「常は」という語には「日常・平生を、特定の日と区別して表わす。いつもは。つねひごろは。」という語釈があり、日本国語大辞典では『拾遺和歌集』(1005-07年頃か)の例が早い例として添えられていますが、古今和歌六帖など、さかのぼる用例があります。万葉集歌は訓みがいろいろあるのですが、「常は」と訓んでいるものを挙げます。
常(つね)はかつて思はぬものをこの月の過ぎ隠(かく)らまく惜しき宵かも(巻第七、1069)
『萬葉集 釋注四』伊藤博、集英社(集英社文庫ヘリテージシリーズ)、2005年、38ページ
1069[題詞]詠月
[原文]常者曽 不念物乎 此月之 過匿巻 惜夕香裳
[訓読]常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも
[仮名],つねはさね,おもはぬものを,このつきの,すぎかくらまく,をしきよひかも
(万葉集~バージニア大学HPより)
つねはさも思はぬものを此月のすきかくれゆくをしきよひかも
○萬葉七1069 常(ツネ)ハカツテオモハヌモノヲ此月ノスギカクレマクヲシキヨヒカモ ○常者 者の字は訓へからずつねと訓べし曾はかつてと訓べし~~
『校證古今六帖 上』石塚龍麿稿、田林義信編、有精堂、1984年、89ページ
あだなりと常(つね)は知りにき桜花惜しむほどだにのどけからなむ
(五五・天徳四年三月卅日 内裏歌合、廿巻本・9)
『平安朝歌合大成 増補新訂 第一巻』萩谷朴、同朋舎出版、1995年、372ページ