり。東のすみの一間は、大宮院・月花門院の女房共参り集ふ。西の二間には、新准后候ひ給ふ。御前の簀子には、関白殿を始めて、右大臣〔基忠〕・内大臣〔家経〕・兵部卿隆親・二条の大納言良教・源大納言通成・花山院の大納言師継・右大将通雅・権大納言基具・一条の中納言公藤・花山院の中納言長雅・左衛門督通頼・中宮権大夫隆顕・大炊御門の中納言信嗣・前の源宰相有資・衣笠宰相の中将経平・左大弁の宰相経俊・新宰相の中将具氏・別当公孝・堀川の三位中将具守・富小路三位中将公雄、皆御階の東に著き給ふ。西の第二の間より、又、前の左大臣実雄・二条の大納言経輔・前の源大納言雅家・中宮大夫雅忠・藤大納言為氏・皇后宮大夫定実・四条の大納言隆行・帥の中納言経任、此の外の上達部、西東の中門の廊、それより下ざま、透渡殿・打橋などまで著きあまれり。皆、直衣に色々の衣重ね給へり。時なりて、舞人共参る。実冬の中将、唐織物の桜の狩衣、紫の濃き薄きにて桜を織れり。赤地の錦の表着・紅の匂の三衣・同じ単・しじらの薄色の指貫、人よりは少しねびたりしも、あな清げと見えたり。大炊御門中将冬輔と言ひしにや、装束先のに変はらず。狩衣はから織物なりき。花山院の中将家長、右大将の御子、魚綾の山吹の狩衣、柳桜を縫ひ物にしたり。紅の打衣を輝くばかりだみ返して、萌黄の匂の三衣・紅の三重の単、浮織物の紫の指貫に、桜を縫ひ物にしたる、珍しく美しく見ゆ。花山院の少将忠季は師継の御子也、桜の結び狩衣、白き糸にて水を隙無く結びたる上に、桜柳を、それも結びてつけたる、なまめかしく艶なり。赤地の錦の表着、金の文をおく。紅の二衣・同じ単・紫の指貫、これも柳桜を縫ひ物に色々の糸にてしたり。中宮の権亮少将公重実藤の大納言の子、唐織物の桜萌黄の狩衣・紅の打衣・紫の匂の三衣・紅の単、指貫例の紫に桜を白く縫ひたり。堀川の少将基俊基具の大納言の子、唐織物、裏山吹、三重の狩衣、柳だすきを青く織れる中に桜を色々に織れり。萌黄の打衣、桜をだみつけにして、輪違へを細く金の文にして、色々の玉をつく。匂つつじの三衣、紅の三重の単、これも箔ちらす。二条の中将経良良教の大納言の御子也、これも唐織物の桜萌黄・紅の衣・同じひとへなり。皇后宮権亮中将実守、これも同じ色の樺桜の三衣・紅梅の〔匂の〕三重の単、右馬頭隆良隆親の子にや、緑苔の赤色の狩衣、玉のくくりを入れ、青き魚綾の表着・紅梅の三衣・同じ二重の単・薄色の指貫、少将実継、松がさねの狩衣・紅の打衣・紫の二衣、これも色々の縫ひ物・おき物など、いとこまかになまめかしくなしたり。陵王の童に、四条の大納言の子、装束常の儘なれど、紫の緑苔の半尻、金の文、赤地の錦の狩衣、青き魚綾の袴、笏木のみなゑり骨、紅の紙にはりて持ちたる用意気色、いみじくもてつけて、めでたく見え侍りけり。笛茂通・隆康、笙は公秋・宗実、篳篥は兼行、太鼓は教実、鞨鼓はあきなり、三の鼓はのりより、左万歳楽、右地久、陵王、輪台、青海波、太平楽、入綾、実冬いみじく舞ひすまされたり。右落蹲、左春鴬囀、右古鳥蘇、後参、賀殿の入綾も実冬舞ひ給ひしにや。暮れかかる程にて、何のあやめも見えずなりにき。御たかだか宮達、あかれ給ひぬ。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)