野も、山も、青葉若葉となりました。この頃は――とりわけて今年はよく雨が降るやうです。雨といつてもこの頃のは、草木の新芽を濡らす春さきの雨や、もつと遅れて来る梅雨季(つゆどき)の雨に比べて、また変つた味ひがあります。春さきの雨はつめたい。また梅雨季の雨は憂鬱にすぎますが、その間にはさまれた晩春の雨は、明るさと、快活さと、また暖かさとに充ち溢れて、銀のやうにかがやいてゐます。春さきの雨は無言のまま濡れかかりますが、この頃の雨はひそひそと声を立てて降つて来ます。その声は空の霊と草木の精とのささやきで、肌ざはりの柔かさ、溜息のかぐはしさも思ひやられるやうな、静かな親みをもつてゐます。時々風が横さまに吹きつけると、草木の葉といふ葉は、雨のしづくが首筋を伝つて腋の下や、乳のあたりに滑り込んだやうに、冷たさとくすぐつたさとで、たまらなささうに身を揺ぶつて笑ひくづれてゐるらしく見えるのも、この頃の雨でないと味はれない快活さです。(略)
(青空文庫より)
「神ならぬ身」という用語の用例を日本国語大辞典・第二版では1220年頃の保元物語の例を早い例として挙げていますが、200年ほどさかのぼる用例があります。
高松殿のうへにきこえさせたまひけるにさふらはせ給ひけるほとにや
かみならぬみは蓮葉のいける世にうきは独とおもほゆる哉
(巻第二百五十一・実方朝臣集)
『群書類従・第十四輯(訂正三版)』1993年、667ページ
かつらきの-かみならぬみの-かなしさは-くるれはものを-おもひますかな
(散木奇歌集・01003)~日文研の和歌データベースより
「神祭(かみまつり)」という語の日本国語大辞典・第二版の用例は、1310年頃の夫木抄の和歌を早い例として挙げていますが、もっとさかのぼる用例があります。
また、語釈としては「神をまつること。祭事。祭。」とだけなっていますが、これではなぜ夏の季語なのか分かりません。「特に葵祭をいう。」という語釈を追加してもよいと思います。
神まつり
神祭る卯月に咲ける卯の花を白くもきねがしらげたるかな
卯の花の色に紛へるゆふしでて今日こそ神を祈るべらなれ
神祭る時にしなれば榊葉の常磐の陰は変らざりけり
神のます森の下草風吹けば靡きても皆祭るころかな
(古今和歌六帖・第一帖・夏)233~234ページ
『校注国歌大系 第九巻』国民図書、1929年
四月神まつり
神のます杜の下草風吹はなひきてもみなまつるころ哉
(源順集~群書類従14、636ページ)
四月神祭のこゝろをよめる 永成法師
やかつ神祭れる宿のしるしにはならの廣葉のやひらてそ散る
(巻第三百六十六・金葉和歌集(奏覧本)、第二・夏)
『続群書類従・第十四輯上(訂正三版)』続群書類従完成会、1982年、7ページ
神まつりをよめる //源兼昌
//さかきとる/夏の山ちや/遠からむ/ゆふかけてのみ/*まつる神かな/*5まつるそてかなイ //
(詞花和歌集巻第二・夏・00053)~国文学研究資料館HPより